薄桜鬼-江戸- | ナノ
 












「ただいま」

スタンっと大きな音を立てて襖が開かれる。
ちょうど返事をしようと口を開きかけていた土方は、勢いよく開かれたそれに少し驚いた色を顔に落とした。

「お前、返事ぐらい聞いてから開けろよ」
「仕事、してきた」
「……雪菜?」

いつもなら仕事を終えると、へらへらと笑って戻ってくる彼女なのだが。
今日に至っては、未だ厳しい表情、というよりかは、どことなく憮然とした表情を浮かべている。

「土方さんの読みどおり、池田屋にて明後日丑の刻より会合があるようです。今の所、例の長州3人の浪士が集うようです。」
「あぁ。そうか」
「……」
「どうした?」
「別に」

いつも通り、どこからそこまで細かい情報を調べてくるんだ、と言う程完璧な彼女の仕事ぶりではあるのだが。
一目瞭然に分かるそのむすっとした表情、あわせて唇を少し尖らせている彼女に、土方は肩眉をあげた。

「何怒ってるんだ」
「別に怒ってなんか……」
「じゃあ何で唇が尖ってんだ、分かり易い」
「……」

土方言葉に雪菜は土方からあからさまに視線をゆっくり反らす、そんな彼女の子供染みた行動に土方は呆れを通り越して苦笑が漏れてしまう。
その小さく聞こえた笑い声がに、心外そうに再び雪菜が土方へと視線を送ったが、彼はそんな”恨みがましい”視線を慣れたように受け流しながら、机の上においてあった巾着を手に取った。

「いるか?」
「……いる」

その小さな巾着、それが何かすぐに理解すると雪菜は相変わらず小さく唇を尖らせたままではあるが、それを四つん這いで受け取り、そしてそのまま両手両足で動物のように動きながら土方の後ろへと身体を移動させた。
間もなくして、がさがさと背後から巾着を開ける音、そしてぽりっとかじる音が聞こえてくる。
醸し出す空気はぴりっと張りつめて、本人は憮然としてはいるものの、巾着に入れられた金平糖を食べる余裕はどうやらあるようだ、と土方は手元に置いた半紙に視線を落とした。

「ねぇ土方さん」
「何だ」
「島原って楽しい?」

少し拗ねたような声色で告げられた背後からの言葉、その内容に土方はようやく、あぁ、と合点がいく。
先ほどいつもの三人が島原に行くといって出て行った事、大方雪菜がそれを目撃したか何かなのだろう。

「さぁな。俺はそんなに行かねぇから、わからん」
「ふぅん」

がさがさと袋に手を入れる音がまた聞こえてきたかと思うと、雪菜はため息を漏らして土方の背中に自分の背中を重ね合わせる。
背中に伝わってきたその重みもいつもの事だ、と土方は特に気を留めた様子もなく、首を鳴らしながら筆に手を戻した。

「別にあいつらが島原行くのはいつもの事だろう」
「そうだけど……」

脳裏に焼きついているのは、着飾った女達が原田達の腕を引いて店へと誘導している様子。
帰り際に偶然見たそれは、何もないとは分かってこそいるものの、雪菜の胸の中にぐるぐると黒い感情を落としてしまった。

「なんで男の人向けの島原はあって、女の人向けの場所はないの」
「お前には甘味所があるだろ」
「男の人だって行くじゃない」
「じゃあお前も島原に行けばいいだろうが」

淡々と言葉を返す土方に、雪菜はもう一度大きなため息をつきながら、分かり易く鼻をフンッと鳴らした。
手に持っている巾着袋を無造作に揺らすと、しゃかしゃかと金平糖が中で揺れる音、そして雪菜がそれをぼりぼりとかじる音だけが部屋に響く事数秒。

「……別に、原田は女目的で行ってる訳じゃねぇだろ。」

ぼそりと一段と声を低くした土方に、雪菜は揺らしていた手と口をぴたりと止めた。
何か言葉を探すような沈黙の後に、再度どちらとも言えない小さなため息が聞こえてくる。


「だけど……」
「土方さん、ちょっといいか」

雪菜の声をまるで掻き消すかのように、突如に襖越しに投げられた声に、雪菜はびくりと体を縮こませた瞬間、その動きで手元が狂ったのか、土方が小さく呻き声を漏らした。
それからすぐに畳を擦る音が聞こえてくるあたり、大方足を抱えて彼女なりに小さく隠れつもりなのだろう。

「おう、どうした。もう戻ってきたのか」
「いや、新八らはまだ飲んでるけどよ。それより、雪菜は戻……って」

襖から顔を出した原田は、机の前に座り筆に手をかける土方に視線を送ると、その端から明らかに出てる見慣れた着物の裾に瞬きを数回。
言葉すら発さなかったものの、土方は顎でくいっと後ろを指すと、原田は悪ぃ、と苦笑しながら部屋に入り込んだ。

「雪菜、戻ってたのか」
「………」
「どうした?」

いつもの彼女の反応が無い事に、原田は土方に事情を求める視線を送ったが、はなから関わる気がないのか、土方は呆れ混じりの表情を浮かべているだけ。
ガリっと口の中で金平糖を噛み砕いた音にその顔を原田が覗き込んでみれば、雪菜は慌てて膝に顔を埋めてしまった。

実際、こうして永倉や藤堂をおいて帰ってきてくれた、その事実が雪菜にとって予想以上に嬉しい筈のに。
今の今まで土方へと漏らしていた不満が重なると、どうも素直に喜ぶ事が出来ない自分の天邪鬼には自分でも収集がつかない。

「なぁ、お前らの色恋に文句をつける気はねぇが」
「うん?」
「あんまこいつを、怒らせんな」
「……土方さんって、ほんと雪菜にだけは甘いよな」

仮に、永倉や沖田が土方の背中で拗ねるなんて事をしたら、即座に雷が落ちるに決まっている。
それでも、こうしてここに居座っていた彼女は、怖いもの知らずでもあるが、それを許していた土方もまた、無意識なのか、雪菜に弱いのであろう。

「何言ってやがる、こうやって背中にくっついてられると仕事が進まねぇんだよ」
「へいへい、了解。ほら、行くぞ」

土方の後ろに背中を任せ、ぽりぽりと金平糖を頬張っている彼女に原田が手を伸ばすが、雪菜は嫌だ、という小さな抵抗を示して体をよじった、その瞬間、不意に小さな衝撃が頭に走った。
それが土方から小突きだという事が分かると、雪菜は大きく顔を歪めて不満気な表情を全面に貼付けた。

「おら、お前も。とっとと出ていけ」
「土方さんの、いじわる」
「ああ、結構だ」
「鬼副長っ」
「言ってろ。……原田、早くこいつを連れて行け」

雪菜がまだ何か抵抗しようと口を開けたのをぴしゃりと土方が遮り、それと同時に原田は彼女の腕をしっかりと掴んだ。
ぐいっと引っ張られると、呆気なく土方の背中から剥がされ、そしてそのまま腕を引っ張られながら立たされる。
座ったままの土方をちらり、と下目に視線を送ると、彼は雪菜の顔を見てくっと喉を鳴らして笑った。

「お前、顔が笑ってんぞ」
「っ、土方さんのばーか!」
「おうおう、早く出ていけ」

いつもならその軽口に応戦するのだが、今日に至ってはそのままひらひらと手を振る土方に、雪菜は不満げに唸る。
原田はそんな彼女の首根っこを掴まえると、悪いな、と言葉を残して副長室からずるずると雪菜を引きずり出した。

すっ、と襖を原田が締めると、月明かりに二人の影がぼんやりと浮かび上がる。
原田を振り切るような動きの彼女の陰から、隣に立つ男の陰が小さく腰を折った。
少しの沈黙の後、小さな彼女の笑い声が土方の耳に届くと、彼はやれやれ、とため息をついて今仕方の手に余る監察の報告内容を書に纏め始めた。




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あ、あれ?
土方さんの夢みたいになって、て、る?←
いやいや、こういうのもたまには良いかなって。
なんだかんだで、雪菜さんに甘い土方さんなのです

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