エクセプト、ユー ブルリと身体が寒さを訴えるように震えるのを感じながら、雪菜は両手に息を吹きかけた。 まだ本格的な冬はやってきてはいないとはいえ、既に体感温度は十分に寒い。 加えてだだっ広い敷地内に切る様に吹きすさぶ風に、雪菜はずっと鼻をすすった。 「ジャズ、まだかなぁ」 呟いた声とともに白い空気が目の前に浮かび上がる。 まだここにきて10分も経っていないというのに、既に身体は芯まですっかりと冷え込んでしまっているようだ。 待ち合わせの5分前にはと早めにやってきたとはいえ、こんな事なら迎えに来てもらえば良かったなんて考えすら過ったその時。 「ん?」 ブルブルと、身体に走っている寒気とはまた違う振動が、ポケット越しに伝わってきた。 数回の振動でとまったのを見ると、おそらくメールだろう。 かじかんだ手で雪菜がポケットからそれを取り出して確認、そして――ため息をひとつ。 「あう、タイミング悪い」 "悪ぃ、14分遅れる……"と画面に映し出されたその文字にぼやいてみても、返事なんてもちろん返ってこない。 そもそも仕事の後に会うときはいつもどちらかが遅刻するのは今となっては当たり前なのだけれど。 今日ばかりは寒風吹きすさぶこの場にあと10分も立ちっぱなしで居る事に、胸中で泣きそうになりながら首元に巻いていたマフラーに顔を埋めようとして―― 「ひっ」 女気もまったくない情けない声が喉からもれると同時に、首に走る刺すような寒さ。 今の今までぬくぬくと首元を暖めていた筈のマフラーがしゅるりと抜き取られたそれに、慌てて後ろを振り返ってみると、そこには黒いジャケットを羽織った赤髪の男が一人。 ひらひらと片手で雪菜のマフラーを振り回しているそれを視界に入れるや否や、雪菜は思い切り顔を顰めて見せた。 「ディーノ、返して」 「何やってんだよ、こんなとこで」 「ジャズを待ってるの。ていうかいいから、マフラー返して、寒くて死んじゃう」 「こんなもんで暖をとるなんて、人間って単純だよな」 「なんでもいいから、早く返してってば」 振り回していた長いマフラーの先をぐいと掴んで、思いっきり引っ張る。 少し伸びたようにもみえたが、それよりも今は暖をとるほうが先決。 首元に氷のように刺さる冷たい風に身体が悲鳴を上げるのを感じながら、雪菜が必死でマフラーを手繰り寄せようとするが――ディーノの手からそれが離れることは……ない。 「ディーノ、お願いだから」 「んー、どうすっかなぁ」 「次のメンテで痛い思いしたくなきゃ、早く返して」 「おー、そりゃ怖い怖い」 その言葉に喉を鳴らすように笑ったディーノの手から、ようやくマフラーが手放される。 それに待ってましたと言わんばかりにマフラーを手繰り寄せて、すっかりと冷風に冷やされてしまったマフラーをそそくさと首元に巻きなおし。 ブルリと身体は震えたが、じんわりと暖かくなってくる首元にほぅ、とようやく雪菜の口から暖かい吐息が漏れた。 「何だ、ジャズを待ってるんなら中で待ってればいいのに」 「いいの、ここで待ち合わせの約束なんだから」 「へー」 「ディーノは?何してるの、こんなところで」 ディーノの気のない返事はいつものこと、と今更気にかけることもせずに雪菜が両手をすり合わせながら目の前のディーノを見上げると、彼は特に寒さを感じている風もなく風に髪を靡かせた。 ジャケットを着ているとはいえ、おそらくその下に着ているのはTシャツだろうと思うと見ているこっちが寒くなる程だが……機械生命体の彼らには気温なんて関係ないのだろう。 「何もしてねーよ、ぶらぶらしてるだけ」 「寒くない……のよね?」 「いつもより表面温度はあげてるけどな」 「いいなぁ、便利で」 ずるい、と寒さで少し潤む瞳をあげてみると、ディーノはいつものようにくつりと一つ笑いを返す。 "あー暑ぃ"なんてわざとらしく呟いた彼に、雪菜が口を尖らせて抗議の声をあげようとすれば不意に、ディーノの両手が大きく広げられた。 「何?」 「こいよ」 「何で?」 「こっちの方が暖かいだろう?」 さも当然のように言葉を紡いだディーノに、雪菜は目を数回瞬かせてから小首を傾げてみせた。 「何だ、寒いんだろう?」 「寒いけど……やだ」 「何でだよ、この前はアイアンハイドに抱きついてただろ、お前」 「そうだけど……やだ」 ふるふると雪菜が首を横に振れば、マフラーの端も合わせて左右に揺れる。 他のオートボットとは又違ったブルーの色を宿した瞳でディーノがそれをゆらゆらと追いかけて、そして雪菜へと視線を戻してからため息を一つ大きく漏らした。 「アイアンハイドは良くて、俺は駄目な訳?」 「うん」 「何でだよ」 「……何となく」 もう一度両手を広げたディーノに、もう一度雪菜が首を横に振る。 もちろん、人一倍人間と関わるのを嫌がっていた彼がこうして雪菜にもようやく打ち解けてきたのは有難い。 けれども、だからといってディーノに抱きつけるかと問われれば……答えはノーだ。 「サイドスワイプは?」 「駄目」 「バンブルビーは?」 「大丈夫」 「ジョルトは?」 「たぶん、だいじょぶ」 問われる質問に、頭を縦に振ったり横に振ったり。 素直に思うがままに雪菜が答え終わると、ディーノは少し大げさに肩をすくめて見せた。 「何だよ、その基準」 「な、何となく」 「何で他のヤツラは良くて俺は駄目なんだよ」 むぅ、とその端整な顔を顰めてディーノが不満な色を表すがこればっかりは雪菜も苦笑に似た笑みを浮かべるしかできない。 もちろん、アイアンハイドに抱きつくのも、バンブルビーに抱きつくのも、雪菜が知る限りでは"カノジョ"という存在が居ないから。 そして今目の前で腕を広げるディーノをもう一度見て……少し前に目撃した光景が脳裏に過ぎった。 「ほら、来いって」 「やーだーってば」 「なんだ、俺とだとジャズに浮気と思われるとでも思ってんのか?」 にやりと口元をゆがめ上げたかと思うと、雪菜の手がぐいと引き寄せられる。 確かに手首から伝わるディーノの温度はかなり暖かいとはいえ。 寒さでじんじんとする足で地面を踏みしめながら頑なに抵抗をしていると、ぐい、と今度は身体を反対方向に引っ張られるのと同時に背中に暖かい感触が過ぎった。 「はいはい、ストップ。なーに俺のカノジョ様を堂々とくどいてんだよ、お前は」 「ジャズ!」 「はっ、寒がってる副官殿のカノジョ様を暖めようとしてただけだろ?」 「そりゃどーも。つか、サイドスワイプがお前の事探してたぞ、早く行け」 「へいへい」 ぐっと雪菜が首を上げてみれば、すぐ上に見えるのは愛しい彼の姿。 呼吸は乱れていないのは、彼が機械生命体だから。 それでもいつもより少しだけ乱れた髪が、ここまで一直線に走ってきてくれたことを物語っているようで。 そんな彼に後ろから両腕ですぽりと抱きしめられた状態、加えて彼もまた表面温度をあげているのだろう、すぐに暖かい熱が雪菜の背中から……そして心へと、じわりと染み込んできた。 「そうだ、ジャズ」 「あ?」 「俺も一応、"ジャズと一緒”で男って雪菜に意識されてるみてーで安心した」 「な、」 ひらひらと手を振ったかと思えば、ニヤと笑みを雪菜に向け。 颯爽と格納庫のほうへと向かって歩き出したディーノの背中を見つめて、雪菜が言葉を失っていると――ぎゅぅ、と背後から締め付けられる感覚に力が篭められた。 「ほう、雪菜サン?」 「な、何よ」 「何があったのか説明しておらおうじゃねぇか」 「別に何も……何もしてないもん、ジャズが遅いのがいけないのよ」 そう告げながも、雪菜の口からは少し狼狽した声が漏れてしまう。 居心地の悪さなんて感じる必要もない筈なのに、それでも雪菜の背後から感じるジャズの気配はどことなく不満そうな空気が漂っている。 それに気付いはいるものの、まるで子供の口答えでしかない言葉が雪菜自身の口から漏れ出ると、やがてジャズの小さな溜め息が雪菜の耳元に落ちた。 「そもそもいつアイアンハイドに抱きついたんだ」 「え、やだ、聞いてたの?」 「いつだ?んー?」 くいと首を持ち上げられて、無理矢理に視線を合わせられるとこの状態では逃げ場がない。 しっかりと抱きしめられているこの状態はいつもなら嬉しさに胸が高鳴るのだが。 満面の笑みとはいえ、バイザー越しに見える瞳は笑っていないジャズに雪菜もまた頬をひくつかせながら笑みを浮かべ返した。 「この前……寒かったから」 「お前はいつから俺らを暖房機としてみるようになったんだ」 「だってしょうがないじゃない、ハイド暖かそうだったんだもん!」 勿論こんなのは屁理屈だということは雪菜にも理解はできるのだが。 それでも、寒い冬空の下でのオートボット達のメンテナンスはさすがに身体にくる。 そんな時にヒューマンモードでも格段に大きいアイアンハイドは……いい風除けにもなっただなんて、さすがに言える訳がない、と雪菜はつ、と視線を逸らした。 「何でディーノは駄目だったんだ?」 「だって、……この前、女の人と居るの見たんだもん」 「それで?」 「だから、抱きついたらその彼女に失礼でしょう?」 当たり前のように口を開いた雪菜に、うっかり"どの女だ?"と言う質問はスパークの内だけ何とか押し留め。 何とも言えない理由に辛うじて苦笑を代わりに浮かべながら、ジャズは腕の中の雪菜をくるりと反転させた。 「今度から暖かいところで待っとけよ、つか、そうメールにも書いただろう?」 「そう、だけど」 おずおずとジャズを見上げるその瞳の先に、少し和らいだブルーの瞳が薄らとバイザー越しに見える。 それをそっと手で押し上げてみれば、カシャリと一度だけ音が響いてジャズが瞳を瞬せた。 身体はぴったりと抱きしめられているとはいえ、顔と顔の間に過ぎる寒風にず、と雪菜が鼻を一度だけすすってからにっこりと笑顔を一つ。 「こうしてジャズと会えた時に、寒いって名目でいっぱい抱きつけるでしょ?」 ぴょん、と少しだけ背伸びしてジャズの首元に手を回し。 しっかりと身体を寄せてジャズの身体へと全身を預けると、一瞬だけ間があったものの、やがて自分に回されていた両腕が優しく強められた。 「ったく、お前は」 「だめだった?」 「念の為に今度、ディーノに見せつけてやろうぜ」 "何それ"と雪菜が吹き出して笑うが、ジャズは目を軽く細めてコツリと額を重ねただけ。 ず、と雪菜がまた鼻をすするとやがてそこに温かい唇が一つだけ落とされる。 それを嬉しそうに笑いながら受け止めて、"やった"と可愛らしくも告げる雪菜の唇をゆっくりと塞ぐこと数秒間。 そっと開かれた瞳が再び重なりあうと、ようやくジャズに優しい笑みが浮かんだ。 **** さむかったんです、今日。 ディーノが微妙な立ち位置になっちゃいました、あはー\(^o^)/ >>back |