![]() pit a pat 見慣れた絵画の前で足を止めて、雪菜は軽く深呼吸を漏らす。 ほんの少し前までなら、こんな所で足を止めずに談話室へ入れていたのだが、と雪菜は少し跳ねた髪の毛を撫で付けた。 「シリウスなら戻ってるわよ」 「き、聞いてないってば!」 「あらそう?」 ふふ、と楽しそうに笑う太った婦人を精一杯睨みつけてみても、彼女の反応は変わらない。 加えて、その指摘が間違っていないからこそ、雪菜は頬に熱が上がるのを感じて首を横に振ってみせた。 「大丈夫よ。髪も、服も……そうね、少し頬は赤いけれどそれはご愛嬌ね?」 その言葉に慌てて髪に当てていた手を頬に当ててみるが、案の定鏡など持ち合わせていない。 何とか冷えきった手で頬を隠しながら、雪菜は静かに合い言葉を口から唱えた。 「せいぜい、がんばることね」 開いた扉の背後から聞こえてくる婦人の声に軽く返事を返して、温かい談話室へと足を踏み入れる。 目の前に飛び込んできた寮生達、その中でもすぐに目がいった彼――シリウスを見つけて雪菜はトクンと音を立てた胸に手を置いた。 いつもの場所、いつものソファ、いつもの姿勢。 今までずっと見てきた彼の、何一つ変わらない様子に雪菜は激しく音を立てる胸を落ち着かせながら隣を通り過ぎようと足を進めた、その時。 「オイコラ、何処行くんだ」 「え、っと」 静かに通り過ぎようとした筈なのに、突然手首を伝わる熱に身体が跳ねる。 問わずもがな、掴まれたその手首から先へと視線を辿ればぶつかるグレーの瞳に、雪菜は視線を彷徨わせた。 「へ、部屋?」 「何で?」 「何でって……ほら、シリウス、本読んでるし、その……」 「お前が帰ってくるの待ってるだけの暇つぶしだっての、これは」 ドサ、と机の上に手にしていた本を投げ置いたシリウスに、再度身体がびくりと跳ねてしまう。 怖がっている訳ではない、だけど、シリウスの一挙一動には未だに身体は慣れないし、慣れる気さえしない。 それに気付いたのか、気付いていないのか、シリウスは雪菜の手をそのまま引き寄せた。 「ん、ココ」 「こ、こ?」 「何だ、彼氏の横に座るのは嫌だとか?」 「い、いや、違うよ!」 問われる言葉に慌てて首を左右に振ってみせると、シリウスの瞳が少し細められる。 そしてクツリと喉を鳴らして笑う音に、雪菜は今や壊れそうに音を立てている鼓動を感じつつも、何とかシリウスの隣へと腰を下ろした。 「緊張してんの?」 「し、してないよ!」 「顔真っ赤だぞ、お前」 指摘されて、思わず目を逸らしながら雪菜は口を噤んだ。 先程から自分の声が上擦ってるのも自覚していれば、頬が十分に熱を帯びている事も自覚している。 クツリクツリと聞こえてくるシリウスの笑い声に、少し前の――付き合う前であったのならば、何が可笑しいのだろうとその笑みに考えを馳せてみる事もあったが。 さすがにこの状態では、そんな余裕すら芽生えてこない。 「シリウスは、ずるいよほんと……」 少しだけ恨みを混めて言葉を口から紡ぎながらも、雪菜は溜息を漏らした。 付き合う前まではシリウスを一目見れただけでよかった、その笑顔をチラと見るだけでよかったのに。 少しでも喋れた日には、向こう1週間はハッピーな生活が送れる気さえしていたのに……そんな状態からいっきにステップアップしてしまったのは、まだたったの1ヶ月前の事。 「ずるい?」 「だって……、今更、隠すつもりはないけど、その」 「ん?」 いつの間にか肩に回されている手にも緊張を感じつつ、視界には彼の組まれた長い足が入ってくる。 少しだけシリウスに触れている左腕にすら、力をこめる事すら出来ず。 もはや全身がシリウスに触られている事に悲鳴をあげているようにさえ思えてくる。 ――ずっと好きだった、だけど、まさか自分がシリウスの彼女になれる日がくるなんて思いもしなかったから。 「ずっとシリウスの事、見てて……好きだったから……緊張しちゃうのは仕方な、い、じゃない……」 悲しい訳じゃない、だけど緊張しすぎて声が震えてしまう、と付け加えて雪菜は更に肩を落として身体を小さくした。 "夢みたいだ"とシリウスに告白された時に伝えると、彼が苦笑に似た笑みとともに"夢じゃねーよ"と言って抱き寄せてくれた事は記憶に新しい(忘れられる筈がない)。 だけど、それでも。 「あ、でもその、ストーカーとかじゃなくて、っ」 ふと、反応のないシリウスが不安になり、雪菜は慌てて顔を上げた。 今更ながら自分の発言に"しまった"なんて感じてしまっても既に時は遅しで、視界に入ったシリウスの虚をつかれた様な表情にチクリと胸が痛んだ。 "彼女なんだからもっと堂々とすればいい"といつも言われているのだが、それでも――こんなに長い間好きだったのだから、はいそうですか、と平然を装える訳なんてない。 当然、目下頭にあるのは"シリウスに嫌われませんように"なんていう考えのみで、だからこそ、少し目を見開いたシリウスの反応が怖くて。 オロオロと次の言葉を紡ごうとした、その瞬間―― 「し、」 「……俺だってそうだ」 「、りう、」 「ずっと雪菜の事が好きだったの、お前が気付いてなかっただけだろ?」 不意にシリウスが視界から消えたと認識すると同時に、背後に温かくて力強い感触が広がる。 友人同士で交わす挨拶のハグとはまた違う、ぎゅ、と心を掴むような感覚。 そして頬に触れるシリウスのセーター、そこから香る彼の香りと、わずかに触れる髪。 付き合うようになってから何度か経験したシリウスとのハグは、いつも頭が真っ白になる。 全身の血液が沸騰してしまいそうにもなるその感覚を改めて感じながらも、雪菜は乾いた喉から何とか言葉を紡いだ。 「……う、そ、」 「嘘じゃねぇよ、じゃなきゃ俺から告白なんてしねぇだろ?」 「そ、そっか、そう、うん……そ、だよね」 はは、と乾いた笑みを何とか漏らしてみると、シリウスが喉で笑う音が直に頬を通して伝わってきた。 自分はこんなに緊張をしているのに、1ミリだって顔を動かす事さえままならないのに。 それでも背後に回されたシリウスの両腕が、ゆっくりと背中に流れる自分の髪を遊ぶ感覚に、雪菜はぎゅっと瞳を閉じた。 嬉しい、すごく嬉しい、だけど恥ずかしくて死んでしまいそうだと、訳の分からない感情に心が落ち着き無く音を立てる。 「……心臓の音、うるせー」 「だ、だってこんな事されたら、緊張しちゃうよ!」 「ちげーよ、俺の心臓の音。すっげぇ速いぞ、今」 苦笑の中で告げられたシリウスの言葉に、雪菜が思わず声を荒げてみると、すぐにトントンと背中を優しい力が襲いかかる。 そしてすぐに降ってきた彼の言葉に、ゆっくりと瞳を開けて瞳だけでシリウスを見上げてみると――はにかんだ様に、少し目の下を赤くしたシリウスの瞳と目があった。 「ほら」 そう言葉を紡いだ彼が、そっとシリウスの腕の中で折り畳んでいた雪菜の片手を手に取り、自身の胸元へ導く。 一瞬、繋がれた手に思わず退いてしまいそうになるものの、やがてあてがわれたシリウスの胸元、そして手のひらを通して伝わってきた鼓動に雪菜は小さく目を見開いた。 「……ほんと、だ」 「俺だって緊張してんの」 「……でも、見えない」 「んな情けねぇとこ、お前に見せれるかよ」 そうだろう?と笑いながら人差し指で雪菜の頬を軽くくすぐる。 トクトク、と早く伝わってくるシリウスの心臓の音は、雪菜の耳元に響く自身の落ち着きの無い鼓動の早さとまるで同じ。 一見するとまるでそんな風には見えないのに、同じスピードで鼓動を刻むシリウスの心臓に雪菜はふにゃりと頬を緩めた。 彼女として堂々とする、何てことはまだ到底出来そうにない。 それでも、一挙一動に自分だけではなく、シリウスもまた同じ気持ちで居てくれている事が――安心感を感じるとともに、素直に嬉しくもある。 「笑うな」 「だって、」 緊張が少しだけほぐれたせいだろうか、くすくすと漏れ始めた笑いにシリウスが片眉を挙げてみせる。 少し不満そうに口を尖らせたシリウスが、更に可笑しくて。 止まらない笑いに雪菜がシリウスの胸元に当てていた手を口元へ引き寄せようとするよりも前に―― 「、!」 「Good.」 唇に先に触れた、指先とは違う感触。 一瞬にして退いてしまった笑い、そして目をぱちくりと瞬かせた雪菜にシリウスがクスリと小さく照れ笑いを漏らした。 **** 中 途 半 端 \(^o^)/ シリウスの緊張してる胸に手を当ててみたかっただけです、それだけです\(^o^)/ >>back |