Resonance Beat | |
――ただひたすらに、前へ。 その言葉は、心の傷跡にそっと染み込んでゆく。 決意を後押しする、確かな光を宿したまま。 「エリオット、マキアス」 帝都ヘイムダル、バルフレイム宮前。ドライケルス像の前でマキアスとエリオットが談笑していると、久々に聞く声が二人の耳に届く。 「待たせちゃったな」 急いで来たのか少しだけ息を切らして、約束の時間ちょうどに来た彼は、申し訳なさそうに謝った。 「ううん、僕達も来たばかりだよ。――久しぶりだね、リィン」 「君も元気そうだな。一安心したよ」 彼――リィンは、しばらく会っていなかった級友二人の言葉を受けて笑顔を見せる。 「二人のほうこそ。って……エリオット、髪を伸ばしたのか?」 学院にいた頃と変わっていないそれに、ほっとしたような表情を浮かべるエリオット。そんな彼の後ろで、リィンはさらりと揺れるものに気が付く。 言われてから、照れ臭そうにしつつ、エリオットは伸ばした髪に触れた。 「ちょっとは大人っぽく見えるかな、と思って。……友達と会うなら、って姉さんにリボンを付けられそうになったけど、なんとか逃げて来たよ」 「フィオナさんらしいな……」 弟であるエリオットを溺愛する、フィオナの姿を思い出したリィンが苦笑する。クレイグ家の様子は手紙で彼も知っていたが、改めて、安堵に似た気持ちを覚えていた。 「それにしても……君が帽子を被ったり、眼鏡をかけているのは珍しいな。……もしかして、前に手紙で書いていた変装か?」 小走りで来たせいで、僅かにずれた帽子をリィンが被り直すのを見て、マキアスが問う。 「ま、まあ……一応そうなる、かな。さすがに帝都をそのまま出歩くのも、って思ってさ。顔は結構知られちゃってるし、あんまり意味はなさそうだけど」 「うーん……だけど、帽子と眼鏡だけでも、だいぶ雰囲気も違って見えるよ? 一瞬すれ違うだけなら分からないんじゃないかな」 「そうか? それなら良いんだが」 帝都解放・内戦集結の英雄に祭り上げられ、灰色の騎士として人々に認知されてしまったリィンは、トリスタ以外に外出する際、時々こうしているらしい。帝国軍が機密事項として明かしていない事が多いが故の厄介事に、巻き込まれるのを避ける為だという。 度が入っていない眼鏡を掛け直して、リィンはぐるりと広場を見回した。 「……はは……変わらないけど、変わるものもあるんだな。当たり前だけど」 どこか寂しさを含んだその呟きは、風に乗って飛んでいきそうな儚さを秘めていた。 「リィン?」 「っ……ごめん、変な意味じゃないんだ。何というか……時間が経つのは早いな、って思ってさ」 「……そうだね。だって君も、もう――」 「二人とも」 やんわりとエリオットの言葉を遮って、マキアスがオスト地区の方面を指す。 「どこかでランチを買って、ウチに来ないか? 喫茶の予定だったが……僕もエリオットも、あれから色々君に話したい事が出来てね。ゆっくり話をするなら、そっちの方がいいだろう」 「確かに、立ち話だけでも長くなっちゃいそうだよね。そうしようか」 「そういえばマキアス、帝都にお勧めの店があるって手紙に書いてたよな?」 「お勧めの店……前に僕にも話してくれた事があったよね」 「父さんが教えてくれた店なんだ。テイクアウトも出来るから、そこにするとしよう。案内は任せたまえ」 先に歩き出したマキアスを追って、エリオットとリィンも歩き出す。 「……」 乗り込んだ導力トラムで広場から離れようとしたその時、リィンはバルフレイム宮をちらりと見遣った。無表情でもないが、穏やかでもないその面持ちは、内面に隠した心を映し出す事はしない。 それに気が付いたエリオットとマキアスは、目線だけ交わして互いに頷き合う。そんなリィンの心情を察する事が出来ないほど、彼らの付き合いは浅くはない。共に過ごした時間は一年と短くはあるものの、しがらみを乗り越え、違える事のない絆を結んだ、大切な仲間なのだ。 一つだけ、咳払いをするマキアス。それが話題の切り出しだと知っているリィンは、窓の外から視線を外して彼を見た。 「……リィン。ランチには早い時間だし、少しだけ帝都を回らないか?」 まだまだ君が知らない場所もあるだろうし、と、マキアスは続ける。 「帝都観光か。確かに、ゆっくり見て回る機会も滅多にないし……案内を頼んでもいいか?」 リィンが応じる。その瞳には、先程、僅かにちらついていた影はもうない。 「よし、決まりだな」 「こんな事もあるかなと思って、ガイドブックは用意してあるよ。行こうか」 エリオットが取り出した本には、かつてフィーが押し花で作った栞が挟んであった。 「ここのアクセサリー、すっごく評判がいいんだ」 「エリオット……何か言いたげだな?」 「うん。アリサへの贈り物にどうかなって、前から教えてあげたかったんだ。見ていくだけでもいいから、入ってみない?」 エリオットの言葉に、きょとんとするリィン。 「え……もしかして、気付いてたのか……?」 「……寧ろ気付かれてないと思っていたのか、君は。さすがに僕でも分かったぞ?」 「あはは……そういうところもリィンらしいけど」 帝都の西側に新しくオープンしたばかりだという宝飾品店は、ショーケースの前で頭を悩ませる男性で賑わっていた。 その中に加わって考え込んでいたリィンは、数十分後、赤の小箱を持って店から出て来る。 「良いものが見付かったね。だけど、今日買って良かったの?」 「ああ、次はいつ来られるか分からないからな。ありがとう、エリオット。実は何を渡そうか迷っていたから、助かったよ」 赤の小箱の中では、小さな髪留めに付いた宝石が揺れていた。 その後も時間と相談しつつ、三人は帝都観光を続ける。 かつて決闘をしたせいで憲兵にこってり絞られたマーテル公園、ヴィータ・クロチルダが公演を行なっていたオペラハウス、少し前に出来たハンバーガーの出店、静寂に包まれている教会、積み重なった歴史を感じさせる街並み――等、とても半日未満の時間で回りきれる広さではない帝都から、エリオットとマキアスが選び抜いたスポットを、リィンは順番に訪れていった。再訪する場所も幾つかあったが、改めてじっくり見る事が出来て良かったと、彼は二人に礼を言う。 各所を巡った三人がオスト地区のレーグニッツ邸に着いたのは、昼時から二時間が経過した頃だった。 「……さて。こうして改めて場を作ると、何から話すべきか迷ってしまうな」 テーブルの上に並べられたランチと、人数分の珈琲。 湯気が香ばしい香りを運ぶ中、エリオットがそっと手を挙げた。 「それなら僕、いいかな? リィンに聞いてみたい事があるんだ」 「遠慮なく切り出してくれ」 エリオットは角砂糖を一つ珈琲へ入れて、口を開く。 「リィンは、教官になるんだよね。所属先は決まったの?」 「そうか……まだ、みんなには伝えてなかったよな。少し前に正式に決まったよ」 《Z組》の面々に、手紙で教官職に就く事は教えていたが、場所まではまだだった事をリィンは思い出す。というよりは、前回の手紙を出した時にははっきりと確定していなかったから、書く事が出来なかったのだ。 リィンは頷き、懐から有角の獅子が描かれた手帳を取り出す。それは赤ではなく、青を背にしていた。 「俺が教官として行くのはトールズ士官学院・第II分校=c…分校が設立されたリーヴスは、帝都を挟んで、丁度トリスタの反対側にある場所だ」 度が入っていないとはいえ、慣れない眼鏡に疲れたのか、リィンはそれを外してテーブルの上に置く。 「分校……確かトールズは、本校が本格的な軍事学校になったんだったな」 「セドリック殿下の入学を機に、って感じらしい。初めは、教官を志すなら本校に行ってくれって何度も言われたけど、どうにか断ったよ。俺の中で何かが違っている気がして……そもそも、分校の話を聞いて、俺は教官としてリーヴスに行く事を決めたからな。そこならきっと、トールズの精神が残せるんじゃないかって」 リィンの暁の瞳には強い決意が宿っていた。帝国へと訪れた長い夜の果てに訪れるであろう黎明のような、そんな色を秘めている。 真っ直ぐにその色と向き合い、エリオットとマキアスは、安堵の表情を浮かべた。 「世の礎たれ≠ゥ。……そうか。その話を聞いて安心したというか……」 「君が、ずっと探していた道≠見付けられて良かった。教官も大変だろうけど、頑張ってね」 心底安心した、といった様子で、二人は笑う。 それを見て、リィンは何かを再認識するかのように、自身の胸へと手を当てた。 「……。俺が道≠見付けられたのは、みんなのおかげでもあるんだ。だから、礼を言わせてほしい」 「僕達の……?」 「ああ。先に自分の道≠ノ歩んでいったみんなが、帝国の現状を様々な角度から俺に教えてくれたのもあって……本当にやりたい事が見えてきたからな。それらを識る事ができなかったら、まだ見失ったままだったかもしれないし、誘われるがままに、帝国軍へ入っていた可能性だってある」 定期的に《Z組》の面々と連絡を取っていたリィンへは、あらゆる情報が伝わって来た。それらが未来を覆っていた曇天の空を少しづつ晴らしていき、彼は、己が進みたいと思った道への一歩を踏み出す事が出来たのだ。 リィンは続ける。 「あの後……ノーザンブリアの戦場に立った時から、考えていたんだ。このまま力≠振るう事が、俺のやりたい事なのか。今の帝国の中で、俺がやるべき事は他にあるんじゃないか……そう何回も、自分自身に問いかけた」 「ノーザンブリア侵攻――北方戦役、だったよね。かなり激しい戦いだったって聞いたけど……」 微苦笑を浮かべて、リィンは僅かに目を伏せる。 「……クロスベル戦線を上回ったかな。大砲の音を、聞き慣れてしまいそうになるほどだったよ」 「リィン……」 ――この音に慣れるという事は……何かを失くす事でもあると思う。 それはかつてガレリア要塞で、大砲の音を聞いて震えていたエリオットに対する、リィンの言葉だ。 それを噛み締めながら、若き英雄として、戦火が覆う北の戦場を駆け抜けた彼の心情を汲み取るのは、二人でも容易くはなかった。 「俺はヴァリマールという力≠持っている以上、伴う責任がある。それは分かっていたんだ。それでも俺は――――……」 切られた言葉。 話題が重くなりつつある事に気が付いたように、リィンが頭を振る。 「っと……久しぶりに会ったのに、重い話をしちゃってるな。ごめん」 珈琲も冷めてしまうし、とりあえず食べようか――と、話を逸らすリィン。 「……」 途切れた会話。温かい珈琲を一口飲んだマキアスが、エリオットを見る。 テーブルに立てかけてあった楽器入れへと手を伸ばして、エリオットはほんの少しだけ、悪戯っぽく笑いかけてみせた。 「ねぇ、リィン。少しだけ目を瞑ってくれるかな」 突然の申し出に、リィンは頭上に疑問符を浮かべてエリオットを見つめる。 「? わ、分かった」 小さな疑問符は浮かべつつも、リィンは級友を変に疑ったりはしない。これがもし悪友≠ナある彼だったなら、また違ったのかもしれないが。 リィンが目を瞑ったのを確認してから、エリオットが楽器入れを開いた。マキアスもまた、眼鏡ケースの中に忍ばせていた一枚のカードを取り出して、手の中に収める。 「もういいよ」 エリオットが楽器入れの中に隠していた色とりどりのものを、後ろ手に持ってリィンに声をかける。 リィンがゆっくりと瞳を押し上げるのと同時に、エリオットはそれをそっと、彼の前へと差し出した。 「……?」 花束が、一度だけ揺れる。目を数回瞬かせて、リィンは差し出されたものを見る。 エリオットは、手に持った花束の花に負けないくらいの笑顔を、大切な友人へと向けた。 「リィン。――卒業、おめでとう」 「少し早いかもしれないが、受け取ってほしい」 二人の言葉にはっとしたような反応を見せてから、リィンは花束を受け取った。 「…………」 言葉を探しているらしい彼の前で、エリオットが真ん中に立てられた《Z》のピックを指差す。 「《Z組》のみんなで、入れたい花を選んだんだよ」 リィンの腕の中で幾つもの色が集い、一つの花束になっていた。それはまるで《Z組》そのものを象徴しているようで、自然と彼の表情が和らぐ。 過ぎるものがあったようで、表情の端に追憶に対する愛おしさを滲ませながら、彼は今日一番の笑顔を見せた。 「……っ……その……上手く、言葉が出て来ないんだが……嬉しいよ。ありがとう、二人とも」 「そう言ってもらえて何よりだ。これも渡しておくから、時間がある時に読んでくれ」 「カード?」 「花の一つ一つに意味が込められていてね、そのカードに書いてある。因みに、それはフィーが作ったんだ。裏面の青空の絵は、ガイウスが描いてくれたよ」 「園芸部らしいな。空の青も、すごく綺麗だ」 ぶい、と。リィンの脳内に、得意げにそう言いながらブイサインをするフィーが思い浮かんで、彼はもう一度笑った。同時に、ノルドの蒼穹の下に立つガイウスを思い出したのか、懐かしく思うような感情を、表情に添える。 「……そういえば……連絡を取り合うのも、結構大変だったんじゃないか? 特にサラ教官やミリアム、フィー、委員長はあちこち移動しているようだし」 「うん。実はね、リィンがクロスベルから帰ってくる少し前に――」 ◆ ◆ 「エリオット?」 声がかけられて、エリオットは俯き気味になっていた顔を上げる。 「マキアス」 「どうしたんだ、こんなところで。ぼうっとしていたようだが」 夜の学生寮の一階、ソファがある場所に彼は一人で座っていた。水を取りに来たマキアスは、キッチンへは向かわずに、そんなエリオットの正面へと腰掛ける。 「ちょっとだけ、考え事をしてたんだ」 「考え事?」 マキアスの問いかけに、エリオットは一度目を閉じ、数秒だけ間を空けてから答える。 「……。来月でこの士官学院からいなくなるから、《Z組》として過ごせる時間も、本当に少ないんだな、って」 「そう、だな」 満ち足りた刻が流れていくほど、残った時間はなくなっていく。一秒一秒減っていくそれを愛おしく、名残惜しく思うような心地で、彼らは残された士官学院での時間を過ごしている。 「僕達は卒業して、別々の道に行くけど……約束≠したいなって思ったんだ。一つ目は、リィン以外の僕達で」 「リィン以外の僕達で、か?」 「うん」 どういう事なんだ、と言いたげなマキアスの視線を受けて、エリオットは頷く。 「一年後には、リィンが士官学院を卒業する。だからその時に、みんなで選んだ花を集めて、リィンに花束を渡したいんだけど……どうかな?」 直後、階段を降りてくる音がする。エリオットとマキアスがその方向を見ると、ノートと教科書を小脇に抱えたフィーとエマが居た。 「ふふ、名案ですね。きっと、リィンさんも喜んでくれます」 「賛成。部長から色々花言葉も聞いてるから、力になれると思う」 「フィ、フィーちゃん」 しゅた、という効果音が付きそうな動作で、階段の途中からソファの横に降り立つフィー。慣れてしまったのか、エリオットが彼女のこういう行動に対して驚く事は、もうない。 「まったく、フィー。君は相変わらず……」 苦笑いを浮かべながら階段を降りて来たエマは、三つ編みを後ろへ流して、空いていたマキアスの横へ本を抱えたまま座った。 「ありがとう、二人とも。他のみんなにも声をかけないとね」 「あ。それなら、明日のホームルームで時間を設けますね」 閃いたように軽く手を打って、エマが三人に笑いかけた。 「……ん、それでいいと思う。サラも居る時がいいだろうし」 エリオットの隣に座ったフィーは、掛けられたカレンダーをちらりと見遣る。改めて、残り時間の少なさを実感したようだった。ほんの少しだけ寂しそうに笑って、後ろで手を組む。 「花束を渡す時、全員で集まるのは難しいかもしれない。だけど――僕達の気持ちを、一つに集める事は出来ると思うから」 花束へ籠めるのはリィンへの想いと、それから――。 エリオットが心の奥底に置いていたものを掬い上げて、音にする。 「それとね、その花束にはもう一つの……勿論、リィンも含めた約束≠フ意味を込めたいなって思ってるんだけど……」 ◆ ◆ 「本当は全員で集まっておめでとうって言いたかったけど、やっぱり難しそうで……話し合った結果、僕とマキアスが代表で渡そうって事になったんだ」 「そうだったのか……それと、もう一つの約束……って?」 「うん、それはね……」 心に秘めていた約束を告げるべく、エリオットは席を立つ。 「僕達はみんなが違うところにいて、みんなが違う道を歩んでいる。だけど、この空の下で繋がっているから……いつかまた、必ず《Z組》みんなで再会しよう――って感じ、かな」 リィンの横に回って、エリオットは続ける。 「忘れないでね、リィン。僕達はここに居る≠ゥら」 「エリオット……」 リィンの胸の辺りを軽く叩いて、エリオットが笑った。 その言葉は、彼らが一年早く卒業した時にも、リィンに対して言い残していたものだ。 「エリオットの言う通りだ。離れていても《Z組》は繋がっている――あの頃、僕達を結んでくれていた、戦術リンクのように。そうだろう?」 「……マキアス、っ……」 二つの暁が、水面のように揺らぐ。震えた声を隠すように、リィンが僅かに俯いた。それを見ていたエリオットとマキアスが、込み上げるものを必死に堪えようとするリィンの肩へ手を置く。 両側からあたたかな温もりを感じ取って顔を上げた直後、彼の頬を一筋の雫が伝う。自分自身の瞳から零れ落ちたものを空いた手で拭い、リィンは穏やかに笑んだ。 「…………はは、参った。泣いたのなんていつ以来だろうな」 「ここには僕達しかいないし、気遣う必要はないさ」 「……、そう……だよな」 困ったように笑った後、リィンは揺れる視界をなんとかしようと両目を手で拭った。 抱いたものを噛み締めて、心に宿った光を掬い上げながら、彼が口を開く。 「……。……俺は、トールズ士官学院に入って……《Z組》のみんなと出会えて、本当に――本当に、良かったって思う」 二人は敢えて同意する言葉は発さずに、黙ってリィンの言葉に耳を傾けていた。 「だから……俺が率いるクラスの生徒にも、同じ気持ちになってもらえるように頑張るよ。どんなクラスになるかは分からないけど……それでも、俺はやってみせる」 「その意気だ。それがきっと、トールズの精神を残す事にも繋がると僕も信じている」 力強く頷いて、リィンが窓の外へと視線を向ける。その視線の先にあるものは、蒼穹だけではなかった。 「あいつ≠フ言葉の意味が、今ならちゃんと分かる気がするよ」 リィンがその名を出さずとも、エリオットもマキアスも、すぐに誰の事か分かった。 「僕達の事を、信じてくれたんだ。自分の道を信じて、歩いて行かないとね」 「今思うと……先輩がそんな言葉を残せたのは、僕達と過ごした時間が偽りなんかじゃないという、何よりの証拠だったのかもしれないな……」 「俺はそう信じてる。あいつは、同じ士官学院の仲間で……一緒に過ごした時間は、本物だったって」 共に描いた軌跡は、フェイクなどではない。偽りだったのかもしれないが、偽りではない。 それはリィン達の一方的なものの可能性もあるし、そうではない可能性もある。真相を知る事は出来ないが、信じる事は出来る。 同じ学院の中で笑っていた姿はまだ、鮮やかに焼き付いていた。 「……なあ、二人とも」 取り出したままだった手帳を見て、リィンが一つ息を吐く。 「なんだか、士官学院に居た頃の話がしたくなってきたんだが……色々、思い出してきたというか」 「僕もだよ。そんなに時間が経っていないのに、懐かしく感じちゃうね」 「まあ、まだまだ時間はある。久々に会えたんだし、そういう話も悪くはないだろう」 珈琲の湯気はまだ、立ち上っている。 そのまま、三人は追憶の旅に出た。彼らにとって輝いていた季節――宝石箱のような大切な場所で築いた、かけがえのない思い出を、引き出しから少しづつ取り出す。 「学院祭のステージ、本当に楽しかったよね」 「練習した甲斐があったよな。時間がそんなになかったから、どうなる事かと思ったけど」 「あの時の君はスパルタ教官みたいだったのもよく覚えてるぞ、僕は」 「え。僕、そんなに厳しくしてたっけ?」 「ノーミスでいかない限り、今夜は帰れないと思ってね?=c…だったような。それだけ、エリオットが音楽に対して真剣なんだって事が分かったけどな」 「リィン、よく覚えてるね。うーん……でも、なんとしても成功させたかったからかな。《Z組》のみんなで」 ライノの花が再び咲く、少し前の刻。 ほんの少しだけ大人になった三人は、あの頃と変わらない笑顔を浮かべていた。 ←Back |