鮫化粧





※バージルとダンテ(もどき)。血表現有。
※リベリオン擬人化注意







 バージルが目を開けたとき、一階は薄暗かった。
 夕方を過ぎたが完全に夜中にはなっていない微妙な暗さだった。明かりが必要だが見えなくもないといった具合で、どこに何があるかはある程度判然としている。だが辺りは海の中を潜っているような色に包まれていて、外のわずかな光を受けていない場所は限りなく黒に近い青い影の中に沈んでいた。
 腕を組んだまま背もたれに身体を預けている自分の格好からして、どうやらうたた寝をしてしまったようだ。かたわらにヘルマン・ヘッセの「車輪の下」が置かれている。確か読み終えた後少し目が痛くなったので仮眠を取ろうと思ったのだ。そのときはまだ夕暮れではなかったはずなのだがとんだ誤算である。どれだけ眠っていたのだろうか。そこでバージルはハッとして額を手で無意識に押さえた。こんなことが前にもあったのだ。あのときもこうして長くうたた寝をしてしまって、ネロが夕食の仕度が出来た旨を伝えながら自分を起こしにきたのである。が、ネロはどうにもひきつった顔をしていたのでワケを訊くと「鏡を見ろ」とだけしか言わず、いぶかしみながら洗面所のミラーを覗いたら己が額に「筋肉上等」とマジックで落書きされていた。犯人はもちろん愚弟で、夕食の品はしっかりテーブルから避難済で、悪びれもしない若にダァーイでスカァームな制裁を加えたのは記憶に新しい。
 さすがに二度目はないだろうと思いつつバージルはソファーから立ち上がり、念のため洗面所に向かって鏡と向き合った。若干髪が乱れているが、幸いなことに顔中どこを見ても落書きはされていない。血色が悪いのはいつものことだ。ため息を吐く。油性の悪夢なぞもう御免である。
 髪を整え直し、もう一度落書きの跡がないか確かめたあとバージルは洗面所を出て、一階を見回したところでようやく違和感に気づいた。
 住人がいないのだ。
「……」
 バージルは口を引き締めた。事務机にいる電話番も、キッチンで夕飯を作る奴も、二階で暇を持て余している輩もいない。気配を探ってみるが空っぽだ。自分を残してどこかに行ったのか。それならそれで几帳面なネロか二代目が書き置き一つ残しておいたりするのだがそれらしき紙切れは見当たらないし、第一電話番を置かない時点でおかしい。ダンテ達は余程のことがない限り必ず電話を取る役目の者を配置するようにしており、それは全員がローテーションで行うことだった。不思議なことに、この時間の電話番が誰だったかバージルは思い出せない。考えようとしても思考が続かない。まるで脳が霧に包まれているようだった。その霧を晴らすにはかなり労力を要しそうだったので早々に諦める。とりあえず帰ってくるまで待つか。そう決断しようとしたそのとき、唐突に電話が鳴った。
「――。」
 電話の音は異様に事務所に響いた。
 海の色はまだ一階に浸透している。本当に誰もいないのだ。バージルは事務机に近づくと受話器をつかみ、そのまま十秒待ってみた。
 電話は鳴り続けている。更に十秒待ってみる。
 電話は鳴り続けている。
 バージルは受話器を取り、おもむろに耳に当てて呟いた。
「Devil may cry」
『――あの』
 恐る恐るといった風な声だった。どこか聞き覚えがあるような、
『あんたは誰ですか?』
 バージルは眉間の皺を寄せた。
「――ネロか?」
 なんだ、ネロの声だ。一体どこから掛けているんだ。
『いや俺じゃなくて、あんたは誰ですか』
「貴様痴呆にでもなったか。それよりどこにいる。何故誰も事務所にいないんだ」
『え? いま事務所にいるのか』
 まるで会話が噛み合ってない。
『あぁ違う違う。場所はいいや。あんたが誰か訊きたいんだよ』
「何の話をしている」
『あんたはバージルだよな?』
「それがどうした」
『いつのバージルだ?』
 こめかみが痛くなってきた。言葉遊びのつもりなのだろうか。
「……話が見えん」
『随分はっきりしてるんだな。なあ、血って赤いのに皮膚の下を流れてるときは青く見えるのはなんでだと思う?』
「光の乱反射でそう見えるだけだろう」
『じゃあムスペルってなんだ?』
「北欧神話に登場する巨人のことか」
『ルルドの泉の話の主人公って誰だ?』
「ベルナデッタ。おい、いい加減にしろ」
『いま自分の他に誰かいないか?』
「だからいい加減にしろと」
 いきなり背後から雷鳴のごとくつんざくようなギターの音が聞こえ出した。驚いて受話器を持ったまま振り返ると、ジュークボックスが勝手にスイッチを入れてロックの曲を流し始めている。タイマーか何かでこの時間に鳴らすようにしていたのかもしれないが、そんな機能があるかどうかはバージルには分からなかった。
 何なんだまったく。
 気を取り直して受話器を再度耳に当てると、ツーツーと終話音がむなしく流れていた。思わず呆れて受話器を見つめ、何が何だかさっぱり分からないといった顔で黒電話にガチャンと戻した。
 曲は未だに流れ続けている。こんな曲のどこがいいのだろうか、うるさいだけだし主の趣味を疑うレベルだとバージルは思う。ブーツを響かせてジュークボックスの前に立つ。スピーカーから容赦なく発せられる大音量に目の奥の痛みがぶり返す。
 バージルは人差し指で停止ボタンを押した。
 が、静寂は一瞬だった。
 ジュークボックスが沈黙した直後、今度は背後でブツンとスイッチが入る音がした。それから外の明かりとは違う光を背中にうっすらと感じ、ほぼ同時に煙のように気配が一つ増えた。
 ここに来てバージルはようやく妙な雰囲気を自覚しつつあった。
 そして、この雰囲気には覚えがあった。なにせこちとらこの手の感覚は幾度も経験してきたのだ。なのに今の今まで気づかなかったのは「久しぶりだったから」に他ならなかった。
 バージルは振り返る。振り返り、ソファーのほうを見やる。
 まず始めにテレビが付いていた。画面は青く発光しており、動物が二本足で立って活躍するアニメが映っている。音声は聞こえず、電波が悪いのか時々砂嵐が画面を掠めている。そのテレビの前の正面ソファー。先ほどまでバージルが座っていた場所に誰かが陣取っていた。微動だにしない銀髪の後頭部が見える。誰かなんて一目で分かった。一体どこにいたのだなどと愚かしい考えは浮かばなかった。
 その光景は現実的には見えなかったのだ。
 答えは落ちていた。
「――夢か」
 ひとりごちてバージルはもう一度ため息を吐いた。この空間の微妙な幻想感と先ほどの意味不明なネロの会話。夢はそういうものだということにもっと早く気づくべきだった。ということはリアルの自分はまだ眠っているのか。さっさと起きてほしいものだと思う。夢だと分かったところで抜け出すキッカケはいつも違った。以前は水を溜めた風呂の中に飛び込まなければならなかった。
 夢にダンテが登場したのならば、まず話さなければいけないのだろう。面倒くさい。
 バージルはソファーに近づいてダンテの後ろに立った。斜めに覗き込んでみるが惜しい角度で目が見えない。
「愚弟」
 返事はない。まぁそんなものだろう。
 回り込んで今度はソファーの横に立った。ダンテはいつもの裸コートでだらしなく座り込んでいて、左手を肘掛けに置き、右手は身体の横に手首を上にして置いていた。
 その手首が横一線で切られており、とめどなく血が流れ出してソファーを汚していてもバージルは動じなかった。むしろ益々夢だと痛感した。半魔の回復力があるからして、傷が治らないのはおかしいのだ。無視して再びダンテの顔を見ると、ダンテはこちらをまっすぐに見上げていた。目が濡れたように光っている。テレビの青い光が肌に反射して病人のようだった。
 への字に結んでいた口が解けてにへらと笑い、ポンポンとソファーを叩きながら、
「まあ、ちょっと隣り座れよ」
「断る」
 間髪入れずバージルは返した。
「何でだよ」
「服が汚れる」
 ソファーにべったりついた血の上に座れるものかと言うとダンテはきょとんとした表情をし、それから自分の手首を見下ろすともう片方の無事な手で手首をおさえ、その状態でソファーの血のついた部分をサッと手のひらで撫でた。撫でたあとのソファーには血の一滴も付着しておらず、まるで魔法のように綺麗になっている。
「ほら、これでいいだろ?」
「……」
 夢は何でもありだなと感心しながらバージルはまっさらな革のソファーに微妙に距離を取って座った。ついでに足も組む。ダンテは左手を離して肘掛けに戻し、右手を太股の上に置いた。ちらりと手首を盗み見るとまだ血を流している。バージルとしてはそれがちょっと気になった。そういえば置きっぱなしだった「車輪の下」が見当たらない、どこにいったのだろう。
「バージル、夢から醒める方法教えてやろうか」
「……何だと」
「意外か?」
「意外だな。貴様は俺の夢が作り出したいわば『夢の一部』だろう。だから俺の無意識化で貴様は動いたり話したりしている」
「だな。つまり俺はバージルに作られたってわけだ。自立してない。でもって夢の一部だから、夢の壊れ方も知ってる。オーケー?」
「夢がどうして自らが壊れる方法を教えるんだ」
「あんたが望んでるからだよ。この事務所はバージルそのもので、俺もバージルそのものだ。だから何を考えてるか分かる」
 ダンテはこういうことは言わない。不可思議なことも夢だからで片づけられる。
「ではそうと仮定したとして、どうすれば俺は目覚める?」
「簡単だ」
 間。
「俺を殺せばいい」
 沈黙。
「あんたさあ、今でこそ事務所で仲良く暮らしてるけど、たまーにダンテをぶっ殺してやりたいときあるだろ?」
「そんなのしょっちゅうだな」
「ちげーよ。そりゃムカつく気持ちの延長線上の話だ。大抵茶々が入ったり途中で気が紛れるとそんな気分無くなるだろ? 俺が言いたいのはガチのほうだ。本気で殺したいときだよ」
 バージルはくすぶった瞳でダンテを見つめる。
 ダンテは猫のような目でバージルを見つめる。
「――夢で殺してそれでどうなる? 現実は違うんだぞ」
「言っただろ、これは夢だ。あんたの無意識が作り出している世界だ。あんたの願望が現れてる。願望を果たせば、そこで終わりだ」
「今までの夢は」
「いつも同じ夢を見ないのと同じでその時々で違う。今日はたまたまこういう日だったってわけ」
 そこでダンテはバージルの手元を指さす。
「閻魔刀だ」
 言われて初めて気づいた。
 視線を落とすといつの間にか馴染みある感触と武器が右手にあった。自由自在だ。いま魔人化しようと思えばきっと制限なしでデビルトリガーを引けるだろう。
「さ、それでさっくり首チョンパしろよ。そうすれば綺麗さっぱり夢から醒めるぜ。よかったなバージル。じゃあな」
 そしてダンテは黙った。黙ってこちらを見つめて殺されるのを待っている。
 閻魔刀を鞘から抜くと、少しも現実と違わない刀身がぬらりと輝いていた。触れるものすべてを斬り裂く魔の業物である。一振りだ。一振りでコイツを殺せる。そうすればこんな陳腐な夢から抜け出せる。実にあっさりとしていて楽なものだ。まな板の上の林檎を切るより簡単だ。
 バージルはダンテの首筋に閻魔刀を宛がった。
 楽なものだな、と今度は音に出して呟いた。
「そういう夢もある」
 ダンテは微動だにせずに返事をした。
 本当にそうだろうか。
「……」
 横目でなにとはなしにテレビを見ると番組が変わっていた。「刺青の世界」というドキュメンタリーで、十六歳の少女が初めてのタトゥーとして薔薇を選び、へその辺りに彫られていく場面が淡々と映し出されていた。夢にしてはやけに鮮明で詳細だ。自分はこの番組を見たことがあるのだろうかと思う。
 何かがおかしかった。
 ビリヤード台の玉がひし形に揃えられている。壁に貼られたポスターは剥がれかかっておらず、キッチンのシンクには水滴一つ付いていない。事務机の上には乱雑に置かれたピザの箱もアダルト雑誌もなく、ダンテはおしゃべりもせず黙っている。間違い探しをしているようだった。夢だから多少間違ってても多目に見ることは出来るが、これらは全てダンテを殺すだけで終わる夢ならいらない情報だ。
 夢はこんなに簡単じゃない。少なくとも自分の見てきた夢はもっと複雑だ。決して導くような真似はしなかった。登場人物がまったく出ないときもあれば、モブの人物までしっかり出場しているケースもあった。台詞は総じて比喩が散りばめられ会話は破綻し、目の端に映る景色の隅っこはいつも滲んでいた。突然居た場所が変わったこともあったし、誰かに崖から突き落とされるという突拍子もない出来事もいくつかあった。
 この世界はよく出来ていた。夢だと最初分からなかったくらいだ。そしてダンテは、性格こそ若干違えど会話は成立していた。
 ――この事務所はバージルそのもので、俺もバージルそのものだ。
 なら、自分自身だと主張する者を手に掛けたとき、本来の自分はどうなるのか。自分を殺して自分が助かるなんてことがあるのだろうか。
 バージルは自己完結する人間だ。やれることはすべてやる。出来うる限り自分で解決して終わらせる。幕も自分で引く。他人に引っ張らせたりしない。それが出来ないのは、自分が死んだときだけだ。
 笑みが浮かんだ。
 馬鹿らしい。これは夢だ。
 自分の夢なのだ。どうするかは自分が決める。



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