閃VカウントダウンSSまとめ
閃の軌跡V発売カウントダウンで書いていたSSのまとめです。
発売前に書いたものなので一人称などが異なるかもしれません。

【追憶と刃】
 過ぎる思い出が、微かに刃を鈍らせた。脳裏に焼き付いて離れないあたたかな――けれど、ずっと抱いていくにはあまりにも儚いそれが、沸き上がる。
 暗闇を燃え上がらせる、焔を宿した一撃。直後、舞い上がる炎の合間から飛来した弾丸を、リィンはどうにか身を引いて回避する。
 ――駄目だ。気を抜いてはいけない。
 切れた頬から僅かに流れた血を拭いつつ、彼は太刀を振り抜いた。蒼のジークフリードの銀を少しだけ拐って、その一閃は焔の軌跡を刻む。
 リィンが放った弧を描く影の衝撃波を銃撃で相殺し、一瞬で距離を詰めた蒼のジークフリードは、彼の眉間へと銃口を突き付けた。
 引き金に、指は掛けられていない。
「お前は、何の為に剣と力を振るっている?」
 掠めた弾丸。掠めた刃。
 はっとしたようなリィンへ畳み掛けるように、蒼のジークフリードは言葉を続ける。
「後悔のないように、やり遂げる事が出来るのか?」
 太刀の軌跡が、空を斬る。
 銃弾の軌跡が、闇へと消えていく。
 そのまま互いに距離を取り、二人は真正面から再び対峙した。銃口と太刀の切っ先が、同時に向けられる。
「来い。リィン=v
 蒼のジークフリードは、初めて呼ぶ。目の前に居る存在が持つ名を、どこかの誰かを思い出させるような声色で。
「……俺は――――」
 それ以上の言葉を飲み込んで、発さずに、リィンが太刀を強く握る。浮かび上がった戸惑いを打ち消して、暁に宿っている光を掴み直す。
 彼は不敵に笑った。

「見せてみろ。お前自身の価値を」

 蒼は言う。
 灰色の騎士、帝国の若き英雄、分校の教官、鉄血宰相の息子、灰の起動者としてではなく、その根底に存在するものの価値を示せと。


【指の隙間から零れ落ちるのは】
 届くことのなかった思いと、己の無力さに苛まれながら――
 ただひたすらに燃え盛る焔≠ノ抗い続けていた――

 ◆

「リィン教官!」
 名前を、誰かに呼ばれている。けれど、それが誰なのかを、リィンにはもう判断する事が出来ない。
「皆は……逃げて、くれ……っ」
 不穏な鼓動が自分の中で響いて、彼はどうにか言葉を絞り出す。胸を押さえたまま、苦しげに発されたそれに、ユウナ達は戸惑う事しか出来なかった。
 幾つもの死線を潜り抜けても、及ばない力がすぐそこにある。無力さを叩き付けられ、傷付いたユウナ達を見た瞬間、リィンの中で何かが弾けた。
「早く……!」
「で、でも教官が!」
 抑え込まれている力≠ヘ、不安定に揺らぐ焔≠ヘ、リィンに言葉を使わずに語りかける。守りたいのだろう、傷付けさせたくないのだろう、と。
 全部引き出せば、おそらく命はない。それはリィン自身で分かっていた。それでも、背後の生徒達を守れるのならば――と、僅かに生じた隙間に、鬼の力は入り込んで内側から彼を飲み込もうとする。

 己の命と、天秤にかけるまでもない。
 どちらが重いかなんて、判断するのに一秒も要らないのだ。

 鬼の力を制御していた光が――掌で受け取っていたものが、するりと抜けて落ちてゆく。あたたかな光を目で追うだけで、手はもう、動かす事が叶わない。消えてしまう。失くしてしまう。
 沸き上がる力が抑えきれず、制御不能のそれは、彼の自我さえも奪おうと手を伸ばしてくる。すべてを委ねて堕ちてしまえばいいと、抗おうとするリィンの身に、少しずつ染み込ませるかのように囁く。

「――――リィンッ!!」

 意識が黒に塗り潰される寸前――懐かしい声が、確かに届いた。


【遠くて近い光】
 手の届かなかったもの。守れなかったもの。
 奪われた大切な場所と、見失いかけた誇りと、それから――。

 クルトが控えめに名前を呼んでも、ベッドの上で膝を抱えたまま、ユウナはぴくりとも動かなかった。
「……無理に返事はしなくていいから、僕の言葉を聞いてくれないか」
「…………」
 そっとその隣に腰掛けて、彼はユウナの肩へと手を置く。
 クルトは心の中で、浮かび上がった言葉を拾い上げる。それをユウナがどう受け取ってくれるのかは彼には分からないが、どうしても、言わずにはいられなかった。放ってはおけなかったのだ。

「ユウナ、君の踏んばりどころはここ≠カゃないのか――?」

 ◆

 異形としか言いようのない建造物が、高く聳え立つ。周囲は異様な気配に満ちていて、気をしっかり持たないとその雰囲気に飲み込まれてしまいそうなほどだ。
 ガンブレイカーを強く握り締めるユウナ。それに気が付いたクルトは、自然に彼女へと歩み寄り、その肩へと手を置いていた。
「ユウナ。……今の僕たちなら、やれるはずだ」
「……クルト」
 はっとしたユウナが、クルトの方へと振り返る。
「……。前も、そうやってあたしの背中を押してくれたよね。クルトは」
 彼女の翠の瞳に、クルトの青灰が映り込む。生温い風がそれを揺らして、二人の間を吹き抜けてゆく。
「ありがと。もう迷わないから、大丈夫。安心して任せて!」
 明るく笑ってみせたユウナを見て、クルトも微かに笑った。
「それは僕の台詞でもあるな。……示そう。互いの誇りを――この手で」
 軽く打ち合わされる手と手。二人を繋ぐ戦術リンクの光が、一瞬強く輝く。
 駆け出したユウナの横に並んで、クルトも先行するリィンの後を追った。


【夢は夢のままで】
 時が止まった、夕暮れの学院。誰も居ない校舎を、白を翻して歩いていく。――ああ、またこの夢≠ネのかと、一つだけ息を吐いた。
 時計の前で立ち止まる。少し待っても、その針はやはり、進む事はない。
「……」
 橙色の光が、静寂と混じる。リーヴスに来てから時折見る夢=\―今まで、誰にも会う事はなかった。けれど、今回は、妙な胸騒ぎがするのだ。
 ――行ってはいけない。近付いてはいけない。あの思い出の場所に。
 どこからか響く警鐘。それでも、足は勝手に動く。

 ふと気が付いた時には、俺は《Z組》の教室の前にいた。
 一度だけ息を吸って、吐く。そして、毎日のように開いていた扉を開く。
「……っ!」
 扉に掛けていた手から力が抜けて、まるで落ちるように下ろす。なんとなく、分かってはいた。気配はあったのだから。
 言葉を発そうとしても、痞えたように出てこない。言いたい言葉は溶けて、そのまま消えてしまう。
 俺に気が付いたその人は、ひらりと手を振った。

「よう、リィン。そんな顔してどーしたよ?」

 忘れたくなくとも徐々に消えていく声が、そこにある。腕の中で失った存在が、そこにいる。胸元を強く握って、差し込む眩しすぎる夕陽から目を逸らした。
 俺が着ている服は、いつの間にか、赤の制服に変わっていた。視線も、ほんの僅かに下がった気がする。それが何を意味するのかは、すぐに分かった。
 見慣れたカードを机の上に広げるクロウの姿は、何一つ変わっていない。嘘も真実も溶かして隠す緋色の瞳には、今の俺は、どう映っているのだろう。

「なんでもないよ」

 言葉を絞り出す。学院生の俺≠ヘ、上手く笑えているだろうか。


【毎朝苦戦を強いられる】
「リィン教官」
 教員室を訪れたユウナに、リィンは突然両肩をがっちりと掴まれる。
 視線が合う事はない。何故か、ユウナは彼の髪をまじまじと見つめているからだ。
「ユ、ユウナ? どうしたんだ」
「リィン教官って、髪のクセ強いんですか?」
「えっ」
 桃色の手鏡を取り出して、彼女はそこにリィンを映し出すように向ける。それを見て、彼は朝、鏡の前でいつもよりも苦戦を強いられた存在を思い出した。
「ここ、朝よりもハネてる気がして……やっぱり気のせいじゃなかったみたいです。うーん、これはちょっと手強そうね」
 考え込むような仕草をした後、ぴこんと電球を頭上に浮かべて、ユウナは懐のポーチから何かを取り出す。

「そうだ――ヘアピンで留めちゃいましょう、リィン教官。それがいいと思います!」
「へ……」

 思わず間の抜けた声を発するリィン。何本かを並べて、どの色にしようかと考え始めるユウナ。
「い、いや、ユウナ……心遣いは嬉しいけど、俺はあまりそういうのは――」
「大丈夫です、予備は沢山ありますから」
 それはあまりにも純粋な、笑顔と気遣い。
 もう逃げられない――。
 リィンの視界の片隅から、トワが微笑ましそうな視線を向けていた。

 ◆

「午後は実技に変更する。準備をしてグラウンドに来てくれ」
「……!」
 入って来たリィンを見るなり、クルトは目を瞬かせる。
「……クルト」
「……っ、わ……分かりました」
 足早に教室を出て行くクルトは、リィンとは目を一秒も合わせなかった。その肩が少しだけ震えていたのを確かに見たリィンは、溜め息を吐く。
「彼……少し笑っていましたね」
「目を逸らしながら言わないでくれ……」
 彼の髪につけられた紫のヘアピンが、窓から差し込む午後の日差しを受けて、一度だけ光った。


【一つ増える禁止要請】
 ふと思い出したものがあり、リィンは手にしていたレシピメモを置いた。
 短い追憶の旅に出る。記憶に刻まれた味を、どこまで再現出来るだろうか――。



「これは……ハンバーガー、ですか?」
「挟まっているのは肉ではないんですね」
「フィッシュバーガー、って言うんだ。俺の悪友≠ェ、一度だけ作ってくれた事があるんだけど」
「教官の悪友?」
「ああ。あいつの故郷のソウルフードらしい」
 少しだけ遠くを見つめたリィンは、そう言って、椅子を引き腰掛ける。
 冷めないうちに食べよう、と彼が促すと、アルティナがそっと手を挙げた。
「一つ、確認させてください。リィン教官」
「ん?」
 アルティナはフィッシュバーガーの横の皿を指した。
「こちらは何でしょうか」
 レタスの上に、名前が分からない物体が乗せられている。食べられないわけではなさそうだが、得体の知れない事には変わりない。
「? シーフードサラダのつもりなんだが……」
 何か間違えたかな、と。苦笑するリィンの前で、生徒三人は皿を覗き込む。
「……僕の記憶と食い違う……」
 シーフードと呼べそうな具材が見当たらない。クルトが端正な顔を引き攣らせた。
「ねばねばしていますね」
 アルティナが正体不明のそれをフォークで持ち上げると、何故か糸を引いている。
「きょ、教官! 一体どこをどう間違えたらシーフードサラダがねばねばサラダになるんですか!?」
「うーん、そうか。それなら今度はまたオムレツでも――」
 頭を掻いて、手持ちのレシピメモを捲るリィン。
 ユウナは思い出す。以前リィンがそれを作った際の、厨房の惨状を。
「オムレツは爆発させるから禁止ですっ!」


【褪せぬ空の下で】
 ノルドの星空は、あり得るはずのない再会も穏やかに見守っている。

 何かを喋らなければ、と思わせるような沈黙ではない。故に、クロウもガイウスも夜空を見上げたまま、しばらく言葉を発しなかった。
 すべてを語るには、きっと時間が足りない。今自分達がいるのは、夢幻のような刻でしかない――それは、互いに分かっていた。
 短いような、長いような静寂が二人を包む。
「――考えていた事がある」
 流れてゆく時間の感覚が僅かになくなってきた頃、ガイウスはクロウを見遣って口を開く。
「いや……感じた事、と言うべきだろうか」
「何を?」
 長い外套を翻して、ガイウスは空に浮かぶ月を眺める。そんな彼を、クロウは岩に背を預けたままぼんやりと見つめていた。
「《Z組》は、一つの色≠セ。立場も生まれも違う、様々な色≠ェ集って出来ている……そして、そんなオレ達だからこそ――この帝国を変える事が出来ると信じている。皆が違う道へ歩んだからこそ、それぞれの立場から見えてくるものもあるだろう」
 一つでありながら、その中は一つではない。美術部に所属していたガイウスらしい言葉を、クロウは黙って聞いていた。
「ただひたすらに、前へ=\―クロウの言葉は、オレ達の胸に確かに刻まれている。共に過ごした時間は短かったかもしれないが、同じトールズ士官学院≠フ仲間なのだと、思い返して実感した。その中で築いたものが偽りだったのかは、オレには当然分からないが……その言葉は、オレ達を信じてくれたからこそのものだと思っている」
 クロウの緋色と、振り返ったガイウスの蒼穹が混じり合う。

「だから――オレは護り抜くと誓おう。クロウの信じたものを、この翼と槍で」

 一回り大きくなった姿。十字槍を手にする姿は、頼もしいの一言に尽きる。
 あまりにも真っ直ぐで、飾らない言葉が、クロウへと届く。力強い、けれど穏やかな風が吹き抜けた後のような感覚に、彼は頭を掻いて苦笑した。
「……はは、敵わねえなぁ。お前さん、セリフがクサすぎるって言われた事ねーか?」
「リィンに言われた事はあるが……そのまま返した記憶があるな。おそらくお前の影響だろう、と」
 そうなのか、と。ここには居ないリィンが首を傾げたような気がして、二人は顔を見合わせて自然と笑った。
「クク、違いねえ」


【教官のマル秘名簿】
 リィン・シュバルツァーは、教官になってから初めて、頭を悩ませていた。
 その原因は、彼の目の前に置いてある名簿にある。
「……」
 自室で机に向かってから、約三十分。とある人物から分校の情報を纏めておくように依頼され、作業に取り掛かったのは良かったが、ある問題が彼の手を止めさせていた。
「ここは自由に、その生徒や教官の事が分かるように埋めてくれって言われてもな……」
 ページの三分の一ほどに設けられたフリースペース。学院にあるデータや資料だけでは、埋める事の出来ないくらいの余白。
 個性を記しておくのならば、こちらから何か質問をして、その回答を記載しておくのが良さそうだというところまでは辿り着いていた――が、肝心の質問をどうするかがなかなか決められず、今に至る。
「…………」
 カチコチと、時計の針は進む。
 更に十分。リィンは考えに考えて、三つの問いかけを書き出した。

好きな食べ物は?
好きな色は?
趣味は?

 とりあえず話題作りは大事だろう、そうリィンは己に言い聞かせる。少しでも打ち解けるきっかけになればいいと、ささやかな望みも籠めていた。
 ただ、これだけではしっくりと来ない。もう一つくらい、何からしい℃ソ問を置いておきたい。
 リィンは思案しながら、持っていたペンを一度くるりと回す。
 何気なく視線を向けた先には、授業で使う教本があった。
「そうだ」

得意教科は?

 少しはそれらしい感じになったな、と、一人納得したように、彼は頷く。
 明日から早速、学院中を回らなければ――。
 椅子に腰かけたまま伸びをしてから、リィンはペンを置いた。


【夜明けを秘めたあの色を】
 自室で、椅子にちょこんと座るアルティナ。彼女の前には一枚のキャンバスがある。そこには、アルティナが所属するクラス――特務科Z組の担当教官であるリィンが描かれていた。
「思い出せません……」
 彼女の手を止めさせていたのは、リィンの瞳の色だった。
「どこかで見た色なのですが」
 パレットの上で様々な色を作りながら、アルティナは首を傾げる。どうしても上手く作れず、思い返そうとすると、記憶が混じり合ってしまうのだ。
 単純な紫ではない。けれど、何かの狭間のようなあの色は――。

 ◆

 控えめにアルティナがドアをノックすると、少ししてからリィンが顔を出す。
「夜分に失礼します」
「アルティナか。どうしたんだ?」
「……」
 じっ、と彼女はリィンを見つめる。彼に穴が空くのではないかと思えるほどに。
「アルティナ?」
「少しだけ屈んでもらえませんか」
 淡々と告げられた要望。意図が読めず、リィンは頭上に疑問符を浮かべた。
「? 構わないけど……」
 膝を立てて姿勢を低くしたリィンの瞳を、アルティナはまじまじと見つめた。
 脳裏に、その色を焼き付ける為に。

「……」
「……」

 時計の針の音が、どこからか響いている。

「…………」
「…………」

 六十の針が二回ほど回った後、アルティナは小さく頷く。
「用は済みました。おやすみなさい、リィン教官。明日も宜しくお願いします」
「あ、ああ。おやすみ……?」
 視線が向けられているのを感じながらも、アルティナは振り返らずに歩いていく。
「夜明けの空――暁、黎明……とも言いましたか。あの色だったんですね」


【夜明けを失った日】
 未来が失われる。世界が夜に閉ざされる。
 危機に瀕したその時、リィンは己に課せられた使命を思い出した。
「皆は早くここを脱出してくれ。俺は、あれを止めないといけない」
 一歩前に進み出て、リィンは太刀を握る。
「だ、だけど……! もしそれを止めたとして、リィン教官は帰って来られるんですか!?」
「……」
 彼の胸に去来するのは、悲痛な叫びと、切実な願いと、消え去った大切なものへの想い。――悔いても遅い。それは分かっている。だからこそ、手が届くものだけでも、壊させはしない。
「リィン教官」
 駆け寄るアルティナ。
「……」
 彼は振り返らない。
「教えてもらっていない事が沢山あります」
「俺以外の教官でも教えられるよ」
「料理を教えてくれる約束はどうなるのですか」
「……結局、オムレツは成功しなかったな。ごめん」
「まだ、スケッチの彩色を終えていません」
「写真が俺の机の中にあるよ」
「っ、あなたはどうして――――」
 守れなくしてしまった約束。その重みを受け取っているリィン。
 アルティナが彼の上着を一度、強く引っ張る。

「……わたし達のクラスは……特務科《Z組》の教官は――リィンさん、あなたしかいません!」

 アルティナの瞳には、一筋の光が宿っている。
 思わず振り返るリィン。それが何を意味するのかは、すぐに分かった。
「…………ありがとう。その言葉が聞ければ、俺は十分だ」
 リィンは笑う。どこまでも穏やかに、けれど、心の底から嬉しそうに。

「道は俺が拓く――行ってくれ!」

 閉ざされた道を切り拓く代償となるのは、明日への鼓動。
 光が閃く――己の居ない未来へと。


【Progress】
「前にね……クロウ君が遺した言葉を振り返って、アンちゃんがまるで呪いじゃないか≠チて言ってたんだ」
 夕暮れの教員室。
 俺の方を振り返って、懐かしむような声で、トワ先輩はそう言う。
「呪い、ですか」
 背を押しながらも、楔のようなものでもある言葉。それは、間違ってはいないのだろう。
 俺は自然と、胸元を握っていた。
「でもね、すぐに笑ってこう言ってたんだ。だけど、それは悪い呪いなんかじゃないって、私達が証明してみせないとね≠チて。ふふっ、アンちゃんらしいなぁって思ったよ」
「アンゼリカ先輩……」
 ぱしりと拳を掌に打ち付ける姿が過った。
 十九年という短い時間を、閃光のように駆け抜けて行ったクロウ。あいつの人生が無意味ではなかったという事は、これからを生きて行く俺達が証明する事が出来る。
 その残照は確かに存在していた。

「夜明けの前が一番暗い、って誰かが言っていたけど……今がその時なら、必ず帝国の夜は明けるって、わたしは信じてるから」

 トワ先輩が見つめる先には、夕焼けがある。一日が終わりへ向かう、そんな色だ。
「そうですね。……俺も信じていますし、出来る事があるなら全力で挑みます。アリサや《Z組》のみんな、同じ士官学院の仲間だって、今もこの帝国やゼムリア大陸のどこかで頑張っている――そう思うと、俺も負けていられないな、って思うんです」
 拓いた道を前へ。輝ける明日へと、一歩ずつ踏み出していく。
 あの日の約束を果たす為にも――そして、行き着く先を見据える為にも。
『へへ、そうすりゃ、きっと――……』
 信じたいと思ったのだ。俺達を信じてくれた、あいつを。


【ただ、希う】
 夕暮れが眩しい。カーテンを引く為に、椅子から立ち上がり――懐から重みを感じて、リィンはふと、思い出す。
「そういえば……」
 街で偶然手に入れた、流行っているらしい新種のカードゲーム。ヴァンテージマスターズ、という名のそれを、懐に入れたままだった。
 重みによって存在を主張してきたデッキを、彼はそっと机の上に置く。真新しいそれは、見覚えのない絵柄ばかりだ。
「……」
 過るのは、トリスタで流行っていたあのカードゲーム。どこぞのろくでなしの上級生が流した、とミヒュトが言っていた、確かに煌めいていた思い出の一欠片。
 リィンは机の奥から取り出した、銀に光るものを、そっと鍵穴に差し込む。かちり、と音を立てて開かれたそこには、かなり使い込まれたカードデッキがあった。

 ――ああ、これもきっと証≠ネんだな。

 ブレードのカードを一枚手に取り、リィンが僅かに表情を和らげる。優しい記憶に、今は突き刺さるものはない。
 追憶の中から穏やかな時間を拾い上げて、彼は愛しかった季節を思い返す。
「新しいカードゲーム、らしいんだ」
 窓際に小さなテーブルを引っ張っていって、そこにブレードUのカードを広げる。
 対戦相手のいない、卓上の遊戯。リィンがカードを並べ終えると、開かれていた窓からは、応じるかのように穏やかな風が吹き込んだ。
 窓の外を見て、頬杖をつくリィン。風が揺らして行った黒髪が、陽光の橙を吸い込んで一瞬だけ透き通る。
「慣れるまで時間がかかりそうだよ」
 だったらお前が広めちまえよ――と。
 ぱちりと片目を瞑って、そんな事を言うあいつ≠想像する事は、まだ難しくはない。


【お前が見ていた蒼は】
 潮風が心地良い時刻。沈みゆく橙は、海まで染めて水平の彼方へと消えゆく。
 海沿いにある小さなベンチに腰掛けて、リィンは一人、食べ終えたばかりのフィッシュバーガーの包みを畳んでいた。
「お前が作ってくれたのも、こんな味だったんだよな」
 周囲には誰も居ない。彼の独り言はそのまま風が運んで、やがて溶けてしまう。
 蘇るのは、白銀の巨船での記憶。初めて口にしたフィッシュバーガーの味と、クロウが語ってくれた過去の断片は、今でもはっきりと思い出す事が出来る。
「スタークから色々、聞いたんだ。ジュライの真実を。……教官がどうしてそこまで気にするんですか、って、不思議そうに言われちゃったけどさ」
 主計科の生徒が浮かべた表情が過って、リィンは思わず苦笑した。\組の担当教官であるトワも、少しだけ思うところがあるのか、時々話を聞いているらしい。
 空を見上げる。波の音だけが耳に届けられる。雲の合間を縫って飛んでいるように見える鳥は、どこへ向かっているのだろう。
「おーい、早く帰らねーと怒られるぞー!」
「あっ、置いてかないでよ〜!」
 幼い子供が二人、遊びに使っていたのであろうボールを抱えて、リィンの座っているベンチの後ろを駆け抜けて行く。
 無邪気な声を聞いて、彼は無意識にその背を見送っていた。
「……」
 失われてしまったものは小さな、小さな欠片となって、散らばっている。街を歩きながら、リィンはそう思っていた。
 最後の市長が守りたかったものは、今もきっと――。
「ジュライ市国=c…か」
 ぽつりと零して、リィンはベンチから立ち上がる。
 一際強く吹いた風が、彼の白を翻して走り去って行った。


【拝啓、二十歳の俺へ。】
 これを読む頃、貴方は一体何をしているのでしょうか。今の俺には、想像も出来ません。

 二十歳の俺は、道を見付けられているのでしょうか。或いは、求めて歩き出す事が出来ているのでしょうか。
 少し前、政府の要請に応じて、戦地に赴き――大砲の音が、戦火の音が耳に入るたびに、掴みかけた光が消えてしまうような……見つけられそうだった道が閉ざされそうになる気がして、怖くなりました。
 自分を殺して戦場を《灰色の騎士》として駆け抜けて、これは俺が負うべき責任なのだと言い聞かせて、足を動かしました。ただ、ひたすらに。
 俺は、どこへ向かっているのか。
 俺は、何がしたいのか。
 どうして、ここに立っているのか。
 どうして、力を振るっているのか。――それでも、見失いそうになりました。
 だけど、Z組のみんなと連絡を取る中で、決して消えない光が一筋ある事に、気がつく事が出来たんです。繋がってくれていたそれが、閉ざされそうになっていた道を拓く手助けをしてくれました。
 Z組のみんなが、士官学院の仲間が、己の信じる道を歩んでいる。バラバラに思えても、どこかで交わっている。
 その事実が、俺の道を照らしてくれました。

 ――答えなんて、どこにも落ちてはいません。夢を見て憧れても、両手を差し出しても、出てきてくれるものではありません。
 真っ直ぐに進んできた道を振り返れば、そこには、色々な記憶が落ちています。あたたかなものも、楽しいものも、悲しいものも、辛いものも全部、今の俺を形作っている欠片です。

 俺の刻んだ軌跡が、貴方の答えに繋がっていますように。

 ――リィン・シュバルツァー


【《Z》の名のもとに】
 飾ってあるそれを見て、まるで昨日のように思い出せる、大切で愛おしい記憶。
『こ、この人数で収まるのか?』
『詰めればなんとかなるでしょ。ほら、アンタ達も並びなさい』
 この時は思いもしなかった。当たり前のように続いて行く毎日が、突然終わりを告げる事も。当たり前のように居た人が、突然居なくなってしまう事も。
『あんだと〜? 言うようになったな、リィン後輩?』
『どこかの悪い先輩のおかげかもな』
『あはは……リィンって時々容赦ないよね』
 トールズ士官学院で生徒として過ごしたあの日々は、宝石となって、心の宝箱にそっとしまってある。失くさないように、壊されないように。
『みんな、ありがとう。――また会おう。必ず』
 光り続けている欠片は、今も、心にあたたかな光を灯してくれている。

 ◆

「このZ組で良かった≠チて思えて、笑って別れられる――そんな風に君達には卒業して欲しいと、俺は思ってる。いや……願ってる、と言った方がいいかな。あとで思い返した時に、少しでも煌めいて見えるような……かけがえのない時間を、この第二分校で沢山作ってくれ。そして、今しか得られない何かを掴んで欲しい」
 教え子三人は、黙って耳を傾けてくれている。――今は、微かな蟠りという壁に阻まれて、はっきりとは届かないかもしれない。
 それでも。
「それは、社会に出たら何の意味もない、儚いものかもしれない。それでも、どこかできっと、君達の血肉となり、大切な財産となってくれると思う=v
 記憶の頁を一枚一枚捲りながら、続ける。確かに心に染み入りながらも、普段との差に思わず笑ってしまったサラ教官の言葉は、忘れるはずがない。

「――少なくとも俺も≠サう信じてるよ」


【閃け、黎明の彼方まで】
 ――自分は誰なのだろう。リィン≠ニいう名前以外、すっぽりと抜け落ちたように、何も分からない。何も。

 黒髪のまだ幼い少年が、雪の降る山を一人で歩いていた。さくり、と積もった白を踏みしめる音だけが、彼の耳に届けられている。
 暁の瞳を持った少年は、少しだけ俯きながら、目的地も決めずにただ歩いて行く。どこへ向かうのか、そもそもここはどの辺りなのか、それすらも分からない。
 少年は見失っていた。自分という存在を。
 自分がシュバルツァー家に拾われた子どもである事、そのせいで、テオが社交界へ顔を出さなくなった事、そして――
『これは、僕が……やったの……?』
 エリゼと二人で山へ行って野生の熊に襲われた時の事が、幼いリィンの心に、容易くは解けない鎖を巻き付けさせていた。
 視界が赤に染まった後の記憶と感覚は、はっきりとは覚えていなかった。リィンの中で何かが弾けて、ふと気が付いた時には、襲って来たそれは鉈で切り裂かれ、深紅の中に沈んでいたのだから。
『……僕が、殺した…………』
 あの時、何が起きたのかを思い出そうとして、心が拒絶する。生々しい感覚を、噎せ返るような臭いを、記憶の彼方に置いておく事を無意識に望んでいる。
「――――ッ!」
 足を止めて、リィンは灰色の空を見た。過ぎりかけた鮮血の記憶を遠ざけるように、ふるふると首を振る。
 一面を覆う灰色からは、白が降り続けている。リィンが着ていた赤い上着にもすぐに積もっていく。
「……僕は……どうしたら……」
 心の行き場をなくした迷子の独り言に、応じる声は当然ない――――はずだった。

「君は、迷子なのか?」


 突然声を掛けられて、びくりと肩を跳ねさせる少年。踏み出しかけた足が、ぴたりと止まる。
 おそるおそる振り返ると、その先には、白を纏った黒髪の青年が立っていた。雪景色の中に佇む姿が、妙に様になっている。
 少年は思わず問う。
「だ、だれ……?」
 リィンと同じ暁の瞳を持つ青年は、苦笑いを浮かべた。
「ごめん。驚かせる気はなかったんだ」
 驚くなという方が無理があるが、リィンは不思議と、突然現れたその青年に対して恐怖心を抱かなかった。
 ゆっくりと、青年がリィンへと歩み寄る。一アージュほどの距離まで近付いて、青年は、リィンの前へと屈んで視線を合わせた。
「一人で雪山を歩いているのを見かけたから、つい」
 ユミルにこんな人は居ない。となると、観光に来た人なのだろうか。
 一体この人は誰なんだろう、と疑問に思うリィン。数秒後、幾つかの可能性を幼い彼なりに考えて、最もあり得そうなものをリィンは拾い上げた。
「もしかして、お兄さんは迷子?」
 こてん、と首を傾げながらの問いかけに、青年は僅かに目を丸くする。どうやら、予想していなかったものだったらしい。
「えっ? う、うーん……そうだな」
 考え込むような仕草をして、青年が言葉を探している。何故迷う必要があるのだろうと、疑問に思う気持ちは、リィンの中には沸かなかった。
 少し経ってから、青年は一つだけ指を立てて、口を開く。
「――正解。俺も迷子≠ネんだ」
 青年は迷子≠フ部分だけ少し違う言い方をしていたが、リィンがそれに気が付く事はなかった。


 ユミルの方角が分かるという青年に手を引かれて、リィンは山道を歩く。それなら迷子とは言わないのでは、と思う部分もあったが、特に尋ねる事はしなかった。
「お兄さんは、どこからきたの?」
 純粋に気になった事を、リィンは問いかけてみる。
「遠いところ、かな」
「どれぐらい遠いの? 歩いて行ける?」
「歩きか……ちょっと厳しいな」
 青年が灰色の空、その彼方を見つめて苦笑する。どこか遠くを見ているように思えるのはきっと、リィンの気のせいではないのだろう。
 ふと、リィンは青年が携えているものに気が付いた。剣のように思えるが、僅かに違って見えるそれに、そのまま自然と目が惹かれる。
「それ、重そうだね」
 何を指しているのかすぐに分かったようで、青年は紫の鞘を手で持ち上げた。
「? これか。太刀≠チて言うんだ」
「タチ?」
「持ってみるか?」
 外した太刀を、青年は鞘ごとリィンへ手渡す。太刀を両手で受け止めて、リィンは思わず、その重みで半歩後ろに下がった。
「わあ」
「……確かに重いものだよ。だけど、道を切り拓く事が出来る、大切なものの一つなんだ」
「道を……?」
 きょとんとした面持ちのリィンに見上げられて、青年は再度その場に屈む。
 その暁の瞳は、リィンと同じ光を帯びているというのに、奥底には仄かな影が差しているようにも見えた。
「そう――俺自身≠ェ歩む道だ」
 暁の中、ほんの一瞬だけ過った緋に見覚えがあったが、リィンはそのまま、彼の言葉に耳を傾ける。


 青年はそっと、リィンの頭へと手を置く。
 彼の瞳の中、ちらついて見えた仄かな影は、穏やかな淡い紫の中へと溶け込むようにして消えていた。
「君の行く先には、きっと、色々な事が待ち受けている。それでも……周りと繋いだ光は、必ず君の力に、支えになる」
 一旦言葉を切って、青年が目を閉じる。彼の脳裏に何が過っているのか、彼が何を想っているのかは、リィンからは分からない。

「……どうか、覚えておいて欲しい。歩いて行く中で築いたものを、得たものを、刻んだものを――――そして、自分が向けた想いと同じくらい、向けられている想いもあるという事を」
 
 自分の胸へと手を当てて、彼は暁の中に、再びリィンを映し出した。
「もし、覚えていられなくても……その事を気付かせてくれる人達に、君は出会えるから」
 ふわり、と舞っていた雪の一つが、青年の髪にくっ付いた。
「……あれ……?」
「どうした?」
「今更だけど、お兄さんも、髪が僕と同じ……ハネてるんだね」
 小さな指で指した先には、リィンと同じ黒髪があった。
 またしても想定していなかった言葉だったらしい。え、と間の抜けた短い声を発して、青年は自分のそれを少しだけ摘む。
「……。これでも、ちょっとは落ち着いた方なんだぞ? 毎朝、直すのには苦労するけどな」
 そのうち君も俺の気持ちが分かるよ、と。彼は自身の髪を軽く引っ張りつつ笑った。


 それからまたしばらく、リィンは青年に手を引かれて歩いていく。
 二人の間に会話はない。青年の言葉を心の中で響かせているリィンは、先程のように、何かを問う事が出来なかったのだ。
「ユミルが見えたか」
 立ち止まる青年。道の先を見て、あ、とリィンが短く声を発する。
「ここからは、一人で行けるな?」
 青年は穏やかに笑って、リィンの肩に手を添えた。
「う、うん。ありがとう――って……お兄さんは、ユミルまで行かないの?」
 行かないとなると、一体この人はどこへ向かうのか。雪が止んだとはいえ、アイゼンガルド連峰へと戻るつもりなのか。
 服をくいと引っ張って問いかけるリィンの頭をやや雑に撫でて、青年は、ユミルをどこか懐かしむような眼差しで見つめる。
「会っておきたい人が居たんだが……」
「?」
「もう、会えたんだ。だから、俺はそろそろ行くよ」
 彼の言葉を理解しようとして、リィンの脳内では言葉の糸が絡み合う。
 そうしている間にも手が離れて、青年は白を揺らしながら歩いて行こうとする。
「ま、待って!」
 本当に、この人とこのまま別れていいのか――。名前を聞いておかなければいけない気がして、リィンは一歩、踏み出していた。
「ん?」
「……お兄さんの、名前は?」
「……」
 リィンの質問に青年はすぐには答えなかった。
 少し経ってから、彼は口を開く。

「俺の名前か。――君はもう、知っているよ」

 それは幻影か、或いは夢だったのか。
 閃光が瞬いた次の瞬間には、雪の上の足跡は一人分しか残されていなかった。



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