First contact.4





「よぉシド、今日はりんごが安いぞ」
「あいにく金持ってきてねぇんだ、また今度にするわ」
 その悪魔は、人間に化けているときは「シド」と言う名前を使っている。誰がどう見てもその辺をぶらぶらするおっさんで、中肉中背に黒いタンクトップと半ズボン、汚いビニールサンダルをパコパコさせて歩いている。いつもその出で立ちでガーデンを練り歩いているし、人見知りをせずにどんどん話し掛けてくるからこの辺りでは顔見知りも多い。たまに無料でバナナをもらったりしてはその場で剥き剥きして猿の如く食べていたりする。
 でだ。
 金を持ってきていないと言うのはイコール金が無いのと同義だったりする。
 何故なら、ほとんどの金は「獲物」の財布から奪い取っていたからだ。
 しかし最近はあんな張り紙が出されてしまってまるで首が回らない。せっかく人間が集まる場所を根城にしたというのにこれでは元も子もなかった。しばらくは狩りを止めてほとぼりが覚めるまで力を温存したほうが良さそうだ。
 赤い服を着る人間に搾らないようにすれば話は早いのだが、悪魔はちょっとしたポリシーがあった。
 赤は人間の血の色だ。
 悪魔は赤い色が大好きだった。トマトジュースや赤ワインの色も捨てがたいが、取り分け人間の血は最高だ。だから、襲うのは赤い服を着た奴だと決めている。それは譲れない。
 赤い服が鮮血でさらに深紅に染まるところを見るのも好きだ。
 その血がどす黒く変色していくところを見るのも好きだ。
 だが周囲を見回してもそんな服を着ている人間はいない。僅かな望みで足を運んだが無駄足だったようだ。
 仕方ねぇ、猫でも狩るか――そう思いきびすを返した視界の先で、真っ赤なコートが目に入って悪魔は足を止めた。
 果物を売っている露店の前に居た。あそこは知ってる、クソババアが居る店だ。こっちが愛想よく話し掛けてきたってのに、あのババアは完璧に無視した挙げ句「失せな」と一言いって顔さえ上げなかった。
 それはまぁいい。今は掘り出し物の獲物をどう路地裏に誘うかが先だ。
 久々の狩りの前触れに興奮して、男から僅かばかりの悪魔の気配が漏れる。



「実を言うとな、」
「初代」
 遮るように声を掛けた。メロンから視線を上げて初代がこちらを見る。ネロは後ろを振り返って人混みにじっと瞳を向けて探したが、悪魔の気配は一瞬で掻き消えてしまった。右腕も反応していない。
「どうした?」
「……悪魔がいる」
「知ってる」
「!」
 驚いて初代の方を向くと、彼はもうこちらを見ていなかった。何事もないかのように他の果物を見下ろしながら、
「あまり気配を送るな、俺達が気づいてるって勘づかれるぞ。そしたら逃げられちまう。いつも通りにしろ」
 慌ててネロは顔を元に戻した。持っていたオレンジを元の場所に置いて、気取られないように今度はドラゴンフルーツに手を伸ばす振りをする。
「…いつから気づいてたんだ?」
「今さっきだ」
「もしかしてずっと付けられてたのか」
「いや、そんな気配じゃなかったな。ありゃあ今見つけましたって感じだ」
「狙いが正確過ぎねぇか?まさかあんたがスパーダの息子だって知ってるんじゃ…」
「それも一理あるが、正しくはこっちかもな」
 首を曲げず横目で初代を見ると、初代は深紅のコートの襟を指で摘まんでヒラヒラさせていた。先程少女が言っていた話を思い出す。赤い服を着た人間ばかりが殺される事件。犯人はまだ捕まっていない。まさか、
「――悪魔が、殺人事件の犯人?」
「確信はないがな。ただ、原形を留めないと言われるほどの殺し方を普通の人間がやってたら、そこまでメチャクチャにするにはどうしても時間が掛かる。路地裏に人が入って来ないわけじゃあるまいし、だったら自宅なり人気がない所で思う存分殺せば済む話だ。なのにそれをしない辺り、よっぽど手早く事を終えられる自信があると見た。そんな人間がこんな街に居るとは思えない。プロならもっと綺麗に片付けるだろうし、仮にプロだとしても、赤い服を着た奴なら誰でもいいってのはどうもおかしい……まぁ要は、悪魔が犯人だったらそのほうが俺的にはいいってだけだ」
「……」
 あれだけの話でそこまで考えていたのかとネロは思う。そりゃあデビルハンターを生業にしているのだから頭の回転は速くなくてはならないだろうが、こうして間近でそれを認識するとどうも悔しい。ダンテの普段の様子からして余計に。
「…それで、どうすんだよ。言っとくけどここで暴れるわけにはいかないからな。んな事したら出入り禁止になっちまう」
「分かってる。取りあえずこっちからおびき寄せてみるか。適当な路地裏に入ればついてくるだろ」
「でもよ、今は悪魔の気配がしないんだからせめて姿くらい確認したほうがよくね?」
 もしかしたら囮の人間を仕向けるかもしれない。右腕だって「近くに悪魔がいるから反応する」だけで、人混みの中のどいつが悪魔かをピンポイントで見つけるわけではないのだ。しかし今背後に目をやるわけにはいかないし、へたしたら見つかったことに逆上して悪魔がこの場で襲ってくる可能性だってある。
 が、
「……あんたらの真後ろ二十メートル」
 店番の老婆の声だった。
 ネロと初代が同時に顔を上げる。テントを張っていて日陰になっている店の奥で、老婆は黒いスカーフを被って横顔を向けている。皺の寄った指で手元の文庫本のページを捲りながら全く普段通りに、
「さっきからあんたらを見てる奴がいるね。黒のタンクトップに半ズボンで、茶色のざんばら髪。確か名前はシドとか言ったかの。最近血生臭いと思っとったが、ふぅん、悪魔なのかい」
 ネロは怪訝な顔した。このばあさん何者だ?ただの愛想がない果物売りには見えなくなってきた。
「……ばあさん、あんた何者だ?」
 代わりに初代が訊いてくる。老婆は年期の入った皺が縦横無尽に刻まれている顔をちらりと見せ、
「別に。大昔にそんな仕事をしていただけさ、だから血の匂いには敏感での。――もちろん、人間相手にじゃが」
「へぇ、じゃあ悪魔だってのに驚かないのは何でだ?」
「この歳になれば何を言われても驚かん。天使が居ようが悪魔が居ようが、おかしな腕を持ってる小僧が目の前に居ようがの」
「、」
 反射的に右腕を背中に隠すが、老婆は口元をおかしそうに上げただけだった。それからポケットに手を入れてライターとマルボロのパックを取り出し、タバコに火を付ける。
 ふーと煙を吐き出し、
「ここから魚市場方面に少し歩くと裏通りに入る路地裏がある。あそこは空き家ばかりだから人も来ないはずだよ。やるならそこがいい。――分かったらさっさと去りな、あたしの店の前で乱闘なんざごめんだよ」
「助かるぜばあさん。でも自分の肺は大事にしような」
「今度来たときはちゃんと果物買うよ」
 老婆は返事をしなかった。すでに二人の存在は眼中にないらしく、またいつもの通りにページを捲っていく。初代とネロは構うことなく露店を後にした。
 魚市場のゾーンへ行く人の流れもやはり絶えない。肩と肩がぶつかりそうなほど密集率が半端ないから次第に暑くなってくる。時折背後を気にしてみるが、人の壁が邪魔で確認出来ない。ちゃんとついて来ているのだろうか。
「しっかし、改めて見ると凄い人の数だな。街一つ分の人口くらいはあるんじゃないか?」
 道中初代が訊いてくる。ネロは首を振った。
「そんなのわかんねぇよ」
「なんだ、よく来るんだろ?俺は気に入ったぞここ」
「安いから来てるってだけだ。それに特定の店しか行かねーし」
 本当は人混みは苦手なのだが、物が安いので背に腹は返られないとの理由で意地で行ってたら何だか慣れてしまった。順応力って恐ろしいと思う。それにあのばあさんがその道のプロだったとは微塵にも思わなかった、全く世の中広いものだ。
「実を言うとな、俺ちょっとびっくりしたんだよ」
「? 人混みがか」
「いや、髭がネロに自分の事話したことに」
「は?」
 待て、なにか話が噛み合わない。そう言えばとネロは記憶を辿ってみる、確か右腕が悪魔に反応する前にそんな会話をしていたような、
「……ちょっと待て、いきなりそんなに話を戻すなよ」
「いや、今言っておかないと忘れそうだったからな」
 だったら前置きくらいしてほしい。しかし初代は気にした風もなく、前方へ顔を向けながらスルスルと人波を歩いていく。
「俺な、よっぽど信用してる奴でも自分の事は話さねぇんだよ」
「……?」
「悪魔ってのはいつどこで聞いてるか分からないからな」
 もし自分が裏切り者の息子だと言う事実を誰かに話せば、それは悪魔と自分との抗争にそいつを巻き込むことと同じだと初代は言う。標的は何もダンテ一人だけではないのだ。裏切り者スパーダとその血縁関係の存在は完膚なきまでに消すべきであり、そして、血縁で無くとも真実を知る者が居れば、その真実もろとも消し去って後生に残さないようにするのは当然のことだった。
 語り継ぐ者がいなくなれば、月日の巡りでいずれ歴史はこうなる。
 悪魔の中に裏切り者はいなかった。
 その家族もいなかった。
 何もかもが、なかったことになる。
 あれだけ活躍したスパーダでさえ、二千年も経てばおとぎ話にされてしまうのだ。その日はいずれ近いのかもしれない。
「別に、俺が歴史に残ろうが残るまいがそれはどうでもいいんだ。でもな、俺のこと知った関係ねぇ奴までが悪魔に狙われちまって、もし命を落としてしまったら……胸糞わりい。自分にヘドが出る」
 それから初代はネロを振り返り、
「だからな、髭がお前に全てを話したってことは、『こいつなら大丈夫だ』って信頼してる証拠なんだなって思った。同時にお前を、そう簡単に悪魔にやられない強い奴だって認めてる。未来の俺がそうしたんだ、俺もネロを信用するぜ。……それが言いたかったんだ」
 そう言い終えると初代は顔を戻してまたスタスタと歩き始める。ネロにはその背中が途方もないものに見えた。
「………」
 何と言葉を掛けたらいいか分からなかった。過去のダンテに言われたのだ、髭が自分のことをそう思っているのは間違いではないはずである。だが、一度でもそんな感情を髭が表に出すことがなかったから少し信じられない。
 一度でも――、
 唐突に記憶がタイムスリップした。クロウムとの邂逅を終えてからの帰り道、「教えてくれるんだよな」と問い詰めたあのとき。

 髭は夜空を見上げて、長い長い息を吐いて、
『――帰ったらな』
 ここは、聞いてる奴が多すぎる。

 あぁそうか。
 おっさんがあのとき、何で外で話そうとしなかったのか、どうしてなんとなく躊躇っていた様子だったのか。
 ふ、と溜め息が漏れた。
(……馬鹿だな、俺相手に今更気遣う必要なんかないだろーが)
「お。路地裏発見」
 初代の声に顔を上げた。
 隙間なく並んでいるはずの露店と露店の間の中で、一ヶ所だけ人が通れるスペースがある。その先は細い路地裏で、建物が壁になって陽が当たっておらず薄闇の中に存在していた。燦々と太陽輝く表通りとはまるで違う。路地裏の日陰と自分達がいる日なたの境目がくっきり見えていて、異次元の入口のようだった。
「ネロ、武器は何持ってる?」
「銃一つと、あと右腕」
「へぇ、それも使えるのか。俺も銃二つだ」
 人波からするりと抜けると、二人は人の眼をかいくぐってごく自然に路地裏に入った。そのまま止まらずに進んでいく、卵が腐ったみたいな硫黄の臭いがする、突き当たりの角を曲がって一般人から見えない場所まで来ると、ネロと初代はここでやっと後ろを振り返った。
 ――来る。
 悪魔の右腕が再び青く光り始める。角から足が伸びて、中肉中背の男がゆっくりと現れる。老婆が言った通りの外見だった。餓えた獣を思わせる人間とは思えない瞳がギラリと赤く輝いて二人を視界に捉える。



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