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<<読む前の注意事項>>
*シリウスが格好良くありませんのでご注意




Stay!





愛されている自信があるかと問われると、即答で首を縦に振る自信はある。
だけど、だからといって嫉妬をしない訳ではない、と雪菜は中庭の光景を見詰めて口を僅かに尖らせた。

「シリウス」

ぽそりと口から突いて出た言葉はもちろん、10m程離れた所に居る彼には届かない。
変わりに隣を歩いていたリリーが足を止めて雪菜の視線を追いかけ――苦笑を漏らした。

「あら、ほんと」

中庭の少し離れたところ、ちょうど木の下で適度な影を作っているそこに身体を埋めているのは一匹の黒い犬。
すやすやと寝ているのだろうが、規則正しく上下する腹がちらりとしか見えなかったのは、周りに何人もの女子生徒が囲んでいるせい。
その艶のいい毛並みを楽しむように撫でたり、時には顔を埋めてみたり。
それでも全く動かずに熟睡しているその様子は傍から見れば微笑ましくもあるが――その黒い犬がシリウスだと分かっていれば、話は別。

「ジェームズもさっき寝てくるって部屋戻ったけど……昨日よっぽど遅くまでまた悪戯の計画でも練ってたんじゃない?」
「……」
「あんな中庭でどうどうと寝てると、シリウスだなんて誰もわからないわね」
「……」
「雪菜?」

トントン、と肩を叩かれては、と雪菜は我に返った。
慌てて振り返り、自分より背の高いリリーに視線をあげてみると、彼女は苦笑めいた笑みを浮かべたまま雪菜の頭にぽんと手を一つ。
優しいその感触に、隣に居るのがリリーでよかった、と思う反面、こんな事で嫉妬してしまう自分が気恥ずかしい。
あやすように頭を数回撫でたリリーに、余程露骨な表情を浮かべていたのかと雪菜は何とか頬に力を入れて苦笑を浮かべてみせた。

「珍しいわね、普段ならそんな顔しないのに」
「やっぱり顔に出てた?」
「ええ、まぁ。でもしょうがないわよ、あの子でしょう?」
「あーもう、恥ずかしい。今更嫉妬なんてほんと……」

雪菜の後ろ、シリウスが寝ているであろうそこを指差すリリーの視線を追いかけずに、雪菜は小さく肩を落とした。
確かにいつもなら笑って通り過ぎていた筈なのに、どうしてこんな敏感に反応してしまったのか。
問いかけなくても分かる、あの犬の――シリウスの――背中に顔を埋めて楽しそうに笑っていたのが、この前シリウスに告白していた子だから。
勿論彼はNOという返事を返したのも雪菜は知っている、知っているが故に――自分の器の小ささに胸がぎゅっと締め付けられた。

「心狭いよね、私」
「そんな事はないと思うわ?だってほら、誰だってあんな事を"ペット"にされたら嫌でしょう?」
「……ジェームズが同じ事されてたらリリーも嫌?」
「寝ている鹿に顔を埋める人なんて居るとしたら雪菜ぐらいだと思うけど」

くしゃり、と撫でられたままの頭にゆるりと雪菜がリリーに手を伸ばす。
"拗ねないの"なんて笑いながら告げられた言葉に、雪菜は深い溜息を漏らした。
決してシリウスが悪い訳じゃない、いつも中庭で寝てるのも知っているし、いつもああして撫でられているのも今更なのだから。
だけど、たまたま。
今日の相手だけは見たくなかったのが正直なところ、と雪菜はリリーの柔らかい香りにつつまれて瞳を閉じた。

「断ったって知ってるし、シリウスが浮気なんてしないのも知ってる」
「ええ、そうね」
「知ってるから、こんな気持ちになる必要なんてないのに」
「まぁあんなところで堂々と寝てるシリウスもシリウスだと私は思うけど」

ぽんぽん、とリズム良く撫でられる頭に雪菜が小さく呻くように声を漏らす。
頭では分かっていても、心が追いつかないとはまさにこの事。
何一つ不安になる事なんてないと分かっていても、やはりジリと締め付けるような嫉妬の感覚はいつまで経っても慣れないし好きにもなれない。

「あーもう、気晴らしに大広間でケーキでも食べよう?」
「あら雪菜、それはちょっと無理かもしれないわ」
「え、なん、ひぁあっ!?」

リリーの腕に顔を埋めたまま、ヤケ食いの誘いを雪菜が告げてみると、リリーがくすりと笑う声いながら腕を解いた。
いつもなら雪菜が満足行くまで付き合ってくれるリリーなのだが、今日に限ってはその返事の色が薄い。
何かあるのかと純粋に雪菜がリリーに問いかけようとした、まさにその矢先だった。

「な、なっ、シリ……っ!」

突然後ろ太ももに走ったヤケに生暖かい感触、そして少し湿った息がそこに走り思わず身体が硬直してしまう。
慌てて振り返ってみれば――スカートの裾に膨らむ何か。
何か、なんて一瞬にして理解してしまうのは、裾に隠れたのがその"ごく一部"――頭であり、足元に黒い毛並みを太陽に光らせた大きな図体がみえたから。
思わず口をついで呼んでしまいそうになった名前は、ギリギリのところで背後から回ったリリーによって口が塞がれたお陰で寸前で止められた、とはいえ。

「何してるのっ!ちょ、やだ、やっ、」

 ――クゥン、

パタパタとはちきれんばかりに尻尾を振りながら雪菜の太ももに鼻先を突きつけた"彼"には、雪菜の悲鳴が更に上がるだけ。
これが普通の生徒なら、大きな犬相手に恐怖めいた色になるのだが――今の雪菜の頬は完全に羞恥で真っ赤だ。
当たり前だ、この黒い犬はシリウスであり、その彼が雪菜のスカートに顔を突っ込んで太ももをぺろりと舐めたりなんてしているのだから。

「やだっ、こら、ちょ、シ、もうっ!」

  ――ワフッ

ぐんぐんとさらに押し込んでくるわ、尻尾はピチピチと音を立ているわ。
何が何だかわからないまま雪菜がバランスを崩しそうになった――その時。
あまり聞きたくない音がパチンと響いたかと思うと、不意にスカートの中に顔を入れていた黒い犬がクゥン、なんて犬らしい鳴き声をあげた。

「いい加減にしなさい!!」

くら、と余りの強さで鼻先を押し付けられていたせいか、雪菜がリリーに完全に身体を預けたのもつかの間。
ずいと前へと踏み出したリリーが雪菜と"彼"との間に歩み出た。
身体を横からパチンと叩いたのだろう、普通の犬ならば気を害して吼えたりもするのだが……やはり、と言うべきか叩かれた犬は尻尾を下げるだけ。
ようやく頭にかかっていた雪菜のスカートを持ち上げてその顔を視界に入れて――雪菜は唇をぐっと噛んだ。

「さっいてい!!!」

  ――ワンッ、ワフッ

「な、も、、パンツ覗くとか最低っ!!」

傍から見れば、犬相手に何をそこまでと言ったところだろうが、この黒い犬が"誰"か知ってるともなれば話は別。
尻尾も耳も下げているその様子は一見可愛らしくも見えなくはないが、今の雪菜にとってはそんな事はどうでもいい。
コチラを見上げるグレーの瞳はそれでも嬉しそうで、ぺロリと鼻先を舐めて再度雪菜のスカートに頭を突っ込もうとしたのを、雪菜は寸前で何とか引き止めた。

「だから!駄目だって!もう、ちょっとっ!」

  ――クゥン

「そんな声出しても駄目!近寄らないで、やだ、やだっ」

すりすりとその大きな身体を足に摺り寄せた黒い犬に足を取られてしまいそうになるのを何とか持ちこたえて、手にしていた教科書を持ち直した。
少し遠くに見えるのは、こちらに訝しげに視線を送っている女子生徒達の姿。
先ほどまですやすや寝こけていた犬に顔を埋めていた、"あの"女子生徒に至っては、雪菜の姿を見つけたせいか酷く顔を歪めてさえもいる。

「ご、め、ちょ、リリー、私行くね!」

一向に雪菜に向ける力を押さえようとしない犬の鼻先をぐいぐいと手で押し返しながら、呆れたような表情を宿しているリリーへ顔を向ける。
そこには、やはりというべきか、呆れた色を全面に押し出したリリーの姿。
そしてそんな雪菜にgood luckと呟いたのを合図に――雪菜は思い切りその場を走り出した。

「だ、からっ!ついてこないでっ!」

  ――ワンッワンッ!

「ちょ、だめだって、こらっ!」

  ――ワフッ!

思い切り走ったとしても、こんな大型犬に勝てる自信なんて最初からないのだけれど。
それでも、女子生徒に囲まれていた上にスカートに顔を突っ込まれたとなると、はいそうですかとこの大きな犬を受け入れる程の心の広さは生憎雪菜は持ち合わせていない。
狭い中庭の裏道を走ったり、通れないだろういう細い小道に身体を滑り込ませてみても"彼"は雪菜の後ろや横にぴたりとくっついたままで――悲しいかな、むしろこっちがスピードを合わされているようにすら感じてしまう。

「ちょ、も、無理ぃい、なっなに!?」

一体どれぐらい"追いかけっこ"を続けただろうか、やがて身体が酸素を求めて悲鳴を上げたのとほぼ同時に、今度は何かが雪菜の腕を引っ張った。
ぐ、と掴まれた手首を思い切り後ろに引かれてしまえば、走っていたせいもあり何一つ抵抗なんてできない。
ドン、と強くぶつかった"何か"に雪菜が行き絶え絶えに顔を見上げると――いつの間に人型に戻ったのか、シリウスの胸板が頬に擦れた。

「や、っ、はぁ、しりう、」
「何で逃げんだよ」

腕の中から逃げようとしても、すでに限界を告げた身体は何一つ言う事は聞いてはくれない。
ぎゅ、と両腕に抱きこまれてしまい身動き一つとれずに、かろうじて酸素を求めて顔を上げると――涼しい顔をしたシリウスが目を細めて笑みを零した。

「捕まえた」
「ばっか……もう、最低、シリウスホントに最低」
「何がだよ」
「パンツ覗くとか変態じゃない、もう」
「しょうがねぇだろ、頭の位置があそこにあったんだから。安心しろ、見えてねーよ。黒のレースなんて」

にやりと左の口角を楽しそうに上げたシリウスに、怒りたくてもそんな気力はとっくに失せてしまう。
久しぶりに全力疾走したせいか、膝ががくりと揺れた感覚に雪菜がバランスを崩しそうなのも、両腕に抱きこまれているから倒れる事はない。
そんな気を知ってか――知らないのだが、無抵抗の雪菜に気を良くしたシリウスは挨拶代わりのキスを唇へ落とそうと腰を少し屈めて頬に唇を寄せようとしたその瞬間。
ぴくりと強張った雪菜の身体をシリウスが感じると同時に、唇と頬の間に手が挟まれた。

「……だめ」
「どうした?」
「……やだ」
「ん?」
「やだ、離して、やだ……っ」

先程までの威勢のいい声はどこへいってしまったのか、雪菜の口から漏れ出た泣きそうな声色に、シリウスは思わず腕の力を緩めた。
すぐに視線を改めて落としてみると、そこには怒っているようではあるが、どちらかといえば泣きそうな表情を宿した雪菜の姿。
突然の変わり様にシリウスが訝しげに視線を逸らした雪菜の顎を掴むと、珍しく心底嫌そうな様子の雪菜が苦しげに口を開いた。

「シリウス……あの子の匂いがする」
「は?」
「やだ、そんな香りさせて抱きしめないで」
「……あの子?」

潤んだ瞳は涙さえ零れてはいなかったが、少しでも揺らせば涙が頬を伝ってしまうかもしれない。
それほどまでにいきなり潤んだ雪菜の瞳を見つめて、今しがた紡がれた言葉を頭の中で反芻させて暫く。
そういえば誰かが腹の辺りに顔を埋めていた気がする、とシリウスは何となくぼんやりとしている記憶を手繰り寄せた。
目が覚めてすぐに目の前にリリーに抱きつく雪菜を見つけて一目散に彼女に向かって行ったほんの数秒前。
チラリ、と視線を後ろにやった時に見えた生徒の姿を思い出して――

「あ、悪い」

さらりと口から真っ先に漏れた謝罪の言葉に、雪菜が一瞬目を開いてから首を横に振った。
違う、シリウスが悪いんじゃないと伝えたいのに伝えることができないのは、走ったせいで未だ息が上がっているせいか。
勿論シリウスが意図した事でもなければ、寝ている最中の事なのだから文句を言いたくても言えないのは雪菜も重々に理解はしている。

「シリウスが、悪いんじゃない、けど」
「そういうつもりは別に、」
「うん、分かってる。分かってるの……マーガレットに枕にされてても、ジュリに撫でられてても何ともないけど……けど」


"あの子は嫌なの"と本当に小さく漏らした言葉に、シリウスが"……だよな"と一言。
その一言が申し訳なさを存分に含んでおり、それが更に雪菜に自分の器の小ささなんてものを自覚させてしまう。
笑って見なかった事にできない自分が心底 情けない、と首を横に一度振って、もう一度"悪い"と漏らしたシリウスの緩んだ腕に雪菜がゆるりと……一歩下がる。
そんな雪菜にシリウスがせめて、と頬を撫でようとしたのその手を――頬に触れる前に掴んだ。

「Stay」

そしてぽつり、と一言。
Stay(待て)と告げた彼女にシリウスは不満そうに一瞬だけ眉を顰めたが――今は口を開くべきではないだろう、と言葉を飲み込んだ。
それでも、何かその先の言葉を待ってみたが、彼女の口から何か漏れる気配はない。
暫くその場でシリウスの手を掴んだままの雪菜はやがてシリウスの手をゆっくりと引っ張りながら無言で歩きだした。

「雪菜?」
「まだ、駄目。……部屋戻って、着替えるまでハグもキスも駄目。」

くん、と鼻をならしてみると確かに知らない女物の香り。
まずった、と思いつつも、腕を引いて歩く言葉少ない彼女は恐らく"こんなので嫉妬するなんて恥ずかしい!"なんて思っているに違いない。
普段嫉妬も不安も滅多に表さない彼女が、こんなに態度に出すなんて本当に珍しい、と申し訳なく思う反面――シリウスの頬が僅かに緩んでしまったのは、雪菜には秘密。

「……ワン。」

そんな彼女からGoサインを貰うのは、あと30分後ぐらいだろうか。
さて、どうやって姫君の機嫌を直すか、と考えを巡らせながら、シリウスは雪菜の手に指を絡めてその後ろに続いた。



――"BEWARE OF DOG"なんて看板を掲げた隣で眠る黒い犬を見つけて雪菜が吹き出したのはまた別のお話。





****
もうね、シリウスがついに……変態に!
全力で土下座しますごめんなさいm(_ _)m

"BEWARE OF DOG"は『猛犬注意』的な。
今まで散々撫でられてきてた分、果たしてその効果はあったのかはご想像にお任せします(笑


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