Kidnap the body/中編





 他人の空似というレベルじゃなかった。顔はもちろん髪型も服装も文字通りそのままで、さらには揺るがぬ証拠として背中にリベリオンを背負っていた。何でだ、髭はいま死体となっているはずだ、どうしてその死体がこの場で動いている。ついにゾンビに超越退化してしまったのか? 駄目だ頭が混乱してきた。同じ状態なのか頭骸骨の髭も黙ったままだ。
 髭と思われる男は頭蓋骨を持ったまま動かなかった。
 ネロも状況を把握しきれず動けなかった。なので、右腕がわずかに反応したことにも気づかなかった。
 遠くで色の違うざわめきが聞こえた。
「――、」
 男がちらりと目だけでざわめきのほうを向く。
 次の瞬間、轟音と共にネロと男の間を銃弾が横切った。
「!?」
 何の前触れもなかった。
 発砲音が響き渡ると同時に周囲の空気が一瞬沈黙し、それからもの凄い悲鳴が次々と上がった。左の壁に煙を立ててめり込んだ弾丸をネロはマジマジと見て、それから弾丸の軌跡を素早く逆算して発砲場所を振り返る。絶えず車が行き交う四車線の道路を挟んだ向こうの通りで、人々の視線が集まる中心にいる人物がこちらに銃を向けていた。
 二代目だった。
「にだ、」
 何をしてる、と考えるまでもなく二代目がもう一度引き金を引いた。銃口から弾丸が発射されて行き交う車のわずかな間を絶妙なタイミングですり抜け、最後にトラックの運転席と助手席の開け放された窓を通過して髭の額を狙った。髭は眉一つ動かさずに後退してそれをかわし、訳が分からないまま呆然としているネロの前でおもむろに斜に構える。頭蓋骨を持った腕を後ろに引き、まるでドッジボールのように投げつけるみたいだと思った瞬間、男は本当に髭を天高くぶん投げた。
「え」
 人々が一斉に上を見上げた。
 頭蓋骨が宙を舞った。ネロと双子とその他大勢の頭上を通り越して遙か遠くへ飛んでいく。理解して振り返ったときにはもう遅かった。髭は「ぼーうぅゃぁぁぁーーー……」と間延びした声を上げつつ姿をフェードアウトさせ、道路上を走行していた大型トラックのコンテナの上にゴールイン。何も知らないトラックは安全運転で信号を左に曲がり、そのまま角に消えて行ってしまった。あっと言う間だった。
 一拍置いてネロは叫んだ。
「おっさあーーーーん!?」
 パッパー、とクラクションが答えた。と同時に若が声を上げてネロの背後を指差す。顔を元に戻すと、髭とおぼしき男がくるりと背を向けて逆方向に走り出していた。邪魔な野次馬の海に突っ込んで姿をくらまそうとしているようだ。追いかけるべきか。しかし髭はどうする。迷っていると、程なくして横断歩道を走ってきた二代目がアイボリー片手にネロの元に駆け寄ってきた。早口に、
「俺が奴を追う、お前は髭を探してこい」
 後ろから若とバージルも足早に合流してきた。
「どういうことなんだよ二代目、アイツほんとにおっさんなのか?」
 若の問いに二代目はこくりと頷き、
「身体はな。だが中身が違う」
「中身、」
「悪魔が入っている」
 そのとき、向こうからパトカーのサイレンの音が響いてきた。街中で発砲してしまったので誰かが通報したようだ。周りにいる人間がほとんど目撃者であるからして、このままここにいるのはマズい。
「詳しい説明はあとにしてくれ。とにかく俺は奴を追う。そっちは頼んだぞ」
 言って二代目はアイボリーをホルスターに仕舞いながらコートを翻し、こちらが追求する暇も与えず走り去ってしまった。
 まるで状況が飲み込めない。
「……え、つまり。え?」
 髭の身体だが悪魔が入っている、と二代目は言った。ということは、死体となった髭に悪魔が憑いたという解釈で良いのだろうか。混乱しているネロを余所にバージルが冷静に、
「取りあえず髭を追いかけたほうがいいと思うぞ」
 そうだなと若も頷き、
「ケーサツの世話にはなりたくねーしな」
 パトカーの赤がチラついてきていた。
 どうやら疑問はいったん隅に置いたほうが良さそうだ。こうしている間にも髭を乗せたトラックはどんどん距離を開けているだろうし、赤信号で多少は止まっていたとしても追いつけるかどうか分からない。髭イン悪魔のほうは後回しにして、まずはこちらから片づけなくては。
「……分かった。じゃあ俺はおっさん探すよ」
「よっし! 俺もそっちに付くわ。バージルは?」
「三人も向かわなくていいだろう。俺は二代目を追う」
「オーケー、それじゃあ野外パーティーの始まりだな!」
 嫌なパーティーである。しかも無駄に敷地が広い。おまけに主役がいない。
 ネロと若は街の外側方面へ、バージルは逆に中心方面へとそれぞれ走り出した。今更だが姿がめちゃくちゃ目立つのはご愛嬌であるのでしばらくは人目を避けることは出来ないだろう。真横を通り過ぎた通行人が何だ何だと振り返っている。そんなことなど露ほども気にせずにネロと若は横断歩道を突っ切り、
「で、どっち曲がったんだっけ?」
 と若。
「左だ左! 青いトラックだ!」
 とネロ。そして、
「おーい、どうしたんだ?」
「あ」
 ネロと若の行く手に初代がいた。両手にそれぞれフルーツジュースが入ったプラスチックのカップを持っている。そう言えば飲み物を買いに行ってたんだったか、すっかり忘れてた。
 が、説明している暇はなかった。
「わりい初代!」
 そう言ってネロは初代の脇を通り過ぎ、
「サンキュー初代!」
 そう言って若はすれ違いざま初代の右手からストロベリージュースを奪って嵐のごとく通り過ぎた。二人分の風を受けて初代は目をしばたき、
「は? っておいちょっと待てそれ俺の――」
 振り返った先にもう二人の姿はなかった。どうやら角を曲がってしまったらしい。何なんだよあのクソガキと思うまもなく、遠くでパトカーのサイレン音と騒々しい空気が津波のように伝わってきた。コラーそこの三人ー止まれー!と拡声器で怒鳴る警官の声と発砲音。初代の位置からでは見えにくかったが、人混みの遙か彼方で誰かが逃げ回っているようである。そして決定的な瞬間を初代は見た。赤い服を着た人間が、ビル壁を走り登って二階のスタバにガラスを割って進入したのである。そこに同じく見覚えのある男二人が追いかけてビルに入ったのを発見し初代は思わず半目になった。
「ははーん」
 一連の光景で五割ほど理解した初代は左手に残ったマンゴージュースをズビーと吸い、ストローをくわえたまま呟く。
「まぁた俺のいない間に何かあったな……」
 どうやら今日の自分は、とことん脇役キャラに回る運命らしい。



********



 コンテナの中に文字通り顔から突っ込み、鼻がもげるような悪臭を嗅ぎとって思わず髭は顔面をしかめた。神経も筋肉もない状態でその表現はいささか正しくないのだが心境としてはしかめたのである。が、同時にこんな状態でも嗅覚が働いているのかと感心もした。世の中は不思議でいっぱいだ。
 髭を乗せた車は走行中なのか、時折ガタガタと視界が揺れて体勢が横向きになった。放り込まれたときしっかり見ていなかったのだが、音と揺れからして大型トラックではないかと思う。ではこの悪臭はなんなのか。そう考えた瞬間、目の前にある物体が黒くなったバナナの皮であることに気がついた。
『……』
 髭はさらに周囲を出来るだけ見回した。大小さまざまなゴミ袋から中身が透けて見える。油まみれのポテトチップスの袋、服を着ていないバービー人形、穴あき靴下と黄ばんだワイシャツ、断線したらしいヘッドホン、燃えるゴミ燃えないゴミ、その他生ゴミや塵芥がコンテナの中に山と積め込まれており、髭はその地層の一番上に転がっていた。
 ゴミ収集車の中だった。
 製造会社に問いたい、なぜこのトラックのコンテナに屋根をつける予算を与えてくれなかったのか。ゴミが外に漏れる可能性もあるし臭いが街に振りまかれるのは充分予想可能であるし、何よりこうして自分が落ちることもなかったはずである。猛烈に思う。何が悲しくてこんなところにゴールインしなくてはならないのだ。元に戻ったら一つ文句を言ってやる。
 わずかに大きな揺れのあと、ゴミ収集車はキキッとブレーキを踏んで止まった。信号に捕まったのだろうか。
 何にせよ一刻も早くここから脱出しなくてはならない。身動きが取れない身の上なのはネロ達もわかっているから追いかけて来ているはずである。どこかで機械の作動音がする。
(そういえば……)
 髭は自分の身体と対面したときのことを思い返した。
 無遠慮に持ち上げられこちらを覗いたあの顔。あれは疑いの余地もなく己の肉体だった。全くどこをほっつき歩いていたんだかと他人事のように思う。余計なことをしてなければいいのだが。――いや、問題はそこではない。
 問題は、本来魂が収まるべき場所には悪魔の気配があり、それは最初に骸骨から感じたものとほぼ同じものだったことだ。
 悪魔狩人としては致命的なミスである。普通なら依頼先で骸骨を見た時点で気がつくべきだったのだが、あまりに悪魔の気配が薄くて油断した。骸骨の中にいた悪魔と自分が入れ替わったタイミングがあのとき額を合わせた瞬間だとすれば、そうやって次々に器を交換して人界をさまよっているのかもしれない。恐らく、砂などを媒介にして実体化も出来ないくらいの超低級型だ。渡り鳥のフンに含まれた寄生虫みたいな奴だ。だから気づかなかった。何故骸骨に忍び込んでいたかは定かではないが。
 弱ったな、と髭は思う。
 もし、悪魔が自分の身体から他の器に入れ替わったら、元に戻れる可能性はかなり低くなる。「入れ替わり」は悪魔の能力だ。悪魔が入っている器と自分をぶつけなければならない。つまり、髭の肉体に他人の魂が移った状態で骸骨の己が額を合わせても意味がないのだ。非常にまずい。一生この姿で生きるなんて死んでも願い下げである。なんとかならないものかと脳みそ辺りに力を入れてみるが、残念なことに頭蓋骨は一ミリも動いてはくれなかった。コンテナの上の四角い景色は一面の青空で、まるでボーフラが湧いた汚く深い井戸から孤独にそれを見上げている気分だった。
 唐突に視界が少し下がった。
『ん?』
 嫌な音がした。自分の真下、ゴミの地層の最下部からそれは響いた。機械のモーター音と、何かを圧縮するときの重い音が同時に聞こえ、地層がわずかに沈みこむ。何かがバキバキと潰される破壊音がする度にゴミの山は低くなる。量が減っているのか――そう考えた瞬間、髭は思わず心の中で十字を切った。
 ゴミ収集車は街中を走り回って指定された場所にあるゴミを回収するのが目的である。当然コンテナの中はすぐいっぱいになるはずだ。なので、ゴミをプレスして少しでも積載量を増やす機能も当然ついている。コンテナの下に響く音はそのプレス機構であり、それはとても強力である。周りを見れば分かる通りこの街では燃える燃えないに関わらずどんな種類のゴミも一緒くたに落とされているのだから、家具や鉄を含んだ異物という潰しにくいモノも希に混じっている。そしてプレス機構は、そういうのも難なく圧縮出来るように設計されている。
 ただの頭蓋骨などバッキバキだ。
 髭には新しい器に乗り移る力などない。器が壊された場合行き場のなくなった魂はどうなるのか定かではないが、最悪この世からオサラバしてしまう可能性もあった。
『弱ったな……』
 今度は声に出して呟いた。そうしたところで何も状況は変わらないのだが。
 そして、プレス音とは違う新たな駆動音が髭の耳に届いた。
 コンテナの外側からだった。髭はうんざりして目線を上にあげる。もう不吉な予感しかしなかった。その予感通りに、コンテナの真上からゴミ箱を掴んだ二本の腕が現れて影を落とした。
『……、』
 ここでは、ゴミ収集車にはロボットアームが付属している。運転手は大体一人で、収集車は指定された場所に指定の置き方で座したゴミ箱の前で止まるとトラック両サイドのロボットアームがぐわしっと掴み取り、持ち上げると中身を逆さにしてコンテナの中に直接落とすというワイルドな方法で回収するのだ。ちなみに本日はこれで十七回目の回収である。
 その第十七弾の回収物が、まさに髭の上に落とされようとしていた。
 髭は呟いた。
『勘弁してくれ』
 ゴミ箱がひっくり返り、生臭い袋がバラバラと雨のように降ってきた。



>>





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -