First contact.1





 カーニバル号が事務所に到着したときには、もう真夜中をとっぷり暮れた時間だった。
 誰もいないスラム街の通りに向かって緩やかに着陸態勢に入ると、カーニバル号は尻が浮くほどの衝撃を受けて地面に着陸した。巨石を落としたような鈍い音が静かな中響き、後ろの助手席にいるトリッシュが細い息をはく。
「……乱暴ね」
「悪かったな」
 完全に停止したのを確認し全てのエンジンを切るとダンテは操縦席からヒラリと下りて、長時間同じ筋肉を使っていた肩をグリッと回し「ふぅー」と夜空を見上げる。満月が不気味に下界を見下ろしている。
 本当に長い旅だった、だがそれももう終わりだ。母の仇も討ってきたし兄の分もケリを着けた。それでも、明日からまた合言葉の依頼が来るのを待つ日々が始まる。だが退屈でつまらなくは無くなるだろう。
 何せ、トリッシュと言う相棒が出来たのだから。
「ダンテ、早く戻りましょう」
「あぁ」
 トリッシュはすでに事務所に向かって歩き出していた。ダンテもそれに続こうとして、一度カーニバル号を振り返る。
 カーニバル号は爆風に傷つけられてボロボロだった。それでもよく燃料がもったなと思う。ガレキの山と共に降ってきたときもそうだが、どうやら見かけによらずタフらしい。その辺の車よりも燃費が良い。ダンテは手の甲で胴体をゴン、と叩くと「お疲れさん」と呟いた。お前はある意味命の恩人だよ。
 踵を返す。トリッシュに続き事務所への道の一歩を踏み出したところで、
『ミャー』
「――、」
 ダンテは今一度カーニバル号を振り返る。
 さっきまで座っていた操縦席に、金眼が美しい一匹の黒猫がたたずんでいた。
 ――変だな。
 知らず知らず眉を寄せる。おかしい、さっきまでは居なかったはずだ、気配もなかった。まるで今そこに現れたかのような。
 黒猫の口が開く。
『スパーダの息子、ダンテだな?』
 ジジイとババアがハモっているような声だった。
「……、そうだけど?」
 悪魔か。
 ダンテはコートの中の銃を指でなぞりいつでも撃てるようにする。だが黒猫には殺気が感じられない、余裕の現れなのか分からないが、随分と肝が座っている。
「悪魔にしちゃ変装が上手いな、お前この辺のボスにでもなれるんじゃないか?」
『ミヒャヒャヒャ!これはただの仮の姿に過ぎん。そんな酔狂な真似事にも興味はない』
「ふーん。で、俺に何か用かよ」
『あぁ、お前には贈り物になってもらう』
 沈黙。
「……はあ?誰が、誰の贈り物になるって?」
『お前が、お前の贈り物になるんだ』
 黒猫の周りの大気がざわめいた。まるで波紋のように空間が歪み、周りの景色がマーブル模様にぐにゃぐにゃになる。反射的にエボニーとアイボリーを構えるが、
 時すでに遅し。
『お別れだ』
 瞬間、ダンテの足下に、巨人の足でも入り込むのかと言うくらいのばかでかい穴が開かれた。



********



 大皿のナポリタンスパゲッティ四人前を、ダンテは自分の取り皿に一気に三人分くらい移した。慌ててネロは抗議する、
「おい!取りすぎだろ!」
 せっかく二人で分けられるように四人前を作ったのに、これは明らかにずるい。フォークでくるくる麺を巻き取っていたダンテが顔を上げる。
「ケチケチするなよ、男だろ?」
「ケチじゃなくて不公平って言ってんだ!それにあんたも男じゃんか」
 その言葉にダンテはしばし考えるように口を閉ざし、それから「あぁ」と納得したような声を上げた。
「そうだな、坊やはまだ食べ盛りだからな。意地汚くなるのもわかるわ」
 うっ、
 ぜぇええええ。
「……もういい!」
 ネロは大皿に残った分を全て自分の取り皿に移した。いつも二人前を一人分として数えているネロにとって、この量はホントに少ない。
「なんだいいのか?」
 すでに食べ始めているダンテをギロリと睨み、
「取っちまったもんは仕方ねぇだろ。それにおっさんの取り皿にあったスパゲッティなんて今更食べたくない」
「きっついなあ」
「キツくて結構だ」
 ダイニングテーブルにはスパゲッティの他にポテマヨサラダとコンソメスープがある。
 キリエの料理の手伝いをやってて本当に良かったとネロは思う。この一ヶ月、ダンテは面倒くさがっていつもデリバリーピザを頼もうとしていた。それがあまりに続くのでついにネロがそれを制し、メシは出来る限りここで作っていこうと提案を出したのが居候して三日目のことだった。しかしこの男、料理は出来るはずなのに全く動こうとしない。曰く後片付けが面倒くさいらしい。駄目男の典型のようなセリフに血管が破けそうになったが、しかしこのままデリバリーに身を任せていては破産が目に見えている。仕方なく、本当に仕方なくネロが料理担当に名乗り出て、以来朝から夜までのほとんどのメシをネロが作っている。
 必然的に食費もネロが管理することになり、それに引っ付くように生活費諸々なども引き受けることになってしまったのが数日前のこと。
 月末を迎えて請求書を見たネロは、家賃が3ヶ月も滞納していることに目ん玉が飛び出た。自分が教団で働いてたころの給料でそれは払えたから良かったものの、このまま金についてのいっさいがっさいを任せていたら恐ろしい事になると直感が冴え渡り、強引に財布の紐を管理することになったのだ。ダンテは何も文句を言わず、むしろその方がいいとネロを経理担当に任命し、当の本人はいつものように事務机に足を乗っけて電話番をし続けている。
 そんなこんなで一ヶ月が過ぎ去り、そして、今までダンテがどんな生活を送っていたのかネロは怖くて今も聞けないでいる。
「どうしたネロ、疲れた顔してるぞ」
 いつの間にかスパゲッティを平らげていたダンテが、フォークを手持ちぶさたに回しながらこちらを見ていた。
 誰のせいだと思ってんだこの野郎。
 しかし声には出さずに溜め息で答える。一々口に出していたら身が持たない。ダンテは返事がないのをどう取ったのか、「ホームシックか?」などとトンチンカンな事を訊いてくる。
「違ぇよ、あんたが」
 そのときだった。
 悪魔の右腕がいきなりビクッと痙攣し、内側から青白く光り始めた。ダンテはフォークを回すのを止め、ネロは口の中のスパゲッティを噛まずに飲み込みその様子を見守る。だがしばらくすると発光は徐々に収まり、一分もすると何事もなかったように右腕は鎮静した。
 沈黙が続く中、ダンテがポツリと、
「またか」
 ネロは無言。
 右腕の疼きは、今日の太陽が沈んでから不定期に起こっていた。これで四回目である。一発目のときには驚いてカップを落としそうになった。
 ひんやりとした空気。
 さっきから頭の片隅で思っていた考えがよぎる。
「……なぁ」
「ん?」
 ネロは訊いてみた。
「今夜って、なんか静か過ぎねぇ?」
 夕飯を作っていた頃から感じていた。
 今夜は、恐ろしく静かな夜だ。
 不気味なくらいだった。
 スラム街の喧騒がいつもより聞こえない。まるで息を潜めているような、何かが来るのをひたすら待ち構えているようなそんな空気。
「こう……嵐の前の静けさみたいな感じがするんだ。静かなんだけどざわざわしてるっつーか」
 そしてネロは、今まで片時も離れなかったある考えを口にした。
「…それに今日って、あいつが言ってた満月の日だし」

 そう。
 あれからもう一ヶ月が経っていたのだ。
 次元の悪魔クロウムと一戦してから今日までの間、依頼が来たのはたった七回。そのうち三回は浮気調査で二回は迷い猫探しで、一回はマフィア掃討で一回は悪魔退治の依頼だった。しかも雑魚悪魔。
 ネロにとって予想外の事態である。これならフォルトゥナにいたほうがまだ回数を稼げるほどだ。しかし今更戻るわけにもいかないし、もしかしたら強敵が現れるかもしれないという可能性も拭いきれない。それに、時々ダンテが手合わせをしてくれるので有難かった。不本意ながらダンテはネロの中の最強ランキング一位である。それだけでも居候してるかいがあったというものだ。
 そうしてぐだぐだ過ごしているうちに、この日がやってきてしまったのである。
 ――次の満月の日にプレゼントをやろう。
 あの言葉はいつまでもネロの中に残っていた。
 この静けさは、それと密接な繋がりがあるのではないだろうか。そうとしか思えない。
 ガン、と音がした。ダンテがフォークをテーブルに刺した音だ。
「へえ、奇遇だな。俺も今日はそんな感じだ」
「え?」
 ネロは顔を上げた。ダンテは傍らにあった原液のジンのビンを口に運んでごくごく飲んでいる。見ているだけで喉が焼けそうだが、この一ヶ月、ダンテが酒を浴びるように飲む光景が幾度とあれど酔ったところは一度も見たことがない。
 一気に半分ほど減ったビンをゴンッと置き、
「身体がざわめくんだよな、気を抜くと魔人化しそうになる」
 ほれ、という感じにダンテは人差し指を立てた。バチリと放電してから指が異形の姿に変わり、また放電して元に戻るを繰り返している。
「もし奴の言うことが本当なら、どうやら悪魔絡みのプレゼントらしい」
 ちらりと壁に掛かった時計を見る。午後八時三十七分。
「今日中にわかるんじゃないか?それまでは普通にしててもいいだろ。悪魔が来たら迎え撃てばいいし、もし別のが来たらその時に考えればいい」
「なんだよ別のって」
「さあ、それは俺にも分からん」
 夕飯を食べ終わっても何も起こらなかった。取りあえず、0時になるまで風呂には入らないでおこうとネロは思う。もしそのときに襲撃なんてされたら間抜け過ぎる。
 全ての皿を拭き終わり洗い物を片付けると、ネロはキッチンから出てリビングに入り、目についた窓を開けて夜空を見上げた。都会の空は星が少ない。四等星など視力が2.0でも視認出来ないだろう。
 眼を閉じて耳を澄ましてみるが、やはり異質な静けさが感じ取れる。
 一体何が来るのだろうか。
 悪魔だったら嬉しい、フルに身体を動かせるいいチャンスだ。でも事務所が破壊されそうで怖い。
 ダンテの言った通り、プレゼントとやらが来るまでは適当に時間潰しをするしかなかった。事務所の主はいつも通り机の前で雑誌を読みながら電話が鳴るのを待っている。ネロも自室にこもってレッドクイーンとブルーローズのメンテナンスで暇をもて余し、意味もなく逆立ちしたり青い魔人を出したりして時が来るのを待つ。
 時折来る右腕の疼きが十三回目に達したとき、時計は午後十一時五十六分を指していた。
 そろそろかもな。
「おいダンテ――、?」
 レッドクイーンをかついで一階に降りると、ダンテの姿はどこにもなかった。が、すぐにバスルームからシャワーの音がするのが聞こえて納得する。まったく、その余裕は一体どこから来るのだろうか。
 立っているのもあれなので来客用の黒革のソファーに座った。目の前にある四角いコーヒーテーブルの上にレッドクイーンを置き、ついでに両足もドカリと乗せる。このコーヒーテーブルが実はマホガニー製の超一級アンティーク物で、売れば車が一台買えるほどの値段であることに気づくのはもう少し先の話である。
 背もたれに両手をのせて天井を見上げる、ぐるぐると空調ファンが回っていた。
「……」
 張りつめたような緊張はない。
 普通ならそれがあるはずなのに、むしろその緊張を常なら楽しんでるはずなのに、
 なんだろうか。
 まるで、何が出るかわからない箱を開けようとしているかのような緊張感。
 もしくは、いつ崩れるか分からないジェンガで自分のターンが回ってきたときの緊張感。

 そのとき、時計は0時五秒前を指していた。



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