Nero has come.4




 ダンテ曰く、その悪魔は知性ある上級悪魔らしい。
 人間の言葉を実に滑らかに話し、妙にトボけた物言いをする。そのくせ物凄く逃げるスピードが速くて、銃を使っても紙一重でかわされるのだ。なのにあっちからは中々攻撃して来ない、まるで何かを待っているかのように。
 だから一人は無理だと判断して、ネロを呼んだ。
「それで、結局どんな能力の悪魔なんだよ」
 事務所から僅か三キロ離れた路地裏の建物、三階のフロアの中に二人はいる。
 人なんかとっくにいなくなった廃墟のような所だった。剥き出しのコンクリートと鉄筋があちこちに見える。湿って使いものにならなくなった煙草の残骸と電力の通ってない電線の束が隅に放られている。
 ダンテはうっすら砂ぼこりが被った地面にリベリオンを立ててクルクル回しながら、
「さっきも言った通り、そいつは満月の夜の日にしか現れない。どうやら力を発揮出来るのがその日しかないらしい」
「何で分かるんだ?」
「そいつが言ってた」
「はあ?信じたのか?」
「俺も最初冗談かと思ったんだがな、別の日に来てみたら影も形もなかった。だが二回目の満月の日にはちゃんと現れたんだよなこれが」
「……。で、被害はどんな感じなんだよ」
「人間が殺されたって報告はない」
 ?
 なんだそれ、悪魔が人間を殺さないなんて聞いたことがない。
 リベリオンの回転がピタリと止まり、ダンテは何もない一点を見つめる。
「ただ――跡形もなく消えたらしい」
「……消えた、って」
「そいつは何もない空間を歪曲させて『穴』を作るんだ。で、人間をその穴に放り込んでそのまま閉ざすんだ。穴に入った人間はどこに行ったかわからず終い。どっかに移動させられたのかもしれないし、そのまま消滅したのかもしれない」
「あんたはやられてないのか」
「一回目はすぐに逃げられた。二回目は様子見で数分戦ってみて、それらしい動きはあったな。――全力を出してるとは言い難かったが」
 で、三回目の今夜に至る。
 随分と静かだ。何の気配もない。ネロは手持ちぶさたにブルーローズの彫り細工を指でいじり、ダンテはさっきから暗闇を見て動かない。
 暇だなと思い外を見上げると、満月は半分雲に隠れていた。だが上空の風は強いのか、流れる速度は速いのですぐに全貌を現すだろう。
 空間を操る悪魔か。
 面白そうじゃねぇか。
「――あぁそうだ、一つ言い忘れてた」
 ダンテが急に声を上げた。ネロを振り返り、
「そいつな、すげぇ笑い声が変なんだよ」
 どうでもよくないかそれ?と思ったが暇なので会話を続けてみる。
「一応聞くけど、どんな?」
 ダンテはネロを真顔で見つめて、ミヒャヒャヒャヒャと言った。
「……何、それ?」
「だから笑い声」
 聞いた自分が馬鹿だった。ネロは溜め息で答えてダンテから顔を背ける。やはり彼はよく分からない所があると思う、素性を知らないせいもあるかもしれないが、人間らしいようで人間らしくない感じが時々不気味に思えるのだ。こいつは本当に見た目通りの年齢を生きているのか、そう考えたくなる。
 そのとき、夜空の雲が風に流されて白い満月の姿をあらわにした。
 それと同時に、ネロの悪魔の右腕が青く光り出して鼓動する。何かが近づいてきているのだ、ネロは右腕を一瞥してレッドクイーンに手を掛けた。
「――ダンテ」
「わかってる」
 と言いつつダンテはまだ構える様子がない。さっきからずっとフロアの角っこの何も見えない暗闇を見つめている。何かが居るのだろうか――ネロもそちらに目を向けると、
 ミャー。
「あ」
 猫だった。ダンテとネロの視線の先、部屋の端の暗闇の中から抜け出すように黒猫が現れたのだ。色が同化してて気づかなかった。金の眼がきらりと光り、優雅な動作でその全身が姿を現す。子供と大人の中間くらい。
 なんだ猫か――そう思って気を抜いた途端、ダンテがちらりとこちらを見た。
「見た目で油断するなよ」
「……え?」
 意味がわからず聞き返す。と、

『――今日は面白い人間を連れておるな』

 まったくの予想外だった。
 黒猫が口を開いて、人間の言葉を喋ったのだ。高齢のジジイとババアが同時に話しているような、嗄れた声だった。
 ネロは信じがたいものを見るような目つきで黒猫を見つめる。思考がなぜか斜めに展開し、
「……悪魔が猫に取り憑いたのか?」
『否』
 黒猫がまた喋った。
『これは仮の姿に過ぎぬ。お前のような輩を油断させるための、な』
「……へえ」
『貴様のほうこそ悪魔が取り憑いているのではないのか?随分と面白い腕をしておる』
「あいにく、企業秘密でね。教えてやる気はねぇよ」
 右腕が強く疼いている。どうやら久方ぶりの強敵はこいつで間違いないらしい。ネロは背中のレッドクイーンのアクセルを噴かせる。腕がなりそうだ。
 黒猫は金色の眼でそれを一瞥すると、ミヒャヒャヒャヒャと笑った。
『今夜はいい獲物に巡り会えた、楽しくなりそうだ。――我は次元を統べる悪魔クロウム。お前達を未知の世へ送らせてもらう!』
 クロウムは口を大きく開けると一声鳴いた。誰がどう聞いても猫の声だったが、静かな廃墟が一気に緊張に包まれる。このときになってようやくダンテがリベリオンを構え直したのをネロは視界の端で捉えた。
「余裕だなおっさん」
「そうか?結構身構えてるんだが」
「……嘘つけ」
 そのとき、クロウムのすぐ後ろの背景がマーブル模様のように歪んだ。それが真ん中に収束するように動き、追うように周りからじわじわと黒に染まっていく。ついにはそれは縦の楕円の形をした黒い穴になった。虚無を思わせる、次元の歪みの穴だ。クロウムはこちらを見ながら後ろ向きに歩いて、何の躊躇いもなくその穴に入った。
『……行くぞ』
 クロウムが言うと、穴が真ん中に向かって二秒と経たず閉じる。クロウムの姿はなくなり、そこにはさっきと同じフロアの壁と明かりが照らせられない角の暗闇があるだけだ。
 沈黙が落ちた。
 クロウムの気配がない、右腕も光らなくなった。訝しげに周囲を見回すネロにダンテは、
「空間を移動してるんだ。その間は俺達のいる場所には実質いない、だから気配も消える」
「……つまり、空間から出てきた所を捕まえればいいんだろ」
「――そう簡単にいくかねぇ」
 ネロは眉を寄せた。あのダンテが手こずっているのだ、確かに簡単にはいかないのだろう。だが、鼻っから自分には期待していないような言い方には腹が立った。何のために居ると思ってるんだ。
「絶対捕まえてやる」
「威勢がいいな。ところでネロ」
「あ?」
「上だ」
 その瞬間、ネロの頭上の天井が歪んで次元の黒い穴がぱっくりと開いた。
「――!」
 反射的に屈んでブルーローズを構える。それと同時に、黒い穴から何か長いものが無数に飛び出してきた。先端が丸くて色が黒い、輪郭が朧気で細くもなく太くもない、
 触手――違う、蔦に似ている。
 撃った。
 三本の蔦がはじけ飛び怯むように穴に引っ込むが、残りが猛然とネロに突っ込んでくる。咄嗟に前に転がってそれをかわす。隙を与えず振り返ると、獲物を逃がした蔦が今度は手近に居たダンテに標的を定め向かっていた。
 ダンテはリベリオンを背中に戻して、腰からエボニーとアイボリーを取り出す。両手でクルクルと回し無駄な予備動作を間に挟むと、一気に構えて一気に撃った。
 他人が聞けば、一発の発砲音しか聞こえなかったかもしれない。
 だがダンテはコンマ一秒の間に計12発の弾丸を放っていた。連射速度が速すぎて非常に分かりづらいが、ネロもそれは聞き取れていた。悪魔みたいな速さだと思う。蔦は為す術もなく弾丸の餌食になり、弾けた途端に黒い霧に還っていく。
 ――面白い。
 クロウムのそんな声が響いた。
 瞬間、ネロとダンテそれぞれの背後に同じ黒い穴が展開された。二人は同時に前に飛んでそこから距離をとり、背中合わせになってお互い黒い穴を睨み付ける。頭上のも合わせて三つの歪みが取り囲んでいる。
「…何個も作れるんだな」
「次元を操れる悪魔だ、不思議じゃない」
「前戦ったときも同じ攻撃だったか?」
「いや、タイマンだった。来るぞ」
 三つの穴から蔦が飛び出してきた。さっきより数が多い、思わずネロは舌打ちする。
 ブルーローズじゃ全部は落としきれない。
 すぐさまホルスターに戻してレッドクイーンに手を掛ける。クラッチを思いっきり捻ってフルスロットルでアクセルを噴かす、噴射口から炎が洩れる。
「ダンテ!目の前の穴だけ狙っとけ!」
 身体を捻りながら下から大きくレッドクイーンを振り上げた。炎が尾を引いてネロを中心に縦に円を描き、頭上と、ネロの前にある穴から飛び出してきた蔦が巻き込まれてハサミの如く切断された。第二撃が来てもう一度大車輪の如く振り回す。三回目は来ない、背後でダンテが銃を連射してもう一つの穴から出てきた蔦をやっつけているのを聞きながら、レッドクイーンを床に突き刺して叫ぶ、
「おら!これしかパターンがねぇのか!?隠れてねぇで出てきやがれ!」
 答えはない。変わりに蔦の動きがピタリと止まり、出てきたときと同じ唐突さで勢いよく引っ込んで全ての穴が瞬時に閉じる。完全に沈黙した。銃声が止んで残響が壁に反射し耳鳴りが聞こえる、ホコリのにおいが戻ってくる。
 銃を下ろすとダンテは首を傾げ、口を少しへの字に曲げる。
「――遊ばれてるな」
「ムカつく」
「全然本気を出してない。力試しでもされてるのか?」
「準備運動にもならねぇよ」
「……だとよクロウム。いや子猫ちゃん? 坊やは欲求不満らしいぜ」
『ミヒャヒャヒャヒャ!』
 姿は見えず笑い声がフロアに響いた。まるで小馬鹿にしたようにしか聞こえない。
『普通の人間ならとっくに次元の穴に吸い込まれているのだがな、中々骨がありそうだ』
「舐められたもんだな」
 そして次に発せられた声は、物凄く近くから聞こえた。
『なら、もう少し本気を出してもよいな』
 刺したレッドクイーンのグリップの上に、クロウムが立っていたのだ。
「っ、」
 思わず手を離してしまった。いつの間に、全く気づかなかった。クロウムは四本の足を器用に乗せていて、長い尻尾をゆらゆら動かしている。
『どうした?我はここにいるぞ、撃たないのか?』
 安い挑発である。
 だが、レッドクイーンに触れるのは許さなかった。ネロはブルーローズを抜いて何の躊躇いもなく撃ったが、クロウムは一瞬速くそこから飛んで天井に逆さまに着地した。その眼が三日月のように細められる、笑っているのだ。
『今度は我自らが相手になろう』
 そう言うと同時に、揺れていた尻尾が急速に伸び始めた。質量保存の法則を無視して、太さも変わらずどんどん長くなっていく。クロウムの身体に不釣り合いなくらいに伸びた尻尾は元より五倍くらいの長さになり、先端から一メートルくらいのところで折れ曲がった。折れた分は緩くカーブを描き、黒い毛並みが鋼鉄に変わって平べったい刃になり、丸かった先端が鋭利になる。
 鎌だった。
 尻尾が鎌になったのだ。
 ダンテが「あーそれだそれ」と言った。
「前戦ったときもそれだったよな」
『この姿を二回も見るのはスパーダの息子、お前が初めてだ』
 ネロはぴくりと眉を寄せた。
「――息子?」
 何。
 何だ、それ。
 ダンテがネロを振り返る、面倒くさい事になったなと言わんばかりの顔で、
「坊や、その話は後にしてほしい」
「ちょっと待てなんだよスパーダの息子って。あんたまさかホントに、」
 サンクトゥスの言葉がふいに脳裏に蘇る。『神』を動かすには魔剣スパーダとスパーダの血が必要だと、当初はその血として自分ではなくダンテを取り込むつもりだったと。
 ダンテがスパーダの血筋なのはそれで知ってはいたが、息子とは聞いていない。



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