Devil, human, and brother.3





 家の中は、しばらく銃声と奇声が絶え間なかった。
 クローゼットの外、部屋の扉の向こう側にある階段を降りた一階、そこで母が戦っていると思うとバージルは気が気じゃなかった。しかし今更約束を破るわけにもいかないし、ここで自分が飛び出して行ったらダンテだってついて来るに決まってる。母が自分達に気を取られたりして『敵』に隙を作ってしまう可能性もある、そうなったら母の努力が無駄になってしまう。
 待つしかないのだ、とバージルは固く自分に言い聞かせた。
 母を信じるのだ。
 大丈夫――無意識に力が籠っていたのか、腕の中でダンテがもぞもぞと動いて、
「バージル、くるしい」
「あ、ごめん」
 慌てて力を緩める。ダンテは少しだけ離れてバージルを見上げた、と思う。クローゼットの中は真っ暗で、戸の隙間から差し込むぼんやりした明かりに映るダンテの顔の一部だけしか見えなかった。
「……母さん、まだかな」
「………」
 ――こんなとき、父さんがいたらとバージルは思う。
 父が人間でないことはよく知っている。物心つく前から父は悪魔の姿を自分達に見せていたし、己の武勇伝を面白おかしく聞かせてくれていた。まるでおとぎ話のような話もあったし、決して他の人には話してはいけない話もあった。自分達が普通の人間じゃないことを、むやみやたらに喋ってはいけないと何度も何度も言われた。幼い自分達がそれで傷付くことを、父は決して望んではいなかった。
 ダンテが思考を読み取ったかのように呟く、
「父さんは、何で帰って来ないんだろ」
「……、何か事情があったんだよ」
「事情って? 母さんが頑張ってるのに帰って来れないくらい大きな事情なの?」
「……分からない」
 沈黙。銃声と断末魔の叫び。
 ダンテは唇を噛む。
「……そんなの、なくなっちゃえばいいんだ」
「………」
「父さんの馬鹿」
「………ダ、」
 そのとき、唐突に銃声が止んだ。
 二人は同時に息を飲み、そして、一瞬の間を置いて、何か大きなものがガラスにぶつかって盛大に割れる音が一階から遠く響いた。
 しかし、それだけだった。
 それきり、何も聞こえなくなった。
 銃声も、奇声も、耳に入って来ない。
「………」
「………」
 バージルとダンテは凍りついたまましばらく動かなかった。銃声がしないということは母が発砲を止めたわけであり、奇声が聞こえないということは侵入者がいなくなったわけであり、つまり、母は撃退に成功したのだ――きっとそうだ。
 そうに違いない。
 そうだったら良かったのに。
 ギシ、と階段を上がる音が微かにした。反射的にダンテが立ち上がろうとするが、バージルは手を伸ばして再び頭を押さえつけた。非難される前に「シッ」と鋭く囁く。
「なんで、」
「母さんじゃない」
 ダンテが緊張したように固まる。
 耳を澄ます。ギシギシと階段を踏み締める音が近づいてくるのがわかる。しかしよく聞くと複数の足音だった。まるで行列を成して二階に上がって来ているような、息苦しい空気が否応なしに流れ込むような。
 母じゃない。
 では、この足音は、
 予想外の突然さで部屋の扉が勢いよく開いた。
「ひっ」
 そこに現れた者にダンテが小さな悲鳴を上げ、バージルは咄嗟に口を塞いで抱き締めた。ダンテの身体が震えていたが、構ってられるほどバージルも落ち着いてはいなく、クローゼットの外から目が離せなかった。
 母じゃない。
 部屋に入ってきたのは、悪魔だった。
 黒装束を頭から身に纏っている。手には見たこともないくらい大きな鎌を持っていて、猫背の態勢にがに股で入ってきた。顔はムンクの叫びの如く変形したしゃれこうべで、足も骨のみで動いている。父の武勇伝の話に出てきた悪魔の姿とそっくりだった。名前が思い出せない。
『……ア゛ー』
 悪魔は部屋を見回して何かを探しているかのようにキョロキョロする。途中で壁に立て掛けられている二本の武器を見つめてしばし沈黙したがすぐに視線を外し、天井から床まで舐めるように眼を向ける。
 今見つかったらどうなるか、考えたくもなかった。
 バージルは汗ばむ手もそのままにダンテをさらに抱き締め、ダンテも兄の手を握りしめ、二人はクローゼットの戸の隙間から悪魔を凝視した。心臓の音がうるさくて聞こえやしないだろうかと思う、早く立ち去ってほしい、一秒がとてつもなく長く感じる。
 ――母さんは、
 ふとバージルは不安になった。
 銃声がしないということは母が発砲を止めたわけであるが、しかし悪魔は現実にここにいる。弾切れになったのかもしれないがそれくらいで母がこの部屋に悪魔の侵入を許してしまうとは思えない。あの決意の瞳は並大抵のものじゃなかった。だが、
 さっきのガラス音。
 まさか、
 動揺が身体中を走った。
 その動揺を見破ったかのように、悪魔がクローゼットの方を振り向いた。
「っ!」
 あまりの驚きに肩が跳ね上がり、ダンテの足がクローゼットの木壁を蹴って軋みを上げた。それが決定打だった。見つけたとばかりに悪魔から奇声が上がり、大鎌がスラリと横に構えられる。
 背筋が泡立った。
「伏せろっ!」
 動物の本能でバージルはダンテの上に被さり狭い床に這いつくばった。直後に頭のすぐ上を風が掠め、派手な衝撃音と共にクローゼットの上半分が後ろの壁ごと切り裂かれてふっ飛んだ。木製のクローゼットはひとたまりもなく軋んだ悲鳴を上げ、背中に木くずがバラバラと降り落ちる。ホコリと土煙のにおい。
 上蓋が無くなった箱みたいになってしまった中で、バージルはがばりと顔を上げた。
 悪魔は、悠然と目の前に立っている。
 もう自分達を隠すものは何もない。裸の獲物だ。あとは大鎌にバッサリ斬られて「死んだ」と思う前にあっちの世界に行ってしまうのだろう、それは痛くないのだろうか――瞬間的に考えてる間に悪魔が鎌を振り上げる。闇の中でも不気味に光るそれがハッキリと見えた。隣りで息を飲む音。
 目を見開いて固まったままのダンテの頭を守るように腕を回した。
 これくらいしか出来ない自分が死ぬほど悔しかった。
 大鎌の切っ先が動く、反射的に眼を瞑る。父の顔が脳裏に浮かび、その誇らしい力を今までで一番欲した。
(――父さん――!)
 その瞬間、キン、と高い金属音。
 何かがドスッと突き刺さる音。
 身構えていたにも関わらず痛みはまったくない。不審に思いバージルは眼を開けて、恐る恐る悪魔の方を見た。
 目の前に、何かが立ちはだかっている。
 大鎌を下ろして立ち往生している悪魔と、自分達の間。

 そこに、魔力を帯びた日本刀が納刀状態のまま鞘ごと床に突き刺さっていた。

(あれって……)
 それは、かつて父がバージルに譲り受けた形見の武器だった。もしものときのためにお前達にこれを渡しておこう、大人になってこれを使いこなせるようになったら一人前だ――そう言われた気がする。刀はまるで兄弟を守るかのように闇の中で青い気を立ち上らせて斜めに刺さっていた。確か横の壁に立て掛けられていたはずなのに、一人でに動き出しかのようだ。名前がすぐに思い出せなかった。
「……やまと」
 幼児が見たものをそのまま口にするかのようにダンテが呟く。
『バージルには閻魔刀を、ダンテにはリベリオンを』
 今しかなかった。
 さっきまで自分達を斬る気でいた悪魔は閻魔刀を見て怯えている。元は魔帝をも封じたスパーダの得物だ、何か底知れぬものを感じたのだろうか。とにかく、ここで決定的な隙が出来た。
 逃げるなら今しかない。
「――ダンテ!」
 手首を掴んで強引に立ち上がらせ、バージルは驚くダンテを引きずるようにして走り出した。一かバチかで悪魔の脇をすり抜ける。一瞬ちらりと閻魔刀も持って行こうかと思ったが、使いこなせない今は邪魔になるだけだった。狼狽していた悪魔がようやく振り返るがもう遅い、そのときにはもうバージルとダンテは開け放されていた扉を抜けて廊下に飛び出していた。
 悪魔が吠える。
『ア゛アーー!』
 その声に、他の部屋を物色していた悪魔達が一斉に廊下を振り向いた。獲物を見つけた眼がぎらりと光り、その眼差しに足がすくみそうになる。しかし後ろにダンテがいるのだ、そうも言ってられない――恐怖に駆られそうになるのを叱咤して、唯一悪魔がいなかった階段をバージルは飛ぶような勢いで駆け下りた。ダンテがたたらを踏みそうになる。
「バージルッ、ま、待って」
 待てやしない。
 一階に下りると、そこは大地震でも起きたかのような有り様だった。
 夜目に慣れた目でも分かる。家具という家具はほとんど倒れていたし、壁には三本の爪で斜めに切り裂かれたような跡が無数に刻まれていたし、床は陶器や額縁が無惨に散らばっていて裸足で歩けば間違いなく怪我をしてしまう。そこら中にある大量の砂や点々と落ちた血が不気味だった。
 母はどこだ。
「……母さん! 母さん!?」
 返事がない。そうこうしている内に悪魔達が階段を物凄いスピードで降りてくる。バージルはダンテの手を握り直して再び走り出す。
 母を見つけなくてはならない。
 あのガラス音が気になった。
 そういうものがある場所は限られている、思い当たる所がある。長い廊下を抜けて無惨になったダイニングルームに入り、この家で唯一ガラスだけで出来た戸棚のある方角を振り返る。
 ダンテが悲鳴を上げた。
「母さん!!」
 バージルも顔を青くした。
 原型をとどめないほど砕け散った戸棚のガラスの海に、母が身動きもせず倒れていたのだ。
 何かの衝撃で吹き飛ばされてぶつかったらしい。うつ伏せになった背中にはガラスの破片が大量に被さっている。床の破片のあちこちに血が点々と付いており、頭からも出血していた。手を振りほどいてダンテが駆け寄る、
「母さん!しっかりして、母さん!」
 バージルも続いた。躊躇いもなく床のガラスを踏みしめて母を揺さぶる。長い金髪の隙間にも小さな破片が所々隠れていて、うっかりすると指を切ってしまいそうだった。
 何度目かの呼びかけのとき、ようやく母が少しだけうめいた。
「…ぅ……」
「母さん!」
「……ダンテ? ……バージル…」
 どうしてここに、と言う表情をして顔を上げようとする母を制す。
「動いちゃ駄目だよ!今ガラスどかすから」
 バージルは素早く辺りを見回すが、適当な物はほとんど使い物にならなくなっていた。厚手の布地か何かあればいいのだが肝心な場面で見つからない。母の有り様についに耐えきれなくなったのかダンテが泣き始め、それがさらに焦りを生んだ。どうしよう、早くしないとこっちに来る――
「逃げなさい」
 力強い声に二人は息を止めた。
「母さんのことはいいから、貴方達だけでも逃げて」
 母は顔に垂れた髪の隙間から、睨み付けるが如くの眼差しでバージルとダンテを見上げている。
「早く」
 ダンテが嗚咽を漏らしながら首を振った。
「イヤだ、母さんも一緒に逃げるんだ」
 バージルも身を乗り出した。
「そうだよ! 母さんだけ置いてけないよ!」
 子供達の言葉にエヴァは瞳を歪ませる。
 だが、それは一瞬だけだった。
 母の瞳がいきなりこれでもかと見開かれて凍りつく。強張ったように何かを凝視したまま動かない。
「…母さん?」
 そのとき、人間らしからぬ唸り声が背後から聞こえた。
『ア゛ー、ィー』
 二人はぎくりと静止する。
 それからゆっくりと、焦れったいくらいゆっくりと後ろを振り返る。
 さっきの悪魔じゃない。
 目の前にいたのは、大きな肉塊みたいな物を担ぐ肉色の人の形をした悪魔だった。それは脈打ちながら膨らんだり縮んだりを繰り返していて、まるで今にも中から『何か』が弾けそうである。
 不気味なその姿に動けないでいると、悪魔の背後からスッと先程の悪魔が現れた。
 そして、持っていた大鎌をおもむろに横に薙いで、その大きな肉塊に突き刺した。
 仲間割れをしたのかと思ったが違う、意図を持って刺したのだ。
『ムンドゥスサマノゴメイレイ』
 刺された部分から光が幾筋も飛び出し、肉塊にピシリと亀裂が入る。
『スベテケセトノゴメイレイ』
 スローモーション。
 肉塊のあちこちから光が漏れる。
 背後でエヴァが動く気配。
 視界が光で真っ白に染まり、そして、悪魔が目の前で大爆発を起こした。



>>




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -