継承物語
 ふと気が付いた時には、彼はそこに立っていた。
 どこかの部屋だろうか。そう高くない天井から吊り下がった、橙色の仄かな灯りに照らされる本棚。隙間なく並べられた本の数々は、背表紙を見る限り様々な言語で書かれている。だが、見知らぬ言葉であるというのに本のタイトルを読み取る事が出来る。“永遠-Eternia-”、“深淵-Abyss-”、“明星-Vesperia-”――等、それらが何を表すのかは、読んでみないと分かりそうにない。
 窓の外には、数え切れないくらいに星が瞬いている。一万はあるだろうか。見守るかのように輝くそれらは、時折夜空の中を一瞬で駆け抜けてゆく。
 彼はその場に座り込み、考える。今まで見てきた“世界”に、こんな場所はない。
 ならば、今居るのは。
「夢?」
 彼――スレイは、ようやくこれが夢だと気付く。そもそも宿屋で眠りについたはずなのにこんなところに居るわけがないのだから、もう夢と断定してしまっていいはずだ。
 改めて辺りを見回す。あたたかく、どこか懐かしい。そこはそんな空間だった。今初めてここへ来たというのに、何故か初めてではないような感覚がある。
 近くには誰の気配もない。どうやらここにはスレイ一人だけのようで、誰かにここがなんなのかを聞くことは出来そうになかった。
 カチ、コチ、というどこからか聞こえる秒針の音が、時間の経過を告げる。
 一体ここで、何をすればいいのか。試しに頬を引っ張ってみれば、じんとした痛みがあり思わず首を傾げる。夢とはいえ、こんな空間に来た事に何か意味があるのではないか――そう思ってしまうほど、感覚が妙にはっきりしていた。
「夢……のはずじゃ」
 ぽつりと呟かれた独り言に、答える声は当然ない。あるのは静寂だけだった。
 窓からぐるりと視線を動かして、スレイは幾つも置かれた本棚を見る。
「ここにある本、読んでいいのかな?」
 本は知識の泉。ミクリオがそんな事を言っていた。これから旅をする際に役立つ知識が、もしかしてこれらの中にあるかもしれない。そう思い、一番近くにあった“選択”というタイトルの本を手に取る。と同時に、間に挟まっていたらしい何かがひらりと床に落ちた。
「何だろう? 絵……?」
 “写真”というものを知らないスレイは、それをやたら鮮明な絵と捉えることしか出来ない。
 そこには、三人の人が映っていた。真ん中に居る、銀髪かつその一部分が黒い青年は笑顔でこちらを見ている。その両隣には、眼鏡を掛けた男性と長い金髪の女性が並んでいた。三人とも、笑っている。というのに、何故かスレイの胸には切なさが込み上げる。まるで、居なくなってしまった人たちを見ているような、そんな感覚だった。
 この人達の事は何も知らないのに、どうして――。
 不思議に思っていると、ぎい、と扉が開かれる音がする。咄嗟に写真をしまい、スレイはそっちを見遣る。
「もう来てたんだな。待たせてごめん、えっと……スレイ、だったよな?」
 そこには、今持っているそれに写っている銀髪の青年が居た。
「? オレのこと、知ってるのか?」
「知ってる、というかなんというか……実は俺にも、うまく言えないんだけどさ」
 困ったように笑いながら、青年は立ち上がったスレイの前に来て一冊の本を差し出す。
 まだ新しいそれは、表紙に何も書かれていない。
「これは?」
「スレイが作る“物語”だ。…………って、俺もこんな感じで渡されたんだけど、自分が言うとなるとなんだか恥ずかしいな。ドラマの台詞みたいだし」
 どらま? と頭上に疑問符を浮かべつつも、スレイはそれを受け取る。ぱらぱらとページを捲ってみるが、中はすべて白紙らしく何も書かれていない。
「オレが作る、物語……?」
 その言葉とほぼ同時に、表紙には青い炎が現れる。竜のようなモチーフに被さるようにその炎が表紙に刻んだのは、“-Zestiria-”という文字。
 本から視線を離しスレイが青年を見ると、彼は頷いて、スレイの肩に手を置く。
「もう、宿命を背負ってるんだな。俺には分かるよ」
「!」
「……これから、辛い事や苦しい事がたくさんあるかもしれない。理不尽な選択をしないといけない時もあるかもしれない。けど、自分の出した答えを後悔しないでくれ」
 合わせた視線。青年の瞳の奥には、優しい光が宿っていた。
「オレの出した、答え……?」
「俺は、自分の選択に後悔はしない事にしたんだ」
 青年は、何を経験してきたのだろう。それを問う事は出来なかった。
 後悔のない答え――。スレイは、ライラから言われていた事を思い出す。何に対する答えなのか。世界を旅し、様々な事を識ったうえで、どういう答えを導き出せばいいのか。その言葉にはまだ、霞がかかっている。
 腕を組み、彼の言葉を咀嚼するスレイ。僅かな沈黙。それを破ったのは、どこからともなく響いてきた鐘の音だった。
「っと、俺はもう行くよ。兄さんを探さないと」
「兄さん?」
「俺の家族で、大切な人で……俺のために、道を作ってくれた人」
 青年は、どこか悲しげに笑う。スレイは深くは追求しない事にした。何となく、何があったのかを察したからだ。
「スレイ」
 外へ向かう青年。木製の扉が開かれる。外に広がっているのは、見渡す限りの星空と広大な草原。そこへ一歩踏み出した彼は、振り返って言う。
「“大切なら守り抜け。何にかえても”」
 扉から吹き込んだ少し強い風と共に、青年はそう言い残し姿を消した。
「……大切なら、守り抜け」
 大切。その言葉で脳裏を過ぎったのは――。
 青年から受け取った本を抱え、瞳を閉じるスレイ。再びの静寂。鳴り続ける秒針の音。走り出した運命はもう、止まりはしない。止まってはくれない。背負った宿命は彼に過酷な試練を課し、穢れに満ちる世界を徘徊する憑魔は、容赦なく牙を剥く。
 それでも、先へ。夢を追いかけ、理想の世界を現実にする決意を胸に、スレイは開かれた扉から外へ出る。
『守りたいもの、見付かるといいな』
 周囲を埋め尽くすあたたかな光の中、スレイはあの青年の声を聞いた気がした。




「どんなやつだって居てもいい。みんな幸せになる方法、きっと見つけるよ」
 揺るぎない瞳。飾らない真っ直ぐな言葉。
「だから――」
 自分の答えを信じ、導師は前を見て進む。






彼の冒険が、希望の物語でありますように。(七夕に便乗)

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『誰かの記念写真』を手に入れました

【誰かの記念写真】
銀髪の青年、眼鏡の男性、長い金髪の女性が写っている。
見ていると何故か切なくなる、不思議な写真。


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