Don't say goodbye.
《-004》


 迫る誘いの光。双刃剣を放って駆け出し、満身創痍だったリィンを突き飛ばして代わりに光を受け、ふわりと体が持ち上げられたかと思えば、一瞬で視界が闇に閉ざされる。意識が遠くへと運ばれる寸前、名前を呼ばれた気がしたが、それが誰のものだったかはもう分からない。

 時を遡る。記憶を辿る。干渉できない思い出が、目前に形となって現れる。

 夢と幻の回廊の果てで、火蓋が静かに切って落とされた裏の試しーーロア・ルシファリアとの戦い。それは、特科クラス《Z組》としての、最後の戦いだった。
『《Z組》最後の戦いか……それなら、もう一人必要だな。お前さん達は、全部で”十一人”だろ?』
 そう言って、何の躊躇いもなく”幻夢鏡”を手にした遊撃士。確かトヴァルといったか。体を借りる寸前、異空間らしき場所ですれ違った彼は、片手を上げながら笑った。
『どうして、って顔してるな。ま、細かい事は気にするな……青春を見守ってやるのも、大人の役目ってヤツさ』
 そうだ。トヴァルに”借りている”身なのだから、のんびり寝ているわけにはいかないのだ。早く目を覚まして、リィン達と一緒にロア・ルシファリアを倒し、この戦いを終わらせて、《Z組》最後のーー。
「…………さいご、か」
 ふ、と目を開ければ、辺りには何もない真っ暗な空間が広がっていた。
 先の見えない闇の中、これから先の事をぼんやりと考える。最後ーー最後だ。どう足掻いても。既に死んでいる身の自分はきっと、この戦いが終わったらまた実体のない存在に戻るか完全に消滅するのだから。
 思わず、その場に座り込んだ。力が抜けてしまったと言ってもいい。どうやって目を覚ませばいいのかーー戻ればいいのか考えようとしても、麻痺したような思考は何も考えさせてはくれない。空を仰ごうとしても、どこまでも広がるのは星のない夜空だった。かつてトワ達と見上げたような星空は、どこにも見えない。
 目を閉じる。脳裏に焼き付いた風景が、セピア色に染まる。何度も交わした会話が雑音混じりになる。掴んでいたくても掴んでいられない欠片は、少しづつ砂になって指の間からさらさらと落ちていく。

『ッーーふざけるなッ! 俺たちと一緒に過ごした時間も! トワ会長やアンゼリカ先輩、ジョルジュ先輩との関係も! ぜんぶ偽物だって言うのかよ!? あの学院祭のステージもーー嘘だったって本気で言うのかよ!』

 あの日。珍しく声を荒げながらもどこか悲痛なリィンの声に、すぐにそうだと返せなかったのは一体何故なのか。分かっている答えを拾おうとはせず、かといって壊す事もせずただそこに置いておくだけだったが、こうして失おうとすると、手離したくない感情が沸き上がる。
 ”学院生のクロウ・アームブラスト”はただのフェイク。作り物であり紛い物であり偽物だ。自分の本分は”帝国解放戦線のリーダー《C》”なのだと、何度言い聞かせ夜の中へと歩き出した事か。けれど、フェイクとして築き上げた”学院生”の自分は、失った青春を謳歌してしまったし、作ったものも、得たものもそれなりに多かった。多すぎた。
 かといって、その事を悔いたりはしていないのだが。
「…………」
 耳を澄ませば、出口のない闇の彼方から、懐かしい音が聞こえる。
 名を呼ぶ声がして振り返るとーー。


《-003》


「これから……どうするんだい?」
 祖父さんが死んだ日は、雨が降りそうで降らない曇天だった。どんよりとした灰色の空はますます気分を重くさせて、吸った息もいつもと違って感じるほどだった。
「……」
 真新しい墓の前に屈み込んでいる幼い自分は、心配して見に来てくれた人がそう声をかけてくれても微動だにしない。今浮かべている、誰にも見えていない表情がどんなものなのかは、自分自身が一番分かっている。
 ーー何で今、こんな昔のを見せられるんだよ。
 例えるならば、干渉出来ない記憶の映像。まるで幽霊のように過去の自分の背を見ている事しか出来ず、触れようとしたものは当然、すべてすり抜けてしまう。
 一人で抱えないでどうするか決まったら話においで、とあたたかく声をかけてくれた近所のおばさんは、ジュライ最後の市長の事をどう思っていたのだろうか。
 その言葉を受けて、ようやく、自分が振り返る。
「……ありがとな。ちょっと、混乱してるんだ。…………落ち着いたらよく考えて、話に行くよ」
 思えばこれが、初めて吐いた”嘘”だっただろうか。貼り付けたような笑顔の下に本心を隠して振る舞う事を覚えてしまった、きっかけだったか。どこか虚ろになってしまう、第一歩だったか。
 心配そうでありながらもそっと立ち去ったその背を見送って、完全に見えなくなった後、残された自分は力なく地を殴りつけた。
「……くそっ、どうして……こんな……」
 墓石を見上げたその緋の瞳には、復讐の炎が揺らめいていた。すべてを捨てて、祖父を、ジュライを奪った鉄血宰相を討ち取ろうとする決意が宿っていた。
 隣に屈んで、肩へ手を置くふりをする。この後何を言って、ここから立ち去ったんだったか。
 思い出そうとしたその時、絞り出すように、自分は言う。
「待っててくれ、祖父さん。……必ず……仇は討ってやる」
 そうしたら、また帰って来るからーー。
 一回り以上小さな自分が言った言葉と、思い出しながら口を動かした言葉はまったく同じだった。自然と苦笑が零れる。
 偶然にも士官学院の実習でジュライを訪れた時は、こっそりと抜け出して祖父さんの墓を見に行こうか迷った。けれど、後数十メートルというところで、歩みを進めていた足は止まってしまったのだ。
 ダメだ。今はーー顔向け出来る状態じゃない。
 故郷を出る時に決意したはずだ。交わした約束を果たしたら、ここへ帰って来ると。その時まで先の見えない中で戦い続ける事を誓って、放浪の旅へと出たのではなかったのか。
 すっと立ち上がった自分を見上げる形になって、なんとなく、またその瞳を見てみる。

「行ってきます。…………祖父さん」

 光を半分ほど失くしたそれは、随分とくすんで見えた。


《-002》


「よ、後輩君」

 四月中旬ーー夕暮れの士官学院。忘れもしない、妙な縁が始まった日。
 軽い調子でそう声をかけた自分を、リィンはぽかんとした表情をして振り返った。こいつこの時こんな顔してたっけ、と、思わず噴き出しそうになってぐっと堪える。
「えっと……?」
「お勤めゴクローさん。入学して半月になるが調子の方はどうよ?」
「あ、ええ……ーー正直、大変ですけど今はなんとかやっている状況です。授業やカリキュラムが本格化したら目が回りそうな気がしますけど」
 交わされる会話を傍観する。リィンから向けられる敬語が懐かしく感じた。この初々しい後輩が数ヶ月後にはああなのだから、本当に、人間は関わってみるまで分かったもんじゃないーー見えていないのをいいことに後ろで腕を組み、うんうんと頷いて一人で再認識する。

「んー、そうだな。ちょいと50ミラコインを貸してくれねえか?」

 ここから、始まった。いつもの調子で借りただけなのに、その利子がまさか内戦の最中まで付いてくる事になるなんて、この頃の自分は思ってもいなかっただろう。誰に似たんだか、と茶化せば、どこかの悪友かなと返してきたリィンの表情を思い出そうとしてーー鮮明にならない事に気付き、頭を振って途中で止めておいた。
 橙の空に舞う50ミラコイン。真剣な面持ちでその軌跡を目で追うリィンと、素早く手で掴み取るふりをする自分。真面目なヤツほど引っかかりやすいのだ、これは。
 コインがある手を答えるも、開かれた手にそれはない。ハズレだと言われ、参りましたと言うリィン。
「こういうことさ」
 両方の手が開かれても、どちらにも見当たらないコイン。
「え」
「フフン、まあその調子で精進しろってことだ。せいぜいサラのしごきにも踏ん張って耐えていくんだな。ーーそうそう、生徒会室なら二階の奥だぜ」
 そんじゃ、よい週末を。
 そう言い残し颯爽と立ち去った自分を、少しだけ距離を置いて追いかける。士官学院の制服を最後に着た時からまだ一年も経っていないのに、目の前を歩く姿は何年も昔のもののように感じてしまった。それだけ、遠いところへいってしまったという事か。
 あっさりと騙された後輩を面白半分で思い返しているのか、暢気に鼻歌交じりで袋へ落とした50ミラを取り出す”学院生”の自分。持ち主の性格を表したかのように新しいコインは、夕焼けに反射してきらりと光った。
 このちっぽけな、何も知らない人からすればただのコインでしかないそれが、この後返し返され利子を請求され遺されーーという道を辿るのだと思うと、何も知らずに歩いている自分を笑ってやりたくなる。覚悟しとけ、何気なく借りたつもりなんだろうがその後輩かなりしつけぇぞ。離反し傷付け、平穏を奪ったはずの存在を取り戻してみせると宣言して、走って距離を離してもひたすら追っかけてくるんだぜ、と脳内に言葉を羅列してまた、一人で笑う。
「リィン。……リィン・シュバルツァー、ねぇ……」
 トワが抱えていた入学生情報の書類を盗み見た時の印象と、まったく変わらない。なんだかイジり甲斐がありそうだと思いながら、寮への道を歩く。
 握った左手に、50ミラコインを置く自分。
 指で弾かれたそれは、真っ直ぐに夕暮れの空の中へと吸い込まれていった。力を入れすぎなのではと言いたくなるほどに、高く、遠く、彼方まで、銀の軌跡が伸びていく。


《-001》


「ーーこのギリアス・オズボーン、帝国政府を代表し、陛下の許しを得て、今ここに宣言させていただこう!」

 やたらと高く飛ぶコインの行方を目で追っていたら、いつの間にか、引き金に指を掛けていた。今までのように、記憶の中の自分を後ろから傍観しているのではなかった。”自分自身がそこにいる”のだ。
 ここまで来てやっと、ロア・ルシファリアに取り込まれてしまっていた事を思い出す。いつまで続くか分からない、出られるかも分からない、追憶の世界。居るべき場所はここじゃない。早く戻らないとーーと僅かに逸りながらも、耳はしっかりと鉄血宰相の演説を聞いていた。
 クロスベルをも取り込もうとする、鉄血宰相ーーギリアス・オズボーン。ジュライを奪い、間接的にではあるものの祖父を奪った、仇。
 パンタグリュエルで、リィンには語った。何故復讐という道を選んだのかを。鉄血宰相が”悪”だとは言わないが、血に塗れながらも戦い続けたその理由を。
「正規軍、領邦軍を問わず、帝国全ての”力”を結集し……クロスベルの”悪”を正し、東からの脅威に備えんことをーー」
 合わせた照準。力を籠めた引き金。また、壊す。また、一発の銃声で、奪わなければならない。追憶の中でも、今までに築いてきた”フェイク”だと思っていたものを、この手でーー崩壊したものの欠片を握り締めて追いかけてくる”級友ども”から、背を向けて駆け出さなければ。
 心の片隅に生じた”何か”は無視して、撃つ姿勢をとり、口を開きかけたーーその時だった。

『クロウ』

 呼ぶ声が、聞こえた気がした。今この場で聞こえるはずのない声が。
 思わずはっとして、手を止めてしまう。にも関わらず、鉄血宰相が演説の続きを言う事はない。世界が静止しているかのようだった。
「……は? どう、なって」
 顔を上げて、辺りを見回す。見上げた空にある太陽は、まるで水面の向こうにあるかのように揺らめいた。

『クロウ君! 起きてっ!』
『頼む、目を覚ましてくれ!』

 はっきりと聞こえた、二つの声。
「…………トワ? リィン?」
 少しづつ色を失っていく世界が、妙に恐ろしく感じる。このまま残っていたら、世界ごと消されてしまうのではないかと思ってしまうほどだ。
 空が灰になる。緋の王都が色彩を失う。空を飛ぶ鳥は、微動だにしない。
 祖父さんが死んだ日のようなあの空の色に染まっていく世界に取り残され、身動きさえ出来ずにいたが、視線は無意識に声の主を探していた。

『ーーーークロウッ!』

 伸ばされた手は、掴んでやる事が出来ただろうか。




《000》


 突然砕けた世界、自分の名を何度も呼ぶ声、支えてくる温もり。
 太刀のような軌跡で灰の空が一閃されたのを見た直後、見えない何かに引っ張り上げられたかと思えば今度は、放り出されるような感覚。随分と乱暴だなと思いつつも、夕暮れの空のような空間を落ちていきーー地に降り立ったような気がしたが、なかなか目が開かない。
 少しづつ、意識が浮上する。
「…………ん」
 重い瞼をようやく開けるようになった。重力の拘束が、いくらなんでも長すぎる。
 視界が、ゆっくりと開けた。
「っ、クロウ君……!」
「クロウ……よかった」
 翠を揺らしていたトワが、ほっとしたように胸を撫で下ろす。体を支えてくれていたリィンの表情は見えなかったが、大体想像はつく。ぽんぽんと背を軽く叩いてきたリィンに、俺はガキか、と苦笑した。

 そばに置かれていた双刃剣を拾い上げ、風を切る。

 ロア・ルシファリアとの戦いは、激しさを増す攻撃にこちらが防戦を強いられるようになっていた。息をつく間もなく繰り出される攻撃から身を守るか、避けるしか出来ない。隙をついてラウラやゼリカが果敢にも飛び込んでいくが、決め手となりそうな一撃を叩き込む余裕がなさそうだった。
「最後の悪足掻きってヤツか」
 そう、直感した。ロア・ルシファリアは、もう少しで倒せると。
 迫る刻。ほんの少しだけ沸き上がった寂しさは、蓋をして押し戻した。きっと、永遠の別れではないのだから。
「リィン」
「?」
「アレ、やるぞ。騎神に乗ってなくても出来るだろ」
 双刃剣を担いでそう言うと、リィンはすぐにそれが何なのかを察してくれたらしい。
「…………ああ! ーーすまない、みんな! 援護してくれ!」
 リィンの呼びかけに、様々な声が返事を返す。
 並んで駆け出す寸前、振り返ると、魔導銃を持ったトワがにこりと笑いかけた。軽く手を振って応じれば、僅かに泣きそうな顔をしてしまった。

 もう、分かっているのだろう。何も言わずとも。

 強く地を蹴って、走り出す。ロア・ルシファリアも気付いたのか、召喚したものを一斉に差し向けてきた。
 立ち塞がるものの数の多さに、反射的に担いだ双刃剣を構えかけるーーが、割って入ってきた青と銀の影が、塞がりかけた道を切り拓いた。
「そなた達には触れさせぬ!」
「……リィンとクロウに標的を定めてるみたい。ここはわたしたちが食い止める」
「ゆくぞ、フィー!」
「ラジャ」
 ラウラとフィーがリンクを結んだまま、群れる白い影を打ち倒していく。
 リィンと視線を交わし、頷き合い、再び駆け出した。
「フン、どうしたレーグニッツ。その怪我は」
「う、うるさい! たまたま掠っただけ……あ」
「間の抜けた声を出すな、集中しろ。足を引っ張られては迷惑だからな」
「……。言われなくても!」
 後ろから聞こえてくる声。喧嘩友達でいろとは言ったが、相変わらずらしい。
「リィンさん、クロウさん! ……白銀の剣よ、お願い!」
「まったく……世話がかかるんだから」
 接近していた衝撃波を、白銀の剣が斬り裂き消滅させる。もう一人の魔女は、以前よりも更に成長したようだ。
「さあ、一気に攻めましょう!」
「いっくよー、ガーちゃん!」
 あの憲兵大尉は今、どんな心境なのだろう。ちらりと見遣れば目が合って、複雑そうな色が浮かんだのに気付き、苦笑いするしかなかった。
「ふふ。お二人とも、どうかお気を付けて」
「決めなさいよ、私達の分まで!」
「任せてくれ!」
 すれ違いざまにリィンがアリサと軽く手を合わせる。そういえばよくやっていた事を思い出して、懐かしさが込み上げてしまった。
「届け、癒しの歌!」
「良い風が吹いているーー二人に加護を!」
 迫り来る影からエリオットを守っていたガイウスが、影を薙ぎ払う。その瞬間、足元からあたたかな風が吹き上がって傷を瞬時に癒した。
「兄様、私も援護させていただきます!」
「リィンさん、クロウさん。わたくしも、アルノールの名に賭けてお二人をお守りしますわね」
 左右の影を、二つの光が貫く。こんな場所まで来て勇敢にも戦ってくれるのだから、相当に妹や姫君に好かれているのだろう。
 無茶はしないでくれと言ったリィンは、どこか嬉しそうだった。いや、リィンだけではない。この場で戦う者皆が、辛い状況にありながらも、どこか満たされたような表情を時折見せるのだ。
「あたし、アンタ達の教官になれてよかったって思ってるわ」
 紫電を纏いながら並走していたサラが、ぽつりと零す。
「何だ何だ? 卒業式かよ、これ」
「……そうね。そんなものじゃない?」
「……卒業式……」
 ロア・ルシファリアを前にして、少しだけ俯いてしまうリィン。甘ったれめ、と言ってやる代わりに、この戦いが終わった後の事を思っているであろうその背中を、ばしんと強めに叩いた。
「オラ、前向けリィン。お前らはまだ先があるんだ」
「フフ、クロウの言う通りだよ。ここで倒れるわけにはいかないだろう」
「そうそう……ってゼリカ、お前いつの間にーー」
「まだ君との決着は色々とついていないけど……せめてもの見送りってところかな」
「色々ってなんだ、色々って」
 白い巨大な影が、真っ直ぐにこっちを見据えてくる。左に向かったサラが紫電を散らし、右に向かったゼリカが闘気を拳に籠めて叩き込んだ。

「……リィン君ーークロウ君っ! 頑張って!」

 呼ばれて振り返ると、ARCUSを光らせているトワが笑った。その後ろでは、クオーツを揃えているジョルジュが得意気に笑ってみせた。それは、今まで見てきた中できっと、一番の笑顔だった。
 内から力が湧いてきたのを実感して、ぐ、と双刃剣を握る手に力を籠める。ーーこれで終いだ。

「行くぜ、リィン!」
「分かった!」

 一層強い光でリィンと結ばれたのを感じた。いける、と思ったのはリィンも同じのようで、同時に駆け出してロア・ルシファリアへと得物を振るった。
 太刀が一閃して、焔の軌跡を描く。
 双刃剣が一閃して、蒼の軌跡を描く。
 ARCUSを介して繋がっているからか、リィンの動きが手に取るように分かった。考えている事も、なんとなく掴める。間髪入れずにロア・ルシファリアから放たれた炎を斬り飛ばし、その合間を駆け抜けて、リィンと視線を合わせた。
「おおおおっーーーー!」
 渾身の、持てる限りの力を全て双刃剣に注ぎ込み、大きく振りかぶる。眩いばかりの蒼の光を放つそれは、普段使っている時とは比べ物にならないほどに質量を増していた。
「はあああっーーーー!」
 ほんの一瞬、リィンの瞳が緋に見えたーーような気がした。次の瞬間にはもう、いつもの夜明けのような色に戻っていたが。
 燃えるような光を宿した太刀を構えたリィンが、ロア・ルシファリアに斬りかかる。双刃剣を光が包む。

「相ノ太刀ーー」
「蒼覇十文字斬り!」

 斬り抜けたリィン。その直後、”繋がっているからこそ”掴む事が出来たタイミングで、蒼の十字を放つ。
 閃光の如き斬撃。追撃するかのように燃え上がった、蒼の焔。二つの軌跡が、ロア・ルシファリアを貫いた。

「ありがとな。リィン」

 目を開けていられないような白い光の中、その言葉は届いたのか。





 終わった。
 ロア・ルシファリアが消滅する際の光と共に、体から失われる感覚。どうやら時間切れらしかった。すっと抜けるような感覚と共に、浮遊した体はトヴァルの肉体を離れて少し離れた場所に降り立った。
 光が消えた時、さっきまで自分が立っていた場所にはトヴァルが立っていた。
「……トヴァル、さん」
 後ろ姿だから顔は見えないが、声色からしてリィンの心情は察する事が容易い。
「ありがとう、ございました。トヴァルさんが幻夢鏡を使ってくれたから、俺達は全員で……」
「なぁに、見えないところでサポートするのも遊撃士の仕事さ。……こいつはもう、使えないみたいだけどな」
 眉を下げて自分の掌を見つめるトヴァル。その先には、粉々に砕け散った幻夢鏡の欠片が残されていた。
「あ……」
「……幻夢鏡……もしかして、ロア・ルシファリアが作り出したものだったのかもしれません」
「そっかー。だから、ボクたちがアイツを倒したのといっしょに壊れちゃった、ってコト?」
「ミリアムちゃん、手を切ってしまいますよ」
 欠片を触ろうとして、クレアに止められるミリアム。伸ばしかけた手を引っ込める代わりに頭の後ろへ手をやって、そのまま組んだ。
 冗談じゃねぇっての、と、届くはずもない独り言をぼやく。勿論苦笑混じりでだ。またあんな形で何度も呼ばれたらーーと思うと、抑え込んだ感情が溢れそうになる。
 何気なく、自分の心臓へと手をやってみると、そこに鼓動はない。当然の事だった。そこを貫かれて死んだのに、動いていたらあまりに奇妙すぎる。

 やがて、空間の中を白い雪のようなものが舞い始めた。一年ほど前に学院で見た、ライノの花びらにも似たそれは、掌を通り抜けて下へ舞い落ちてゆく。
 《Z組》の面々は、その場で静かに泣き始めた。ミリアムが声を上げて泣いたのをきっかけに、これが”最後”なのだと実感して、ただ静かに。
『………………』
 甘ったれどもめ、と思いながらも、ほんの少しだけ笑う。
「……ん?」
 見守っていると、突然振り返ったジョルジュと目が合った。ーー気のせいだ、そう思った。
「ジョルジュ君、どうしたの?」
「いや……。気のせいじゃないかもしれないし、僕の気のせいかもしれない」
「…………え?」
 いやいや、見えてないよな、と思わず自分の体を見下ろす。相変わらずの半透明で、向こうの床や景色がちゃんと透けて見えている。
 トワやゼリカまでもが振り返って、次々と目が合った。
「……そうだね。だって、わたし達”みんなで”戦ってたんだよ」
「さっきまでそこに居たんだ。まだその辺りをうろついているかもしれないね」
 うろついてるってお前な。
 ツッコミたい気持ちを堪えて、息を吐き、踵を返す。行き先は決まっていないし、どうすべきなのか、どこへ行くのか、どうなるのかも、何もかもが分からない。とりあえず外の空気でも吸って、それからまた考える事にした。
 まだ、泣く声は止まらない。立ち止まって、懐に手を突っ込んだ。
『……ったく、世話の焼ける後輩どもだぜ。だがまあ、これで何とか本当の意味で前に進めるだろう』
 ただひたすらに、前へ。
 遺した言葉が少しでも後押しになって欲しいと願ってしまうのは、自分の我儘だ。それでもあいつらには、顔を上げて前を向いて、明日へと進んで欲しいのだ。

『ーーそんじゃ、またな。”最終幕”に向けて、せいぜい気張るとしようぜ』



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