いつか、 「あれ、雪菜ちゃんじゃない?」 「ん?」 午後の巡察を何時もの様にサボろうとしていた沖田を捕まえて京の町に歩き出して半刻。 特にこれといって目立って不審な輩を見る事も無く、互いにぶらぶらと見回っていれば、ふと、甘味処の外に出ていた座席に座る、一見只の客に見える二人を見付けて沖田は呟いた。 「ほら、あそこの」 沖田のその視線に連れられる様に、原田もまたそこへと視線を投げる。 確かに彼の言う通り、髪型も服装も違うにしろ、見慣れた笑顔を浮かべる女が視界に入った。 少し離れたところに居るが、それでも瞬時に彼女だという事を把握できる。 口元につけられた泣き黒子は、化粧だろうか、普段と違う位置に小さく見える黒い点に原田は目を細めた。 「ああ、みてぇだな」 「仕事中かな」 「だろうな」 「何、左之さん、興味ないの?」 面白い物を見付けたと言わんばかりの沖田の表情に、原田は苦笑に似た溜め息を漏らすだけ。 それでもまだ距離のある甘味処に近付くのを遅らせるように歩みを遅めた。 「あんま、俺らが近付いていいもんじゃねぇだろ、あいつの仕事には」 「へぇ、余裕だね、左之さん」 にやりと再び口角を上げた沖田の笑みに、原田は詰まらなさそうに髪を掻きあげる。 その隙間から見える、二人の様子が気にならない訳ではない。 しかし、本能の赴くままに身を任せれば、間違いなく自分はあの二人の邪魔をしに行くしかないのだから、今は厄介な本能なんて押さえ込む他仕様がない。 「仕事中ってどうして分かるの?」 「そりゃ、変装してるから、だろ?それにあいつは監察だし、」 「実はあの男と恋仲だったりして。バレない様に変装して会ってるとか」 「はは、馬鹿言ってんじゃねぇよ」 そう言いながら、原田が沖田の背中をからかう様に叩いてやると、それが少しばかり痛かったのか、迷惑そうに沖田は顔を顰めた。 「痛いなぁ。そんなに気になってるなら、素直になったらいいのに」 「何がだ、何が」 中々この会話から退こうとしない沖田に、もう一度溜め息を漏らして原田は袴に手を突っ込んだ。 そんな会話したせいで少し足取りが重くなってしまったものの、甘味処の前を通らずにして行く道もない。 仕方なくできるだけ目立たない様に、何事もない様に前を通り過ぎようとした矢先――くすくすと、聞き慣れた笑い声が耳に飛び込んできた。 「何ですか、急に」 「いやぁ、ちょっと気になってしまってな」 「もう、こんな所で堂々と……、」 一聞するに、特に気を配る程の会話でもない筈なのに。 それでも、表情には出さないながらに無意識に沖田も原田同様に息を潜めた。 「じゃあ、交換条件ですよ?」 「お?」 いつの間にか真横に位置していた雪菜を、ちらりと横目に入れる。 もうずっと前から原田が、そして沖田が率いる隊が近くまで来ている事は分かっていたのだろう、特に意識を払う素振りも見せずに、その漆黒の瞳は隣に座る男を見つめたまま。 一見して、媚びる様子も見せないのに、相手の懐に飛び込むのが上手いのは、やはり日々の訓練なのだろうか。 こうして稀に遭遇する仕事中の彼女のその完璧な役作り振りには、毎度の事ながら賞賛にすら値する。 それでも、じわりと心の奥底に、言い知れぬ感情が湧き出てしまうのは確かに沖田の言う通りだ。 一見恋仲に見えなくも無いその二人を見る事など、百害あって一利なしだと視線を戻そうとした、その時。 雪菜が男の耳元に顔を寄せた。 たった、それだけの事なのだが。 暫く、何かを囁く仕草の彼女につい視線が縫い付けられてしまう。 その瞬間、不意に結び合った雪菜との視線に、どきり、とラシくも無く鼓動が高鳴った。 ゆっくりと僅かに瞳が細められていつもの、自分に向ける笑みを浮かべた様に見えたのは気のせいだろうか。 すぐに外された視線からはその意図は読み取れないが、それでも、あれは自分へ向けた笑みだという事に何故か自信が持てた。 「あーあ、すっかり骨抜きにされちゃって」 顔を離した雪菜を見つめる男の満足気な表情に、可哀想に、と呟いた沖田の言葉に原田もようやく視線を戻した。 今仕方重なり合った視線に沖田はは気付いていないのだろう、それがどことなく優越感に繋がり口元が薄く緩む。 「ある意味、無敵の色だよね」 「うん?」 「あんな事されちゃ、敵わないなぁ、男として。どうする、これでより一層恋文が増えてきちゃうかもね」 声を抑えながら悪戯に声をあげる沖田は、恐らく原田の嫉妬心を煽って見ようとしているのだろう。 その手には乗るか、と原田は答える変わりに少しだけ勝気な笑みを漏らしながら、男の言葉に微笑しながら耳を傾けている彼女をもう一度だけ横目にして、ざ、っと砂利を音を立てて通り過ぎた。 「あれ、いいの?邪魔しなくて……って、何その締まりのない顔」 「お前に教える筋合いはねぇよ」 何それ、と不服そうに原田を見つめる沖田に、原田はただ笑って巡察へと頭を切り替えた。 --- その後も特に目立った事もなく無事に巡察を終えて、隊に解散の号令をかけ終わる。 副長への報告を、と沖田と共に屯所の門を潜ろうとしたその時。 「おっつかれさま!」 ばしり、と小さな重たい振動が腰に響いたと思えば、沖田と並んで歩いていた自分との間にさらりと漆黒の髪が入り込んでくる。 ほぼ同時にそこから覗き込んだ予想外の顔に、原田も、そして沖田もまた虚を突かれた様に目を見開いた。 「あれ、雪菜ちゃん。もう逢引は終わったの?」 「逢引って、またそんな」 「あれ、違ったの?すごく親密そうだったから、てっきり逢引でもしてるのかって思ってたよ、ねぇ、左之さん?」 その言葉に、くるりと雪菜が顔を原田へと向け直せば、ふわりと髪が綺麗に弧を描いて靡く。 その髪先に視線をやっていれば、先ほどちらりと何かを確認するかのように原田の琥珀色の瞳を見上げた。 「あ?いや、俺は別に……、」 「あんな不満そうな顔して乱入しようとしてたのはどこの誰だったっけなぁ」 「おい総司、ある事無い事、嘘ついてんじゃねぇ」 じとり、と視線を送る雪菜の背後から、茶化す様な沖田の言葉に慌てて否定をしてみるが、それに従い雪菜の表情も訝しげなものへと変わってしまう。 仕事は仕事だ、と普段から口にする彼女の言葉を知ったが上の、沖田の言葉に苦虫を噛み潰した様に原田も顔を顰めた。 「別に巡察中だったし、お前の仕事の邪魔してねぇぞ」 「本当?」 「な、なんだよ。総司の言葉を鵜呑みにしてんじゃねぇっての」 むぅ、と口を尖らせて不満そうに原田を見つめる雪菜の瞳を隠す様に頭を撫でてみれば、隣で沖田は愉快に瞳を細めて事の様子を見守ったままだったが、近づいてき目的地に、不意に玄関へと上がる事も無く、くるりと背を向けた。 「じゃあね、後は二人で宜しくね」 「おいこら、土方さんへの報告は、」 「あ、じゃあ私も。左之さん、私の分も報告よろし、」 「く、じゃねぇよ。お前は逃さないぞ」 後ろ手にひらひらと手を振りながら、のんびりと別方向へと歩き出した沖田に続こうとした雪菜は勿論本気ではないだろうが。 がしりと腰に巻きついた太い腕に、楽しそうに笑い声をあげた。 「目、合ったの気付いてたか?」 「当たり前じゃない、ちょっとだけ、笑ったでしょう?」 未だに自分の腹部に巻き付くその腕を両手で解きながら、雪菜は楽しそうに笑顔を原田へと向けた。 手にした風呂敷の中からちらりと見える布柄は、先程身に着けていた物だろう。 こうも短時間で着替えてしまう彼女の速さに驚きながら、原田は解かれた腕に少し不満そうに表情をわざとらしく曇らせてみた。 「なら、ああいう事は、俺の居ないところでやってくれよな」 「ああいう事、って……あぁ」 「俺が非番だったら、とっくに邪魔しに入ってたぞ?」 「それは……困る」 気をつけるね、と困ったように笑いながら、雪菜は手にしていた風呂敷を抱え直した。 「なぁ」 「なぁに?」 「お前は、雪菜は、俺のもんだよな?」 「そうね、お仕事の時間以外は、しょうがないから左之さんのものでいたげる」 ぽんぽん、と少し背伸びをしながら、手を伸ばして自分よりか随分背の高い原田の頭をまるで小さい弟にするかのように撫で始めた雪菜に、始めはそれを素直に受け入れていたのだが、一向に終わる気配のないその細い手を、原田は簡単にぱしりと掴みあげた。 「いつか、全部俺にくれるか?」 掴んだ手を口元へ引き寄せ、まるでそこへ囁くように紡いでみると、すぐに驚いた様に目を丸くした雪菜に、しっかりと自分の言葉が彼女に届いていた事が見て取れる。 ちらりと原田は左右に誰も居ないのを確認してから、そのまま腰をそっと引き寄せてみると、掴んでいた雪菜の手がようやくぴくり、と動いた。 「なぁ、どうだ?」 「、ちょっ、」 人が居ないのをいい事に、今度は耳元にと唇を寄せてみれば、面白い程に雪菜の体が大きく反応する。 耳まで真っ赤になった雪菜を満足そうに見下ろしながら、原田は口元に落とし忘れている化粧黒子を親指でそっと拭った。 先ほどまでの彼女はどこへいったのか、二三言、何か言葉を紡ごうと口を開けたが、雪菜の口から漏れるのは吐息だけ。 暫しの沈黙の後、ギシリ、と遠くの方で響いた廊下の撓る音に、弾かれた様に雪菜は原田の手を解いて体を離す。 それでも、言葉を探す様に視線を泳がせる姿も可愛い等と思う自分は、ほとほと重症だと自覚しながら、原田は苦笑を漏らして場を切り上げた。 「ほら、土方さんとこに報告に行くぞ」 「ぁ、う、うん」 これ以上追い詰めるのも酷だな、と副長室へ向かうべく再び一歩足を踏み出せば、つん、と浅葱色の隊服の裾が何かに引っ張られ、どこかに引っ掛けたかと思い首だけでその先を振り返った。 案の定、隊服はどこかに引っ掛けたわけでもなく、雪菜の手によって裾を掴まれており、未だに顔を赤らめたままの雪菜は、しっかりと原田の瞳を捉えて、大きく息を吐いて深呼吸を一つ。 「いつか、全部あげるから……左之さんも全部、私に頂戴ね?」 言葉と供に裾が離され、気付いた時には視界の端に線を描く黒い長髪。 た、っと地面を蹴る音が少しして響いたかと思うと、軽やかに髪を揺らしながらその場を走り去るその後ろ姿だけが視界に残り―― 「、ったく」 意表を突かれたように赤くなってしまった原田は、それを隠す様に片手で口元を塞ぎながら、その場に立ち尽くした。 **** 特に……オチも無く……関西人として失格というか、その。 何も考えずに上からたんたんと書いていけば、こんな事になっちゃいました。 口元を片手で塞いで照れる左之さん、かわゆす。 >>back |