頼むからこっち
向いてくれ

 ゼミの教室でスマホをいじっていると、となりの席に大きな音を立ててリュックが降ってきた。顔を上げる。ヒカルが不機嫌そうな顔で、突っ立っていた。
「どした、座れよ」
「どーしたもこーしたもあるか」
 不機嫌の理由を、俺はちゃんと分かっているような気がしたけど、まだそれと確信があったわけじゃないのでとりあえず無難に会話を始めようとしたのだが、どうやら理由は俺の思っているもので合っていたようで、ヒカルは俺と会話する気がなさそうである。そもそも、こいつはこのゼミに入ってないのだから、俺に用事がある以外で来るはずがない。
 ため息をついて、スマホを置いて向き直る。
「何」
「チカ、おまえ、みいるに何した」
 ほぼ予想通りの、問いかけの体をなしていない脅迫めいた言葉に、俺は、つい昨晩の出来事にふわりと意識を飛ばす。


 しん、と空気の冷たい夜。俺は楢本家のリビングにいた。ソファに腰かけて、みいちゃんと並んで雑誌を読んでいた。
「これ、美味しそう」
「俺はこっちを食べてみたいかな」
 みいちゃんの部屋着は、ジェラートピケのかわいいやつだ。もこもこのパーカーに、もこもこのショートパンツ。靴下ももこもこだけど、見えてるふとももから膝にかけて、寒くないのかな。俺にとっては目の毒だし。
 長いふわふわの髪の毛をそのまま下ろしているみいちゃんは、まあたぶん欲目と贔屓目があるけど、うそみたいにかわいい。長い睫毛が、まばたきするたび風を起こしたんじゃないかってくらい丁寧に上下して、薄ピンク色のくちびるはほんのりと尖っている。
「こういうかわいいの、女の子、好きだよねえ」
 みいちゃんが指差した、見た目もかわいいスイーツに、そうだねえ、と相槌を打つと、想定外の言葉が打ち返された。
「彼女と行ったりする?」
「……」
 一瞬、何を言われたのか分からなくて脳が考えることを拒否したが、脊髄反射みたいに、考えずに答えが出ていた。
「彼女いないし」
「えっ、いないの? チカくん、すっごくモテるじゃん? それにうちのおにいは彼女が三人いるよ!」
「それヤバくない?」
 だってねだってね先週と先々週でデートする子の名前違うんだよ! ……ヒカル、おまえの行動、妹の情操教育に確実に悪影響及ぼしてるからな……。
「でも、そっかあ、チカくん彼女いないんだあ……。……なんでいないの?」
「……それは」
 この子は、劇的に鈍いのだ。俺の好意が自分に向けられていることを、ちっとも感じ取ってくれない。これまでだってだいぶ特別扱いしていたつもりなのに、全然なしのつぶてというやつである。
「俺、好きな子いるしね」
「……それって、片思い、ってやつ?」
「うん、そう」
 たぶんこの子が生まれたときから好きだった。でも、そういうふうに意識したのはここ最近、一年ほどのことだ。気づいたときは、とうとう人様の妹にシスコンを拗らせまくったか、と絶望したが、よく考えたら俺にとっては彼女は妹でも何でもないのだった、まったく問題ない。
「……チカくんみたいな人も、片思いってするんだねえ」
「どういう意味?」
「だって、チカくんはかっこいいから、告白されて断る子なんていないよ。だから、片思いなんてしないと思ってた」
 それは、きみも俺の告白を断らないって意味だって、思ってもいいの?
 ど、ど、と心臓が早鐘を刻む。そうじゃない、この子は一般論を語っているだけだ、違う、俺のことを好きなわけじゃない、落ち着け。
 みいちゃんが、手元の雑誌に視線を戻した。それから、ぽつりと言った。
「前はねえ、おにいもチカくんもいっぱいかまってくれたけど、今は大学忙しいんでしょ? たまには、遊んでほしいなあ、彼女できても、遊んでほしいなあ」
「……俺ね、好きな子に尽くすタイプだから、彼女できたらみいちゃんと遊んであげられないなあ」
「そうなの……?」
 しょんぼりしてしまったみいちゃんの頬にそっと指を滑らせる。みいちゃんが顔を上げた。大きな瞳が、今にも零れ落ちそうだ。
「……ってか、チカくん、片思いしてるならこんなことしてる場合じゃなくない?」
「え?」
「かまってもらえないのさびしいけど、あたしとこんなことしてるより、好きな人に会いに行かなきゃ」
「…………」
 今まさに好きな子との距離を縮めているところなのだということを、この子にはどうしたって分かってもらえないのだ。どれだけ特別扱いしたって、お姫様みたいにかまったって、自分が、俺が恋人に与える優しさをもらえる対象なんだって、気づきやしない。不毛だ。
 ……いや、違うか。
「……みいちゃん、あのね」
「ん?」
 俺がちゃんと伝えてないくせに、みいちゃんのせいにするのはずるいよな。
「俺の好きな子って、みいちゃんなんだよね」