One Hundred Lonely
「……おや」
 懐にいつもあるはずのものが、いつの間にか無い。どうやら無意識のうちに食べてしまっていたらしい、愛用しているラズベリーグミは一粒も残っていなかった。
 まだ食料庫にあっただろうか。取りに行くのは面倒だが、いつ仕事に駆り出されるか分からない以上、行ける時に行っておかないと後々本当に面倒な事になる。
 仕方なく、サレは腰掛けていた椅子から立ち上がり、城の地下へ向かった。


 相変わらず食料庫はごちゃごちゃしていて、おまけに薄暗いものだから探しづらい事この上ない。ワルトゥあたりに言えば兵士達に整頓させてくれそうだが、自分も巻き込まれそうな気がしたので、やっぱり黙っておく事にした。
「……。居るのは分かってるよ、出てきたらどうだい。ネズミくん」
 グミを探す手を止めて、サレは端にある箱の方へ近寄る。さっきから何者かの気配を感じてはいた。入り口は一つしか無いし、常に見張りが居て、更に施錠されているのに、一体どうやって忍び込んだのやら。
「僕に殺されたくなければね」
 反応は無い。
 代わりに――と言うのも変だが、レイピアを箱の真ん中あたりに突き刺す。すぐに、中から一人子供が飛び出して来た。頬が切れて、僅かに血が流れている。間一髪で避けたらしい。
 少年はサレから距離を取り、彼を指差して叫んだ。
「こ、こここ殺す気か!」
「それくらいで済んで良かったじゃないか。後、言ったよね? 殺されたくなければ出てきなよ、って」
「う……」
 言葉に詰まり、俯いた少年の腕にはいくつかの保存食が抱えられていた。盗むつもりだったという事を瞬時に理解したサレは、少年との距離を詰め、その喉元にレイピアを突き付ける。
「城からの窃盗は見過ごせないなぁ。かくれんぼで迷い込んだなら、別だったけどね」
「……」
「キミに選択の自由をあげるよ。ここで僕に殺されるのと、アガーテ女王の前に連行されて処罰されるのとどっちがいい?」
「どっちもイヤだよ!」
「三つ目の選択肢はないよ」
 顔を上げた少年はサレの事を睨み付けるが、彼はまったく怯まない。それどころか、その必死な目が憎らしく思えてきて、徐々に殺意が芽生えてきた。――もういいや。片付けよう。サレがそう思ってレイピアを突き出した瞬間、少年は食料庫の奥に向かって駆け出した。
「オレは死ぬわけにはいかないんだよ!」
 少年は、サレの方を振り向きそう言う。
(やっぱり……孤児か)
 薄汚れた服装。整えた様子がまったく見られない髪。容姿からしてそうだろうと思っていたが。
 数週間前――国王ラドラスが崩御した時、彼がカレギア中に放ったフォルスによって、能力者が急増。大半のヒトが制御出来ずその場で力を暴走させ、世界中が大混乱に陥った。
 前は見かけなかったから、おそらく落日に親を失った子供なのだろう。バルカのどこかで、ひっそりと暮らしているのかもしれない。
(あの目……嫌いだね。けど)
 風を起こして、少年が走って行く先の脇に詰んであった箱を乱暴に崩し、道を塞ぐ。立ち止まった少年は、咄嗟に近くのナイフを拾い上げて切っ先をサレに向けた。が、小刻みに震えている。
「僕と戦うつもりかい? キミに勝ち目はないよ」
「わかってる……わかってるよ! けど!」
「だったら」
 一瞬で少年の前に行くと、サレのレイピアが振るわれる。甲高い音がして、少年の持っていたナイフが弾き飛ばされ天井に刺さる。
「後悔するといいよ。……“あっち”でね」
 真紅が、舞った。




「サレ様、その少年は……!?」
「食料泥棒だよ。始末したから外に置いてくる」
「なら、今すぐに……」
「女王様に報告はいらないよ」
 サレに担がれた少年は、“不自然なほどに”全身が綺麗に赤に染まっていた。風であちこち切り刻まれたのか、と、それを目撃した兵士達は僅かに少年に同情、心の内で合掌した。


 サレは城の外に出て、人目に着かないような道を通り、バルカから少し離れた場所にある小川に少年を投げ出した。
「ぶはっ! ゲホッ、溺れさせる気か! 鬼! 悪魔!」
「助かっただけありがたいと思いなよ」
 そう言い残して立ち去ろうとするサレ。少年は慌てて川を上がり、彼の服の裾を思い切り掴んだ。サレは鬱陶しそうにそれを払うが、歩き出さない。
「なんで、オレの事助けてくれたの」
「気が変わったんだよ」
「ワイン浴びせて、血に見せかけて死んだフリまでさせて」
「僕の気まぐれさ」
「もしかして……本当は優しいヒト?」
「これ以上しつこくすると本当に殺すよ」
「え、ちょ、待っ、ごめんなさい! ……でもさ」
 背を向けたままのサレに、少年は笑顔を向けて言う。
「助けてくれてありがとう」
「……早く行きなよ」
 本当にありがとう――すれ違う時に少年が呟いたのが、サレには確かに聞こえた。
その後ろ姿を見送った後、サレも城へと引き返す。休暇でもないのに無断で外出した事がバレたら、ワルトゥやミルハウストにどれだけ小言を並べられるだろうか。
(……僕も馬鹿だね。あんな子供一人を、わざわざ見逃してやるなんて)
 あの少年にレイピアを振るう寸前、何を思ったか、側に転がっていたワインの瓶をそれで叩き割った。もちろん、少年に中身のワインが掛かるようにして。
 途中、靴の裏に何かが貼り付いているのに気がついた。剥がしてみれば、どうやら食料庫で叩き割ったワインの瓶のラベルのようで、緑で縁取られた白い紙は真紅に染まってしまっていた。

“One Hundred Lonely”

 それがあのワインの名前、らしい。
(――皮肉だね)
 その名前を直訳して、サレはなんとなく、あの少年を見逃してやった理由が分かった気がした。




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