TF | ナノ
 


少しだけ早起きをして作ったクッキーに、いつもは着ないワンピースを身につけてみたり。
鏡の前で身だしなみの最終チェックをしていれば、コンコンとドアをノックする乾いた音が響いた。
その音に胸を躍らせながら、雪菜が勢いよくドアを開いてみるとーー……





Must try




「で?」
「だから、その、」

目の前で揺れるのは愛しい人と同じ銀髪。
だけど、トレードマークのバイザーがないその顔はジャズのものではない。
部屋の扉を開けたそこに立っていたのは、同じオートボットのサイドスワイプだった訳なのだが。

「で、その子の事が好きなんでしょう?」
「すっ、す、好き……だと、思う」

雪菜の発言に彼らしくもなくびくりと身体を一度揺らしたかと思えば、聞こえてくるのは何とも自信のなさそうな声。
ヒューマンモードであるにも関わらずに、しきりに金属音が聞こえてくるあたり、恐らくサイドスワイプにとっては余程の事なのであろう。

「いいじゃない、なら付き合っちゃえば」
「付き合うって、おま、そんな!」

要するに彼ーーサイドスワイプは、悩んでいるらしい。
仲の良い女性隊員とイイ雰囲気なのは雪菜もジャズから聞いて既に知ってはいたが、人一倍自信家であると思っていた彼はどうやら恋愛面では正反対にベクトルが向いてしまっているようだ。

「だって、俺、俺は……機械生命体、だし」
「あら、それは私とジャズを認めてないってこと?」
「んなことねぇけど、だって……その、」

もごもごと、言い難そうにサイドスワイプは大きなため息を一つ。
加えて手やら足やらをひっきりなしに揺らしたかと思えば、やがて何かを決心したように雪菜の方へと視線をあげた。

「その、俺って、戦闘がほとんどだったじゃん、今まで」
「そうね」
「だから……、そういうの、よくわかんねぇんだよ」
「それで?じゃああの子の事フるの?」

そう告げながら、雪菜はテーブルの上に並べていたクッキーに手を伸ばした。
フるも何も、あの二人が相思相愛なのは目に見て明らかであり、何を今更悩むことがあるのかと雪菜としては疑問でしかないのだけれど。

「……怖い、んだ」

唇を噛みしめていたサイドスワイプから暫しの沈黙の後に、ぽつりと掠れる声が聞こえてくる。
その言葉に雪菜が意外そうに片眉を上げてサイドスワイプを見やれば、彼は人間らしく頬をピンク色に染めながら銀髪をがしがしと手でかきあげたかと思うとーー


「抱きしめるとか!キ、キ、キスとか!人間相手にどれだけの力加減にしたらいいのかわかんねぇんだよ!!」


まるで腹に溜まっていた悩みをいっきに打ち明けるように、サイドスワイプが言葉を吐き出した。
その叫ぶ様な言葉に、雪菜が瞬きをして沈黙を落とすこと数秒間。
ようやく話の合点がいった彼の言い分に、クスリと一つ笑いを漏らした。

「あぁ、だから」
「な、おま、笑うんじゃねぇ!おおおおお前は、世話係だろ!?」
「うんうん、ごめんごめん。だからジャズじゃなくて私のところに来たんだと思って」

そう、恋の悩みだけならば、サイドスワイプが兄として慕っているジャズのところにいけばいい。
それでも、負けん気の強いサイドスワイプがわざわざ自分のところに来たのだ、何が他に理由があるのだろうとは思ってはいたが……要するに彼は、種族差にある力の差に怯えていたのだ。
だからジャズと付き合っている自分の元に来たのか、と雪菜は口元に笑みを浮かべた。

「普通に抱きしめたら良いのよ?」
「その"普通"ってのが俺にはわかんねぇんだよ」
「うーん」

憎々しげに言葉を紡いだサイドスワイプに、雪菜は苦笑を浮かべた。
本人は心底うんざりしている風にも見えるがーーそれ以上に彼女を思う気持ちの方が強いのだろう。
現に、こちらを見つめるサイドスワイプの視線は至って真剣そのものだ。

「じゃあ、練習でもする?」
「練習?」
「ほら、キスはさすがに無理だけど。ハグぐらいなら」

そう告げながら、雪菜は最後のひとかけらのクッキーを口に投げ込んで、パンパンと手を払ってその場に立ち上がり、はい、と両手を広げて首を傾げてみる。
そんな突然の雪菜の行動をポカンと見つめていたサイドスワイプは、やがて眉間に皺を寄せたて一言。

「……ジャズにぃに殺される」
「大丈夫よ、誰だって挨拶のハグはするでしょう?」
「でもよぉ」
「なら、やめる?」

ほら、と両手をもう一度サイドスワイプに差し出してみると、暫く雪菜を見つめた彼はやがて大きく唾(オイル)を飲み込んでその場に立ち上がった。
その様子はまるで今から戦場にでも向かうといって過言ではない程の気迫が差し迫っている風にも見えなくはない――まぁ、恋愛経験がほぼ皆無なサイドスワイプにとっては未知の世界に踏み入れるなんてそれに等しいことかもしれないが。

「ほら、ぎゅってしてみて」
「いいのか?お前死なねぇ?」
「死なないわよ、大丈夫だから」
「お、おぅ」

促されるまま広がった両手の仲に、雪菜がゆっくりと身体を近づける。
ジャズと同じ身長ぐらいだろうか、それでも間近に見える銀髪はやはり彼のものとは少し違う。
そんな事を考えながら雪菜がサイドスワイプの背後に手を回すと、分かりやすく彼の背中がびくりと震えた。

「そうそう、ゆっくり」
「お、おぅ……い、痛くないか?」
「うん、大丈夫、っていうかこれじゃあハグじゃないわ、もっとぎゅっと」

僅かに背中に触れるサイドスワイプの手が、雪菜の服越しにひんやりと伝わってきた。
表面温度の調整なんてしている余裕など皆無なのは、サイドスワイプから聞こえてくる忙しない金属音からも伝わってくる。
それでも本人は至って真剣なのだ、加えて自分とジャズのように種族を越え愛を育もうとしているのだーー雪菜とても吹き出すをの何とか堪えて全面的に勿論協力をしたい。

「まだ、大丈夫」
「ま、まだ痛くないのか?」
「うん、もう少し大丈夫」

ゆっくりと強くなってくる力に雪菜とサイドスワイプの距離がさらにゼロに近づいていく。
キュンキュンと今や耳障りに思えるまで大きくなった音への苦言は飲み込みながら、雪菜はやがて弧を描いて口を開いた。

「うん、これぐらい」
「ほ、ほんとか?結構強く抱きしめてるけど、痛くねぇのか?」
「へーきだって。ジャズはもっと強い時もあるわよ」

端から見れば、午後の光が射し込む部屋で抱き合う仲睦まじい恋人同士に見えるだろう。
が、実際にサイドスワイプから出ているオーラは緊迫に満ちあふれており、それに雪菜ですら当てられそうになる。
なるほど、これが場数を踏んだ彼が戦の場で相手を圧倒させるオーラか、何てこんなところで感心をしながらもそのままポンポンとサイドスワイプの背を撫でた。

「ジャズにぃはこれぐらい?」
「んーもうちょっと、って、いいいいっ、痛い!痛い!だめ!ストップ!」
「うぉ、悪い!」

不意にみしりと骨の軋む嫌な音が雪菜の耳元に響いたかと思えば、背中に感じる酷い鈍痛。
精一杯サイドスワイプの背中をタップすると、それよりも先に解放されたようにサイドスワイプが両手を離した。

「いったー……さすがに、うん、今のはアウト」
「おま、背骨折れたりしてねぇか?!平気か?!」
「ん、へーき……だけど、ちょっとごめん」

ぐてん、と両手をあげたサイドスワイプに、雪菜が半ば縋るように抱きつけば、またしてもサイドスワイプから"うぉ"なんて焦る声が聞こえてくる。
それでも背中にズキズキと走る痛みは、今はソファに座り直すどころじゃない。
ぎゅ、とサイドスワイプに抱きついたままでいると、やがてゆっくりと雪菜の腰を撫でるようにサイドスワイプの手があてがわれた。

「悪い、痛くねぇか?痛いよな、俺、その、」
「ううん、大丈夫だから。さっきのはアウトだけど、その前のなら大丈夫だったよ」
「そうか、おま、座るか?」
「いや、今はちょっと立ったままで居させて、すぐ楽になるから」

「んじゃ、その役は俺が代わる」

そんな会話を繰り返してれば、ふと、すぐ右上にあるサイドスワイプの顔からとはまた違った方から声が聞こえてくる。
その聞き慣れた声は間違うはずもない。
それに当たり前の様にトクンと跳ねた鼓動に、雪菜がひょこりとサイドスワイプの肩に顎を乗せてみれば、すぐに声の主が視界に入ってきた。

「ジャズ、来てたの」
「熱い抱擁なんて見せられて、妬けるなースワイプ」
「ちが、ジャズにぃ!これは違うんだって!」
「わかってるさ、安心しろ」

壁に背を預けていたジャズが、ゆっくりとブーツの音を鳴らして近づいてくる。
雪菜を腕に入れたままのサイドスワイプが、さらに甲高い金属音をまるで警報のように鳴らし始めたが、ジャズはバイザーを上げながらいつもの笑みを漏らした。

「ハロー、お姉チャン」

そして、ちゅ、とサイドスワイプの肩に顎を乗せていた雪菜の唇に、いつもの挨拶を一つ。
少しだけ大きなリップノイズが響いたのは果たして故意か否か。
その音にびくりと、本日何度目か分からないくらいに身体をこわばらせたサイドスワイプは、おろおろと宙に手を彷徨わせーー

「おっと、危ねぇ。こいつは返して貰うぞ?」
「ジャズにぃ!だから、これは、その」
「慌てるなって、見てたから全部把握してる」
「見、見てたのか!?」
「当たり前だろ?ほら雪菜、持ち上げるぞ」

よ、とジャズが軽く声を上げると雪菜をひょいと持ち上げる。
そのまま、まるで赤子を抱くように雪菜を持ち上げたかと思えば、今度はゆっくりと適度な温度の手が腰にあてがわれた。

「んで、コツは掴んだのか?」
「た、たぶ、ん」
「大丈夫だ、人間ってのはお前が思ってるほど弱っちいもんじゃねぇって」

しゅん、としている様にも見えれば、酷く怯えているようにも見えるサイドスワイプの肩をポンと一叩き。
その表情は言葉通り"兄貴分"といったところだろうか、ジャズの表情を暫く見つめたサイドスワイプはポリ、と気恥ずかしそうに頬を掻いた。

「ほら、行ってこい。あいつがお前のこと探してたぞ」
「ホントか?!」
「あぁ、ほら、さっさと行け。俺の彼女の誘惑はこれ以上は許さねぇからな?」
「お、おぅ。雪菜、ありがとな。俺、」
「お返しは良い報告でお願いね」

ひらり、とジャズの肩越しに手を振れば、ここに来た時の思い詰めた表情は何処へやら。
清々しい笑顔と、少しの緊張のまじった表情でサイドスワイプが手を軽く挙げてバタバタと慌ただしく出て行く。
その後ろ姿を見送り、そしてドアがパタンと小さな音を閉じたのを聞き届けてから、雪菜は挙げていた手をジャズの首へと絡めた。

「腰へーきか?」
「ん、だいじょぶ。ちょっとびっくりしたけど」

そうか、と腰に当てられていた手が少しだけ熱を増す。
それに笑みを漏らして、雪菜はすぐ隣にあるジャズの頬へと頬ずりをするように顔を寄せた。

「ねぇ、スワイプうまくいくかな?」
「大丈夫だろ、あいつなら」
「ハグしてた事に妬いちゃった?」
「まぁ、さすがに部屋に入った瞬間はびびったけど。あいつが悩んでたの知ってたからな」

"俺ってジャズにぃだし?"なんてクツクツ笑いながら、ジャズがコツコツと音を立ててゆっくりとソファへと腰を下ろす。
膝の上に抱えられたまま自然とその上に座り直せば、すぐにきゅ、と優しく抱きしめられたその仕草に、雪菜はふとジャズの胸元から顔を上げた。

「ねぇ、ジャズ?」
「ん?」
「ジャズはヒューマンモード搭載してから、別に普通に抱きしめててくれたよね?スワイプみたいに、力加減とか怖くなかったの?」
「あー……」

純粋に疑問に思う、と雪菜は言葉を付け加えて彼のブルーの瞳をを見上げた。
サイドスワイプがあれだけ悩んでいるのも、言われてみれば理解はできるが、そもそもジャズと自分の時にそんな悩みを打ち明けられた覚えが無い。
そう湧き出た疑問を素直に投げかけてみれば、何故か露骨にジャズは雪菜から視線を逸らした。

「そりゃ、俺も俺なりに悩んださ。だから……」
「だから?」
「……笑うなよ?」
「うん?」

ポリポリ、と先程サイドスワイプがしたように頬を軽くかきながら、ジャズが決まり悪そうに宙へと視線を向ける。
途中途中で、キシキシと静かな音が響いているのは昔の記憶を呼び起こしているせいか。
やがてコホン、と咳払いを人間らしく一度落としたジャズは雪菜を片手で抱きしめ直しながら口を開いた。

「……近場にいる人間で試そうと思って」
「え」
「手っとり早いだろ?」
「そう、だけど……誰を抱きしめたの?」

まさか、彼もサイドスワイプと同じ様に悩んでいたなんて。
そしてサイドスワイプと同じように誰かと試そうとしていたなんて。
抱きしめられた側からしてみれば"そんな事"で済むのだけれど、どうやら彼等、機械生命体にとっての力加減というものは自分達が想像する以上に大きな問題らしい。

「……レノックス」
「へ?」

同じ女性隊員の誰を相手に今自分が行った練習を彼はしたのだろうか。
ロセラだろうか、ジュリだろうか、それとも――と、雪菜が少しだけワクワクなんてお門違いに胸を高鳴らせていれば、ジャズの唇のから出た名前は、予想すらしなかった人物。
それに思わず間抜けな声を挙げてしまった雪菜に片目をチラとだけ向けたジャズは、すぐにツイと視線を又そらしてから再び口を開いた。

「だから、レノックスに、実験につき合えってつって」

まるでその時の記憶を呼び起こすのが心底嫌なように、ジャズが溜め息とともに顔を覆って宙を仰ぐ。
その仕草に雪菜が思わずプ、と小さく吹き出してしまうとすぐに、今度はジャズの両目が雪菜の瞳を捉えた。

「笑うな」
「だって……!」
「しゃーねぇだろう?!他に近場の人間居なかったし」
「私一応女なのに、男の人で試したの?」

ケラケラと一度吹き出してしまった笑いを堪える事が出来ずに漏らし続ければ、シャシャと金属音がわざとらしく響いてくる。
"言うんじゃなかった"等と漏らしながら、雪菜の頭をぐいと自分の顔の下、丁度胸元の辺りへと押し込んできた。

「……悪かったな、お前以外のヤツを抱きしめようなんて思わなかったんだよ」

ガルル、と不満そうに低く告げる声が頭上から聞こえてくるそれに、雪菜はくすくすと嬉しい笑みを漏らした。
笑われてる、と思ったのだろうジャズからは"笑うな"なんて髪をぐしゃりと撫でられながら小さく唸られてしまったのだけれど。

「ねぇ、ジャズ。大好き、ありがとう」

愛しい彼の首元に腕を回して、体を寄せて。
少し痛む腰に感じる温かさに愛しさを感じながら、雪菜はジャズの顔を見上げてまだ不満そうな口元に甘い口付けを贈った。





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こんな二人の関係ならいいなぁ、なんて。
こういう時には意外と寛容なジャズにぃでした。

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