Sweet dream again




 電話が鳴った。
 キッチンで最後の皿を洗っていたネロは顔を上げる。
 こんなときに限って一階には誰もいない。二階では初代と髭がトランプに興じていて、二代目は何をしているか分からない。若は確か寝ているはずである。その間にも早く出ろとばかりに呼び鈴は鳴り続け、ネロは皿を洗い終えると金属ラックに置いて、布巾で手を拭きながら「はいはいはいはい」と事務机に向かう。
 受話器を取り、耳に当てた。
「Devil May Cry」
『――ネロか』
 バージルだった。
 ネロは目を丸くする。
「バージル?どうしたんだよ」
 確か依頼でかなり遠出しているはずだ。カナダの国境のすぐ近くだったと思う。森に住み着いた悪魔の駆逐を依頼されて一人で向かったのだ。
『……そこにダンテはいるか』
「ダンテ? …えーと」
 バージルが言う「ダンテ」は「若」のことだ。
「若なら、二階で寝てるはずだけど」
『そうか』
「起こすか?急ぎの伝言じゃないなら後で伝えるけど」
『いや、違う。お前に頼み事があるんだ』
「?」
 だったらなんで若のことを聞いたのだろう。
「頼み事って、」
『ダンテの様子を見て来てほしい』
 間。
「……は?」
『忙しいか?』
「そうでもないけど……なんで?」
『理由は後で話す。とにかく早くしてくれ、この電話はそう長く話せない』
 確かに、接続が悪いのか砂嵐の音が時折会話に混じっている。あちらは電波状態が悪い地域なのかもしれない。それでも掛けてきたということは、何かよっぽどの事情があるのだろうか。
「……わかった。ちょっと待てよ」
 耳から受話器を離す。この電話、黒電話のくせにコードレスだ、多分ここから受話器を移動させても大丈夫だよな――そう思いネロは受話器を持ったまま階段を上がる。
 二階に列をなす扉のうち、左から二番目が若の部屋だ。
 ノックした。
 沈黙が返ってきた。
「……やっぱり寝てるみたいだけど」
 再び受話器に耳を当てて言うと、バージルは間髪入れず答えた。
『開けて中を覗いてみろ、奴は鍵を掛けんから開くはずだ』
 ネロは不思議に思う。どうしたんだろうか、そこまでして若の様子を見なければならない何かがあると言うのか。取りあえず言われるがままにノブを回すと、本当に鍵が掛かっていなかった。不用心なものだ。
 邪魔するぜと心の中で呟くと扉を開けて、ネロは部屋の中をひょっこりと覗き込む。
 カーテンは開け放されていて太陽の光が入っているから明るい。何だか色々な物が散乱している部屋の隅にベッドがあり、そこで若が上半身裸のままシーツも被らず横になっていた。
 それを見て、変だ、とネロは思う。
 彼は微妙な動きの変化を見逃さなかった。若の様子がおかしい、遠目にもわかるほどシーツをきつく握りしめていて、耳を澄まさなければ聞こえないくらいの苦しげな呻き声が漏れていたのだ。
「――若?」
 ネロは思わず足を踏み入れる。タオルや服を踏まないようにしてベッドまで辿り着くと、若の顔を覗きこむ。
 ネロは眉間に皺を寄せた。
『どうした』
 受話器からバージルの声がして、ネロは若を見下ろしたまま答える、
「……すっげぇうなされてる」
 凄い汗だった、髪がべったりと肌に張り付いて枕がぐっしょりになっているほどだ。閉じられた目から汗か涙かわからない水滴が流れ、食い縛った歯の隙間から押し殺したような声が漏れる。
『…やはりな』
 特に驚くでもなくバージルは呟いた。
「やはりって、知ってたのか?いつから?」
『さっきだ』
「はあ?」
 バージルが依頼に向かったのは二日前だ。さっき気づいたというのは時間的にあり得ない。
「おいバージル、説明しろよ。若はどうしたんだ」
『……別に、夢見が悪くてうなされてるだけだ』
「、それだけ?」
『たまにあるんだ。お前達は気がつかなかっただろうが』
 バージルの言う通りだった。この事務所に双子が来てから幾分か経つが、そんなこと初めて知った。部屋の扉越しで気づかなかったのだから仕方ないと言えば仕方ないかもしれない。
「それのためだけに電話してきたのか?」
『………』
「バージル?」
 暫くバージルは受話器の向こうで無言だった。ザーと砂嵐の音が不定期に聞こえる。もしかして通話が切れたのかと思ったが、向こう側からふ、と小さな息遣いがした。
『…ネロ、そいつは起きるまでうなされたままだ。大人しくさせるには少し面倒なことをしなくてはならん。だから頼みたいことがある』
「なに」
 バージルは、言った。
『子守唄を聞かせてやってくれ』
 今度はネロが沈黙した。
 五秒くらいしてから、
「………あの、バージル」
『何だ』
「何だじゃなくて、どういう意味だよ」
『そのままの意味だ。愚弟は子守唄を聴かせるとうなされていても静かになる。言っただろう、たまにあることだと』
「いやそうじゃなくて」
 若は赤ちゃんか、と突っ込みたいところだったがネロが気になるのはそこじゃない。若が時々人知れずうなされている事をネロは初めて知ったし、バージルの言い方からしてダンテ達ももしかしたら知らないのかもしれない。つまり、唯一そのことを知っていたのはバージルだけになる。
 それは、子守唄を聞かせれば若の夢見が良くなると理解していたのもバージルだけで。
 ネロに教えてやるまで、一体誰がそれをしていたのかと言うと、
 ザリッと耳元でノイズ音がした。
「うわ」
 鳥肌が立って一旦受話器を耳から遠ざける。
『…いかん、そろそろ切れる』
 ザリザリという音の中でバージルのそんな声。音質も悪いのか聞き取りづらい。
『一旦切るぞ、あとは任せた』
「ちょ!ちょっと待てよ!俺子守唄なんてしらねぇし歌えないぞ!」
 ネロは受話器に被りついて叫ぶ。冗談じゃない、自分は乳母でもベビーシッターでもないんだ、そんなこと出来るはずがない。ノイズ音に混じってバージルの返事が返ってくる、
『子守唄はあいつらが知ってる』
「? あいつらって、おっさん達のことか?バージル!」
『(ザリザリ)いいか、俺が(ザリ)言ってたなんて絶対に――』
 ブツッ。
「! もしもしバージル? もしもし!――ファック!」
 いきなり回線が切れてネロは悪態をついた。受話器は虚しい終了音を鳴らしてざまーみろとばかりに沈黙している。思わず投げ落とそうと手を振り上げた瞬間、
「…ぅぅ……」
 呻き声がして動きを止めた。
「――、若?」
 返事はない。まだ目覚めてはいないようだ。これだけ近くで怒鳴っていたのに起きる気配がまるで無い。命拾いした受話器を下ろしてネロは若の顔を覗く。胸元のアミュレットが一瞬光り、若が苦悶しながらも何か呟いている。さらに顔を近づけて耳をそばだててみると、一つの単語が小さくポツリと若の口から零れた。
「   」
「!」
 それを聞いてネロは目を見開き、物凄く複雑な表情をして姿勢を元に戻す。
 いつもハイテンションでぐるぐる動き回って周りを掻き回す若の姿が、今は微塵も感じ取れない。
「……ガキ」
 呟いてから、しょうがないなと言った感じの溜め息を吐いてきびすを返した。まずは濡らしたタオルでも用意しなくては、おっさん達を呼ぶのはそれからでもいいだろう。
 扉を開けて背中越しに閉めると、また溜め息が漏れた。
 若の呟いた言葉。
 色々あるんだな、とネロは思う。
 そんな当たり前のことを、今更思い出した。
「――おいネロ?」
 呼ばれて首を曲げると、左隣りの扉から初代と髭が顔だけ覗かせてこちらを見ていた。手にはトランプを持ったままだ。さらに隣りの部屋の扉から二代目も出て来ていて、もの言いたげにこちらを見つめている。
「なんかすげー怒鳴り声がしたんだけど、若と喧嘩でもしたのか?」
 初代の言葉にネロは首を振り、
「……あのさ、ちょっと訊きたいんだけど」
「なんだ?」
「あんたら、子守唄って歌えるか?」



 二代目が遅れて若の部屋に入って来た。水が入った洗面器とタオルを持って傍らに置き、浸して絞ると顔を丁寧に拭いてやる。
 それを後目に、ネロは事の始まりをダンテ達に説明した。
「……ふーん、バージルがなぁ」
 髭の感想はそれだけだった。何故か顔がニヤニヤしている。
「何だかんだ言って弟が心配なんじゃねぇか。可愛いもんだ」
「そんなことより早く子守唄聞かせてやってくれよ。おっさん達なら知ってんだろ?」
 ネロはぐるりと彼らを見回す。未だに若は悪夢に苦しんでいるのだ、一秒でも早く解放してやりたかった。初代はポリポリと頬を掻いて、
「子守唄って……あれしかないよな」
 髭が頷く。
「あれだな」
 二代目がタオルを絞りながら、
「…そうだな」
「何もったいぶってんだよあんたら」
 まさか忘れたわけじゃないよな。初代は違う違うと手を振り、
「いや、いつも聞き専だったからな。歌う側は初めてなんだ」
「……無理を承知で聞くけど、誰が歌ってたんだ?」
 二秒の間。遠くを見つめるような瞳で、
「――母さんだよ」
「ふーん」
 ネロは、表面上は気にしない風を装った。
「とにかく早くしろよ。俺は一階に行ってるから」
「なんだよここに居ないのか?」
「俺はどんな子守唄か知らないし、大の男が子守唄歌ってるところなんてあんまり見たくないし」
 想像すると異様な光景である。若干ホラーである。不満そうに髭が口を曲げる。
「美声に酔いしれればいいのに」
「美声言うな気持ち悪い。――ところで、誰が歌うんだ?」
 ダンテ達は、一斉に顔を見合わせた。全員が全員物言いたげな表情をしている。押し付け合いが始まりそうな雰囲気にネロは頭が痛くなった。まったくこいつら、過去の自分がうなされてる前で呑気過ぎる。
「――あぁもう!全員で歌えばいいじゃねーか!」
 その叫びに、青天の霹靂とばかりにダンテ達の目が丸くなった。二代目がポツリと、
「……そうか、その手があったな」
「気づかなかったのかよ…」
 俺椅子持ってくるわ、と初代が部屋から出ていく。用は済んだしもう一階に行こうとネロも背中を向けたが、その瞬間いきなり腕をガシッと握られた。振り返る。
「なに」
 髭が胡散臭い笑顔で、
「まぁ聞いてけよ。滅多にないサービスだぞ?」
「断る」
「……聞いたほうがいいと思うけどな」
「何でだよ」
「そりゃあ」
 そこで二代目が割り込んだ。
「いい歌だからだ」
 ネロと髭は顔を向けた。
 二代目は脂汗の浮く若の額をぬぐっている。
「いい歌なんだ、ネロならすぐにわかってくれるだろう。――それに、これは魔法の子守唄だからな。聞いて損はしない」
「…魔法?」
「魔法」
 ファンタジーな要素が出てきた。しかし冗談で言っているようには見えない。元より二代目は滅多に冗談を言わないし、まさか「聞いていけ」と遠回しに誘われるとは思わなかった。
 だから、気になった。
「………。わかった」
 己の好奇心には勝てないのが悔しい。
 人数分の椅子を初代が持ってきてベッド周りに置くと、ネロは髭の隣りにストンと座った。全員が席に着くと本当に異様な光景になる。若を囲んでまるで儀式でも始めるのではないかと思ってしまう。
「さあ、おネンネの時間だ」
 おっさんの一言を皮切りに部屋が静かになる。まだ昼を過ぎたばかりなので空は明るく、若の部屋はかすかにホコリの臭いがした。おもむろに二代目が若の両目を手で覆い、何かを思い出そうとするように瞳を閉じる。
 一体どんな唄なのだろうかと身構えていると、それは唐突に始まった。
「In the green and so free」
 初代の小さな呟きだった。まだメロディに載せていない、歌詞をそのまま読み上げたかのような感じの。
 そう、そんな出だしだ。

 ―――♪
「……In the green and so free」
 今度は二代目が先程の言葉をメロディに載せる。始まりから子守唄を思わせる旋律だった。
 追いかけるように初代が続きを歌い始め、そのうちに髭の声も乗っかってきて、いつしか三人の声音が重なりテノールとバスの合唱になっていく。部屋に響くほど大きくはないが、心臓を鼓舞させるような重厚な音程。優しさではなく力強さを感じる。女性が唄わない子守唄はこんな風になるのか、とネロは頭の片隅で思う。
 歌詞を追ってみた。


In the green and so free
青く広がる草原の

Seeds gaze up
種たちは空を見上げる

the clouds keeps them from the light
曇が陽を隠し

and the sky cries white tears of snow
空が白雪の涙を流す

But still...the fragile seeds wait
けれどか弱い種たちは

long for the sun to shine
太陽が輝くのをじっと待つ

Dark winter away,come spring
暗い冬が過ぎ春がきても

my young seeds once again will look up the sky
若き芽はいま一度空を目指し、

and I know they will grow strong
強く雄々しく育つだろう


 二周目に入ると、若のうなされる声がいつの間にかなくなっていた。汗もひいてきているように見える。二代目が未だに両目を隠している、まるで何かを与えているようだった。
 子守唄は続く。
 ダンテ達の母が歌ってくれた唄。今はどんな思いで彼らは歌っているのだろうか。
 頭の中でメロディを反復させながら聞き入っていると、ふいに瞼が重くなって視界が半分になった。
 ――あれ、
 ネロはごしごし目を擦る。おかしい、さっきまで欠片も眠くなんてなかったのに。ちょっと気を抜いただけなのに。眠気を抑えて目を見開くが、すぐに睡魔がのし掛かってきて瞼が下がる。旋律がぐるぐると脳内を流れ、それが睡眠を司る神経を刺激する。ヤバ、と思った瞬間急に意識を失ってネロの頭がかっくんと垂れた。しかしその反動でハッと目を醒ます。いけないいけない、ここで落ちたら若と同類だ。
(……寝てていいぞ)
 髭が歌を止めてこそりと呟いた。ネロはぶんぶん首を振る。今寝たら一生の恥さらしだ、それだけは絶対に回避したかった。
 子守唄は続く。
 若は、もう大丈夫なようだった。安定した息が胸を上下させている。シーツを握りしめていた手も力が抜けていた。二代目が手を外すと、下から安らかな表情をした若の顔が現れる。
 もういいだろう。
 三周目に入っていた子守唄の最後のパートが終わると、ダンテ達は一斉に声を止めた。時間にしたら三分も掛かっていないかもしれない。その短い間に、部屋はふわりと暖かいものに包まれていた。
 シーツを若に被せて「Have a nice dream,baby」と呟くと、初代は伸びをしながら立ち上がって髭を振り返る。
「じゃ、戻ってトランプの続きでもするか。…先に行ってるぞ」
 髭は苦笑してお疲れさんと言い、それに手を上げて初代は部屋から去っていく。洗面器とタオルを持って同じく出ていこうとする二代目が、ふいにネロを見て珍しく笑った。
「――聞いて良かっただろう?」
 そしてそのときにはもう、ネロは髭の肩にもたれてスヤスヤと眠りについていたのだった。



********



 言葉で説明するには難しい感覚だ、とバージルは考える。
 最初に気づいたのは何ヵ月か前のことである。急に深夜に目が覚めたのがきっかけだった。
 呼ばれた気がしたのだ。
 どんな風にと聞かれたらバージルは答えられない。これは言葉で聞くのではなく「感じる」のが重要で、そこに意味を見出そうとしても無駄だと思う。とにかく、何かが呼んでいる気がしたのだ。それは確かだ。
 一度バージルはこれを無視しようとしたのだが、目が覚めた瞬間から眠気はどこかに吹っ飛んでいて、しかも呼ぶ声はどんどん大きくなっていくのでとてもではないが寝られる気がしなかった。
 泣いているような、悲しいような感覚が襲ってくる。
 元々短気なものだから、バージルは耐えきれずに原因を探し求めた。もし見つけたら閻魔刀でみじん切りにしてやる、それから叩いてミンチにしてやると思いながら。
 原因はすぐに見つかった。
 声に誘われるままに問答無用で扉を開けた部屋で、若がうなされていたのだ。
 別に弟の夢見が悪いくらいでバージルは驚いたりしない。どうせオリーブに埋もれる夢でも見ているのだろう、そのくらいの認識である。とにかく静かにさせたくてバージルは閻魔刀を若に向かって振り上げ、そして、
 ――母さん、
 起きて、
 いなくならないで。
 そんな呟きがバージルの耳に入った。
 魔帝ムンドゥスが彼らの家を襲撃してからダンテと母がどうなったのか、どういう状況に陥ったのか、バージルは知る由もない。母が殺される前には、バージルはもう行方を絶っていたのだ。その後ダンテと再会を果たすまでの数年間バージルがどうしていたのか、彼は決して話そうとしない。そしてダンテも、母が亡くなってからどうやって今まで過ごしてきたのかを口にすることはなかった。
 泣いているような、悲しいような感覚が襲ってくる。
 自分たちが子供だった頃、泣きたいときや悲しいときにはいつも母が子守唄を歌ってくれていた。あの唄を聞くと不思議と心が落ち着いて、いつの間にか眠ってしまうのだ。
 ダンテは、夢の中で母の死を見ているのだろうか。その感情が勝手にこっちにも伝染してきたのだろうか。
 悲しいのだろうか。
 椅子に座って、ダンテが落ち着いて眠ってあの感覚が収まるまで子守唄を歌ってやった。



 いきなり殴られて目が醒めた。
「ってえーーーーー!!!」
 ネロは反射的にソファーから起き上がる。頭蓋骨が震動して吐き気がするほどぐらぐらする。一体誰だと周りを見回すと、
「言うなと言っただろう」
 背もたれの後ろから声がして振り返ると、拳を握ったバージルが立っていた。びっくりして怒りが吹っ飛ぶ。
「……バージル?いつ帰ったんだよ」
「今さっきだ。それよりネロ、俺はあいつらに話すなと伝えたはずだが」
「は?」
 何の話?と疑問に思っていると、
「バージルが、若がうなされる度に子守唄を歌ってやってたって事をだよ」
 向かいのソファーにおっさんが足を組んで座っていた。よっ、と手を上げて、
「お目覚めはいかがだい?坊や」
 その一言でネロは思い出した。ダンテ達が子守唄を歌ってる間に寝落ちしてしまったことに。条件反射で顔に熱が走り、口から喚き声が飛び出そうとした瞬間また拳骨が頭に振ってきた。さっきより痛い。
「っだ!!何すんだよバージル!」
 振り返るとバージルの恐ろしい形相と眼が合う。
「口止めしなかった分の残りだ」
「く、口止めって。俺は電話で話したことを伝えただけで」
「それだけで察しがつく内容には違いないだろう」
 ネロはうっと黙った。確かに電話で話していた時点でバージルが何をやっていたのかは悟っていた。だがやはりダンテ達に事情を説明するにはありのままを伝えたほうが簡単だったし、電話相手が誰であるかという部分を巧妙に隠してダンテ達に教えるにはそれなりの話術が必要である、そんなスキルはもちろんネロにはない。
「ご愁傷様だなバージル」
 ニヤニヤしている髭にバージルはギロリと無言の睨みを返す。
「……愚弟には言うなよ」
「貸し一つで」
「殺すぞ」
「冗談だ。……若は知らないのか」
 バージルは横顔を向けて沈黙した後、あぁと短く答えた。
「前にそれとなく尋ねてみたが、ワケがわからんと言う顔をされた。その方が都合がいい」
「そうか」
 二人の会話の間で「知らぬが仏とはこのことだよな」とネロは思い、
「それにしてもさ、遠くにいてもうなされてるのを感じ取れるって凄いよ。あんたらやっぱり双子なんだな」
「凄いも何もあるか、こっちはうるさくてかなわん」
 好奇心剥き出しでおっさんが、
「で、どんな風にわかるんだ?」
 バージルは苦々しい表情で黙り込む。まぁどうせ何も言わず終いだろうなと髭も思っていた。だが、
「言葉で説明するには難しい感覚だ」
 真顔でそう言った。
「……ほー」
「俺もよくは知らん。ただ、何かに呼ばれた気がするだけだ。――それだけだ」
 これ以上は何も話さないとばかりにバージルは二人に背を向けた。階段を上がって二階に消える。遅れて青いコートがひらりと揺れた。
 その姿を見送るとネロはポツリと、
「双子なんだな」
 髭が誰にともなく、
「双子だしな」
「てかさ、二代目が言ってた魔法って結局何だったんだ?」
「……あぁ。あれか」
 髭はくぁあと欠伸をし、だるそうに背もたれに身を預ける。
「別に、ただ眠くなるだけさ」
「は?」
 なんだそれ。
「何でかは知らないが、あの子守唄を聞くと無性に眠くなるんだよ。親父もよくうとうとしてたのを覚えてる。母さんが作った唄らしいがな、そういう眠くなるリズムがあるのかもしれん」
「…それだけ?」
「それだけだ。――まぁ、どうやらスパーダの血族っつーのはどうもあの子守唄に弱いらしい。それこそ母さんが魔法を掛けたのかもな」
 今更ながら俺も眠くなってきた、と髭はまぶたを半ば閉じて独り言のように呟く。
 ネロはなんだか複雑な気持ちにかられていた。子守唄なんて、小さい頃キリエが歌ってたのくらいしかわからない。その歌だって今は記憶の彼方だし、もうそれを必要とする歳でもない。
 なのに、ダンテ達は覚えてるんだな。
 何年経っても色鮮やかに、昨日のことのように。
 ふいに脳みそから転がり出た言葉が思い浮かぶ。
 ――家族。
「寝てれば?どうせ今日も電話鳴らないと思うし」
「そうするわ……」
 自室に行くかと思えば、おっさんはソファーに座ったまま眼を閉じた。一分もしないうちに寝息が聞こえてくる、珍しいこともあるもんだ。
 ネロもソファーの背もたれに後頭部を乗せて天井を見上げる。空調ファンが回っていた。
 家族のために母が作った子守唄。
「……俺たち、家族なのかな」
 独りごちて、ネロは覚えたての子守唄を小さく歌い始める。

 おやすみ。




 若はたまに夢を見る。
 悪夢という名の夢である。
 どういうのかと言うと、まずは母の死体と家の瓦礫の山が目の前にある。若は幼いときの姿に戻り、母を抱いていつまでたっても泣いている。
 それが延々と続く。
 誰もいない、音もしない一人だけの空間。
 母は起きない。呼んでも叫んでもぴくりともしない、悲しい、兄さんもいない、手が血に染まっていく、悲しい。
 そうしていると、いきなり真っ暗な空間に落ちる。
 瓦礫も母もなくなって、若はいつの間にか元の姿に戻っていた。上も下もない闇のように濃い黒の中で、若は一人ポツンと立っている。
 それが、途方もなく悲しかった。
 身動きもとれず、叫ぶこともできず、若はただただ突っ立って闇と一緒に同化しそうになる。
 永遠とも取れる時間が過ぎる。
 それに耐えきれなくなったとき、かすかに子守唄が聞こえて、一筋の光が差すのだ。
 最初は糸みたいな細さだが確実にその範囲を広げて若を照らしていく。そこでいつも悟るのだ、自分はまだ一人でないと。
 いつもなら、光の中から一本の腕が若に差し伸べられる。若はその手を取って引かれるままに光の中に吸い込まれ、そこで眼が覚めるのだ。
 いつもなら。
 今日の夢は少し違った。
 光が若の前に現れるところまでは同じである。
 だが、そこから伸びてくる腕が四本だったのだ。
 全部違う人の腕だった。
 若が手を取ろうとする前に、それぞれの腕が先にコートや二の腕や髪の毛や首根っこを掴んで、半ば引きずられるように闇から脱出する。問答無用とばかりの、強引なほどだった。
 子守唄が聞こえる。
 一人じゃなくて、複数で歌っている。
 早く帰って来いと声がした。
 導かれるように、眠りから醒めていく。

 あの腕が誰と誰と誰と誰のものなのか、若は未だに知らずに生きている。



090607








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