Kidnap the body/前編





 最近の愛読書はもっぱら「罪に死す」である。未亡人であるフリージアの美しさに思いあまって手を出してしまった神父の、後悔と苦悩を描いた何ともしょっぱいラブストーリーである。暇だから何か本を読みたいと言ったらバージルが貸してくれたのだ。曰く、パチモンの域を出ない作品だが割と楽しめたらしい。
「なあネロ、それそんなに面白いのか?」
 三人掛けのソファーを占領して寝転がっている若が話し掛けてきた。
「あー?」
 ネロは生返事をした。同じく一人用のソファーに座って足を組んだ上に本を開いている。ハードカバーと背表紙の厚みからして結構な長編物のようで、ページの開き部分から見るに読破はまだまだ先になりそうだった。
「だってそれ、オリヴィエっつー神父が女を食っちまったって話だろ?」
「食っち……。何だよ、若読んだことあんのか?」
「や、バージルが。俺どうせ読まないからついでにオチも教えてもらった」
 そこでネロは顔を上げて先制、
「ネタバレしたら潰すぞ」
「実はフリージアって未亡人て言ってるけど本当はな」
「言ったそばからすんなよテメエ!」
 本をバシンと閉じて思いっきり投げつけた。若はそれを上体を起こしてかわし、ソファーの背もたれを飛び越えてハッハーと笑いながら一目散に逃げて行く。
「ゴラ待て! 逃げんな!」
 ネロは猛然と立ち上がり、
「賑やかだな」
 二代目だった。向かい側にあるもう一つのソファーでコーヒーを飲んでいる。
「あまり騒いで物を壊すなよ。何か飲むか?」
「……。いや、いい」
 二代目ののんびりした口調に追いかけるのも馬鹿馬鹿しくなってネロはすぐに腰をおろした。まさに人間瞬間冷却剤。
「ったくあの野郎」
「そう言うな。最近ロクな依頼がないから暇で仕方ないんだろ」
「暇つぶしにしたって先にオチ言うか普通?」
 放り出された本を拾ってネロは読み途中のページをめくり始める。しおりを挟んでいなかったから探すのが大変だ。
 確かにここ数日は悪魔退治の依頼は入ってきていない。探偵に頼んだほうがマシなんじゃないかと思うような電話が何件か掛かってきたくらいで、最後に取った依頼がどうやら超常的な何かを匂わせるものらしく、どんな内容かは知らないが髭が引き受けて今朝出立したばかりだった。予定ならもうそろそろ帰ってくるはずなのだが、髭が目安通りに帰宅したことは残念ながら片手で数えるほどもない。
「二代目、おっさんが受けた依頼ってどんなのか知ってるか?」
 二代目は首を振る。
「いや、詳しくは聞いてない。ただ博物館に行くとか言ってたぞ」
「は。」
 何だそれ、髭と博物館なんてまるで想像できない。むしろ髭のほうが展示品になりそうだ。何せリアル半魔である、目玉展示になっても過言ではないだろう。いやそれにしても、
「おっさんと博物館って……に、似合わねえ……」
 絶望的なミスマッチさだった。同感なのか二代目も苦笑を漏らす。
「そうだな、厳粛な場所だからあいつには退屈だろう」
「二代目は行ったことあるか?」
 彼なら好きそうかもしれない。他のダンテと比べて本も読むし造旨も深いし。しかし二代目は微妙に視線をそらして、
「まあ、行ったには行ったが……入り方がな…」
「?」
「何でもない」
 はぐらかされた。どうやら昔何かやらかしたようである。そのままコーヒーに口を付けて無言で話を濁すのでネロも追求はせず、ようやく本に視線を戻して黙読を再開した。モンターニャ・ル・ブリジラの教えにより神父オリヴィエは森に散策に出かける。フリージアの面影と邪念を振り払いたいがどうにもうまくいかず、なら気分転換をしたほうがいいとアドバイスをもらったのだ。少しの水とランチを持って森を練り歩き、薬草と果実を採りながら奥に進んでいく。やがて湖のほとりまでたどり着くとオリヴィエは腰を下ろした。それから何となく水面を覗く。光の粒が反射して鏡のようになったそこには自身の少し疲れた顔と、真後ろにいる一匹の鹿がつぶらな瞳でコンコンコン、
 コンコンコン?
「あ?」
 ノック音だと気づくのに少し時間が掛かった。
 玄関からだ、来客だろうか。珍しいとネロは思う。だいたい依頼というのは電話が基本だ。もしかしたら道に迷った一般人が聞きに来たのかもしれないがそんなまともな奴はこの地区には皆無だし、大体外のネオンサインを見て何かしら悟るはずである。近くに居た若がはいはいはーいと駆け寄っていき、ノブを回して玄関の扉を前のめりに開けて、
 すぐ閉めた。
「え」
 思わず声が出た。外を見た瞬間若はぎょっとした表情をし、瞬く間に扉を閉めてしまったのである。まさかの門前シャットアウトに二代目も首を傾げている。若はドアノブを握ったまま難しい顔で固まっており、そのままネロ達を振り返ると神妙に、
「……今日って、ハロウィンじゃないよな…」
「はあ? 何言ってんだよ」
 意味が分からない。第一いまは初夏である。というか来客に失礼だ、早く入れさせないともしかしたらまともな依頼客を逃すかもしれない。
 違った。
『…おーい、開けてくれ』
 玄関の外から聞こえてきた声にネロと二代目は顔を見合わせる。
 この声は、
「――おっさん?」
『おう』
 髭だ。思わず拍子抜けした。少し声の調子がおかしいが間違いない。しかし自分の住まいなのに何故ノックなどしたのだ。
「何だよ、さっさと入ってこいよ」
『入れないからノックしてるんだが』
 もしかしたら荷物を持っていて両手が塞がっているのだろうか。その割にはノックが出来ているのだからノブも開けれそうなものだが――しかし目線で促しても若はぶんぶん首を振るだけで一向に開けようとする気配はない。何がどうなっているのか分からずに黙っていると、キッチンで洗い物を終えたバージルがやって来て三人掛けソファーの後ろで足を止めた。妙な空気になっているネロ達を見回して片眉を上げ、
「何をしてる?」
「バージル」
 若が来い来いと手招きしてバージルを呼ぶ。バージルはネロを、次いで二代目を見て状況を探ろうとしたがこっちだって分からないので何とも言えない。二代目が肩をすくめて意志表示し、バージルはむぅと唸って仕方なく若の隣りまで近づく。
「何だ」
 若はドアノブから手を離し、
「開けてみろよ」
「何故だ」
「いいから」
「……」
 真剣な口調からしてからかっているわけではない、そう判断したらしい。バージルは無言でドアノブに手を掛け、一度だけ若に疑わしげな視線を向け、静かに玄関を開けて隙間から外を覗き、
 すぐ閉めた。
「え」
 本日二度目。バージルが凄い形相で勢いよく若に顔を向け、若は「な? な!? そうなるだろ!?」とまくし立てている。どういうことだ、双子は一体何を見たのだ、外にいる髭はどんなことになっているのだ。とうとう二代目がコーヒーを置いて腰を上げ、ネロも本を閉じてソファーから立ち上がった。午後二時一分前のことだった。
 二代目がドアノブに手を掛け、若が後ろから二代目にしがみついて顔をのぞき込ませ、バージルは何故か幻影剣を一本出現させて臨戦態勢、ネロは何がなにやら分からないので取りあえず若の隣りに立った。
「開けるぞ」
 一同うなずく。緊張の空気が張りつめる。
 二代目は普段と何も変わらない動作でノブを回し、幾度となく蝶番が外れても復活し続けた年期の入った木製の扉を、
 開けた。

『――I'm home.』

 最初に感じたのはゴミ捨て場のにおいだった。それから生ゴミに群がる数十匹のハエ。変色した大根の皮。午後二時のうららかな太陽の光。
 そして、生ゴミをひっ被った一体の骸骨が、髭の声で「ただいま」と言って白骨むき出しの手を上げた姿。
 絶叫が上がった。
 絶叫が上がった中で二代目が素早く動いた。もはや反射だったのだろう。二代目はその瞬間左足を上げて肋骨の真ん中を蹴り飛ばし、後方に吹っ飛んでいく骸骨を見もせずに扉を閉めた。



********



 俺が寝てる間に何があった、と初代は質問した。初代は電話番として事務机に座っていたのだが、いつの間にか雑誌を顔に被せてぐうぐう居眠りをしていたのである。
 しかしながら問いには誰も答えられず、リビングは不気味なほど静寂に包まれていた。代わりにすべての視線がソファーのある一角に向けられている。ネロが座っていた一人掛けのソファー。そこに器用に足――大腿骨を組んで腰掛ける一体の骸骨。
 学校の理科室に置いてあるような、人間の骸骨である。
 意味が分からない。
 その骸骨の頭がボキボキッと音を立てながらこちらを向き、
『お前ら、なんでそんなに距離置いてんだよ?』
 皆は不気味がってキッチン方面に退避していた。先頭の守護神二代目の背後にネロ達が縦一列で張りつき、まるでチューチュートレインのエグザイルのごとくそれぞれ頭を覗かせて骸骨を見ている。ぶふっと骸骨が吹き出す仕草をし、カタカタと顎の骨を震わせた。
『それやめてくれ、笑っちまう』
 髭の声である。
 髭である。
 骸骨は事務所の主こと髭だった。確かだ、他のダンテやバージル曰く、心臓が存在する辺りに魂の光があって、その色が髭だと言う。
 意味が分からない、とネロは思う。
「どうしてそうなった」
 バージルが重々しく言い、若がコクコクと頷く。
「おっさん、身体が溶けて骨だけになっちまったのか?」
『さすがに俺でもそれは死んじまうぞ』
 二代目が冷静に、
「……依頼先で何かあったのか?」
『あぁ、参ったもんだ』
 どうやら当たりらしい。骸骨(髭)は大袈裟に両手を広げて、
『――どっから話すかな』
 曰く、依頼の内容は「呪いの骸骨を回収してしかるべき処置で破棄してほしい」とのことだった。博物館に行く、というのは髭なりの表現で、実際は博物館並みの収集品を保管しているコレクターの一軒家に向かったらしい。このコレクターがかなりマニア向けなものばかり集める奴だったので、もしかしたら悪魔関連の品の一つや二つあるのではないか――そう期待して依頼を引き受けたのだが、お目当てのものは残念ながらなかったという。
『そんでな、』
 件の「呪いの骸骨」もコレクションに入っているはずなのに何故手放したいのかと訊くと、この骸骨は勝手に動き出して夜な夜な家のあちこちをさまよい歩くのだとか。最初は曰くつきということで譲り受けてもらっただけで、噂程度にしかその話を信じていなかったのでまさか本当に動くとは思わなかったらしい。決定打となったのはつい先日のことで、就寝中にどうも息苦しくなって目が醒めたら、骸骨が上に乗ってコレクターの首を締めあげていたのだと言う。もう耐えられなくなったコレクターはこれを捨てようと考え、しかし呪いと付くだけあってへたに処分したら何か自分の身に不吉なことが起こるのではないかと不安になり、悩んだ末に表向きは便利屋の体を成しているデビルメイクライに電話を掛けた。
『処分っつっても俺もこの手のことは専門外だって言ったんだがな。じゃあせめて持って帰ってくれ、報酬は同額払うからって言われちまってよ。じゃあ事務所の壁に飾っとくかと思ってお持ち帰りすることにした。そしたら、帰り道でいきなり骸骨がガタガタ暴れ始めたんだ。適当な入れ物もないって言うからそのままズルズル骨掴んで引きずってたのが悪かったか?』
 で、もうここでぶっ壊しちまおうかと思ったらいきなり骸骨に頭突きされて意識が暗転し、気が付いたら自分はその骸骨になって不法投棄されたゴミ山の上に放り出されていたのだとさ。おしまい。
 もう何がなにやらでネロ達は言葉もない。
「……髭、突っ込みどころが多すぎるぞ」
 初代の言葉に髭も『俺だって分からん』と返し、
『ただ、こうなったのはあの頭突きのせいだな。別に気絶するほどでもなかったんだが、魂をこっちに強制的に移動させられた。あの骸骨、最初から何か別の意識が入ってたみたいだ』
 そこで若がふと、
「ん? じゃあおっさんは? おっさんの身体はどこだよ」
 そういえば、と皆も気がついた。骸骨の髭は手ぶらで事務所に帰ってきたのだ。今目の前にいるのが渦中の骸骨なら、髭の肉体は一体どうしたのか。髭は頭蓋骨の後ろをカリカリ掻いて、
『いや、俺が目ぇ覚ましたときにはどこにもなかった』
 意味を図りかねていると、
『俺が意識失ったところからゴミ捨て場まではそう距離もないからその辺に転がってるかと思ったんだが、見つからなかったんだよ』
 沈黙。



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