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Step up





手にした羊皮紙を見下ろして、溜め息を漏らす。
もう何度となく繰り返した行為に、雪菜はこれが最後、と更にもう一つため息を漏らしてから太ったレディの下をくぐり抜けた。
目の前に飛び込んでくる見慣れた談話室、もう5年もこの寮で生活をしてい中では、誰がどの位置をお気に入りかなんてだいたい把握できている。
だから迷う事無く雪菜は、彼、もとい、彼等のいる2人がけのソファが二つ並ぶ一角をちらりと見てみたが残念ながらお目当ての姿は無く、かわりに名物カップルと詠われてる二人の姿が目に入った。

「あ、あのリリー?」
「あら、雪菜。どうしたの?」

こちらを向いて座っていたリリーに声をかけると、同時にその隣に腰掛けていた眼鏡の青年、ジェームズ・ポッターも本から顔をあげた。
いくら彼らが”かの有名な悪戯仕掛け人”であり”羨望の的”であろうと、5年も同じ寮で生活をしているとそれなりに会話をする回数だってある。
だから怯む必要なんてないのだが――やはり自分には無理だ、人のいい笑顔を浮かべている二人に踵を返したくなる衝動に駆られたが、ハイ、と先に軽く手を挙げたジェームズに逃げ場を取られてしまい、雪菜は引きつる頬を押さえて平然を装った笑顔を浮かべながらハイ、と片手を挙げてみせた。

「それ、シリウスの?」
「え、あ、うん。あの……これ返しておいて貰える?」

はい、とジェームズに雪菜が手渡したのは午前中の授業で板書したばかりの羊皮紙。
眼鏡を忘れてしまった為に上手板書出来ずに居た所を、授業の終わりに斜め後ろに座っていた男子生徒、シリウス・ブラックがそれに気付いて羊皮紙の束を渡してくれた。

――それは自体は確かに助かったのだが、授業中に四苦八苦してた自分を見られていたのかと思うと、身体から火が上がりそうな程に恥ずかしさが込み上げて暫く動けなかった、それはまた別の話――

今はそれよりも、慌てて写し終えた羊皮紙を早く返さないと、と彼の代わりに一番彼等に近いであろうリリーとジェームズにこうして声をかけている訳なのだが。

「どうして?」
「あ、あの。眼鏡忘れちゃって、それで……困ってたとこにシリウスが貸してくれて、それで」
「あぁ、違う違う。どうして僕が返しておかないといけないの、て事だよ?」
「え、っと……、」

予想していなかった返事に、思わず口をぱくっと空気を噛んでしまった。
リリーに声をかけた筈なのに、返事は隣のジェームズから帰ってきてしまった――拒否の言葉と一緒に。
彼のその言葉の意味がわからずに、うっかり目を瞬かせて言葉を失ってしまっていると、隣に座っていたリリーが申し訳なさそうに肩を竦めたのが視界に入ってきた。
その姿に、考えたら二人の放課後デートの邪魔でもしてるのではと不意に気付いた場違いな自分に、思わず頭を下げて退こうとしたその時、ジェームズがペラリ、と本のページを捲りながらちょうど自分の背後を顎で示した。

「僕の眼鏡の度数が間違ってなければ、雪菜のすぐ後ろにいるのはシリウスだよね?」
「え?」

へこり、と自然と下がっていた頭に、同時にかかる何か温かいもの。
それが人の手、だと気付いたのは地味に頭を掴むようにそれが動いたから、そしてゆっくりとそのままの姿勢で振り返ると――言われたとおり、そこにお目当ての人物の姿を見つけた。

「ジャパニーズって、本当にお辞儀ってするんだな」
「え、あ、ご、ごめんなさ、い」
「いや、別に謝る事じゃねーよ。悪かったな、俺の事探してたろ?」
「あ、うん」

妙な体勢のまま後ろから雪菜の頭に手を置いていたシリウスは、ゆっくりと手を離してからきょとんとしていた雪菜にくすりと口の端を挙げ、そのまま”悪い”なんて悪戯に笑う。
そんな彼に思わず見惚れてしまいそうになった視線を慌てて遮断して、何とかして手にしていた羊皮紙を彼へと差し出した。

本音を言うなら、返したくない、、むしろ”借りたお礼にお茶でもいかが?”なんて気をきかせて誘えれば良いのだが、生憎自分にはそんな勇気はない。
彼に片想いをしてもうどれくらい経つか自分でも分からないが、同じ寮生として当たり障りの無い会話しか交わす事ができないままここまでやってきた。
前回彼と話せたのは”このスープ美味いな”と食堂でたまたま隣になった彼に声をかけられた、3週間前で、その前はもう覚えていない。
今回はたまたま運が巡ってきて、またこうして彼とコミュニケーションを取れる機会ができたが、次はいつになるだろう、なんて少しばかりの寂しさを感じながら、雪菜は差し出したままの羊皮紙からシリウスへとそっと視線を上げた。

「えっと、シリウス?」
「ん?」
「あの、これ、ありがと、う?」

何故疑問系になってしまうのか、それは目の前のシリウスが差し出した羊皮紙を受け取ろうとしないから。
何かあっただろうかと見上げた彼の表情は、先ほど”ジャパニーズって、”と言った笑顔は浮かんでおらず、代わりにどこか考え込んだような表情を宿している。
怒っているようではなさそうだが、見惚れてしまう程整った顔を、これまた見惚れてしまう程綺麗に顰めたシリウスに、雪菜は差し出した羊皮紙をゆるゆると引き戻した。

「あ、の?」
「嫌だ」
「え?」

嫌だ、と言われてしまった。
その言葉に雪菜もまた言葉を失いながら、目の前のシリウスを恐る恐る見上げて――眉を下げた。
何が、とか、どうして、とか、聞きたいのに良い言葉が思いつかない。
だけども、受け取らない、と拒否をしたシリウスの言葉に”はいそうですか”と言って退くわけにもいかずに、雪菜は困り果てて小首を傾げた。

「ソレ受け取ったら、雪菜行くだろ?」
「行くって……えっと、どこに?」
「ここじゃないどっかに」

シリウスが不満そうに吐く言葉に、雪菜は表情を顔に宿す事も出来ずにただ、首を傾げたままきょとんとしてシリウスの顔を見つめた。
ここじゃないどこか、と言われてもその意味がよくわからなかったが”ココ”と改めてシリウスが指差した先には彼等がいつも陣取っているソファ。
その指先を追いかけながら、彼の言う”ココ”を振り返ってみたが、視界に入る相変わらずジェームズは本に視線を落としたままだし、リリーに至っては苦笑めいた笑顔を浮かべているだけだ。
確かに、この場所、このソファはいつも雪菜が友人らと居る場所ではない、そう言う意味で彼が言っているのならば、答えはYes。

「う、ん……そうかも?」
「じゃあ、俺それ受け取らない」
「え、ええ?」

思わぬ彼の返答に、慌てて視線をシリウスへと戻したが、彼は複雑そうな、それでいて悪戯に笑おうとしている、良く分からない顔をしている。
その微妙な返事に、雪菜が言葉無く再度シリウスが口を開いてくれるのを待ってはみたが、シリウスは肩を竦めてそのまま口を開こうともしない。
ただ”子供だねぇ”だなんてジェームズがページに目を落としながら呟いた一言に、シリウスが”うっせ”と鼻を鳴らしたのが聞こえてきたのを合図に、雪菜は慌てて口を開いた。

「じゃ、じゃあ……どうしたら、受け取ってくれる?」
「んーそうだな」

課題も出ていたこの授業、勿論彼の羊皮紙を返さない訳にはいかない、と雪菜は半ば縋るようにじっとシリウスを見つめ、彼が口を開くのを待ってみる。
そんな必死な雪菜をよそに当のシリウスはというと、暫く何か考えるように暢気に視線を遊ばせた後、何故かいきなりトン、と雪菜へと一歩み寄った。
――一瞬にして縮まった距離に併せて、雪菜の鼓動がトクン、と音を立てる。

「ココにずっと居てくれるなら、受け取ってもいいけど?」
「え、」

腰に、何かが回った。
先程自分の頭の上に当たったのと一緒で、今度もまた同じように掴むように動いたそれに人の手、目の前のシリウスのものだという事にすぐに気がついたが、何せ余りに突然の出来事が故に状況に頭がついていかず、何一つアクションが起こせないまま雪菜はただ身体を硬直させた。

「3 weeks」
「へ?」
「前に話してから3週間。ついでにその前に話したのも3週間前」
「う、うん?」
「次に話せるまで3週間なんて、そろそろ耐えられねーから、一歩進んでみねぇ?」

思った以上に落ち着いた声が雪菜の喉から漏れた事に安心したのも束の間、耳に届くのはそれよりも幾分も余裕のあるシリウスの低い音色。
確実に心臓の音が大きくなってきている自分と反して、押し付けられているその胸元からは何も聞こえてこない、それぐらいに耳に響いてるのは今となっては耳鳴りしそうな程に五月蝿くなっている自分の鼓動だけだ。
ただ羊皮紙を返しにきただけなのに一体何がどうなってこうなっているのか、と雪菜はシリウスの腕の中で、シリウスの香りに完全に包まれている状態に目を見張った。

「雪菜?」
「え、あ、え、はい?」
「俺の言ってた事、ちゃんと聞いてたか?」
「え、え、と、え、」

改めて問われ、先ほど何か彼から言われた気がすると慌てて記憶を遡ってみるが、抱きしめられた衝撃が余りに強すぎて雪菜の頭には何も残ってはいない。
どうしょう、聞いていなかった、ああ、それよりも羊皮紙に皺が入ってしまったかもしれない、と目紛しく回り始めた思考回路が余計にシリウスの言葉を遮断してしまう。
腕の隙間から少しだけ見えた寮生の姿に慌てて身体を捩ってはみるが、折り畳まれた腕は逃げ場のない程しっかりと抱き締められており、胸を押し返す事すらできないままだ。

「俺と一歩、進んでみないかって提案。そしたらソレ、受け取ってやるよ」
「い、っぽ?」
「おう」
「ど、どこに?ていうか、あ、の」

彼が気紛れにジェームズやリーマスとやんちゃに絡み合っているのはよく目にする光景だが、傍から見るとこれもその一環に見えるのだろうか、と雪菜は眩暈がしそうになってきた自分の唇をぎゅっと噛み締めた。
やがて送られ始める好奇の視線に耐えられずに粘り強く身体を動かそうと力を入れ続けるが、シリウスは腕を緩める気配を一切見せようともしない。
むしろしっかりと、どちらかと言えば逃げないように力が込められている彼の腕の中では息をするのも少し苦しいぐらいだ。

「俺と雪菜は今の関係は?」
「え、え、同級生?」
「まぁ、当たらずも外れず。友達だろ?」
「う、うん」
「その一歩先って、どこか分かる?」

相変わらずの涼しい声色で降ってくるシリウスの言葉に、雪菜は目に入っていた寮生の視線から逃れるように瞳を一度閉じて息を吐いた。
大丈夫だ、と自分に言い聞かしてみるが、正直な所何が大丈夫かなんて雪菜自身にも分からない。
ただ、背後からジェームズがぺらりとページをまた捲る音がやけにクリアに耳に届く中、雪菜は問われたシリウスからの質問に余り動かせない頭をこくりと小さく縦に揺すってみせた。

「う、ん」
「どこ?」
「しんゆ、う?」
「ばっか、ちげーよ」
「え、え?」

ぷ、と楽しげに笑うシリウスの声が雪菜の耳に届いた。
くつくつと喉を鳴らして笑うシリウスのその笑い声を、いつもなら少し離れた所でこっそりと聞いているのだけれど、今は首元に触れた彼の喉からダイレクトに伝わって、雪菜の脳に甘く響く。
夢なのかと何度も考え直した、もしかしたら本当に夢かもしれない。
心無しか頭もくらくらしているし、第一何で好きな人の腕の中にいるか雪菜自身全く理解ができない、だけど、滅多に見ないだろうこんな贅沢な”夢”はもう少し堪能したい。

「彼女ってこと」
「か、かのじょ、」
「そ」

"girl-friend"と改めて告げられたシリウスの言葉に、雪菜が目をぱちぱちと瞬かせる――そんな様子はシリウスには角度からは見えていない筈なのに、くすりと確かに彼は笑った。
そして耳元に彼の唇がゆっくりと触れ、まるで囁き込むように告げられた言葉に、今度こそ雪菜の思考回路は完全にシャットダウンしてしまった。



I mean, I like you.




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ゆうか様より100000hit企画リクエストに頂きました。
奥手ヒロインが実はシリウスと両思いという……ところで、あまり奥手っぷりが描写しきれてなかったり、シリウスがやけに上から目線で余裕だったりと突っ込みどころが満載ですが……いかがでしょ、う、か(ビク
ヤケに余裕ですシリウス君、きっととっくに好かれてることぐらい気付いてそう。
だけど、あまりに自分とは正反対の世界にいるのも理解している分、当たり障りの無い距離を保ってて、授業中に見つけたオロオロした彼女にチャーンス☆!な勢いでそりゃもう、普段取りもしない板書を必死で書き写して、意気揚々と手渡したに違いない。
せっかく作ったチャンスも、あっという間に終わってしまって……これを受け取るとまた関わりがなくなってしまう。
えーい、もう攻め込んでやるぅ!なシリウスでした。――にしても、余裕に見えて仕方ないのが悔しい!それがシリウスクオリティ!
最後は、”好きってこと。”ぐらいで。

ゆうか様、リクエストありがとうございました!


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