The die is cast
『使い捨ての道具だって言うなら……この腕輪を着けた時に、感情も消してくれれば良かったのに』
『そうすれば、こんなに怖くて……痛くて、苦しくて……辛い思いだって、しなくて良かった、よね』
『死にたくなかった……まだ、生きたかったよ』
『クロウ、後のことは――――』

 焼き付いているその言葉を、死に際に言い放ったかつての仲間≠フ声色は、忘却の彼方へと消えようとしていた。覚えていたくても、忘れたくなくても、その想いだけでは引き止める事が叶わない。だからせめて、遺された言葉だけは覚えていようと、彼は失った何人もの仲間≠フ最期の言葉を、すべて記憶していた。
 それらは決して、クロウにとって呪いではない。先の見えない真っ暗な闇を歩いて行く為の光、消えない灯火の一部として胸に抱きながら、今日まで生きてきた。
 ――いつか、きっと。抜け出して見せる。
 目の前でアラガミによって両親を殺され、一人生き残ったところを拾われて、その後に待ち受けていたのは、このミナトでAGEにされて道具や奴隷のように扱われる日々だ。
 十分な食事など与えられるはずもなく、休息を取る寝床もひどく粗末なもので、幼いながら衰弱死が脳裏を過るほどの劣悪な環境――クロウはそこで多くの仲間に出会い、多くの仲間を失った。神機を手に出て行って帰って来なかった者、腹を空かせたアラガミに喰われた者、この牢獄のような場所で命を保つ事が出来なくなった者――灰域では遺体は灰となって消えてしまうし、墓など作ってもらえるはずもなく、彼らを弔う手段は想う事、忘れない事だけだ。
 囚人に着けるような手錠の如き腕輪へ視線を落として、彼は短く息を吐く。己の運命を呪うつもりはなかったが、あまりにも未来が見えない。淡い希望を抱き続けて何年が経過したかを、数える事はもう出来なかった。
「……クロウ?」
 思考の海に沈みかけた時、薄汚れた毛布が視界の隅で動く。掠れた声で彼の名を呼んだ声の主は、夜明けの色を帯びた瞳でクロウの事を見ていた。
「悪り。起こしちまったか、リィン」
「気にしないでくれ。起きるつもりだったからいいんだ」
「ん? お……もうそんな時間か」
 ここに時計はない。時間を知る術は無いに等しく、眠くなれば夜、という認識だけが一日の経過を知る方法だ。
 看守の鋭い視線が向けられている事から、彼はそう判断した。
「ったく、時計の一つくらい置いてくれりゃあいいのにな」
 眉間に皺を寄せた看守を無視して肩をわざとらしく竦め、クロウが携行品の入った小型のポーチを手に取った。
「……無駄口を叩くな。出ろ」
 錆び付いた扉が開かれ、何度聴いても不快感が残る音と共に、外への道が開かれる。檻から狂犬を放つような扱いは、何年経とうと変わらない。
 蒼の神機を担いで、クロウはリィンの肩を軽く叩く。
「行こうぜ、リィン」
 相棒、とも言える幼馴染同然の存在が頷いたのを見てから、彼は歩き出す。
 今日も変わる事なく在り続けている、薄暗い牢獄よりは明るくとも、希望などない絶望に満ちた世界へと。


 ◆


 今、ミナトの中で神機を手にして戦う事が出来るのは、リィンとクロウの二人だけだ。後は十歳に満たない幼い子供ばかり――数年後には神機を振るう事になるだろうが、今のままではそこまで生きられるか危うい子が居るのが現状だった。二人が成人寸前まで生きる事が出来たのは、最早奇跡と言ってもいい。
 故に、難度の高くない仕事とはいえ、手は抜かずにきっちりとこなす。与えられる僅かな報酬も、看守に見付からないようにこっそりと懐に入れた収集物も、生きていく為には欠かせない大切なものだからだ。
「……あ」
「?」
 ミナトへ帰投する間、二人は崩壊した街が見渡せる高台へと上がった。ステンドグラスが粉々になった教会、喰われたかのように抉られたかつての住居、原型を留めていない何かのオブジェクト――アラガミは人間の世界を徹底的に喰い荒らし、容赦なくあらゆるものを奪っていったのだと痛感する。
 曇天とも異なる灰色の空の下、クロウが遠くを観察していると、何かに気が付いたらしいリィンが彼の顔を覗き込んだ。
「クロウ、血が付いてる」
 言われて、クロウはリィンが指す頬をやや雑に拭う。指に付いたのは紛れもなく深紅だったが、自分のものなのかアラガミのものなのかは分からなかった。
「っと、落としたつもりだったんだが……チビたちが怖がっちまうからな。あんがとよ」
「…………」
「リィン?」
 ミナトがある方に背を向けて、リィンが俯く。クロウから表情は見えず、風に揺れる黒髪に、横顔も隠されてしまっていた。
「……クロウ」
「ん?」
「ありがとう」
「……オイオイ、妙なフラグ立てるのはやめろって。突然どうしたよ?」
「はは……なんだか、そう言いたくなったんだ」
 灰と塵が混じった風が駆け抜け、虚空には枯れ葉が舞う。
 顔を上げたリィンは、自分でもどうしてそう言いたくなったのか分からない、とでも言うような表情を浮かべていた。
「ふらぐ、に感じられたならごめん。そういうつもりじゃなかったんだ。十年以上前、かな……クロウと出会って、初めて神機を持って……二人で出撃した時の事を思い出してさ」
「あー、あの時か。俺ら二人、アラガミにさんざん追っかけ回されたんだったか」
「懐かしいよな。あの日も、こうして帰投する前に高台から街を見たな、って。……それと……その時にお前から言われた言葉を、俺はずっと覚えてるよ」
「俺、何か言ったか?」
 敢えて、の問いだった。記憶の中に残っていたが、敢えて、彼はそう返す。
 十年以上前、初めて神機を振るった日。自分達よりも巨大なアラガミに何度も追いかけられ、返り血を浴びながらも、恐怖を勇気で上書きして諍ったあの時。
 帰投の指示が出てミナトへ走る途中、瓦礫に躓いて転んでしまい、泣くまいと痛みを我慢するリィンへ、クロウが告げた言葉がある。

「ただひたすらに、前へ――そうすればきっと道が拓けて、あの暗い空の先に、いつか辿り着ける=v

 指した先は、変わらず死を齎すような灰色のままだ。
 けれど、リィンの瞳は十年前から曇る事なく、絶望の中に希望を探し続けている。曇っていたのは、背を突き飛ばされてミナトの牢獄に転がり込んできた、最初の頃だけだ。
「そう言ってくれたお前が居たから、俺は今日まで色々な事に耐えて、生き抜く事が出来たんだ。正直、ミナトは限界に近いと思う。だけど――……」
「ったく……あのな、リィン。そんなら礼を言うのは早えっつの」
「え?」
「と、いうより……礼を言うのは、俺の方かもしれねえしよ」
 続きは切り離した。言いたくない、というわけではなかったが、今言う事ではない、と心が判断したのだ。
「ま、その辺りは俺のやりたい事≠ェ実現出来そうになったら、改めて話すぜ」
 不思議そうに首を傾げたリィンからの追求を逃れるように、置いていた神機を担ぎ直して、クロウはミナトの方へと歩き始める。

 ――両親を目の前で喰らったアラガミ。あいつらに直接復讐が出来る、という薄暗い想いは、幼いクロウが抱く原動力の一つでもあった。

 AGEにされた後の苦痛にも耐え、アラガミとの戦いにも臆する事なく、規定を破って看守に仕置きをされても、終わりのない戦いに疲弊しても、仮面の下に隠した暗い感情が、体を動かす力になっていた――ミナトへ連れて来られたばかりの、あの頃は。
 そんなクロウが未来を目指し続ける、本当の理由を与えてくれたのが。

「生き抜くぞ。これからも≠ネ」

 復讐だけがアラガミに諍い生きる理由だったなら、今よりもずっと、空虚だったかもしれない。
「っ……ああ!」
 突き出した拳を合わせたリィンと目を合わせ、ミナトで帰りを待っている子供達を思い浮かべて、クロウは小さく笑った。
 いつの間にか、奪うだけではなく守りたいと願ったものが出来た事を、彼はまだ誰にも話さずにいる。








【今作った設定】

・リィン(18)
ミナトへは7歳の時に連れて来られた。初出撃も同年。
5歳の時に実の両親と生き別れ(オズボーン、カーシャ)、7歳の時に灰嵐で義理の家族(テオ、ルシア、エリゼ)とはぐれ、運悪くこのミナトの人間に拾われてしまう。
最初はものすごく塞ぎ込んでいたが、先にここで暮らしていたクロウのおかげで前向きな性格になる。
バースト状態(Lv3)になると何故か銀髪赤目になる。理由は不明。

・クロウ(20直前の19)
祖父さんは実は遠いミナトに居るが、両親とは6歳の時に死別。大型アラガミが目の前で二人を喰らい、自分も喰われそうになった時に駆け付けたゴッドイーターに救われた。
看守とはトップクラスで仲が悪い(仲良くなりたいとも思っていないけど)。違反してお仕置きされる事もしばしば。
脱獄計画(?)を数年前から練っており、今は機会を伺っている最中。


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