残照の路

 自分だけが犠牲になればいい。俺が命を差し出してみんなが助かるのなら、それでいい。己が消えた世界でも、自分の大切な人達が笑って生きていけるのなら――。

 それはずっと、ずっと彼が抱え続けていたものだ。それでは駄目だと何度言い聞かせても、他人から指摘をされても、なかなか直す事が出来ない。
「リィンはさ、ジコギセイって知ってる?」
 陽霊窟から戻る途中、ミリアムがリィンへとそう問いかける。
「知ってる、けど……どうしたんだ、突然?」
 二人の目線は合わなかった。ミリアムはどこか遠くの空、夕暮れのある方角を見つめていたからだ。
 少し間を空けて、何かを恐れるかのように、ミリアムは胸元に当てた手を握った。
「……ボク、さっきちょっと怖かった≠だ。ボクは目の前で、みんなを失っちゃうのかなって――ボクはそれを、見てることしか出来ないのかなって」
 ミリアムがポーチから取り出したのは、トールズの学生手帳と、みんなで撮った集合写真だった。
「これを持ち歩いちゃうくらい、ボクはリィン達のことが大好きなんだなーって思ったから。大切な≠ンんながいなくなっちゃったら、きっと悲しい≠チてなると思うんだ」
「……ミリアムも、本当に成長したよな。あの戦いの後にも思った事だけどさ」
「えへへ……リィン達と一緒に、《Z組》として過ごしたからかな?」
 共に過ごした日々が、理解する事の出来なかった感情の名前を、ミリアムに教えた。造られた存在であっても、心が確かに在るのだと証明した。
 一回りは小さな手で、ミリアムはリィンの手を掴む。そこから伝わるあたたかさに思わず安堵してしまった事に、リィンは内心で首を傾げた。
「リィンがその力を使って無茶をして、みんなを守ろうとしたこと……それが正しいのか、間違ってるのか、まだボクにははっきりとは分かんない」
 残照が差す。リィンを見上げるミリアムの瞳には、いつもとは少し違った光が宿っているようにも見える。

「でもさ、リィン。ボク、分かったんだ。守りたい≠チて思う気持ち≠フこと――」


 ◆


 動け、動かなければとリィンが自分に何回言っても、全身に走る激痛がそれを許可しない。これから起こるであろう事が過ぎっても、言う事をきかない。二度と繰り返さないと決意した事が忍び寄っていると、分かっているのに。
 起動者へのフィードバックの影響で、黒の聖獣によって身体を喰い千切られるような痛みが続く。腕を動かす事すらも叶わない。朦朧とする意識の中、リィンへ押し寄せるそれは、心の奥底へと静かに伸びていく。
 命にかえても守ってみせる、と。Ozに与えられた役目に関係なく、ただただ守りたい≠ニいう気持ち≠フままに、ミリアムは――。

「ミリアム――――ッッ!!」

 無慈悲な一撃が、容赦なく振り下ろされる。
 ユーシスの悲痛な叫びが木霊して、目前の光景がスローで流れてゆく。
 庇い、宙を舞ったミリアムの小さな体からは、深紅が、命が流れ出ていた。ばらばらにされたアガートラムは、二度と動かない。
 ヴァリマールの手で受け止められたミリアムは、自身の体から命の粒子を散らしていた。それが意味する事など、考えなくても分かってしまう。
 良かった、と呟いて、ミリアムが笑った。
「……ボク………………守れた……よね……?」
 それは《Z組》の中で得た感情に、突き動かされたが故の行動だったのだろう。ミリアムは守りたいと感じた≠烽フを守った。共に沢山の思い出を作った《Z組》を――妹のように感じていたアルティナを、己の体を張って。
『大切な≠ンんながいなくなっちゃったら、きっと悲しい≠チてなると思うんだ』
 寂しい。嬉しい。そして、悲しい。当たり前の感情を知らなかった彼女は、Z組として過ごす中で、心を知った。想いを受け取り、想いを抱くようになった。《Z組》と何も変わらない、一人の人間として、懸命に生きていたのだ。
 光が強まる。それはゆっくりと収束して、やがて一本の剣になる。
 彼は手を伸ばして、その剣を握った。感じる重みは、その輝きは、ミリアムの魂そのものなのだろう。
 リィンの中で鼓動が大きく響いて、沸き上がるものが枷に亀裂を入れた。

 消してやる。殺してやる。ミリアムの命を奪ったものを。彼女達をそんな理由で造り、命を弄ぶような真似をした者を。それを踏まえた計画を進める者を。
 ――許さない。勿論、何も出来なかった、愚かで無力な自分自身も。
 消してしまえばいい。奪ってしまえばいい。
 ――誰を? 何を?
 黒の聖獣を、黒のアルベリヒを、ギリアス・オズボーン宰相を。この剣で、息の根を止められる。屠れるのだから。
 ――聖獣を殺してしまったら黄昏が、

 掻き乱され、シャットダウンされた思考。黒い感情が何かに後押しをされて、リィンの全身を最悪な形で奮い立てる。染まれ、浸れと彼に語りかける声が、理性を上書きして意識を飲み込もうとする。
 昏い焔がリィンの心を満たして、抗う術を奪っていく。
 手にした終末が、帝国に眠る黄昏を導こうとする。
 行き場のない感情が、正しく在れない心が、鬼の力と共に揺らぐ。
 痛い。悲しい。苦しい。辛い。嫌だ――幾つもの刃が、内側から突き立てられる。
「うおおおおおおオオッッッ!!!」
 それは表に出る事のない慟哭を滲ませた、鬼の咆哮。
 リィンの心を掬い上げ、フィードバックを受けたヴァリマールもまた、禍々しい姿へと変貌する。
「……滅ビヨ――――」
 黄昏によって掻き消された夜明けは、光を失った。
 盤上で踊り、狂わされた灰色は、舞い散る緋色の中へと消えていく。



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