First contact.2





 いきなりで申し訳ない。
 朝っぱらからネロが吠えた。
「ダアァアアアンテエェエェイ!!」
 眠そうに二階から降りてきた髭を容赦なくスナッチし床に三回叩きつけた。ダンテは突っ伏して動かなくなるがしかし三秒もするとむくりと顔を上げ、
「パターンが同じだぞ坊や、今度からもう少し趣向をひねってだな」
「んなのはどうでもいいんだよおっさん!! てめぇまた風呂からそのまま上がってきただろ! 床がびしょびしょじゃねーか!!」
 ビシッと力強く指差した先で、バスルーム前のリビングの床板が水を吸ってしまって変色していた。タオルで叩いて浮かせようにもあれじゃあ意味がない。犯行時刻は濡れ具合からしてついさっきである。これを毎日繰り返していたらそのうち板が膨張してカビが生えてしまう。
 だがしかしダンテは神妙な顔をして起き上がり、
「――俺じゃねえぞ」
「嘘つけほかに誰がいるんだよ!」
「落ち着け坊や。俺を見てみろ、髪濡れてないだろ?」
 髭は自分の頭を指差す。確かに濡れていない、ダンテはドライヤーを使わないから乾くのには時間が掛かるので時間的におかしい。
「じゃあ誰が、」
「おー、シャワー借りたぞ」
 ネロと髭は、一緒に声のした方角を見た。
 銀髪から水滴をしたたらせた上半身裸の男がキッチンから出てきた。
「やっぱり未来だと部屋の構造違うんだな、シャワーコックが移動しててビビったわ」
 ネロは、相手が昨日知り合ったばかりの男でも容赦はしない。
 髭が心の中で両手を合わせ、男にバスターが発動されるまであと三秒。



 スパゲッティの乾麺の残りを茹でてパスタサラダを作り、大皿に盛り付けるとテーブルの真ん中に置いた。そこでスプーンとフォークを持ってくるのを忘れたことに気付いてネロは振り返り、キッチンで冷蔵庫を無遠慮に漁っていた若かりし日のダンテを呼ぶ。
「おいダンテ」
 だが、事務机に座っていた髭のダンテもその声に反応し、キッチンのダンテと全く同時に、
「「なんだ?」」
 そこでネロは問題点を発見した。
「……おっさんじゃなくてそっちのダンテ。スプーンとフォーク持ってきてほしいんだけど」
「どこだ?」
「そこの、流しの後ろの三つある引き出しの一番右。あ、あと冷蔵庫からミネラルウォータ―とコップ三つ持ってきてくれ。――おっさん!メシだから早く来い!座れ!」
 ネロはすっかりおかんが定着している。ほとんどの家事を任せっきりにしてるダンテが何もしないから、自分のために仕方なくやってるんだとネロは今でも固くそう思っている。だが、空き瓶をその辺に放置するなとか燃えるゴミは溜まったら外に出せとかこまごま命令する姿はやはりどう見てもおかんにしか見えなかった。
 スプーンとフォークとコップを三つとニリットルのミネラルウォーターを抱えて男がダイニングにやって来る。取りあえずテーブルにそれらを置く。ネロが何か言う前に男はスプーンとフォークをパスタサラダの大皿に突っ込み、コップに水を注いで小皿がある席に置いた。
「悪いな」
「まぁこんくらいやらないとな。ところでよ、」
「?」
「なんでこんなに椅子があるんだ?」
 デビルメイクライのダイニングテーブルには何故か椅子が六つある。それに見合った大きさのテーブルは楕円形で、真ん中が風船みたいに膨らんだ形の一本足で支えている。どちらも縁と足に同じような手彫りの装飾が施されていた。
 椅子が六つ。
 今思えばこれも伏線だったのかもしれない。
「セットで売ってたんだ」
 髭のダンテが言いながらドシドシ歩いてきて、テーブルを手の平で軽く叩く。
「椅子六つセットでしか駄目っつーからな、見た目もいいし即買いしたんだよ」
「いつ買ったんだ?」
「少なくとも、過去の俺のときじゃないな」
 ふーんとネロは興味なさそうに呟くが、若きダンテはこのテーブルと椅子が上玉のアンティークである事に気が付いていた。椅子が六つも付くなら安いじゃ済まない値段のはずである。テーブルクロスも掛けずに物を置いてよかったのだろうか。未来でも金に頓着しないんだなと客観的に思ってしまう。
「……取りあえず食べるか」
 その一言を皮切りに、三人は席に着いた。
 そして着くなり、髭のダンテは大皿から大量のパスタサラダを自分の小皿に取ってしまった。
「ゴラおっさん、平等って言葉を知らないのか」
「もらえるもんはもらっておくが俺の主義だ」
「ここで使う言葉じゃねーよ! あ、待て食べるな!」
 もぐもぐごっくん、
「残念だったな坊や。もうこれは俺のものだ」
「てっめえー!」
 過去のダンテは思わず苦笑する。随分と賑やかな食事だ、こんな風に食べるのは本当に久しぶりである。笑い声にネロが視線をこちらに向け、
「何だよ」
「いや、騒がしいなと思ってな」
「言っとくけど、これが未来のあんたなんだからな」
「わかってる」
 大皿はあっという間に空になり、朝食の時間はトークタイムに差し掛かった。どうせ今日も電話は鳴りはしない。テーブルには皿と入れ替わりにネロが新しく淹れたコーヒーが置かれ、そして議題は先程の問題点に遡る。
「呼び名、ねぇ」
 髭がコーヒーを一口、
「何でもいいんじゃないか。誰を呼んでるかわかれば」
「それをどうするか決めないと駄目なんだろ。いつまでも『あんた』とか『お前』ってわけにはいかないし」
 過去のダンテがふと、
「それは、どっちかがダンテって呼ばれるの前提なのか?」
 その言葉にネロは数秒考え、
「――俺にとっちゃこっちのおっさんがダンテだから、あんたをダンテとは呼びづらいな」
「それじゃ、決めるのは俺の呼び名だけか。いいぜ、好きなように付けて」
 そう言われてすぐ決まるようなものでもない。かと言って時間を掛けるような問題でもない。髭は「坊やが決めな」と早々にネロに選択権を譲り、決定はネロの一声に任されることになった。
 特にいい名前も思いつかないので、パッと浮かんだ案を口にしてみる。
「苗字は? それなら区別つかね?」
「さすがに設定的にオリジナルになっちまうから却下だな」
「レッド」
「赤コートだからってそれはない」
「じゃあ銀髪だからシルバー」
「俺は馬か」
「ダンテ2号」
「なぁ、面倒くさくなってないか?」
「何でもいいって言っただろ」
「何でもいいにもほどがあるだろ」
 漫才か、と髭は端で思う。
 ネロは顎に指を当ててしばらく沈黙する。その様子を二人は何とはなしに見守る、カチコチと時計の秒針が一周する。
 やがて、自信がないかのようにボソリと呟いた。
「――初代」
 二人のダンテは顔を見合わせ、
「…初代?」
「初めてこの世界に来て、初めて俺たちと『ファースト』コンタクトしたから、初代」
 男は今までと随分雰囲気が違う呼び名に目を丸くしていたが、急にニヤリと笑うと膝を叩いてネロを指差した。
「Great! 気に入ったぜ」
「そ、そうか?」
「あぁ。じゃあ俺は普通にネロって呼ばせてもらう。未来の俺は髭でいいか」
 おっさんは苦笑したが特に反論はなかった。自分でも髭は一種のトレードマークだと思ってるらしい。
「じゃ、決まりだな」
 かくしてこの瞬間若きダンテは初代、現在のダンテは髭の呼称で呼ばれることになり、後にこの選択が間違ってなかったことを彼らは遠くない未来に理解するのだった。



********



 そして、何かがおかしいと気づいた発端は、夕食の時間の前に急に初代が出掛けると言い出したときだった。
 キッチンで冷蔵庫の中身を確認していたネロが「どこに?」と聞くと、
「あの黒猫悪魔を探して、見つけたらとっちめてくる」
 初代はそう言って赤いコートを羽織る。
 んん?とネロは思う。
「いや、今夜は無理だろ。見つからないって」
「? 何でそんなことわかるんだ」
「だって今日は満月じゃないし」
「はあ?」
 わけがわからんと言う顔をして初代は振り返る。ネロも話が噛み合ってなくて混乱する。
「……言ってなかったか?」
「何を」
「だから、クロウムが現れる日」
 初代は顔をしかめて首をぶんぶん振った。ついでに「クロウムってあの悪魔の名前か?」とも訊いてきた。
 どうやら、初代に話をつけていたとこちらが勝手に思っていたらしい。そう言えば詳しい事を口にした覚えがないし、初代も不思議と質問して来なかったからすっかり失念していた。
 かくかくしかじかでネロが説明すると、初代は参ったなとばかりに頭を掻いて、
「つまり、そのクロウムって悪魔は満月の日にしか現れなくて、その日以外に探しても意味がないってことか」
「あぁ」
「しかも神出鬼没と来た。見つかる可能性ほぼゼロだな」
 諦めたのか初代はコートをその場で脱いでソファーに乱暴に投げる。
「もしかしたら本当に一生こっち暮らしかもなぁ」
「……どうするんだ」
「気長に待つさ、奴が現れるまでな。それまでは――」
 キッチンに近づいてネロの前まで行くと、初代は綺麗にウインクをした。
「メシの手伝いでもするさ」
 この男もダンテである。一人違う世界に来て不安がることなど一切ないのだろう、むしろ今の状況を楽しんでいるに違いない。
 ただ、コートを投げたときの横顔に一瞬だけ憂いが見えた。「あちら」に残してきた者を気遣うような、そんな眼だ。
 ネロは敢えて口の端を上げて笑った。
「――ははっ、おっさんとは大違いだな」
「何だよ、未来の俺はそんなにお前に任せっきりなのか?」
「言わないほうがあんたのためだぜ。未来の自分に絶望しちまうから」
 事務机に足を乗せている髭が雑誌から目を離さずに、
「生活が楽になっていいぞー」
「おっさん聞き耳立てるなよ」
「聞こえるもんはしょうがないだろう」
 既に未来の自分の片鱗を垣間見た初代は苦笑いするしかない。呆れてネロは肩をすくめ、飯作りの助っ人を振り返る。
「取りあえず、今日オムライスにするから卵割って溶いてほしいんだけど」
「オムライス! 懐かしい響きだ」
 嬉々として初代は冷蔵庫を開けてサイドドアから卵をワンパック取り出す。と、
「あ」
「どうした?」
 初代が冷蔵庫に入ってる食材からある物を食い入るように見ている。
「なあネロ。明日このチーズ使っていいか?」
 そう言って取り出したのは、密閉されたパックに入ったリコッタチーズだった。この前の買い出しで安く売ってて美味そうだったからつい衝動買いしたものだ。
「いいけど、何か作るのか?」
「昨日夜食作ってくれた礼にな。明日の朝食は任せとけ」
 そして初代は、続けてこうも言った。

「俺、チーズ料理得意なんだよ」

 そのとき、雑誌をめくっていた髭の手がピタリと止まった。
 キッチンにいる二人は気づかない。
「へぇ、おっさんはそんな事ひとことも言わなかったけどな」
「面倒くさくなるんだろ、一人でメシ作ってきたんなら」
「でもあいつ、俺が来たあともデリバリーピザばっか食べてたぞ? キッチンに居るときなんかコーヒー淹れるくらいしか見たことないんだけど」
「……俺悲しくなってきた」
 そんな会話の中、髭はキッチンの方に眼を向けて一心に何かを考えている。
「……」
 昨日からその疑問は頭の中にあった。ただ、あまりに影響が起きないものだからもしかしたら杞憂かもしれないと思っていたのだ。
 それが全くの見当違いなことに、髭のダンテはこの時点で気が付いた。
 あいつは、
 あの過去のダンテは、まさか、
「……チーズ料理が得意、ねえ」
 雑誌に視線を落とす。際どい水着を着た茶髪の美女が身体をくねらせてこちらに熱い眼差しを向けている。ピンクの吹き出しには「私を料理して」と実にくだらない台詞が書いてあり、その女はページをめくられたことで見えなくなった。


 髭は、チーズ料理を作るのが得意ではない。



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