TF | ナノ
 


バタバタと忙しなく走り抜ける音が廊下に響き渡る。
幸いにも、人間達がすっかりと寝静まった深夜ともなれば、その音に苦情は聞こえてこない。
むしろ、そんな事はどうでもいいと言わんばかりに、銀髪の男――ジャズは、階段をいっきに駆け上がった。





Happy Be-lated Valentine!





2月16日、土曜日。
長らくの地球外の探索から戻ってきたのは、15日が丁度終わりを告げて間もない0時30分頃。
眠っていたレノックスの部屋の窓を文字通り引っ掻いて彼を起こし、そして欠伸を噛み殺すレノックス相手に今回の探索で得た情報を元にオプティマスが話始める。
まるで地球時間など気にしないその話の展開に、隣に立ってフォローを入れていたジャズからどれだけ機械音が漏れた事か。

「まぁ、なんだ。もう夜も遅いし、話は週明けに聞かせてくれ。あぁ、ハイド。明日は10時にここを出るから、よろしく」

くぁ、と大きな欠伸を漏らしながら枕を抱えていたレノックスが、ぴしゃりと言い放って窓を閉じる。
これが初めての探索だったならば、帰る頃にはオートボット達が迷わない様にライトで闇夜を照らし、彼等の帰還を今か今かと隊員全員で待っていたのだけれど。
地球にオートボットが居座る様になってから、宇宙に”ちょっと探索”に行った回数は、既に100回を超えている。
悲しいかな、その回数が重なるに連れて、地球で待っている隊員の”おかえりなさい”ムードがすり減って行ったのは言うまでもない。
最近では、深夜の帰還は近隣住民の苦情もあるから控えてくれ、だなんて言われ出す始末だったりする。

『ふむ、うっかりしていた。人間達にとっては睡眠を取る時間だったか』
『つーことで、解散ってことで、いいのか?オプティマス』
『まぁ、仕方ない。ジャズ、今回の探索のデータについて少しいいか』
『オーケイ』

解散とも言えるオプティマスの言葉に、”格納庫”とは違う、各々の帰る場所への帰路を急ぐ仲間の姿。
その後ろ姿を若干恨めしそうに見つめながらも、ジャズは気持ちを切り替えてオプティマスを見上げながら”周囲の迷惑にならないように”回線を開いた――。

*

そして話は冒頭に戻り、今目の前にはジャズの”帰る場所”へと通じる扉が一つ。
一秒でも早くこの場にきたくて走ってきたのに、いざ扉を目の前にするとドアノブを握る手に躊躇いが現れる。
だって今日は……2月16日なのだから。

「怒ってるよな、あー、くそ」

ボソボソと一人ごちて、そしてジャズは自身の非にがっくりと肩を落とす。
2月14日がバレンタインという、人間の恋人達にとって大切な日である事は事前知識として勿論あったし、その日にどうやって彼女を喜ばせようかといくつもプランを練っていた。
けれども、結局は宇宙での滞在時間が予想以上に伸びてしまい、ハッピーバレンタインというメッセージを贈る事すら出来ずに今日という帰還の日を迎えてしまったのだ。

「せめて、プレゼントぐらい」

カチカチ、と今更ながらにブレインサーキットをフル回転させても、”時刻”が既に遅い。
今更やっている店なんてこの辺りにはない、と再び項垂れながら大きな溜息を漏らし、目の前の無機質な扉に手をかけた。

「雪菜……?」

寝てるよな、と真っ暗なリビングを真っすぐに進み、そしてそっと寝室の扉を開く。
時刻は既に3時前、残っていたデータからするに、彼女が退勤したのはもう7時間程前。
全速力でやってきたとはいえ、勿論愛しい彼女は真っ暗な部屋で静かに寝息を立てており、部屋に足を踏み入れるや否や、生体反応のある寝室の扉から中へとジャズはそっと滑り込んだ。

「……ただいま」
「……ん、」

普段ならば、そっと雪菜の隣に潜り込んで微睡む彼女を腕の中に抱きしめながら回線を緩めるのだけれど。
今日はその姿を見下ろしながらベッドの縁に腰を降ろし、スヤスヤと寝息を建てていた雪菜の頬へと手を伸ばした。

「じゃ、ず……?」
「悪ぃ、起こしたか?」

頬に降り掛かった突然の柔らかな刺激に、雪菜の瞳がピクリと揺れる。
そしてユラユラと睫毛を揺らしながら幾度か瞬きをし、そっと開いた視線の先にうっすらと見えたその姿に、雪菜は頬を緩めた。

「ん、……あれ、帰るの、明日の、朝、って」
「逢いたかったから、すっ飛ばして帰ってきた」
「また、怒られちゃうよ」

寝起きにしては幾分か反応がいいところを見ると、恐らく彼女が寝てから未だ余り時間が経っていないのだろうか。
クスクスと、笑いながらも大きな欠伸を漏らした雪菜に、ジャズもまた笑顔を返しながらベッドに横になる彼女の頬を両手で包み込んだ。

「おかえりなさい」
「あぁ、ただいま」

ちゅ、と額と唇に落とす温かい熱。
それにくすぐったそうに笑う雪菜を視界に捉えてから、ジャズはそのままの体勢で鼻先を互いにくすぐらせながらゆらりと揺れた雪菜の漆黒の瞳を覗き込んだ。

「あの、さ。雪菜。帰ってきて早々で申し訳ないんだけどさ」
「あ、そうだ」
「……ん?」

ごそ、と身体を動かしながらジャズの首に温かい雪菜の手が回る。
それに促されるままにぎゅっとジャズが抱きしめ返せば、雪菜から満足そうな声が漏れた。
いつもならば、このまま二人で甘い時間を過ごすのだけれど……今ばかりは、先に謝罪をしてしまいたい。
少しだけ焦るように雪菜の表情を伺おうと顔を引いたジャズに、すっかりと目が覚めた様子の雪菜が、ジャズの良く知るいつもの満面の笑みを浮かべてみせた。

「冷蔵庫にね、チョコレートケーキがあるよ」
「へ?」
「バレンタインのケーキ、作ったの」

はにかむ様に笑う雪菜の口から告げられる、”バレンタイン”という言葉。
その全く予想していなかった言葉にジャズが目を瞬く事も忘れて雪菜を見返していれば、彼女はゆっくりとベッドから起き上がった。

「部屋、甘い匂いしてなかった?」
「え、あぁ……そういや、してたけど……え、バレンタイン、だよな?」
「そうだよ?」
「バレンタインって……どっちかっつぅと、俺が張り切る日だよ、な?」

違う?という問いかけに、今度はサイドテーブルの灯りをつけた雪菜が首を傾げる。
近くにあったカーディガンを羽織り、そして未だに気の抜けたような声を漏らしたまま雪菜を見つめていたジャズに、雪菜もまた暫くしてから……合点がいった様にクスっと笑いを零した。

「あぁ、ほら。私って日本人でしょう?日本ではね、バレンタインは女の子から愛を告白する日なんだよ」
「、え」
「昨日の夜ね、作ったんだ。こう見えてお菓子作りは上手なのよ?」

そう言いながらベッドから足を降ろして寝室をのんびりと出て行った雪菜の後ろ姿を目で追い……ようやく、ジャズは瞬きを一度だけ行う。
そして彼女の言葉の意味を理解すべく、ブレインサーキットからインターネットに接続をして内容を検索にかけ。
たった3秒にも足らない時間で辿り着いた”事実”に、ジャズのスパークがぎゅっと締め付けられた。

「ジャズー?」

そしてリビングから聞こえてくる、未だ少しだけゆったりとした雪菜の声がセンサーに届くや否や、慌ててリビングへと駆け込んだ。

「はい、ハッピーバレンタイン」
「、俺、に……?」
「うん、本当は明日の朝にもう少しデコレーションをしようと思ってたんだけど……帰ってきちゃったもん」

仕方ない、と笑う雪菜が、机の上に置いたのはシンプルなチョコレートケーキ。
それをじっと凝視すれば、不躾だろうが勝手にセンサーが賞味期限やら、原材料、作った日までも数値として計算し、ジャズの中に飛び込んでくる。
その事実に……彼女がこれを作り終えたのがまだ数時間前だという、その事実に、ジャズはニコニコと笑っていた雪菜をおもむろにぎゅっと抱きしめた。

「へ、」
「これ、今作った……ばっかなんだろう?」
「え、あー……うん、ごめんね」
「ばか、謝る事じゃねぇだろ。つか……仕事終わんのも遅いのに……俺のために、わざわざ作ってくれたん、だよな?」
「遅いっていっても、今日は早かったし……それに、長い探索からせっかくジャズが帰ってくるんだもの。張り切らないと、って、ジャズ、苦しい」

ぎゅ、と感情のままにジャズが雪菜を腕に納めると、雪菜から苦しそうな声と共に背中を叩かれる。
名残惜しいけれど、それに腕を緩めたジャズに安心したように息を漏らそうとした雪菜に、今度はぐいと顎を持ち上げ……熱い熱いキスを贈った。

「んっ、」
「雪菜、まじ、おまえさ」
「ちょ、ひゃっ……じゃ、」

絶え間なく注がれるジャズからのキスの嵐に、雪菜が驚きとともに言葉を紡ごうとしても……また、キスによって唇を塞がれてしまう。
一体どれぐらいの間、キスと言葉を絡めていただろうか。
ようやく満足、と言わんばかり透明の糸を断ち切ったジャズとは裏腹に、雪菜はその温かい胸元にくてん、と身体を預けた。

「いきなり、何……」
「いや、嬉しくてさ」
「そんな、別にそこまで凄い事してないと思うんだけど、」
「してるんだよ、お前は。ンとに……ありがとな」

ちゅ、と軽いリップノイズと共に雪菜の額にジャズが唇を落とせば、少しだけ物言いたそうに彼を見上げていた雪菜もまた、ふっと息を漏らしてジャズの身体に腕を回した。
こんなに喜んでもらえるとは思ってもいなかったし、直前まで作るか作らないか悩んでいたなんて事実は……墓まで持って行こう、と雪菜はクスクスとジャズの胸の中で悪戯に笑みを噛み殺す。
それに少しだけ不思議そうにジャズが雪菜を見下ろしたのを首を振って制し、そして机の上にラップがけでおかれているケーキに視線を投げた。

「これ、今食べる?」
「ん、食っていいのか?でも、デコレーションがどうのって言ってなかったか?」
「んー……そうね、せっかくここまで作ったから、明日の朝までお預け」
「はは、リョーカイ」

じゃあ、とジャズが呟いたのとほぼ同時。
突然ぐるりと回った視界に雪菜が目を見開くとほぼ同時に、力強いジャズの腕が雪菜の身体をその場で抱き上げる。
そして開いた片手でケーキの小皿を持ち上げたジャズが、ゆっくりとキッチンへと足を運んだ。

「わっ」
「これは、冷蔵庫で……」
「ちょっと、丁寧に扱ってよね?」
「分かってるって。んで、こっちのお姫さんは、寝室だな?」

バタン、と冷蔵庫の扉の閉じる音がすれば、今度は寝室への扉がすぐに開かれる。
ぽふん、と少しだけ弾みをつけて落とされたそこは、先程まで寝ていたにもかかわらず、すっかりと冷えきってしまっている。
それに少しだけフルっと肩を震わせた雪菜に、ジャズの温かい両手が雪菜の両頬をまた包み込んだ。

「ケーキは明日の朝、じゃなくて昼、にしような?」
「ん?」
「今日、いろいろと嬉しすぎてゆっくりと寝かせてやれる自信がまるでねぇんだけど、」

イイか?と掠れる声で雪菜の耳元で囁くジャズに、雪菜の身体に甘い震えが走る。
幸いにも明日は休みだし、断る理由はないにせよ……この尋ね方はズルいが、雪菜とて逢えない間に積もった寂しさは同じ。
けれども、それを口にするのはやっぱり恥ずかしくて、雪菜は瞳を閉じながらゆっくりとジャズの唇を受け入れた。



――こんな事ってお前は笑うかもしれないけれど、俺にとっては凄く意味のある事。
帰る場所をくれて、待っててくれて、俺を想って作ってくれて、ありがとう。






*****
今更ですが。
後日譚はまた後日。