クロウがグリンウッドに迷い込んだようです。
※クロスオーバー注意。

 そういえばどれほどの時間が経っただろう、と、”この世界”へと迷い込んでからの日数を数えようとしたが、その手段がない事に気が付く。何回陽が昇って地平の彼方に沈んだかなんて、もう覚えているはずがなかった。
 無意味な事はやめよう。木々の向こうに広がる、満天の星空を見上げる。
 少し離れた場所で、素性の知れない自分を文字通り拾ってくれたご一行が、焚き火を囲んで楽しそうに何かを話していた。加わるつもりはない。部外者なのだから、輪の中へと入り込むつもりなどなかった。
 だというのに。
「クロウさん、こちらへ来て暖まりませんか? 風邪をひいてしまいますわ」
「そうそう、こっちにおいでよ! ライラが作ったお菓子、すっげー美味いしさ」
 長い銀の髪の女性ーーライラと呼ばれた彼女が、どこかで聞いたような声で喋る事は、この際置いておく。きっと気のせいだろう。別の世界には、似たような声で話す人だって居るのだ。多分。
 行くべきか、行かないべきか。数秒の、逡巡。
「んー……俺が行ったら狭くならねーか?」
 頭の後ろで腕を組んで、苦笑しながらそう返せば。
「大丈夫。それに、もし狭かったら焚き火をもう少し大きくすればーー」
「あんまり大きくしたらそれはそれで危険だと思うけどね」
「うーん、そっか。でも一人だけ寒そうだし……」
 心配。気遣い。そんな真っ直ぐな視線が突き刺さるようで、なんだか良心が痛む。早いうちに降参しておいた方がいいかもしれない。
「わーった、お言葉に甘えさせてもらうぜ」
 多分、キリがないだろうから。
 ゆっくりと歩いて行って、ご丁寧に空けられた一人分のスペースに腰掛ける。前にもこんなやり取りをした事があったような、なかったような。やけに遠い記憶は、溯ろうとしても時々曖昧だ。
 自分が加わっても特に気まずくなったり空気が変わる事もなく、先程までそこで繰り広げられていた他愛もないような会話がまた、始まった。
 本当に、お人好しなヤツらだ。
 適当に相槌を打ちながら加わりつつ、内心ではそう思った。燃える焚き火が妙に明るく感じる。

「そういえば、クロウは記憶喪失なんだよね。何か思い出せた?」

「へ」
 突然自分に向けられた、話題の矛先。なんとも間の抜けた声が出るも、場にいるほぼ全員の視線が向けられて、咄嗟に取り繕った笑みを貼り付ける。
「ああ……そうだな。多少は、な」
「故郷がどこだとか、思い出せたら遠慮なく言ってくれ。……北の大陸、なんて事はさすがにないと思いたいけどね」
「北の大陸……なんか上手く言えねえけど、もっと遠いところだった気がするんだよなあ。俺の故郷。まだ思い出せねえから、案外近い場所なのかもしれねーけどよ」
「クロウの故郷、どこなんだろう。ちょっとでも景色とかが思い出せれば探しやすいのにな……」
 古文書のような本を開いて思案するスレイに、悪いな、と言っておいた。ーー遠くて、当たり前だ。”故郷”は、この世界には存在しないのだから。
 装った記憶喪失。本当は、全部覚えているし分かっている。自分が既に死んだ身である事も、ここがゼムリア大陸とは異なる場所だという事も、だ。ひょっとしたらその北の大陸とやらがゼムリア大陸なのか、と思った時もあったが、聞いている限りどう考えても違っている。そうしたら、答えは一つしかなかった。
 けれど、信じてもらえないだろうと思った。だから記憶喪失のふりをして、本来あるべき場所へ戻る方法を探している。


 スレイ達ご一行と出会ったのは、奇妙な斜塔が点在するくらいで他には何にもない、広い広い草原のど真ん中だった。風の如く駆け抜けていたスレイが、異世界にほっぽり出されて上手い具合に草の陰に倒れていた俺に躓いて、盛大にすっ転んだのだ。
『うわあっ!?』
 今思えば、なんつー出会い方なんだと思う。神とやらがいるなら、理不尽だと一発殴りたいところだ。これならまだ、食パンくわえて走ってたら街の角でごっつんこ、の方が数倍マシだ。
『ど、どうしたのスレーーって、人がこんなとこに!』
『待って。人? 天族……?』
『……人間じゃね?』
『はい。私もそう思いますわ』
 ぎゃあぎゃあとーーというほどでもないが、一気に周りが騒がしくなる。
 重い瞼をどうにか押し上げて目を開けば、いくつもの目に見つめられていた。少しだけ驚きながらも体を起こして、絞り出した一言。

『…………どこだ、ここ?』

 そうだ。その一言がきっかけで、記憶喪失認定されたんじゃなかったのか。つまり流れだ。場の流れが記憶喪失を装わせてくれたのだ。それにこの世界に関する知識は何にもなかったから、特に疑われる事もなかった。
 それからほっとけないと言われ成り行きで同行する事になり、今に至る。適当なところで抜けても良かったが、通貨や言語さえも(言葉は通じるが、字で書かれるとまったく読めない)違う未知の世界を、一人で彷徨うなんて無謀な事をするつもりはなかった。ジュライを飛び出したあの時とは、何もかもが違いすぎる。オマケにこの大陸は今、”穢れ”とやらが引き起こす災厄に見舞われているらしい。それにまともに対抗出来るヤツの近くにいた方が、何かと動きやすいだろう。そう思った。


「……」
「……?」
 この先どうするべきか、と焚き火を見ながら思っていると、向こう側から感じた視線。
「ん? どうしたよ」
「ううん。別に」
 ロゼが時々、妙な視線を向けてきている事にはとっくに気付いていた。けれど、敢えて気付いていないふりをしている。突っ込んでもきっと、”こういう場では”ちゃんとした答えはもらえないだろうから。


 ◆ ◆ ◆


 皆が寝静まった後、こっそりとその塊を抜け出して、近くにある泉に向かう。
 透き通っているように見えるが、よくよく見れば、薄らと淀んでいる。これも、”穢れ”とやらの影響なのか。
 その畔で持ってきた双刃剣を構えて、目を閉じる。息を止める。
「……ーーーーそこだッ!」
 僅かな光を帯びた双刃剣は弧を描いて飛んでいき、また手元へと戻ってくる。が、仮想の敵を配置した場所には少しだけ届かず、軽く舌打ちをした。やはり、何もかもが違うが故か、力加減がどうも上手くいかない。周囲を漂う気配もゼムリア大陸のそれとはだいぶ違っていて、早い話、気分が悪い。お前は異分子だと身を持って突き付けられているようで、そんくらい分かってると返す代わりに微かな苛立ちが募る。
 この世界に徘徊する”憑魔”は、殺せないらしかった。詳しい原理は分からないが、スレイ達はそいつらを”浄化”しているらしい。そしてそれが出来るのは、スレイやロゼ達だけのようだった。
 同行させてもらっている身だから、憑魔とやらの足止めをするくらいはしてやろうと感覚を取り戻そうとしたものの、この有様だ。もっと酷かった初期に比べれば、今はだいぶマシになったと言えるのだが。
 少し休むか、と、適当な岩場に腰掛けたその時。

「さすが。やっぱすごく範囲広いね、それ」

 わざわざ気配を消してくる必要など、ないだろうに。まだこの少女には警戒をされている、という事なのだろうか。
 腰掛けたまま、目線だけを動かす。暗い森から出てくる一つの影は、まるで獲物を狙う暗殺者のようだとさえ思ってしまった。
「おうよ。範囲技は得意だった事は覚えてるぜ」
 わざとらしく明るい声で振舞っても、ロゼは表情を変えない。一歩ずつ歩み寄ってくるその姿は、一度だけ見た明るい商人の姿とはちっとも結び付かない。
「……。あのさ、クロウ。一個訊いてもいい?」
 ロゼは、何とも言えない表情をしている。信じたいような、信じられないような。そんな顔だ。
 こんな表情には見覚えがあったな、と、追憶の塊をつっつかれたような感覚に陥る。
「何だよ?」
 脳内で組み上げたシミュレーション。数秒後にぶつけられる質問など、簡単に想像がついてしまう。状況、表情。この二つから割り出される答えなど片手で足りるほどだったし、直感で選ばずとも言いたい事が顔に書いてあるようにも見えた。

「単刀直入に言うけどさ。本当に記憶喪失なの?」

「……」
 想像していた通りの問いとまったく同じ、言葉。真っ直ぐ見つめてくる澄んだ空色の瞳は、その裏側に何かが見える。
 クク、と。ごく自然に笑いが零れる。
「逆に、お前さんは”そう思ってる”って事なんだな?」
「……質問に質問で返すのは感心しないんだけど」
「んじゃ、答えておいてやるよ。……そこはご想像にお任せ、ってヤツだ」
「何それ、答えになってないし」
 呆れたような仕草をして、ロゼが岩場の下に座り込む。見上げてくる瞳に、先程ちらりと見えたものは、見当たらない。
「あたしは別に、クロウを疑ってるワケじゃないんだけど。……どうしても、なんか引っかかるというか」
「それならそれでいいぜ。現状維持してくれや」
「どういう事?」
「それに、一つ言わせてもらうとしたら、俺は”ここ”のことは”何も知らねえ”。それは事実だ。ーー最終的に、居た場所に戻るべきだと思ってる事もな」
 夜空には、丸い月が浮かんでいる。泉の中にも、ぽっかりと。

「…………そっか」

 それが聞けたからーーとりあえずいいや、今は。
 ロゼはそれきり、何も言わなくなった。何かを察したようだった。”裏側”のクセなのか、携えてきた双剣が月光を反射して鈍く光る。

 立ち止まってても、仕方がねえな。

 緋に貫かれた心臓に、そっと手で触れる。
 相変わらずそこは、鼓動する事を忘れてしまっていた。








クロウせんぱい→閃U終章後、何故かグリンウッドへ。凱旋草海で速駆け中のスレイに躓かれて目を覚ますナイトメア。


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