それはありふれた言葉のはずなのに。
※U終章後を少し捏造してます。


『今日の午後六時に、学園の門出てこれそうか? たまたまそっちに行ける事になってな、せっかくだから顔見に行こうかと思ってよ。返事待ってるぜ』

 朝起きて、ある程度支度を終えた頃に飛び込んできたメール。それは少しだけぼんやりとしていたトワの意識を一気に覚醒させる。うっかり落としかけたサイフォンを、彼女は慌てて手のひらで支えた。
 夢でも見ているのかと、頬を引っ張る。痛かった。現実である事にほっと安堵して、改めてトワはサイフォンを見た。
「クロウ君だ……」
 画面に表示されている、メールの送り主は何度見ても変わらない。
 クロウ・アームブラスト。トワの大学時代の同級生であり、留学生でもあった彼は、数年前に帰国して、ここからは遠い国で仕事をしているはずだった。
 突然、どうしたんだろうーー。落ち着きを取り戻したトワは、僅かに早鐘を打つ心臓がある辺りをぎゅっと握って、深く、息を吸った。
「……。……あの事、話してもいいのかなぁ?」
 機会が巡ってきたのかと、彼女は薄っすらと感じていた。何の根拠もないものではあったが、心の奥底にいる何かが、そう告げているような気さえしたのだ。
 トワはクロウに、大学で一緒だった頃には、話せなかった事が一つだけあった。ジョルジュとアンゼリカと共に毎日のように四人でつるんでいながらも、どうしても口には出せなかった事。きっと言っても信じてもらえないだろうからと、”クロウだけには”言えていなかった事。
『……トワ。まさか君も?』
『フフ、これも運命かもしれないな。……クロウは、覚えていないようだけどね』
 俗に言う”前世”の記憶を持っていた、ジョルジュとアンゼリカ。勿論、トワにもそれがあった。なんという偶然もあったものか、トワと二人は共通の記憶を持っており、エレボニア帝国での日々、激動の内戦、そして、唯一帰って来なかった”友人”ーーあまりにも一致している事が多すぎて、書き出したノートはあっという間に一冊を使い果たしてしまったほどだ。
『前世? んー……占いでチンゲン菜の根っこ、って出た事はあるけどなあ。すげー虚しいと思わねぇか、この結果』
 クロウには、どうやらその記憶はないようだった。面白おかしく話す彼が嘘を吐いていない事が、トワには分かったからだ。
『あ、あのね……』
『ん?』
 その話をすればひょっとしたら、と彼女は思ってはいたものの、なかなか言い出せなかった理由はある。
『ううん。今日の夜ご飯、みんなで一緒にどうかなって』
 笑って誤魔化したその裏側が見透かされませんようにと、何度トワは願った事だろう。


 クロウ・アームブラストは、十九歳で死んだ。前の世界の話、ではあるが。学院で築いたものを”フェイク”と言い離反したものの、なんだかんだで捨て切れていなかった彼に「おかえり」と言えそうだった後少しのところで、クロウは緋の魔王に心臓を貫かれ落命した。
 悪友の腕の中で命の灯火を消したクロウは、トワ達と再会する事は叶わなかった。息を切らしながらも長い階段を駆け上がり、トワ達が緋の玉座に辿り着いた時には、もう。
『クロウ、くん…………?』
 空っぽの体に触れた時の冷たさは、転生した今でもトワは覚えていた。けれど、涙は出なかった。あまりにも衝撃が強すぎて、一気に壊されてしまったせいなのかもしれない。ようやく涙が出たのは、三人で学院の技術棟に集まった時だった。ぽっかりと空いてしまった”クロウがいた場所”に、正面から、目を向けざるを得なかったからだ。
 そんな事があったから、どう切り出すべきか分からず、ただ時間だけが流れていった。クロウが留学を終えて帰国する時も、空港まで見送りに行ったのに、最後まで、テンプレートのような言葉しか言えなかった。
 ただその時に、クロウは不思議な言葉を残していた。
『トワ』
 搭乗ゲートの向こうへ消えようとしていた彼が、彼女を振り返って言った言葉。

『後で、撮った写真適当に送ってくれねぇか? 大事なモンをなくしちまってるみてーでな』

 一体何の事なんだろうと考えて、早数年。頼まれた通りに画像を送ったり、何度かメールでやり取りはしたものの、それに触れる話は一度もしていなかった。


「……よし、そろそろ行かなきゃ」
 トワが今日の髪留めに青のリボンを選んだのは、なんとなく、だった。”クロウ”が駆っていた蒼を思い出してしまったから、かもしれないが。
 外へ出れば、澄んだ空気が満ちている。九重神社から見上げる空は地上よりも近く、蒼穹は遠いはずなのにそこにあるようにも思えた。


 ◆ ◆ ◆


 暇だなあ、と。彼が何気なく伸びをしただけで、向けられる視線は僅かに増える。
 彼ーークロウが校門の前でトワを待ち始めてから、かれこれ三十分は経過していた。下校していく女子生徒の半分以上が、彼を視界に入れるなりこそこそと何かを話しながら通り過ぎていく。それは決して悪いものではなく、寧ろこそばゆいものであったが、あまりそういったものに慣れていないクロウは苦笑してやり過ごす事しか出来ずにいた。
「まあ、目立つっちゃ目立つ、よなぁ。俺」
 この辺りでは珍しい銀の髪に、夕暮れを深くしたような緋の瞳。そして長身であるクロウが、日本の学園の校門の目の前に居て目立たないはずがないのだ。加えて後ろに大型のバイクが停まっていたら、どこからどう見ても彼女を待つ彼氏の図、でしかない。
「残業でもしてんのかね。ったく、”相変わらず”頑張りすぎっつーか」
 一つ多く用意したヘルメットをくるくると回して、彼は夕暮れの空を見上げる。校舎の方へと飛んでいく鴉。クロウはその軌跡を目で追った後、視線を下げてみれば、昇降口からは彼が久々に見る小さな影が走って来ていた。
「待たせちゃってごめんね! どうしても片付けないといけないものがあってーーーー……わわっ!」
「!」
 べしゃっ、と。効果音を付けるならばそんな音だろうか。スローモーションで流れる景色は、その音と共に、一気に元の速度へと引き戻される。
「……」
「……」
 短い沈黙は、彼女の前に屈んだクロウが小さく吹き出した声によって切られる。
「よう、トワ。クク、変わってなさそうで逆に安心したぜ」
 クロウの目の前で盛大にすっ転んだトワは、少しだけ頬を染めながらゆっくりと立ち上がる。照れではない。朱の原因は、羞恥心だった。完全に。そんなトワを見るクロウの眼差しは、端から見れば親のそれに見えなくもない。
「く、クロウ君っ。子供扱いはしないでって、わたし前にも言ったよ? もう二十三になったんだから」
「わーってるよ。だけどつい、な」
 トワの頭の上に置かれたあたたかな手。周囲の視線など気にせずに、クロウは数年前と同じようにぽんぽんと軽く叩く。
「……」
 トワは実感する。”二十四歳のクロウ”とこうして話せている事が、どれだけ幸せな事なのかと。この年齢に達する事なく逝ってしまった”彼”とは違う可能性だってあると分かっていても、じんわりと目の奥で広がるものは止められそうになかった。
 頭を振るトワ。それを誤魔化すようにして、彼女は顔を上げる。クロウもまた、言いたい事を拾い上げたらしい。

「クロウ君。この後、時間あるかな?」
「なあトワ、この後時間ってあるか?」

 そして二人同時に口を開いて、まったく同じ事を言う。
「……」
「……」
 互いに顔を見合わせて笑った後、トワにクロウはヘルメットを手渡す。
「うん。わたしは大丈夫だよ」
「俺もだぜ」
「どこか、行く? 家に連絡はしてあるけど……」
「よし、それなら話は早ぇな」
 クロウはバイクに跨り、サイフォンを取り出して行き先までの道のりを調べ出した。行きたい場所は決まっているようだ。
 トワを手招きして、後ろに乗っかるように促してやった後、自分の腰の辺りを叩いて言う。
「ちゃんと掴まっとけよ〜、落っこちねえようにな」
「……わたし、バイクに乗るのって久しぶりかもしれないなぁ」
「え、そんなに乗ってねーのか?」
「アンちゃんに乗せてもらう事は多かったけど、卒業してからはなかなか機会がなかったし。それに、クロウ君の後ろに乗せてもらうのは、初めてだよね」
「言われてみりゃそうだったな。へへ、安全運転で行くから安心しとけって」
「あ、安全運転じゃなきゃダメなんだってばっ!」


 ◆ ◆ ◆


 矢の如く駆け抜けていく風景。星が光り始めた空には、遠い日にも見上げた時のように、流れ星を見付けられるだろうかーーなんて、ロマンチストな思考と台詞はきっと似合わない。あの男勝りな同級生だったらサマになるのかもしれないが。
 背に感じる温かさ。流れる景色を見ているはずのトワの視線を、時々感じていた。トワが言いたい事はなんとなく、分かっている。けれど今はまだ聞けない。目的地に着いてから、だ。話はあそこでしようと、以前から決めていた。
「クロウ君、どこに向かってるの?」
「んー……なんつーか、高い所?」
「ええっ!? わ、わたし、今日お財布にそんなに入ってないよ?」
「あー、そっちの高いじゃねーぞ、トワ」
 他愛もない話を頑張ってしながら夜の高速を走っているうちに、周囲からは次第に街の明かりが減っていく。自然が増えてきているからだろう。数年ぶりに見る景色がちっとも変わっていない事に安心を覚えていたら、行きたかった場所が近付いている事に気付く。
「お、そろそろ着くぜ」
 そう後ろのトワへ言ってやれば、返答の代わりなのか、掴んでくる力がほんの少しだけ強くなる。
「……」
 ぴったりくっ付いてくるのは構わないが、心の臓が微かに鼓動を速めてしまったのが見抜かれない事を祈るばかりだった。




「ここって……」
「あいつらと一緒に、星を見に来た場所だ」
 杜宮の郊外にある高台は、数年前、トワ達と別れる前に訪れた場所だった。
 ここにまた星を見に来よう、そう言って再会を約束したあの日の事は、今でもはっきりと覚えている。それがある意味二度目の約束である事も含めて、だ。
 満天の星空。吹き抜ける穏やかな風。遠くに見える小さな明かりの数々。
「……トワ」
 懐かしさに目を輝かせて踏み出したトワの腕を、思わずそっと掴んで引き止める。振り返ったトワは、大きな翡翠の瞳を僅かに揺らした。その理由はまだ、分からない。
「クロウ君?」
 翡翠に映る自分は、なんとも言えないツラをしている。
 沈黙は気まずい、何か言わなければ。突っかかった言葉を引っ張り上げて、音に変換する。
「……悪りぃな。”帰って来れなくて”」
「え?」
 風に掻き消されてしまうのではないかと思えるほどに小さな声で、そう告げる。それでもトワには届いたようで、見上げてくる翡翠は、雫が落とされた水面のように揺らいだ。
 トワは確実に何かに気付いた様子だったが、それは笑顔の裏に押し込まれてしまう。
「…………う、ううん。わたしは気にしてないよ? クロウ君だって、お仕事で忙しかっただろうから……」
「……。ん、まあな」
「向こうでのお仕事、どう? クロウ君は器用だから、上手くやってるんだろうなあって思ってたんだ」
「ああ、なかなか好調だぜ。まだコキ使われる事が多いけどなー」
「そっか、それなら良かった」
 雲間から陽の光が差し込んだ時のように、空気が変わる。
 適当なところへ腰掛けて、隣に座るように促す。自分達以外には誰もいない、夜の星空の庭園。何か引っ掛かるなあ、と思ったら、遠い昔に出し物で見た記憶があった。
「”また見に来られて”よかったぜ」
「うん、そうだね。今度はアンちゃんや、ジョルジュ君も…………一緒に……」
「……?」
「……もう、話してもいいかな」
 消え入りそうな声。俯いて胸元を握ったトワは、気持ちを整理しているようだった。胸中は察せるが、察していないふりをした。
 数十秒の静寂。黙って待っておいた。今は、口を挟むべきではなかったから。

「あのね、クロウ君。わたし、大学の頃、クロウ君に話せなかった事があるの」

 前世って、信じる?
 続けて言われた言葉は予測通りだったものの、とりあえず、頷いておいた。
「そうだな、信じるっちゃ信じるぜ。……チンゲン菜の根っこな」
「そ、それは占いアプリの結果でしょ? わたしが話してるのは本当の前世というか、その……うーん、上手く言えないなぁ」
 こういうところはちっとも変わっていなくて、自然と笑いが零れ落ちる。ちょっとペースを崩されると、真面目な話でさえも傾きかねない。”別れた時”も、確かこんな調子で生徒会室を後にしたような気がした。
 ハッとしたトワは、小さく咳払いをする。
「と、とにかくっ。……クロウ君、これからわたしが話す事、信じてくれるかな」
 敢えて言葉では返さずに、こくりと頷いておく。ありがとう、そう呟いたトワは、ぽつりぽつりと、”前世”の事を話し始めた。
 エレボニア帝国のトールズ士官学院という場所で、最新の機器の試験導入生に四人で選ばれた事。初めは衝突もあったものの、次第に絆を作り仲良くなっていった事。二年生になって後輩が出来て、卒業までの期間を忙しなさと楽しさで過ごしていたけれど、秋に帝国内で内戦が勃発した事。引鉄を引き幕を切って落としたのはクロウで、仇である宰相を狙撃して鮮血の中へ斃れさせた事。トワ達はトワ達なりのやり方で、戦が覆う帝国を奔走した事。星空の下で後輩の一人が交わしてくれた”クロウを連れ戻す”という約束が、果たせなくなってしまった事。
 そして、内戦が終わり、いつも四人でいた場所には三人しか戻って来れなかった事。その時初めて、戻って来れなかった一人を失ってしまった事を痛感して、声を押し殺して涙した事。
「……」
 そう話すトワは、泣いていた。ただ静かに。頬を伝う雫は、何度拭ってもなくなってはくれそうにない。
「っ、ごめんね、ヘン……だよね? だけどわたし、ほんとうに嬉しかったんだ。また、クロウ君に会えたから。またみんなと一緒に、笑えたから……」
「…………」
「嘘だって思うかもしれないけど……それでもいいよ。お伽話みたいだし、それに、クロウ君からすれば何言ってるんだってなるだろうし……聞いてもらえただけでも、わたしはーー」
 横からひょい、と、掛けっぱなしだったトワの眼鏡を奪う。また零れそうだったそれを拭ってやっても、翡翠は相変わらず揺らいだままだ。
「トワ」
 何かを言われる前に、それを封じるかのようにすっぽりと腕の中に収める。ちっこいその体はあっさりと、こっちに身を預けてくれた。
「俺も、言わなきゃいけねえ事があるんだ」
「クロウ君……?」
 あたたかい。ゼリカ辺りに目撃されたら確実に一発ぶん殴られるだろうなと思いつつも、離す事は出来なかった。そのままトワを抱えて倒れ込んで、二人で星空を見上げる。一瞬だけ見えた星の軌跡は、願い事なんて言っている余裕もないくらいに速かった。
 表情は見られないように、トワを抱き寄せる。我ながら狡い事をしている自覚はあったが、それでも。

「俺、大事なモンを拾えたから帰って来たんだ。”オレ”が居ないと意味がねぇって、思ってたからな。……”ただいま”、トワ」

 どうにか絞り出した言葉は、震えてはいなかっただろうか。掠れてしまっては、いなかっただろうか。
 おかえり、と返してくれたトワの言葉は、直接心に染み込んで来るような、そんな気さえした。









このあと滅茶苦茶星空観察した。


大事なモン=前世のトワ達との記憶。察しがいいのでジョルジュ辺りを問い詰めてその辺の話は知っていたものの、思い出せるまで帰って来ない事にしてた。なので戻ってきたクロウは全部思い出してる。けどトワから話してくれるのを待ってる。という設定。

因みに後半からこっそりクロウ視点になってる。


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