Nero has come.2




 話は十日前に遡る。

 弾がもったいなく思ってレッドクイーン一本で雑魚悪魔達を凪ぎ払った帰り道、ネロは居住区の自分の部屋を目指して歩いていた。
 神の暴れっぷりは魔剣教団の寮の方にまで影響が及んでいて、住処を失ったネロはキリエの計らいで新しい部屋を用意してもらっていた。フォルトゥナ居住区域・南エリア4-5・居住用建造物「アンジェラ」の203号室。要はアパートである。
 住処を失ったのはキリエも同じで、フォルトゥナの人々から信頼が厚い彼女はこのアンジェラに部屋を与えてもらったのに便乗してネロも住まわせてくれたのだ。本当にキリエは女神だとネロは思う。しかも隣り部屋同士だ。
 が、キリエとは仕事が別々だから滅多に鉢合わせすることがなかった。それでも食事は一緒に取ることが多いし、休みが被ったら二人で孤児院に行って子供達の相手をしたりもする。
 今はそんな関係だった。
 お前ら本当に付き合ってるのかと突っ込まれたこともある。
 ネロはそれで良かったし、キリエも納得してる。まだ復興が忙しい大変な時期だ、人もたくさん死んだ。そんなときに恋人みたいな行動を取るのも何だか失礼な気がしてしまう。片割れを失った奴だっているのだから。
 アンジェラに入って二階に上がり、古い廊下を歩いて自分の部屋を目指す。床はギシギシと軋みを上げ、塗装の剥がれた壁はいつまでたっても塗り直されない。
 203号室。
 基本的に鍵がある部屋はフォルトゥナにはない。強盗など罪を犯す輩はスパーダ神のいる天界に召されないと信じられているからだ。それもどうかと思うが、今更鍵穴を作るのはなんだか面倒くさいし取られて困る物も特に無い。だがキリエの部屋にはネロが鍵穴を付けた。不貞の輩は気づかないだけで存在することを、住民は半分も認知していない。
 まあ男の部屋に誰かが押し入ることなどないだろう。そう考えながらネロは扉を開けて、
「――Hey kid.」
 閉めた。
 そのまま固まった。
 脳みそが拒否反応を起こしていた。
「……」
 いま、自分の部屋で誰かが片手を上げてこちらを見ていなかったか?しかもそいつは物凄く見知った人物で、銀髪で悪目立ちする深紅のコートを着て腰に二丁の銃をしまっていて名前の最初に「D」が付く奴ではなかったか?
 深呼吸した。
 今日は疲れてるんだな、そうに決まってる。
 絶対絶対疲れてる。
 ネロはもう一度扉を開け、自分のベッドに座って持参したアダルト雑誌を読んでいるデビルハンターダンテを見た瞬間そこで日常が終わったことを認めたのだった。



 ネロの部屋は2LKで、リビングにベッドが置いてある、ということだけ補足しておく。
「シケてる部屋だな、なんでエロ本がベッド下にないんだ?定番だろ?」
「いい加減にしろおっさん」
 ダンテからアダルト雑誌を奪い取り窓から投げ捨てる。猥褻物が降ってきて外から悲鳴が上がるのを無視し窓を閉めると、ネロはダンテを振り返ってここ一番の睨みを見せた。
「なんの用だ。いや、なんでここがわかった」
「キリエの嬢ちゃんに教えてもらったんだ」
「!」
「あー違うぞ。坊やを探してたらたまたま孤児院の前でガキ共と遊んでるのを見つけたんだ。後で彼女もここに来るってよ」
 ダンテはそれから足を組んで両手を後ろにつき、
「なぁ、客が来たんだから何か出すのが礼儀ってものじゃないのか?」
「不法侵入した奴に出すもんなんてねーよ」
「一応許可は取ったぞ」
「俺には取ってねぇだろ」
「いいじゃねーかもう過ぎたことだ」
 この野郎。
 ネロはイライラ度が急激に上がっていくのを押さえる。腕を組んで指をトントン鳴らす。
「で、俺に何の用なんだよ」
「飲み物かピザ出してくれたら教えてやるよ」
 我慢しろネロ、という指令を脳みそが全力で送る。ここにダンテが来たということは、余程のことがあったに違いない。
「……ピザは無理だ。飲み物なら」
「じゃあジントニック」
「帰れ」
「ならコーヒーでいい」
 ひく、と口の端が上がるのを何とか溜め息で抑え、ネロはレッドクイーンを置きコートを脱いだ。一応ブルーローズは持っておく。
 簡易キッチンは実は結構使っていたりする。キリエがたまにここで食事を作るから材料なども粗方ある。コンロに火を付けてお湯を沸かし、すっかり風味が失われたインスタントコーヒーを棚から取り出して、全く使ったことがない黒いカップにティースプーン二杯。そこでリビングに声を掛ける。
「ミルクは?」
 リビングから声のみが、
「半分」
 腰までしかない冷蔵庫からミルクを出して片手鍋で沸かす。カップにお湯を入れてぐるぐるかき混ぜ、最後にミルクを半分注いだ。まったく何が悲しくて不法侵入者にコーヒーを作らなければならないのか。
 リビングに行くとダンテはすっかりくつろいでいた。両腕を頭の後ろに回し、はみ出した足もそのままにベッドにごろ寝して口笛まで吹いている。
「ゴラおっさん、人のベッドだぞ」
「あぁ出来たか。早いな」
「人の話を聞け!」
 まったくこいつ相手だと悪魔より疲れる。ダンテは弾みをつけてベッドから起き上がり、ネロから湯気の立つカップを受け取って一口飲んだ。
 そして一言、
「うまい」
 お世辞も皮肉も同じだよな、とネロは思う。
「作ってやったんだ。約束通り話せよ」
「ああ、わかってる」
 ダンテはまた一口飲み、それからふぅーと長い息を吐いて、
「――単刀直入に言うと、仕事の話だ」
「仕事、」
 悪魔狩りの。
「そう、悪魔のな。俺の本拠地からそう遠くない場所に潜んでる。一匹だけなんだが、これがまた特殊な能力を持ってやがって正直一人じゃ対処仕切れん。そこで助っ人が欲しい、坊やにそれを頼みに来た」
「……俺に助っ人になれと?」
「もちろん報酬は出す。なんなら三食昼寝も付けていいぞ」
 保育園か、と突っ込むのはやめておいた。
「……」
 悪魔狩りの仕事。
 ダンテがフォルトゥナに足を運んで自分に頼むくらいだ、相当手強いのだろう。それに彼はスパーダの血筋らしいし、そんな仕事をしてるくらいだ、この男の元には悪魔もわんさか集まってくるのは目に見えている。そんな奴と仕事ということは、張り合える悪魔と遭遇出来るということだ。
 願ってもないことだった。
 願ってもないことなのだが、
「なあ」
「何だ」
「俺以外にも誰かいなかったのか?頼める奴」
「おいおい坊や、俺は坊やの力を見込んでここまで来たんだぞ?それに同業者は――まぁいるにはいるんだが、ちと難があってな。坊やのほうが安上がりだし」
「安上がりってなんだよ」
「こっちの話だ。……とにかく、俺はお前を信用してるってことだけは理解してくれよ。じゃなきゃわざわざ十日も掛けてここまで来ない」
「……、少し……考えさせてくれ」
「わかった」
 意外にもあっさりとダンテは了承した。半分ほど残っていたコーヒーを一気に口に流し込むと、ごちそうさんとカップを渡して立ち上がる。
「急に来て悪かったな」
「……別に」
「俺はしばらく港近くの宿にいる。考えが決まったら探してくれ」
「おいそっちから来てくれるんじゃないのかよ」
「坊やの考える時間を優先するって言ってんだ」
「――。もし俺が断ったら?」
「そのときは、俺一人でやるさ」
 ポン、とネロの頭に手を置きながらダンテは扉に向かう。腕の長さより距離が離れるまでその手は置かれたままだった。ドアノブを回す音がしてやっとネロは振り返り、
 ダンテも肩越しにこちらを見ていた。
「ネロ」
「……んだよ」
「フォルトゥナの悪魔は弱いな」
「それが?」
「いや、俺だったらこんな所にいたら腕がなまるなと思ってな」
 ――この男。
 ネロは、ダンテが自分の選ぶ道を塞いでいくのが手に取るようにわかった。口では優しい事を言っておいて、それで油断しているうちに最後の一本道しか歩かせないようにしている。その一本道に、ネロはすでに半分ほど足が浸かっていた。ダンテの思惑通りに。彼は自分をよく見ている。
 だからといって、素直に従う気はさらさらなかった。
「――さっさと出てけよ」
 窺うようにこちらを見て動かないダンテにネロは静かに言う。
「……あぁ。じゃあまたな、ネロ」
 特に何かを口にするわけでもなく、挨拶だけを済ませると、扉を開けて間をすり抜けるようにダンテは部屋を出ていった。
 深紅のコートがはためくのが見えなくなると、ネロは先ほどまでダンテが座っていたベッドにドサッと腰を下ろした。シーツに体温が残っているのを臀部に感じながら、ふと渡されたカップを見る。こちらはすっかり冷たくなっていた。
 黒の塗装に光が当たって自分の顔が映っている。そのもう一人の自分が問いかける。
 ――さぁ、どうする?



「ネロの好きにすればいいのよ」
 キリエが言った。
 夕食の誘いを受けて招かれた彼女の部屋は質素なのに女の子っぽさも見受けられる大人しい部屋だった。カーテンの可愛らしいレースに隅にある小さなドレスケースとイヤリング。子供達からもらったウサギと猫の中間みたいな動物のぬいぐるみ。
 向かい合わせに座って食べるワンプレートの魚料理と茹でた野菜。テーブルに置かれたランプの薄明かり。
「迷うことないわ、私は大丈夫だから。何かあれば近所の人達がいるし」
「でも……」
 目下、ネロが悩んでいることは二つあった。
 一つはキリエの身辺についてだ。ダンテが言っていた「十日掛けてここに来た」は、予想以上に離れた土地にダンテは居を構えていて、そこに悪魔も居るということである。これが近場だったらオーケーを出したかもしれない。ネロがやっていた汚れ仕事は一日も掛からず終わらせていたが、最近は他の手合いの仕事も回ってくるので一日二日の泊まりがけもザラにある。
 十日分の時間を費やすほど遠い距離。ネロには想像もつかない。
 その間にキリエに何かあったら。また悪魔と遭遇する事態になったりしたら。
 それに自分は、
「――ネロ、」
 キリエの声に顔を上げる。キリエはナイフとフォークを置いてひたむきにこちらを見つめている。
「前みたいに悪魔が頻繁に出ることはなくなったのよ?だったら大丈夫。騎士団の方達も孤児院によく足を運んでくださるし、心配しないで」
 キリエのいざという時の無茶っぷりを知っているネロにとっては中々信用出来ない台詞である。だが確かに悪魔は大群で攻めるようなことはなくなった。騎士団の奴らでも充分に対処出来るほどに。
 だからネロは不安だった。
 俺だったらこんな所にいたら腕がなまるな、とダンテは言っていた。
 周りは雑魚悪魔ばかりである。それは住民にとっても騎士団にとっても有難い。しかしそんなのばっか相手にしてきて、いざ強い奴が出てきたらどうする。お前ら立ち向かえるのか?戦えるのか?
 ネロにだって言えることだ。雑魚悪魔ばかり倒し続けると、上級悪魔と戦っていたときの力は使わなくなる。使わなくなるということは必要がなくなる。必要がなくなるということは、いらなくなる。失われるのだ。
 もっと力を。
 力を付けなければならない。
 そのためには、ダンテの仕事を片付けるだけではとても足りないのだ。
 だから、
「キリエ」
 フォークを握る手に自然と力がこもる。
 悩んでることその2。
「俺、ダンテの仕事を手伝い終わってもしばらく帰らないかもしれない」
 キリエは何も言わない。その沈黙が恐ろしくて目を合わせられない。それを振り払うように喋り続ける。
「いつも思ってたんだ。このままじゃまたダンテに会う前の自分に戻っちまうって。あの頃は全然駄目だった。キリエも守れなかった。最近弱い悪魔ばっかりで力が付かない気がするんだ。だから、もし――また上級悪魔が現れたときに自分の力が弱くなってたらって思うと、遠くないうちに今のままじゃ駄目になる。どっかで力を付けなきゃいけない、ダンテは悪魔狩りを仕事にしてるからきっといい修行になると思うんだ。でもどのくらい掛かるか分からない、ひょっとしたら一年以上とかになるかも。いやその前にダンテが」
「ネロ」


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