Cold but hot 胸の上にのしかかる熱い感覚に、雪菜は目を薄らと開いた。 息を吸えば、肺が熱く悲鳴を上げる。 ――完全に風邪だ、と雪菜は重たい身体に鞭を打つように、身体に力を入れてみた。 「は、ぁ……」 普段なら何てことのないその仕草一つ、今では全身が軋むように痛む。 ゆっくりと身体を起そうものならすぐに、雪菜の視界がグラりと揺らいだ。 「う、わぁ」 まるで目が回ったようなその感覚に、思わず顔を手で覆う。 だめだ、これは立つことすらままならない。 そう感じるものの、だからといってここに居る訳にはいかない。 今日はオートボット達のメンテナンスの日、忙しい彼らの時間を無理にとったのだ、体調が悪いだけでキャンセルなんて―― 「おい、無理に身体を起すな。寝てろ」 「……へ?」 そう、雪菜がぼんやりとした頭で考えていれば、ふと聞こえる筈のない声が耳に届いた。 ドアからした声、それを辿るように重たい頭をあげてみれば、何やら大きな紙袋を掲げた"誰か"の姿。 紙袋でほぼ完全に隠れてしまっているせいで顔は見えなかったけれど、すぐにひょこりと出てきたブルーの瞳に雪菜はどこか安心したように息を漏らした。 「お前、顔も真っ赤だし……っていうか、さっきより熱上がってねぇか!?」 「さ、っき……」 「覚えてねぇのか?」 そう問われて、雪菜はジャズの顔を揺れる瞳で何とか捕らえた。 さっき、と言われても全く記憶に無いが、どうやらジャズの抱えている荷物の多さから推測するに、彼は自分が熱を出していることを知っている。 そう言われてみれば、いつもよりも明るい室内に、雪菜はそっと枕元にある時計へと視線を移し―― 「やばい!遅刻っ!」 デジタルに表示されたそこにあるのは10:25という数字――普段の朝目にする数字は……07:00そこらだというのに。 その事実に半ば叫び声を挙げるように勢いよくベッドから起き上がろうとすれば、すぐに雪菜の手が布団の上を滑った。 「う、ぁ……!」 「あ、っぶね!」 いつもの数倍は動かない身体は残念ながら雪菜の思うように動く筈もない。 すぐにグラついた視界、そして支えきれずに反転した身体。 反射的に雪菜が瞳をぎゅっと閉じれば感じる瞼の熱を感じる暇も無く、予想していなかった軽い衝撃が身体に走った。 「っと、間に合った……。オイコラ、急に動くなよな」 「え、っと」 「熱もあるんだ、今日は大人しくしてろ」 「じゃ、ず」 落ちそうになった雪菜の身体は床まであと20cmといったところか。 視界にある床、そしてそれよりも近くにグレーの隊服が視界に映り、雪菜はどきどきと高鳴る心音に視線をそっと上げた。 「ん、風邪薬持ってきたぞ」 「わた、し」 「覚えてねぇのか?朝起きてこねぇから迎えに来たら、お前すんげぇ熱でさ」 「……」 「レノックスやオプティマス……あぁ、ついでにラチェットにも報告済みだ。今日はゆっくりと休め」 「け、どっ、ケホッ」 どこか諭すように告げるジャズの言葉と瞳を追いかけて、言葉を紡ごうとした雪菜の喉にピリっとした感覚が走る。 そのまま立て続けに堰を続けると、ジャズの腕がゆっくりと持ち上がり、雪菜の身体をベッドへと再度戻した。 「ほら、無理するな」 「きょ、っ、ケホッ、メンテ……」 「んなもんはいつでも出来るから、気にすんな」 「でも、みんなに、ケホッ、めいわ、っぷ」 そこまで口を開いた雪菜の身体に、分厚い布団がかけられる。 思わず言葉を区切ってしまいながらも、熱い瞳でジャズを見上げれば、彼は少し困ったように瞳を細めて笑みを零した。 「だーめだ。お前が無理して風邪を長引かせるほうがよっぽど迷惑だ」 「……」 「今日は、お前は外出禁止」 「……で、」 「でもはナシだ。オーケー?」 まるで小さな子に言い聞かせるようなジャズの口ぶりに、普段の自分ならば何か言い返していただろうが。 いかんせん熱のせいか、雪菜は口元まで布団を黙って引き上げた。 「よし、いい子だ」 ちゅ、と軽いキスを額に落としたジャズは、少しだけ顔を曇らせる。 同時に、"38度ちょいか"と呟いた彼は、どうやらその便利な身体で雪菜の熱でも測ったのだろう。 撫で撫で、と数回雪菜の額を撫でた彼はそのまま雪菜のベッドの端に腰を下ろした。 「何か食うか?」 「……いい」 「でも食わねぇと。リンゴとかいろいろもってきたぞ」 「……しょくよく、ない」 そう雪菜がぼやけば、今度はジャズの顔に苦笑が宿る。 コツン、と少し冷たい指先で叩かれた額に瞳を軽く細めると、"be a good girl, hun?"(いい子でいろよ?)なんて言葉が落ちてきた。 「こういう時はウサギの形のリンゴ食うんだろ?」 「……またヘ、ケホッ!」 "また変な知識をつけて"。 そう言おうとした雪菜の言葉も、ピリピリと走る痛みに遮られてしまう。 そのまま派手に咳き込んだ雪菜の頬を優しく撫でながらも、ジャズは口元に笑みを浮かべて雪菜の額へ再度口付けを落とした。 「今日は、その反抗的な口もお休みだな?」 「う、るさ、っケホッ」 「ほらみろ」 クツクツと楽しそうに笑ったジャズを、恨めしそうに雪菜が見上げても効果はない。 これじゃあ本当に自分が子供みたいだ、とすら嘆きたくなる言葉も口からは出ない。 しょうがない、とぐっと言葉を飲み込んでから、雪菜は頬に触れるジャズの手にゆっくりと息を吐いた。 「……じゃ、ずは、」 「ん?」 喉を何度か鳴らしながら、ゆっくりと口を開く。 自分が風邪を引いている自覚はした、加えて熱もある事も自覚をした。 だから今日一日はゆっくりと療養をして、明日に備える――それも不満が残るけれども何とか自分の中で踏ん切りをつけた。 「しごと、は?」 そう。 だからといってジャズが休みになるのとは訳が違う。 こう見えて(というと怒るが)副官の彼の一日は、雪菜よりも更に忙しいことは知っている。 データの解析は、前回のレコードは、この解析結果は……と、通常の人間ではキャパオーバーでパンクしそうな情報量をいっせいに引き出して、必要なところへ情報を流す。 並の人間、否、並みのオートボットでさえも音を上げてしまいそうなその仕事は、アイアンハイド曰く"ジャズだからできる"らしい。 「俺も休もうかと思って、今日は」 「そんっ、ゲホッゲホッ」 「ほら、またそうやって目くじら立てるから」 ケラケラと笑いながら雪菜の乱れた布団を直し、そして先ほどよりも温度を少し下げたのだろうか、ひやりとした指先に雪菜の頬に気持ちのいい感覚が走る。 それに瞳を細めて答えると、ジャズは困ったように髪を少しかきあげてから、やがて雪菜の方へと顔を少し近づけた。 「お前がこんな状態だと、仕事も手につかねぇんだよ」 「……」 「安心しろ、回線は切ってねぇし、必要な仕事はちゃんとやってる――便利な身体だろ、"俺"って」 くすりと笑いを零して、今度こそジャズが雪菜との距離をゼロの近くまでつめる。 ちゅ、と冷たい唇、頬を包むのは冷たい手の平。 いつもの温度とは違うそれ、そしてまるで見せ聞かせるようにカシャカシャと響いた金属音(データを送ったのだろうか?)を耳に感じて、雪菜は至近距離のジャズをゆっくりと見つめ返した。 「どこでも仕事できるんだぜ?」 「け、ど、みん……っ」 最後まで紡ごうとした言葉は、ぼんやりとした頭でも分かっていた――紡げない、と。 これ以上は聞かない、そういうかのように塞がれた唇に、雪菜は熱重たい瞳をゆっくりと閉じた。 「今日は、観念して俺に看病されてろ」 「……風邪、うつっちゃう」 「うつると思うか?"俺"に」 「……わかん、ない」 出せる範囲でぽそぽそと雪菜が呟き返すと、ジャズの瞳が細められる。 口元に浮かぶ笑みは何を意味しているのか、雪菜が揺れる視界のままに見上げ返していれば、サラリとジャズの銀髪が雪菜の頬に触れた。 「試してみる?」 「……だ、め」 「へぇ?」 まるで聞く耳をもたないと言うように返される返事の生返事具合といったら。 普段なら雪菜が顔を真っ赤にして怒る――のだけれど。 思うように動かない熱を帯びた身体に、倦怠感が募ればそんな気力すら間々ならない。 「ちょ、ん、」 「ラチェットのお墨付きだ、人間のウィルスは"俺"にはうつらない」 「な、ら、……寝かせてよ」 「寝れるように子守キスでもしてやろうと思って」 「そ、」 "そんなものあるわけ無いでしょ!"。 そう紡ぎたい言葉すら、あっけなくジャズの唇に飲み込まれてしまう。 身体をよじらせる事もできず、ただただ、ジャズから落とされる冷たくて優しい口付けの嵐に翻弄される事、しばらく。 「……おやすみ」 やがて反応のなくなった愛しい彼女を見下ろして、ジャズはゆっくりと唇を離した。 すぐ目の前に映るのは、少し荒い息を零すものの深い眠りに落ちた姿。 「心配させんなよ、まったく」 コツ、と最後にひとつだけ、雪菜の額を指で軽く弾いてから、ジャズは身体を起した。 朝、この部屋を訪れて雪菜を見つけたとき、どれだけ自分のスパークが揺れ動いたか。 スパークが壊れるような、それでいて鷲掴みにされるようなあの感覚は出来るならば二度と経験したくない。 「早く良くなれよ?」 すぅ、と熱い息を漏らしながら瞼を重く閉じている雪菜を見つめて、ジャズはそっと頬を撫でた。 回線に次から次へと流れ込んでくるのは、雪菜の病状を心配する同じオートボット達からのメッセージ。 それに紛れる仕事の用件までもを完全に気付かないフリでシャットダウンをしてから、ジャズは雪菜の寝顔を見つめながらワールドワイドウェブの検索回線を開いた。 今度雪菜が起きたときは、ウサギ型のリンゴをむいてやろう、あぁ、その前にジャパニーズならお粥か?――なんて考えながら。 ***** たまにはこんな落ち着いたジャズの看病でも。 目が覚めるとウサギさんリンゴがたくさん並んでるといいよ! スワイプなら、ガタガタガタって騒いで一大事になりそうだね。 突発的にやってきた病人彼女さんネタでした。 >>back |