蒼の騎士と魔界皇子
 魔界の皇子には、側近と呼べる人物がいた。銀の髪と緋の瞳を持ち、希少な得物である双刃剣を振るうその青年は”蒼の騎士”として魔界中に名を轟かせている。
 クロウ・アームブラスト。かつて光の大陸の西方にあった国の唯一の生き残りだ。彼の故郷ーージュライは、十数年前、魔界皇帝ことギリアス・オズボーンが齎した革命の波紋の中、戦火にのまれて地図からも消えてしまった国だった。
 燃え広がる焔、崩壊した日常、消え去った平穏。故郷も家族も何もかもを失ったクロウは、幼い身で復讐を決意して各地を放浪した。すべてを奪った元凶を己の手で打ち倒すべく、様々な事に手を染めーー仇の懐でもある煌魔城へ守護騎士として潜り込んだのは、今から二年ほど前の事だった。

 そしてーー復讐の機会を窺って何かと慌ただしい日々を過ごす中、クロウはある問題を抱えていた。
「クロウ。フィッシュバーガーを作ってくれ」
 リィン・シュバルツァー。魔界皇子である彼が、その主な原因だ。

(劇場版 魔法少女☆まじかるアリサ外伝 - Call my name With the abyss - ポム通紹介文より抜粋)




 一言で言ってしまえば、かわいいヤツだな、とも思う。直接本人へ言ってみたらどんな目に遭わされるか分かったものじゃないから、絶対に言わないし悟らせないが。
「リィン」
 特に用事はないものの、なんとなく名を呼んでみる。数秒間を空けて、なんだ、と抑揚のない声で返答が来る。今日のリィンは、いつもに増しておとなしい。夕飯も半分ほどしか食べていない。
「呼んだだけ」
「……」
 戯けた調子で言葉を投げれば、リィンは黙ったままふいと視線を逸らして、再び窓の外を見遣ってしまう。
 おかしい。直感がそう告げた。普段ならじとりとした目をして、ならいちいち呼ばなくてもいいだろ、なんて言ってプイッとするものだ。ワールドエンドとかいうやたら凝った名前のヘッドホンをしていたって、こちらの声は聞こえているはずなのに、妙に反応が薄い。
 一瞬だけ向けられた瞳は、自分のそれと同じような緋だった。世界を照らす太陽がない魔界の空を、永遠に塗り潰し続けている終焉の色。奥底に何かを秘めた、全てを吸い込みそうな色だ。
 緋にのぼった月を眺めたまま動かないリィン。かける言葉が思い付かず、ただひたすらに流れる時間に身を任せてから、何十分が経っただろう。空の色がずっと変わらないから、把握しづらい。
「……クロウ」
 ぽつり、と、消え入りそうな声で呟かれた自分の名。どうした、と返すと、リィンは月から視線を逸らさずに口を開く。
「やっぱり、もう少しだけ食べたい」
「クク、しゃーねぇな。……何をご希望でしょうか、リィン皇子?」
「フィッシュバーガー」
「仰せのままに」
 やたらだんまりだったのは空腹だったからなのか。そう言った割には相変わらず食欲がなさそうに見えるが、一応持ってきておいてやる事にする。
 一礼をして、足早にリィンの部屋を出る。厨房まで少しだけ、距離がある。フィッシュバーガーなら、昼に作ったものの残りがまだあったはずだと思い出し、早歩きで長い長い廊下を歩いて行った。


「クロウ様! どうかされましたか?」
 厨房には、夕飯の片付けをしているメイドがいた。山積みにされた皿の多さが、この王宮に仕える者の多さと規模を認識させる。
「や、皇子サマが食べ足りねぇみたいでな。フィッシュバーガー、俺が作ったの残ってたよな?」
「はい。そこのバスケットの中に」
 よく外へ出かける時に弁当を入れるバスケットの中に、フィッシュバーガーがひとつ、ぽつんと残っていた。うっかり間違えて、普通よりも一回り大きく作ってしまったものだ。これならいくら空腹でも、腹一杯になるに違いない。
 ご丁寧にもバスケットへ入れて保管しておいてくれていたメイドに短く礼を言って、厨房の扉に手をかける。
「いつも片付けゴクローさん。助かってるぜ」
 軽く片目を瞑ってそう言ってやると、メイドは笑って、はい、と頷いた。
 さて、さっさと戻ってやらねぇとーー。なんだかんだで気に入っているフィッシュバーガーを食べるリィンの姿を思い浮かべて、自然と表情が緩む。
 つい勢いよく扉を開いたその瞬間、ゴッ、と音がした。
「ん?」
 何かにぶつかったような、そんな音だ。おそるおそる、廊下に出て扉の反対側を見る。
 ちらりと見えた見覚えのありすぎる金。ひらりと揺れた緑。
「……あ」
「”あ”……じゃない」
 僅かに赤くなった額に手を添えて、不機嫌そうに佇む金髪の青年。氷河のような色を宿したアイスブルーの瞳が少しだけつり上がり、何かを言いかけてーー口を閉ざす。
「……、いつもなら説教をくれてやりたいところだが、今は見逃してやる。感謝するがいい」
 魔界の一部を統べる、アルバレア一族の末裔である彼ーーユーシスは、自分より一年後に王宮に仕えるようになった騎士の一人だ。育ちのせいか、後輩のクセに生意気な部分もあるが、根は心優しいのを見抜いている。だからやや尊大な物言いもちっとも気にならない。貴族としての振る舞いが身に付いているユーシスから小言をぶつけられる事は、時々あるのだが。
 額を摩りながらも、どこか落ち着きのない様子で、ユーシスは厨房を覗き込む。わりと落ち着いている事が多いユーシスにしては珍しい。
 何かあったのだろうか、と薄々察しながら彼の言葉を待つ。すると、ひとつ息を吐いて、ユーシスが封筒を差し出してきた。
「お前に伝達がある」
「伝達? 人探しか?」
「……」
 何故か言い淀むユーシス。誰かを探しているのなら、すぐに言ってくれればいいものを。兄であるルーファスあたりだろうと予測していただけに、この間は不思議でならない。
「…………そうか。最後にリィンと会ったのは、お前か? 何も変わったところはなかったか」
「は? まあ、そうだな。あの後誰もあいつの部屋に行ってなけりゃの話だが……少しおとなしかったけど、そんなに変わってはいなかったと思うぜ、リィン」
「……」
「それがどうかしたのかよ?」
 心の片隅で嫌な予感が込み上げるのをどうにか押さえ付け、平静を装って聞き返した。
 額から手を下ろして、ユーシスは言う。

「リィンがいなくなった」




「ったくーーどこ行っちまったんだよ、リィン!」
 扉を閉めるのも忘れ、王宮の門を走ってくぐり抜ける。
 ユーシス曰く、たまたま通りかかった際に開きっぱなしだったリィンの部屋を見たら、窓だけが開いていて誰もいなかったという。真面目なあいつにしては珍しい、とそのまま通り過ぎようとしたーーが、窓枠に少しではあるものの血痕が残っているのが目に入り、ただ事ではないと思いオズボーンに報告後、自分を探して王宮内を駆け回っていたらしい。
 渡された封筒には、リィンが残した置き手紙が入っていた。
”ごめん”
 たった一言、短くそう書かれただけの紙は、強い力で握ったような跡が残っていた。一体あの後何が起きたのか見当もつかなかったが、妙な胸騒ぎが収まらない。早く見付けてやらないと、とんでもない事になりそうなーーそんな予感がしてならなかった。
 とはいえ、魔界は広い。ユーシスが東へ向かってくれたものの、どこから探せばいいのか。リィンを目撃した者が皆無である以上、ほとんど八方塞がりと言ってもいい状況だ。
「くそっ、片っ端から探してたらキリがねぇ」
 もういっそ、枝でも倒して運任せにするか。いや、今はそんな博打はしていられない。倒れた反対側に居たらどうする。
 だとしても、他に方法はーー

「ねぇ、誰か探してるのー?」

 子供の声がして、思わずぴたりと動きを止める。けれど不思議な事に、辺りを見回しても声の主らしき姿は見当たらない。
「? 誰も居ねぇな……気のせいか?」
「ちがうよー! 下、下!」
「下?」
 聞こえてきた言葉に従って自分の足元を見ると、いつの間にか小さな白い兎がいた。
「なんだ、お前? 喋るウサギ……魔物か何かか?」
「ボクはトクベツなんだよー。ほらっ!」
 更に不思議な事に、その兎は二本の足で立ち上がって白い煙に包まれる。何が何やら、理解が追いつく前に煙が晴れるとーーそこには、頭に兎の耳をつけた、水色の髪の少女が立っていた。
「えへへ、驚いた?ボクは人間にも兎にもなれちゃうんだ」
「ほー、そいつはなかなか……って、悪りぃけどそれどころじゃねぇんだ! 探してるヤツが居るんだよ」
「……。もしかしてそれって、ちょっと前にここを通っていった黒髪のヒトかなぁ? 頭にフシギなものつけてた」
 黒髪のヒト。魔界であの髪色を持つ者は、そう多くない。白兎が見かけたという人は、ほぼリィンで間違いないだろう。”フシギなもの”は、おそらくワールドエンドの事だ。
「! リィンを見たのか? どっちに向かった?」
「んー……多分、方角的にはあっちの森かなー? ケガしてたみたいだし、心配だったから追いかけようか迷ったんだけど」
 ここで誰か来るのを待っててよかった、と言って、白兎は手を振り上げる。
「?」
「ねぇ、騎士のおにーさん。ボクも一緒に行っていいかな? 行かないとコーカイしちゃうかもしれないし。大丈夫、ジャマにならないようにくっついていくから!」
「くっついていく?」
 それってどういうーーと問おうとしたその時光が瞬いて、次の瞬間には頭にのしっとした重みを感じた。
 その正体は、考えるまでもなく。あっという間に縮んでみせた白兎の少女が、バンダナをがっちりと掴んで頭に乗っかっていたのだ。
「それじゃあ、レッツゴー!」
 文字通り、頭上から軽く頭を叩かれる。まさかずっと乗っかってついてくるつもりなのか。
 念の為、背負い直した双刃剣を指して注意を呼びかけてみる。
「あのなあ……俺、こいつを振り回すんだぜ? 落っこちても……」
「ヘーキヘーキ、ボクこういうのには慣れてるから! ほら、早く行こ行こ!」
「あー、わーったって、だから髪引っ張んな。しっかり掴まってろよ?」
「はーい!」
 本当に大丈夫なんだろうか、と多少心配ではあるものの、白兎は自分よりも地理に詳しそうだった。迂闊に迷い込んで帰れなくなる可能性がぐっと減るだろうし、頼りにしてもいいかもしれない。
 安易に他者を信じるべきではない、と痛感させられる経験は放浪していた頃から今までに何度もあったが、何故か、この白兎は信頼しても大丈夫だと思えてしまった。
「ハハ、元気なこった。……そういやお前、名前は?」
 さすがに毎回”白兎”と呼ぶのは面倒だ。名前がないなら呼びやすいあだ名でも考えてやろうかと思ったが、上から降ってきた嬉しそうな声に、それは遮られる。
「名前? ボクはミリアムっていうんだ、よろしくねー!」


ーーーーーーーーーーーーーー


 夜も昼もない魔界の森に足を踏み入れてから、どれだけの時間が経っただろう。見上げれば鬱蒼とした木々の合間に、燃えるような緋の空が見える。時間の感覚などとっくに失い、どの辺りを歩いているのかも、まったく検討がつかない。
「なあ、本当にこっちで合ってるのかよ?」
 瞬間、茂みから鼠が何匹か走って出て行って、ミリアムが思わず体をびくりとさせる。
 ミリアムはどうやら幽霊などといった類のものが苦手なようで、さっきからずっとバンダナに強くしがみ付いて時々震えていた。兎だからか物音にも敏感で、驚いた反動でたまに髪を引っ張られて痛い。何本か引っこ抜かれているかもしれない。
「おーい」
「! う、うん。そうだよ。……この先にね、”灰の騎神”っていうのがいるんだけど。リィンはそこにいるんじゃないかって思うんだ、ボク」
 軽くつついてみると、ようやくミリアムははっと顔を上げて応えてくれる。
 魔界の伝承にある、”騎神”ーー御伽噺の存在だと思われていたが、どうやらそいつは実在するらしい。圧倒的な力を持つ巨大な兵士だと言う者もいれば、目覚めた時には魔界を滅ぼしかねない恐ろしい存在だと言う者もいる。信じる者と信じない者は半々といったところか。
 ミリアムはその騎神について知っているという。それどころか、実際に騎神がいる場所を知っているからそこへ行こうと言い出した時はさすがに戸惑ったが、
『何も手がかりがないんだよね? だったら、行ってみよーよ!』
 そう言われてしまっては、何も言いようがなく。確かにそうだよなと頷いて、ミリアムに案内してもらいーー今に至る。
「……」
 歩みを進めながら、思わず胸元を握る。嫌な、予感がしてならない。森がいつも以上に暗いからでも、異様に静まり返っているからでもない。
 この先にリィンがいるのを薄々感じてはいたが、頭の片隅で、誰かが警鐘を鳴らしているのだ。これ以上近付くな、さもなくば、と。


 ぱきり、と、踏んだ枝が折れる。一歩一歩、近付いていく。背の高い真っ黒な草を掻き分けて進むと、やがて、開けた場所に出た。
「ここは……」
 空が見えなくなるほどの木で覆われた、小さな湖。何かの封印が施された大きな扉が、中央の大岩に不自然に取り付けられている。
「妙な場所だな。なんだよこの光」
 ぐるりと見回しかけて、漂う青白い光の正体を考える前に、その畔に見慣れた姿が屈み込んでいるのを見付ける。頭の上の存在を一瞬忘れて、反射的に駆け出した。
「リィン!」
 突然駆け出したせいか、頭上からわぁっ、と驚くような声が聞こえた。
 鼓動が、脈打つ。胸騒ぎが収まらない。リィンが見付かって安堵してもいいはずなのに、ちっともそれが込み上げて来ない。
 不吉な予感を告げるそれらを無理矢理抑え込んで駆け寄り、リィンの肩へ手を置く。
「探したぜ、リィン。こんなトコで何してんだ? ほら、みんな心配してっから帰ろうぜ」
 リィンはこたえない。胸を抑えるように手を添えたまま、俯いて聞き取れないほど小さな声で何かを呟いている。こっちの声が聞こえていないのか。
 前へ回り込んで、両方の肩をそっと掴んで揺する。何度か呼びかけてようやく、リィンはゆっくりと顔を上げた。
 いつもと同じ緋の瞳のはずなのに、それは妙に悍ましい光を宿しているように見えて、背筋を冷たいものが駆け上がったような感覚に陥る。普通の状態ではない事はもう、明らかだった。目の前のリィンはどこか違っていると、気付いていた。
 それでも、名を呼ぶ。気のせいであってくれと願いながら。 
「リィン、おい、大丈夫か? 気分悪いなら背負ってやってもーー」
「…………て……くれ」
「ん? 何か言って……」
 燃え盛る焔が、真っ直ぐに射抜いてくる。
 危険を察知して体を逸らした瞬間には、目の前に禍々しい焔を纏った銀の軌跡が描かれていた。掠めた前髪が僅かにそれに拐われて、はらりと宙を舞う。
 何が起きたのか。最早、考えるまでもなく。

「……逃げてくれ、クロウッ!」
 
 それは悲痛な叫び声だった。血のような赤の瞳から光が消え失せる瞬間に残された、最後のーー。
 瞬時に背負った双刃剣を手に取って、強く地を蹴り距離を取る。空いた手で黙り込んでいたミリアムを掴んで、近くにあった岩の上に座らせた。
「……攻撃しながら”逃げてくれ”はねぇだろうよ、リィン皇子。ったく、逃走失敗確定だろうが」
「ク、クロウ……」
「ミリアムはこっから離れてろ。危ねぇから」
 戸惑いながらも頷いて、ミリアムが茂みの向こうへと姿を消す。それを見届けて、再度リィンを見据える。
 リィンは、仇の息子だ。なのに助けてどうするんだと、心の中でそう言ってくる自分もいる。寧ろ、リィンという存在がいるからこそ、復讐の機会が先延ばしにされているのではないか、と。決意を揺らがせる存在ならば今ここで消してしまえばいい。
「……違う」
 それは自身へ向けた呟きか。頭を振って、邪な考えを追い払った。
 青白い光を纏った双刃剣を一度振って、風を切る。数秒の静寂。地獄の業火を纏ったようなリィンと目が合って、得物を握る手に力を籠める。

「後で文句言うなよ、皇子サマ。俺はお前を傷付けるためにこれを振るったんじゃねーからな」
 
 言い切った直後にはもう、リィンが一瞬で距離を詰めて目前に迫っていた。
 振り下ろされる太刀。双刃剣で防げば、腕に痺れが走るほどの衝撃。取り落としはしなかったものの、僅かに緩んだ隙を突いて、リィンは太刀に乗せている力を更に上乗せしてくる。
 何があったのかは分からないが、普段のリィンよりも何倍も力が増しているのは明らかだ。互角か、それ以上か。どちらにせよ、得体の知れない力を振るってくるからには、真正面からぶつかり合うのはあまり得策じゃないーーと、冷静に分析しつつ、現状を打破する策を練る。
「どうすっかな……」
 このまま押し合いをしていたって永遠に決着はつかない。寧ろこっちが先に折れる可能性だってある。
 まずは動きを止めるべきか。
 緩めたフリをして一気に力を籠め、リィンを押し返す。緩急のあるそれにほんの少しだけよろめいた隙を突き、双刃剣に霊力を流し込んだ。
「食らいやがれっ!」
 回転しながら斬り付ければ、纏わせた霊力は弧を描いてリィンを弾き飛ばす。水深が浅い部分まで後退したリィンは、髪の色をすべて銀に変えて、太刀を振り上げた。
『消え去れ……!』
「っ!」
 その間は、何秒だっただろうか。
 咄嗟に横へ跳んだ直後、一秒前まで居たところの地面は焼かれ抉り取られていた。放たれた焔の勢いは衰えもせず、そのまま背後にあった森に突っ込んで木を燃え上がらせる。それが通った後の湖の一部は蒸発して消えてしまっていた。
「……マジかよ」
 こんなのをまともに食らったら、一発で文字通り消し炭になる。ひやりとしたものが背を伝った。そしてまた、リィンは太刀を振り上げる。
 二発目。後ろで大木が倒れる音が聞こえた気がするが、気のせいだと思っておく事にした。
 三発目。やけに周りが明るくなっている。燃え広がった炎のせいか。
 四発目。間髪入れずに叩き込まれ、避けきれなかった肩に焔が掠めた。普通の火傷とは違う、内側から襲い来るような激痛に思わず歯を食い縛るが、リィンが胸を抑えて荒い息をしているのが目に入る。
「そこだ!」
 すかさず、双刃剣を投擲した。円を描きながら飛んでいくそれはリィンのヘッドホンを弾き飛ばし、旋回してこっちへ戻って来ようとする。だがそれを、ただ待っているだけでは勝てない。先程の攻撃で、そう確信した。
 目を閉じて、集中させていた霊力を拡散する。下からふわりと吹き上がった風が外套を揺らす。ひゅん、と風を切り戻ってきた双刃剣を受け止め、一気に解き放った。
「……、凍れ」
 駆動させたARCUSが仄かな光を放ったのを確認して、右手を振り翳す。
 クリスタルフラッドーー氷結の魔術。瞬時に凍り付いた湖は、鏡面の如く業火に包まれる森を映し出した後、ぱきんと割れて鋭利な氷の刃の雨を降らせた。
 氷に足を取られ、腕でリィンが顔を覆ったのを見て、駆け出す。自分の頬が切れようと構わなかった。

「目を覚ませ、リィン! ……俺の目を見ろ!」

 双刃剣で力任せにリィンの体を押し倒して、太刀をすぐには手の届かないところへ投げる。両手を抑え込み、顔の真横に双刃剣を突き立てて、組み敷いた相手へ必死になって呼びかける。抵抗されても離すまいと、力を籠め続ける。
 リィンの名を叫んだその時、ほんの一瞬ではあるものの、瞳は元の色を宿した。焔を宿す前、夜明けの空のような、優しい紫の色を。
 だから、呼びかければ戻るかもしれないーーだなんて我ながらなんて無茶苦茶な手段なのだろうと、呆れたくもなる。いつもならば敢えて危険な橋は渡ったりはしないのに、らしくないなとも思う。
「リィン」
『離せ……!』
 切れた頬から伝った鮮血が、一滴、リィンの頬へ落ちる。また一瞬だけ紫が戻るも、すぐに絶望の焔に飲み込まれて姿を隠してしまう。本当に、このまま呼びかけ続ければリィンは戻ってくるのか。リィンの体を乗っ取る誰かは出て行ってくれるのか。
 あまりに不安定すぎる手段。なくなるどころか増える抵抗。籠め続けられる力にも限度がある。
 ちっ、と舌打ちした直後、何度目か分からないが視線を合わせる。

「……クロ、ウ」

「! リィン!」
 届いた声。それは紛れもなく”リィン”のもので、先程まで聞こえていたどこか恐ろしさを含んだものではなかった。
 消え入りそうな声で呼ばれて、思わず腕の力を緩めてしまう。
 だがそれが、間違いだった。ニヤリと不敵に笑んだリィンは、抑え込まれていた腕を素早く解いて伸ばしてくる。
『……隙を見せたな』
「っ! しまっ……ーーぐっ!」
 次の瞬間にはリィンの瞳は赤へと変わり、反応をする前に首を掴まれてしまった。
 尋常でない力で締められ、そのまま視界がぐるりと回転する。まだ水が僅かに残る湖へと半ば叩き付けられるようにして組み敷かれた。身動きを取ろうにも、伸し掛かるリィンの拘束を振り解く事が出来ない。息が苦しく、次第に視界が霞んでくる。抵抗しようと腕を伸ばしても、当然、緩める事さえ叶わない。
『だから言っただろう、逃げてくれと』
「……っ……」
 リィンでない誰かが、言う。
『誰も傷付けたくなかったから、力の暴走を察知して、一人でここへ来たというのに』
 勝手に持ち上がった太刀の切っ先が、真っ直ぐにこちらへと向けられる。緋を纏わせたあの刃に刺し貫かれでもすれば、命はないだろう。跡形もなく消え去ってしまうかもしれない。
 遠のく意識。太刀が飛来するのを捉えていても、もう、どうにもならない。持ち上げた手がぱたりと落ちて、視界が黒に閉ざされる。

 ごめんな、と。
 謝りたいのはこっちの方だった。


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『やめろ……ーーやめてくれ!』

 微かに残った意識に響いてきたのは、”リィン”の声だった。
 手を動かそうとしても、動かせない。体もだった。ああやっぱりあの太刀に刺し貫かれて死んだのだろうか、などとぼんやり考えていたら、何かがぽてんと体の上に落っこちてきたような気がして、ゆっくりと目を開ける。
 霞む視界が次第に鮮明になった。燃え尽きて真っ黒になった木々を背にして、元の大きさに戻っていたミリアムが心配そうに覗き込んでいる。
「……ミリ、アム? お前が、助けてくれ……けほっ」
「ううん。ボクじゃないよ」
「なら一体……」
 誰がーーと言いかけて、体の上に小さな何かが乗っかっている事に気付き言葉を切る。
 痺れが残る腕をどうにか持ち上げて、ころんと転がしてみれば、見慣れた黒髪。よくよく見れば、いつも見ていたあの皇子の衣装。
 意識が一気に覚醒する。勢いよく体を起こし、つまんで手のひらに乗せて、身体中を走る痛みを忘れてまじまじと観察する。
「な、なんだこれ……リィン?」
 リィンだ。間違いなく、リィンだ。体を丸めて眠ってしまっているが、紛れもなくこの小さい生き物は、
自分のよく知る魔界皇子・リィンだ。
 頬がやけにぷにぷにしている。面白くてつっついていたら、逃れるように寝返りを打ってしまった。
「クロウ、何があったの?」
「はは、それは……俺の、台詞だっての……」
 ぐらりと傾いた体をそのまま重力に任せて、仰向けに寝転がる。
「あれっ、帰らないの?」
「悪りぃ、ちっと寝させてくれ」
「あっ、じゃあボクもー!」
 ミリアムが隣に転がって、小さくなったリィンをそっと目の前に置く。

 帰ったらどうやって説明すりゃいいんだーーこれ。

 そんな事を頭の片隅で考えながら、押し寄せる痛みを無視して目を閉じた。








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ヴィータ「……って劇はどうかしら、学院祭」
クロウ「セットが大掛かりすぎんだろ……間に合わねぇな」
ヴィータ(ツッコむのはそこなのね)
クロウ「?」


 
設定は矛盾するかもしれないけど書きたかった。

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