HP | ナノ
 


green and red





やたら目紛しく動くカレンダーを見つめて、雪菜は胸の奥が熱くなる感覚に息を吐いた。
バタバタと慌ただしくカレンダーの中で人が行ったり来たりする中、一際目立って装飾されているその日は卒業式。
丁度7日後に迫ったその日に向けて浮き足立っている気もする談話室を見下ろして、当たり前のように目に飛び込んでくるグリーンと蛇のマークから雪菜は逃げるように視線を逸らした。

「雪菜、これから中庭いかない?」
「どうして?」
「グリフィンドール狩りがあるみたいよ。さっきもあのペティグリューが吊るし上げられてたわ、今度は誰が標的かしらね?」
「私はパス。ちょっと帰国の事で先生のところ行かないといけないの」
「あら残念」

部屋から出てきた友人等の言葉に、雪菜は残念そうな笑顔を顔に浮かべながら肩を竦めてみせる。
本音を言うならそんな悪趣味なものに誰が付き合っていられるか、と言いたい所だが、そんな事を口にしてみると次の標的は"裏切り者の恥さらし"なんてレッテルを貼られた上で自分に矛先が向いてしまうのは目に見えている。
せっかく7年間も我慢し続けたのだ、あと7日の辛抱だ、と自身に良い聞かせながら雪菜は暫くしてから居たくもない談話室を足早に後にした。

"Blood purity"――そんな言葉を半ばブレインウォッシュ並みに注ぎ込まれたこの7年は雪菜にとっては苦痛そのものでしかなかった。
入学と同時に意気揚々と胸を弾ませて組み分け帽子を被った直後に、帽子が雪菜へと告げたのはスリザリンという言葉。
目の前が真っ暗になるとはまさにこの事で、その後いったいどうやってテーブルに座ったのか、そしてどうやって寮に足を踏み入れたのかも分からない程に今でさえ記憶が戻ってこない。

「頑張ったなぁ、私も」

どうして、なんで、といくら心の中で叫んだとしてもそれを表にしてしまえば即刻処刑されてしまうだろう。
現に、スリザリンのやり方が気に入らないと堂々と叫んだ先輩や後輩が何人も、"退学"にまで追い込まれているのを目にしてきた。
7年、長くて短いその期間さえやり過ごすとまた自由になれる、ただそれだけが雪菜にとっての目下のゴールであり、ひたすら目立つ事無く、輪を乱す事無く息を潜め続けてきた。

とはいうものの、自分の根底にあるものは簡単に変わるものではないし、変えるものでもない、というのが雪菜の思う所。
だからこうして今、同級生達の悪趣味な誘いを断り、一人人気の無い廊下にやってきた訳であり、やはり見つけた踞るその姿に雪菜は溜め息を零して声をかけた。

「……ピーター」

声をかけるや否や、小さく丸まっていた身体がびくりと大きく震える。
床に踞ったままこちらを振り返ったピーターの瞳は酷く怯えた風ではあったが、声の主が雪菜だと認識するとすぐに安心したようにその表情を緩めた。
こうして標的とやらにされてピーターが怪我をして踞るのに声をかけたのはこれで何度目か、既に100回は超えているかもしれない。
低学年の頃からイジメの標的とされてしまったこの可哀想な彼に雪菜が気付いたのは2年生の時。
既にスリザリンとしての顔が定着していたとはいえ、無抵抗のピーターを虐めている同寮生に嫌悪を覚えたあの日から、こうして全てが終わった後に声をかけ始めたのだ。

「またやられたのね」
「……、ごめん」
「ほら、腕見せて」

人気の無い廊下で、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたピーターに、雪菜は苦笑を漏らしてローブから杖を取り出した。
この場面を傍らから見ればグリフィンドールの弱者を虐めるスリザリン生、になるかもしれないけれど安心しきったように腕を差し出すピーターからは恐怖等一切感じさせない。
慣れたように振った杖先からやがて出てくる淡い光に、ピーターの腕につけられた傷がゆっくりと癒えていく。
その様子を見つめながら雪菜は口を噤み、そしてピーターもまた視線を伏せた。

「ごめんね、ピーター」
「……うん?」
「私がもう少し強かったら、きっとピーターがこうなる前に助けてあげれるのに」

いくら生徒間といえど、加減の知らないスリザリン生の杖先から出てくる呪文はどれも耳を塞ぎたくなる様なものばかり。
もう少し自分がこの場に駆けつけるのが早ければ、今ざっくりと切れている傷跡はつかなかったかもしれない、と思うと果てしない後悔が雪菜の胸を過る。
それでも、そうできないのは……自分がスリザリンという寮に属しているせいであり、結局は自分が一番大事なのだ。
――まったくもって、やっぱり自分はスリザリン気質じゃないか、と雪菜は胸中で自嘲を漏らしてピーターの反対側の手を取った。

「本当に、ごめん……」
「雪菜には雪菜の立場があるから、仕方が無いよ」
「でも、ごめん」
「最初は怖かったけど、今は雪菜はスリザリンなんかじゃないって分かってるから」

くす、と弱々しい笑みを浮かべたピーターが、片腕を捲り上げながら雪菜の杖を受け易いように身体の向きを変えながら口を開いた。
言われてみれば、初めて雪菜がピーターに声をかけた時は"スリザリンの顔"を被っていたせいもあり、酷く冷たく接した覚えがある。
暫くは声も書ける事もせずに、度々踞るピーターの隣に薬だけ置いて逃げて行くときもあった。
普通に声をかければいいのに、それが出来るようになったのはそれから2年も後の事。
それ程までに、スリザリンとグリフィンドールは相容れない存在なのだ。

「あと7日の辛抱だからね」
「うん、ありがとう」

やがて手の傷を癒したピーターはすぐに立ち上がる。
一瞬何か言いたげに口を開こうとするピーターにひらひらと、まるで早くどっかに行って、と言わんばかりの仕草を雪菜が見せると、ピータは緩い笑みを浮かべてその場を走り去って行った。
この簡潔なやり取りもいつもの事。
治療しているのを見られるだけでもマズイのに、二人で仲良く談笑なんてしていれば一瞬にして的と見なされる事必然。
恐らくそれにはピーターも分かっているのだろう、振り返る事無くパタパタとその場を後にする彼の後ろ姿を見つめ、そして肩越しになびく赤いネクタイを見つめながら雪菜はその場に背を預けた。

「いいなぁ」

あの赤いネクタイを自分もつける事が出来ていたのならば。
ホグワーツでの生活ももっと楽しいものに鳴ったに違いない、だけど今首に巻き付いているのは緑のネクタイ。
このネクタイのせいでどれだけ他寮から反感をかってきたか、また、このネクタイのせいでどれだけ思っても居ない事を口に出さないといけなかったか。
考えれば考える程締め付けるだけのネクタイに、雪菜が手をかけて俯きそうになったその時。

「よぉ」

誰もいない筈の廊下で不意に耳に届いた言葉に、雪菜は身体を強ばらせた。
しまった、誰もいないと思っていたのに、と慌てて首だけで振り返ると底にはーー赤いネクタイの男、シリウス・ブラックの姿。

「なんだよ、せっかく人が話しかけてんのに返事ぐらいしろよ」
「……気安く話しかけないでくれない?」

ゆっくりとこちらとの距離を近づけてきたシリウスに思わず顔を露骨に顰めて雪菜は言葉を吐いた。
シリウス・ブラック、ホグワーツで知らない者は一人も居ないだろうこの男と雪菜が口をきくのはこれが初めてではない。
とはいえ"有名人"とのツーショット等、万が一にでも他の寮生に見られてしまうと確実にバッドエンドへの道が開かれてしまうのは目に見えている。
できるだけ関わらず、言葉を交わさず。
そうやって接するのは勿論自分の為ではあるが、恐らく察しのいい彼なら自分がピーターの傷を癒している事ぐらいとっくに気付いているのだろう。
それでも、人前では声をかけてくる事も一度たりとも無ければ、目も会う事はない、それが唯一の救いだ。

「ごくろーさん。ピーターの事、毎度ありがとな」
「……あそこに踞られていると邪魔なのよ」

最初に声をかけられたのもこうしてピーターの傷を治療した後だった気がする、と雪菜は未だ色濃く覚えているシリウスとの出会いを思い出した。
"スリザリンのくせに"なんて暴言を最初は吐かれてもいたし、それに対して肯定も否定もせずに徹底的に無視を決め込んだのは5年も前の話。
第一、この場所を知っているなら貴方が助けたらいいじゃない、と言葉を零したくても余計な関わり合いが身を滅ぼす事にもなりかねない。
あと7日で卒業なのだ、最後の最後でボロは出したくないと踵を返してその場を去ってしまおうと決めたその矢先。
手首を力強く掴まれた感覚に雪菜は目を見開いた。

「逃げんなよ」

足早に去ろうとしていたのに、振り返って手を見下ろすとその手首は大きな手に掴まれてしまっている。
言わずもがな、その手の主のシリウスを慌てて見上げてみると、よく噂で耳にする"クールな灰色の瞳"が少しだけ細められるのと同時に彼の口角がやんわりと持ち上がった。
その行動の意味も、表情の意味も何一つ理解なんて雪菜には出来る訳が無い。
今の今まで、ずっと関わりのなかった彼に手首を掴まれるなんて事をされる覚えは雪菜には一つもないのだから。

「離して」
「何でだ?」
「何で、って、」

ぴしゃりと言い放って手を退こうとしても、力強く掴まれている手首はびくりともしない。
やがて少し離れていた距離を詰められ、自然とそれに気押しされるように雪菜が足を一歩下げると、彼もまた同じように一歩雪菜に近づいてくる。
そんな事をどれぐらい繰り返しただろうか、やがてひんやりとした厚い壁を背中に感じたところで、雪菜はついに眉間に皺を寄せながらシリウスを見上げた。

「離してっ、てば……!」
「だから何でだって聞いてるだろ?」

くつり、とこのピリっとした空気に反して響くシリウスの低い笑い声に、雪菜は掴まれた手首をもう片方の手で必死に解こうとするが、頭上に易々と持ち上げられてしまった手はなかなか言う事をきいてはくれない。
確かにここは人が滅多に通らない場所だとはいえ、だからこそ雪菜の背中に壁以上にひやりとしたものが伝ってしまう。
――万が一にでも、こんな場所を誰かに見られてしまったら言い訳のしようがなくなってしまう、と。

「っ、貴方がグリフィンドールで、私がスリザリンだからよ」

そう、それ以外に理由なんてない。
目の前に飛び込んでくる赤いネクタイ、そして自分の首もとには緑のネクタイ。
それだけで十分な理由にもなっているのは目の前で雪菜の片腕を持ち上げているシリウスも重々に分かっている筈だ。
今まで一度たりとも深く踏み入ってこようとしなかったシリウスの、突然の距離の詰め方に雪菜が声を荒げつつもその顔を見上げ、飛び込んできた彼の瞳に逃げたくなるのを何とか必死にプライドを総動員して押さえ込んだ。

「それだけか?」
「貴方にとっては"それだけ"かもしれないけど、私にとっては違うの。いいから離してっ!」

ぐっと一際大きく力を入れてその腕を振りほどこうとしてみても、弧を描く彼の口元は何一つ変わらない。
その端正な顔立ちに不覚にも胸が一度高鳴ってしまったのを即刻否定するように、雪菜はすぐに顔を背けて今度は目の前のシリウスの胸元を押し返した。
指に触れる、視界に入るのは赤いネクタイ。そして反動で揺れる自分の首もとには緑のネクタイ。
――ああ、もしも自分の首に赤いネクタイがかかっていたならば、貴方とも違った関係を築けたかもしれないのに。

「じゃあ、これでどうだ?」
「え、」

何故か歪んでしまいそうな視界に目を細めてみると、ふとシリウスの手が首元に触れた。
すぐにシュルリ、と聞こえてきた音に思わず身体を強ばらせてみるとそれすらも面白そうにシリウスの低い笑い声が聞こえてくる。
一体何事だと雪菜が目を怪訝に瞬いていると、程なくして首元に締めていた緑のネクタイがする、と彼の腕に抜き取られた。

「な、何して、」
「これで、いいだろう?」
「え……?」

簡単に解けてしまった雪菜のスリザリンのネクタイを、シリウスが手の中で皺になる事を気にもせずに丸めこんだ。
その意図が全く理解できずに彼の手を凝視していると、シリウスもまた、自身のネクタイに手をかけて一気にそれを解いてしまう。
相変わらず片方の手は自分の手首を掴んだままではあるが、もう片方の手に納められた緑と赤のネクタイが重なり合っているその様子にに雪菜が眉を潜めていると突然、彼の顔がぐっと目の前に近づいてきた。

「これで、スリザリンもグリフィンドールも関係ねぇだろ」
「何言って、」
「なぁ、雪菜。ようやくだな?」

少しでも動いてしまえば額が重なってしまいそうな距離で、目に映るのはシリウスの口元だけ。
その一瞬の出来事に身体を捻る事も、シリウスの手から抜け出す事も、また、彼の言葉に返事を返す事も何一つままならない。
それでも脳裏を過るのは誰かに見られてしまうと、という7年間ひたすら気にしてきた事だけで、雪菜が横目にちらりと周りを確認しようとすれば頭上に掲げ上げられていた手首が強く掴み直される感覚が走って慌てて視線を戻した。

「長かったな、学生生活」
「な、」
「あと7日、待つから」
「……ね、ねえ、もう離してっ、」
「雪菜」

意味が分からない、といい加減に痺れてきた手に力を入れる事も出来ずに居ると、少し顔を離したシリウスがくつりと笑いながらゆっくりと雪菜の手から手を離した。
じんじんと熱が上がってきた手首を見下ろしていると、視界に飛び込んできた自身のネクタイに雪菜が手を伸ばしてみるが――ひょい、とその手は遠ざけられてしまう。
悪戯に笑う彼を精一杯睨みつけてみても、くるり、と指の先で緑のネクタイを弄ぶシリウスには何の効果もないだけ。
もうこの際ネクタイは予備もあるし諦めよう、と雪菜がシリウスの腕の隙間からそそくさと抜け出して廊下を小走りに歩き始めると、背後からシリウスが自分の名前を呼ぶ声がもう一度響いてきた。
誰かに聞かれたら、と慌てて周りを確認しながら振り返り、幸いにも誰もいない事に胸を撫で下ろしながらもキッとシリウスを睨みつけると、シリウスは緑のネクタイをひらひらとさせながら楽しそうに口を開いた。

「卒業式の日、ここに来て」
「だから、何なの貴方はっ……!」
「俺、待ってるから」
「……待たなくていい、こんな所に来る訳無いでしょ」

ふん、と言葉を投げて出来るだけ早足で廊下を後にし始めるとそれ以上シリウスから言葉をかけられる事は無かった。
本音を言うと振り返ってその様子を見てみたかったけれど、今は一刻も早くこの場から逃げ出さないと誰に見られるかわかったもんじゃない。
だけど、最後に角を曲がるときにちらり、と視線を送ってみると視界の端には相変わらず緑のネクタイをひらひらとさせて笑みを浮かべるシリウスの姿が目に映った。

「ば、っかじゃないの」

見えなくなった廊下で悪態突きながらずかずかと足を進めながら、雪菜はいつの間にか寄ってしまった眉間の皺と熱があがった頬を落ち着かせるように深呼吸を一つ漏らした。
シリウスと言葉を交わすのなんて1ヶ月に1度もないぐらいだ、加えて一度の会話に雪菜が返事をする事も滅多に無い。
それなのに。

「……、び、っくりし、た」

掴まれた腕、取られたネクタイ。
胸元に手を翳してみればふわりと香るのは彼の香り。
その香りにドクン、と大きな音を立ててしまう心臓を必死で押さえ込みながら、雪菜は唇を噛み締めた。


そんな雪菜の様子を知ってか、知らずか。
くすりと彼女が曲がった角を見つめて、シリウスは相変わらず暢気な笑みを浮かべながら手にしたネクタイを見下ろした。

緑色のネクタイは、彼女がスリザリンだという証。
彼女のこの鎖がようやく解かれるまであと7日間。

「5年も待ったんだぜ?」

自分のものになる確証なんてどこにもない、だけど確実にここにやってくるであろう雪菜を想いながらシリウスはネクタイに一つ、祈りを込めて唇を落とした。




****
ゆきいちご様より100000hit企画リクエストに頂きました。
蛇寮ヒロイン!との事で書きました……愛すべき、敬愛すべきゆきんこに!
しかしどうしたものか……どうしたものか……何かこんな事に。キーワードは"ごめんねピーター"だ(何
蛇寮ヒロインちゃんとなるとツンツンしたイメージが何故かある中、こんな子も中にはいてもおかしくないかなー?なんて思いながら書いてみました、ぞ!
だけどシリウスが最後ネクタイにちゅぅを落とすのは傍から見たらすごい変態なんじゃないのかとかもにょ。
いやだけど、ね!ね!上手く表現しきれてないけれど、シリウスはヒロインちゃんの取る行動も全部分かった上で、あえて日常生活では一切のかかわり合いを断ってたというか。
グリフィンドールの自分がつきまとうと彼女が危ない、とかね。たまには気が利くもんです(あ
だけど、ヒロインちゃんもシリウスが普段絡んでこない事、こちらを見もしない事を知ってる、つまりは――目でおいかけてるという。
その辺にシリウスは気付いてるのかなーどうかなー?
続きはゆきんこが書いてくれると期待したうえで投げさせて頂きますうひゃひゃヾ(´∀`*)ノ !

ゆきいちご様、リクエストありがとうございました!


>>back