秒針速度
※もしイズチ組が寿命差のことを知っていたら、という話。フライング・捏造注意。


 彼らがマビノギオ遺跡を探検し始めてから、どれくらいの月日が流れただろうか。何度も何度も足を運んで、くたくたになるまで歩き回って、そのたびに新しい発見をしては議論を交わす。聳え立つ未知の塊には好奇心をそそられるばかりだった。スレイとミクリオが探索を進めてきた歳月は決して短くはないというのに、未だ全体を探検したとは言い難い。
 この遺跡には、まだ知らない事がいっぱい眠ってるーー夕暮れの中、雲海を貫くように存在するマビノギオ遺跡を見ながらそう言ったスレイ。その横顔は、今よりも少々幼かったとミクリオは記憶している。
「ここの入り口、昔より小さくなったよな。地盤が沈んでるのか?」
 先行するスレイが、イズチと遺跡を繋ぐ入り口を見上げて言う。数え切れないほど通ったここは、ミクリオからすると数年前から何も変わって見えない。
「僕はそうは思わないけど」
「そうかな?」
「……。君の背が伸びたからだと思うよ」
 不思議そうな面持ちで手を伸ばすスレイ。ミクリオは最近また彼の身長が伸びている気がしていた。背比べをして、村の樹木に身長を刻んでいた日々が懐かしく思える。いつの間にかスレイは、ミクリオよりも一回り以上大きく成長していた。転んだ時に差し伸べられた手は、昔よりも更にあたたかく大きい。逞しくなった体は、広大な遺跡を駆け回っても息一つ切らさない。変わらないのは、優しく純粋な光を宿した碧の瞳くらいだ。スレイが屈託なく笑う時にはいつだって、その碧の中に親友の天族が映っていた。
 人間は成長する。その命には限りがあり、終わりがある。時計の針が進む速度は異なり、長命な天族からすれば人間の寿命などほんの一瞬だ。人間は百年生きれば長い方だと、何かの文献で読んだ記憶がある。聞いた話では、天族の中には千を越えて生きている者も居るというのに。
「ちょっと早く戻りすぎたな。まだ夜まで時間がありそうだけど、どうする? もう一回行……」
「今日はもう休もう。足、捻ってるだろ」
「……バレてたんだ」
「僕が気づかないとでも思ったのか? ほら、痛むなら肩を貸すから家に戻ろう。明日も遺跡に行きたいならね」
 これくらい大丈夫だって、と零すスレイにそう言うと、わかったよと頷いて肩を預けてきた。スレイはどこまでも素直で、正直だ。捻挫を隠していたのはおそらく、もう少し探検していたかったからなのだろう。その時に指摘しておけばよかったと、溜め息を吐きながらミクリオはゆっくり歩き出す。
 横目で見た雲海は、綺麗な橙色に染まりつつあった。一日が終わりへと向かっている。沈んだ太陽の代わりに月や星が空に現れ、漆黒の中で輝く時間が訪れる。
 スレイと並んで、それらを何度見ただろう。星へ届くはずのない手を必死で伸ばして、爪先立ちで背伸びして、ふらついた勢いで尻餅をついて笑い合ったのはもう遠い日の事だ。崖っぷちギリギリに立って雲を掴もうと危険な事をしたり、水面に映ったそれを見ながら寝転がって、天遺見聞録を広げたりもした。
 すべてが、もう何年も前の思い出になっている。それでも、褪せる事はない。忘れる事もない。
 何十年、何百年経っても、きっと。
「そういえばさ」
「?」
「ミクリオは、オレよりもずっと長生きなんだよな」
 考えていた事を見透かされたかのような言葉に、ミクリオは思わず歩いていた足を止める。
「……そうだね。君は人間で、僕はーー」
「だったら、明日は今日よりもいっぱい探検しよう。一つでも新しい事、見つけないと!」
「え?」
 マビノギオ遺跡を指して、スレイが笑う。それはずっと変わらない、燦々と世界を照らす太陽のような笑顔だ。
「確かに、オレは人間でミクリオは天族で、生きられる時間が違う」
 人間と天族。同じようで異なる種族。時計が止まってしまったミクリオを置いて行きたくなくとも、スレイの時計は止まってはくれない。壊れるその瞬間までそれは緩やかに動き続け、いつかミクリオの前からスレイはいなくなってしまう。人は死ぬと”墓”というものを作るらしく、灯火が消えた身体はそこから大地に還るという。いつかスレイもそうなってしまうのか、というかつてミクリオが抱えた思いは、今まで心の片隅に置いていた。
 スレイは続ける。
「でも、一緒に遺跡を探検出来る時間はまだまだあるじゃないか」
 初めてマビノギオ遺跡に踏み入った日から、今日までの月日以上に時間はある。そうスレイは言う。あと何回探検に行けるか、なんて数えようとしても気が遠くなるほどだ、と。
「過ぎちゃった時間は戻ってこないけど、オレたちが今までやってきた事は無駄じゃない。”大切なのは過去じゃない、未来だ!”……って、この前読んだ物語に出てくる人が言ってたんだ。だから」
「前を見ておけ、って言いたいんだね?」
 頷くスレイ。はぁ、と一つ息を吐いて、ミクリオは腕組みをする。
「それは君もだろ? ”だから”、僕がいるんだ」
 短い返しでも、言いたいことは十分伝わったらしい。碧の瞳を一瞬揺らした後、満足気かつ嬉しそうに笑って、スレイはくるりと背を向ける。そのいつの間にか広くなっていた背中は、まだ何も背負ってはいない。追いかけている夢と世界への興味だけが、今はそこにある。
「ミクリオに背中を任せられるの、本当に心強いなって思うよ」
 振り返ってそう言ったスレイの向こうから、夕日が差す。橙の光は彼を照らし出し、やがて世界が夜へと移り変わる事を知らせる。
 今日という日が終わっても、また陽は昇り夜が明ける。そうしたら、また彼らは遺跡へと足を運んで議論を交わし、発見をし、日が暮れるまで探検をする。今までそうだったように、これからも、きっとそういう日々が続くのだろう。
「ありがとう。ミクリオ」
 紫と碧が交差する。
 その間を吹き抜けた風は、スレイの羽飾りを揺らしていった。




「お前は、導師がいなくなったらどうする?」
 浄化の旅の最中の、一時の休息。木に寄りかかって小鳥と戯れていたデゼルは、相変わらず表情を見せないまま、唐突にミクリオへそんな問いをぶつけた。
 一時停止、と言ってもいいほどにぴたりと動きを止めて、長杖を手入れしていたミクリオはデゼルの方を見る。
「スレイがいなくなったら……?」
「……考えたこともないか? 人はいつどこで死ぬかわからない」
 寡黙なデゼルにしては、珍しくやや饒舌だ。向こうで焚き火を囲むスレイたちには聞こえていないようで、あちらは楽しそうに何かの話題で盛り上がっている。立ち上がってアリーシャが不思議なダンスを始めているが、エドナにまた何か教授されているのだろうか。リスリスダンスという単語が微かに聞こえた直後、ちょうどリスがデゼルの足元で丸くなっているのが目に入った。
 焚き火の近くで笑うスレイは、眠そうに一度欠伸をする。
「……僕たちには、一緒に追うって決めた夢があるんだ。今は、あまりそういう事は考えたくはないな」
「だろうな。だからこそ、今という時間の重要さに後になって気付く」
 デゼルの手から、小鳥が飛び立つ。夕暮れと夜の間の空を飛んでいった小鳥を見送ると、デゼルは帽子の端を掴む。彼の癖だ。
「今という時間、か……」
「そうだ。過去でも未来でもない、今だ」
 再び空を見上げたデゼルは、黄昏の中に何を見ているのだろうか。何を思ってそんな事を言ったのかーーミクリオが問いかけようとした時、スレイが何か言いながら手を振っている事に気付いて中断する。
「二人とも! ライラが芋焼いてくれるって言うから、こっち来なよ!」
「いつもより多めに加熱していきますわ」
「ワタシは遠慮しとくわ。黒こげにしそうなんだもの」
「エドナ様、そう仰らずに。私が町で買っておいたこれからバターを作ってみせます! それを付ければ、美味しく召し上がれるはずです!」
「アリーシャ、オレも手伝うよ! ロゼも一緒にこれ振ってくれる?」
「いよっし、請け負った! っと、塩、塩……」
 焚き火の周りで急遽開催されるバター作り大会。端から見れば、人間三人が必死に瓶を振っているようにしか見えないのだろう。一体どれだけシュールな光景なのかーー考えかけて、ミクリオは座り込んだデゼルを見遣る。
 気のせいだろうか。リスに懐から取り出した木の実を与えているデゼルは、僅かに表情を緩めている。
「……なんだかんだ、優しいんだな」
「……。お前らが雑なだけだ」
 







同じ時を刻んで同じ未来信じてるイズチ組ください。
デゼルからのくだりは完全にオマケ状態。

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