音のないコトノハ

 夢の中でアイツ≠ノ会う事があった。
 BLAZEの面々の様子や、学校生活、蕎麦屋での日々――人っ子一人いない公園のブランコに大の男が二人揃って腰掛けて、やってくる日常≠フ話をする。時間が止まってしまったアイツに、俺が一方的にあった事を話しているようなものだったが、アイツはずっと楽しそうに話を聞いてくれていた。
 その時間が終わるタイミングは決まっていない。気が付けば目が覚めていて、じゃあな、も、またな、も、言い交わした事はない。夢の事はなんとなく覚えてはいるが、はっきりと思い出す事は叶わなかった。

 何度目だっただろうか。いつもと同じ夕暮れの中、きぃ、とブランコが軋む音が鳴ると同時に、アイツは――カズマは、何かを思い出したかのように口を開く。
「あのお嬢さんは元気にしてるか?」
「北都の事か。……相変わらず底知れない女だぜ、どこまで読んでるのか分かりゃしねえ」
「それでも、頼りにしてるんだろ? 仲間≠ニしてな」
「カズマ……まるで見てたような事を言うな?」
「なんだかんだ、相性は悪くねえと思うけどな。言葉を交わさなくても、お前さんが敵の真ん中で戦ってる時に、外側からガツンとやってくれそうだろうが?」
「あのな……」
 何度会っても交わすのは、本当に他愛のない話だ。
 肩を組まれて、懐かしさが心を覆う。カズマはもう居ないというのに、ある意味残酷な夢だと思った事もある。決して口には出さなかったが。

「――シオ。こうやってお前と話せるのは、今日が最後だ」

 夕暮れの橙を背に、カズマは苦笑に近い面持ちで言う。そう言うアイツは、やはりあの頃と何も変わっていない。
「最後?」
「そうだ」
「……」
 次にこうして話せるのは、どれだけ先になるのやら――カズマの表情を見て沸き上がった言葉は押し込み、別の言葉を探す。
「おいシオ、まさか寂しいなんて思ってねぇよな」
「……ハッ、寂しくなんざねえよ。見守っててくれや」
 土産話なら、これからの人生で話しきれねぇぐらい作る事が出来るはずだ――。
 そう続けると、カズマは再度、笑う。記憶に焼き付いたものとちっとも変わらない表情で、俺の背を後押しするように強く叩いた。
「ははは、土産話か。確かにこの先お前には色々あるだろうし、楽しみにしてるが……あんまり早くこっちに来たら、追い返すからな」
 大きく逞しいままの手が、離れていく。

 ――またな、シオ。

 その後に続いたカズマの言葉は、音として届く事はなかった。


 ◆


 彼らが互いを信じ、必ず奥で合流すると約束して別々の道へと駆け出したのは、どれくらい前の事だっただろうか。
 同じ道を進む事になったシオとミツキは、数体のグリードに追われながら、開けた場所を目指して走っていた。
「! 高幡君、止まってください!」
 ミツキに制止され、シオも足を止める。二人の行く先を阻むように、禍々しさを帯びた光が現れたからだ。
 得物を構え直して、二人は後ろを確認する。距離こそあるものの、グリードはまだ追う事を諦めていないようだった。
「チッ、随分と手荒い歓迎なこった――」
 まあ今更か、と声に出す前に、顕現した中型のグリードが突風を巻き起こした。
「っ!」
 狭い場所で、当然、端に柵なんてものは用意されていない。シオは足に力を入れて、突風を耐え抜こうとする。
 ここから落ちれば、どこへ行くのか分からない。どうなるのかすら見当がつかないのだ。それだけは絶対に避けなければ――と、思った直後。
「きゃっ……」
 小さく聞こえたそれに、シオは覆っていた腕を下ろす。
「北都!」
 シオはどうにか踏ん張ったものの、ミツキの体は宙に浮いてしまっていた。その先には、足場となりそうなものが何もない。すぐにシオは地を思い切り蹴り、ヴォーパルウェポンを突き立て、自分とミツキを繋ぎ止めた。
 どこへ続いているか分からない、異様な色彩を持った空の中へと落ちそうになったミツキの手を、シオは離すまいと強く掴む。
「手ぇ、離すなよ……!」
「……」
 好機と言わんばかりに、グリードが何体も迫っている。けれど、剣を振るうにはこの手を離さなければならない――が、そんな選択肢は、最初からシオの中にはない。
 背後をちらりと見遣り、ミツキを早く引っ張り上げようと力を籠めた直後、シオの頬を少しだけ温い風が撫でた。

「……高幡君」

 手を掴まれたミツキはただ一言、シオを静かに呼ぶ。その表情には、宙吊り状態に対する恐怖も、焦燥も、一切滲ませていない。
「!」
 ミツキに強く手を握り返され、目を合わせて、シオは彼女の想いを汲み取った。
 その間に言葉がなくとも、彼女が何を考え、何をして欲しいのかを、直感で感じ取ったのだ。
「……やるしかねぇってか! ――上等だ」
 グリードがシオの背後に迫る。それでも彼は、振り向かない。
 握り返された手へ、再度、シオは力を籠める。ミツキのミスティックノードが淡い光を放つと同時に、彼は彼女を、全力で上空へと放った。

「行けッ――――北都!」

 虹色と黄昏が溶け込んで、どこか恐ろしくもあり美しくもある空を、シオの援護を受けたミツキが舞った。黎明を吸い込んだような髪がふわりと広がり、眼下の何も知らぬグリード達を、凛とした眼差しで見下ろす。
 それを確認してから、グリードの中心へと突っ込んだシオは己の得物を地面へと突き立てた。秘めた想いが焔の力となって、踏みしめる大地へと流れ込む。
 焔が火柱となって、グリードを攻撃しつつ彼を守るように現れる。合間から上空のミツキを確認して、シオは力強く頷いた。
「任せてください!」
 陣を張り、滞空時間を僅かに確保したミツキは、ミスティックノードをくるりと回す。その先端に集う光が普段よりも多い事に気付き、シオは微かに不敵に笑んだ。
「俺の事は気にするな、全力でやれ!」
 彼の言葉に頷き返して、ミツキは白と黒の魔法弾を放つ。立て続けに放たれるそれらは地を揺らし、焔と混じり合い、立ち塞がるグリードを追い詰めていった。

「道を空けてもらいます――――カオス・エルドラド!」

 金色の魔法弾。それは太陽のない空に、日輪の如く輝いた。眩しいな、と柄にもなく暢気な事を考えかけたが、彼はそれを振り払う。
 シオはヴォーパルウェポンを構え、そのまま斜めに振り上げた。
「終いだ」
 最大の魔法弾が直撃する寸前、焔を纏わせた刃でグリードの一体を斬りつけつつ、シオはその範囲内から脱出する。
 受け身を取った直後、真後ろで爆発が起こり、彼の背を熱風が焦がした。


 轟音の後には、静寂が訪れる。とん、とミツキが降り立った音を聞いて、シオはゆっくりと彼女の方を振り返った。
「上手く行きましたね。周囲に他のグリードは居ないようです」
 ミツキから差し出された手を取り、シオが立ち上がる。
「無茶言いやがる。このまま空まで放れなんてな」
「ふふ、言ってはいませんよ? ですが、高幡君に通じたようで安心しました。……私を、信じてくれたんですよね」
「当たり前だ。仲間一人信じられねえで、今から俺達がやろうとしてる事が成せるとは思えねえ」
「はい。その通りです」
「それに……万が一の事があっても、受け止めて耐え抜くくらい出来る。俺の丈夫さは、北都もよく知ってるだろうが?」
 想定していないわけではなかった。グリードに阻まれ、脱出が間に合わない可能性もシオの脳裏に過ってはいた。
 ヴォーパルウェポンを持ち直し、そう言ったシオと目を合わせて、ミツキは穏やかに笑った。
「だからこそ……私も信じる事が出来たんです」
 自分の掌を見て、ミツキは続ける。
「掴まれた時、高幡君の手は大きいな、と改めて思いました」
「……大きい、か」
 シオの心を通り過ぎたものに、気付いているのか否か――ミツキの様子から、察する事は叶わない。
 緩く首を横に振って、彼女はシオが得物を持つ手に、自分の手を添えた。

「掬い上げて、救う事の出来る――傷付ける為の力ではなく、護る為の力を持った手ですから。高幡君からは――いえ、高幡君からも≠ニ言うべきでしょうか……それを感じます」

 それが誰を指しているのか、シオにはすぐに分かった。
「……北都」
 シオは、自身の胸に手を置く。
 居なくなってしまったとしても、竜崎一馬という一人の男の存在は、確かに根付いている。ここで生き続けているのだ、と。
「きっとそれは、カズマの遺したモンでもある。俺の中にある魂≠ノ繋がる焔だ」
「竜崎さんの……」
「だが、俺はあいつにはなれない。俺は、あくまでも俺の魂を示し続けると決めた」
「高幡君なりの魂、ですか」
 大きさでも、強さでも、敵わない。敵わないまま、カズマは逝ってしまった。追い付けないまま、永遠に追い付けない存在になってしまったのだ。
 それならば、出来る事は何か――その答えは、これ以上、わざわざ言葉にする必要はない。
「そうだ。それがアイツの……」


 ◆


 橙が商店街を染め、蝉が鳴く声が夏を感じさせる夕暮れ。臨時休業の看板が下がった扉の向こうは、心地よい静けさが覆う空間となっていた。時折外を通り過ぎていく子どもの楽しそうな声は、そこへあたたかさを付け足していく。
 二人きりの店内を見回した後、シオは目の前で幸せそうにあんみつを口に運ぶミツキを見た。ここへ来る時は大企業の令嬢という肩書きは置いてきてくれているのだと、感じずにはいられなかった。
『ここへ来ると、ほっとするんです。自分の家とはまた違っていて、落ち着ける場所の一つだと思っていますから』
 北都グループの令嬢としてではなく、北都美月として、ここにいる。
 そんな彼女を見ていて、ほんの僅かに表情が和らいだ事に、シオ自身は気が付いていない。
「……ご馳走様でした。暑い日に食べられて嬉しいです。高幡君が作ったあんみつ、私はどこのお店よりも好きですよ」
「そいつはどうも」
 ふわりと微笑んで、ミツキはスプーンを置く。
「それにしても、以前にいただいたものより少しだけ塩っ気があるような……」
「女将さんに助言をもらってな。餡の塩と、量に少しこだわった」
「販売はするんですか?」
「いや、まだメニューには加えねえつもりだ。試作段階だからな」
「あら、残念です。美味しいのに」
「…………気が向いたら来いや。北都やあいつらなら試食させて良いって言ってくれたからな」
「ありがとうございます。その時はただの北都美月≠ニして来ますね」
 礼の後に続けられた言葉に、シオは微かに安堵を覚える。そうなった理由は彼自身でもはっきりとは分からないが、彼女がそう在れる場所である事を再認識した事は確かだった。
「――もう八月、ですか」
 シオが何気なくカレンダーを見ると、ミツキも視線を辿るようにして目を向ける。
 七月のそれを捲ってから一週間程が経過したが、あまり実感がない。毎日のように降りかかる、じとりと汗が滲む暑さは変わらないというのに。
「……あの日から、三年が経ちましたね」
 僅かに目を伏せて、ミツキがぽつりと呟く。
「あっという間だな。時間の流れなんてのは」
 見守っていた後輩達も無事に卒業して、取り巻く環境は少しずつ変わっていった。あの頃のように全員で集まる、という事はあまり出来なくなったが、時折連絡を取り合ってはいる。

「今更かもしれませんが。高幡君に一つ、お話し出来ていない事があったんです」

 過ぎ去った日々を思い返しかけて、追憶に浸りかけたシオを、ミツキの声が呼び戻す。
「話せてない事?」
「ええ」
 真剣な面持ち――とは、少し違う。話の内容の傾向を、読み取る事は出来そうにない表情を浮かべたまま、ミツキが口を開いた。
「あの時……グリードに追われて、吹き飛ばされた私が落下しそうになった後です。――竜崎さんの声が、聞こえました」
 手に取ろうとしていたあんみつの本を、シオはそのまま置く。
「…………カズマの、声がか?」
「聞き間違いかもしれませんが……いえ、竜崎さんの声だったと、私は信じています」
 ミツキが冗談を言う性格ではない事ぐらい、シオは分かっていた。だからこそ、告げられた言葉に微かに驚いてしまう。
「カズマは、何を」
「……」
 問いかけるシオ。
 ミツキは少しだけ間を開けて、小さく笑った。
「――……高幡君と同じ、でしたよ?」
 それは一体、どれを指しているのか。分かるようで分からない。
 僅かに空いた間が気になったものの、シオはそれ以上の追求はしなかった。相変わらず底知れない女だと、彼は苦笑だけ浮かべておいた。
 塩あんみつの皿を下げようと、シオが腕を伸ばした――その時。

『     』

 あの少し温い風が通り抜けて、それは何かを運んで来た。
「!」
 ハッとしたシオが顔を上げれば、ミツキは風が吹き抜けていった先を見つめていた。
 ゆっくりと振り向いた彼女は、微かに口を動かそうとしたものの、穏やかに笑うと同時にそれを閉ざす。
「……今、風が吹きましたね」
「気のせいじゃねえみてぇだな」
 似た色を帯びた瞳と瞳が交わって、音が数秒間消える。
 顔を見合わせたまま、ついさっきまでそこに居たのであろう存在を同時に思い浮かべて、先に笑ったのはどちらだったか。

「……ったく。今度、北都と墓参りに行くから待ってろよ」



Fin



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