Nero has come.1





 列車はまだ駅に停車していた。
 物凄く安堵した。
 階段を登りきったところで紺のキャリーケースとレッドクイーンの入ったトランクをドカッとホームに降ろし、もたれるように体重を掛けるとネロは疲れ丸出しの溜め息をついた。切符を買うのに手間取ってしまったので乗り遅れると思い、改札口から突っ走って階段を四段飛ばしで来たのだ。その甲斐があったと思う。が、
「だから言っただろ、まだ大丈夫だって」
 数秒遅れてダンテがネロの後ろの階段をゆっくり登ってくる。
「時刻表ピッタリなんて稀なんだぞ?現に今だってとっくに出発してる時間なのにまだ居座ってる。車掌が便秘を起こしてるのかもな」
 なら時刻表なんか作るな、とネロは思う。
 確かにダンテの言う通りだった。クソ真面目に時間通りに運行している駅なんてこの辺りの都市にはないのだ。フォルトゥナの港から発つ観光船がいかに真面目に航行していたか思い知らされた。ネロはフォルトゥナを出たことがなかったし、なまじ観光船が定刻通り働いていたからそういうものだと思っていたのだ。だから最初はダンテの言葉が信じられなくて、どうにか間に合わせようと頑張ったというのに。
 ダンテは腕組みをしてネロを見下ろす。道中彼はずっと手ぶらだった。
「まぁ、間に合ったんなら結果オーライだろ。これに乗っちまえばあとは歩くだけだ。そう思えば長旅も楽しかっただろ?」
 突っ込む気も起きなかった。
 確かに長旅だった。
 フォルトゥナからダンテと共に出発して観光船で別大陸に渡り、そこからバスと徒歩とヒッチハイクでここまで来た。いや、当初はヒッチハイクは予定になかったのだ。なのにダンテがどうしてもご当地限定のピザが食べたいとかぬかして買っている間に一日一本しかないバスを逃し、だだっ広い荒野のど真ん中で親指を立てて「獲物」が来るのを待つハメになったのだ。水は無くなるわ途中の街でスリに会うわ、そのスリを半殺しにして財布を取り戻すわでとにかく大変だった。
 徒歩だって半ばダンテを追いかけての全力ダッシュがほとんどだ。なのに、ダンテは全くいつも通りだった。フォルトゥナを訪れたのは二度目だし事務所までのルートもわかっているからだろうが、こっちは旅行初心者も同然だから勝手がわからない。見知らぬ土地は驚きの連続で、そのせいで気力と体力を奪い尽くされて、トドメに切符の買い方と路線図が紛らわし過ぎた。ついにネロがスラング語を爆発させたのが二分前の出来事である。
 しかし、喉元過ぎればなんとやらで、確かに楽しかったかもしれない。
 図鑑でしか見れなかった生き物もたくさん見れたし。
 彼はいつもこんな気違いな旅をしてるのだろうか。
「――、おいおっさん、どこ行くんだよ」
 ダンテがふいに離れたのに気付いてネロは顔を上げた。列車とは反対の方向にダンテは背中を向けて歩きながら、
「売店。何か買うか?」
「………ヴォルビック」
「オーライ」
「あとスニッカーズ」
 ダンテは足を止めて振り返り、
「なんだそれ」
「ピーナッツチョコバーだよ、棒みたいなかたちで一個ずつ包装されてる。パッケージが青くて赤文字で書いてある」
「…ま、あったらな」
 期待すんなよボーイ。そう言ってダンテは売店に向かっていく。傍目にもその格好は良い意味でも悪い意味でも目立っていて、深紅のコートは人混みに紛れてもなお色鮮やかで見失わない。ネロはふと自分の風貌が気になった。今まで気にしなかったが、もしかしたら自分は凄い浮いていて、田舎から来たお上りさんに見えてるのではないか。
 ――いや、ダンテに比べたら地味か。
 比べる相手が間違っていることにネロは気づかない。
 一応ネロのために弁解しておくと確かに目立ってはいるのだが、それはネロの顔がかなり整っているからであり、決して服装が派手とか右腕が目立っているとかそんなことではないのだ。
 その右腕は、今は包帯で隠れて中身は見えていない。
 ネロはトランクを肩に背負って歩き出す。
 道中、幸運にも悪魔と遭遇することはなかった。
 しかし腕がなまって仕方ない。早く強い悪魔と戦って自分のレベルを上げたかった。そのために、ネロはダンテの事務所に居候して修行するべくフォルトゥナを離れたのだ。
 そう。
 ネロは、デビルメイクライでダンテと共に住むことになった。
 そもそもダンテがフォルトゥナにまたやって来たことが始まりだった。
 サンクトゥスのクソジジイをぶっ倒した後、全ての後片付けを終えて平穏が徐々に戻ってきた頃のこと。相変わらずフォルトゥナは悪魔に寄られやすい力を土地から発していたし、地獄門からあぶれた悪魔達の数も相まって騎士団の再結成を願う声が日に日に増していた。サンクトゥスの悪行がついにバレて一旦は解散したのだが、やはり悪魔に対抗出来る戦力というのはどうしても必要だったのだ。
 魔剣教団の騎士で「人間」の生き残りは、ネロを含めて百人もいなかった。
 その生き残り達が新たに団結して再結成した騎士団にもちろんネロも入っていた。というか、無理やり入らされたが近いかもしれない。このメンバーの中でずば抜けた実力を持つ者はネロしかいなかったのが一番の原因である。
 ――偽の神を倒し、フォルトゥナを守った英雄。
 そんな呼ばれ方、もちろんされていない。
 何故なら、サンクトゥスを倒したのが誰か明かしていないからだ。
 それはネロを守るためにキリエが出した案でもあったし、悪魔の右腕を持つ自分が仮にも神を倒したとなれば、少なからず非難を浴びるに決まっていた。それでもあの馬鹿でかい神を倒した瞬間を見た者は結構な数がいて、魔人の青い腕が伸びたとき彼らはこう思ったらしい。
 ――スパーダ神が天界からその神々しい腕を伸ばし、偽神から我々を助けてくれた。
 アホかと思った。
 結局ネロは「あの日を運良く生き残ったただの騎士の一人」となったわけだが、それでも前のように周りから邪険に扱われるようなことは無くなった。地位云々が意味を成さない今、そんな事をしても無駄だというわけだ。
 キリエはキリエであちこち働き回っているし、ネロはネロで雑魚悪魔を斬っては撃ち斬っては撃ちの繰り返しで、そんな日々を生き続けているうちに、ネロは段々不安になってきていた。
 腕がなまってやしないだろうか。
 雑魚悪魔ばっかり倒してきているが、いざ上級悪魔に出会ったとき前みたいに立ち回れるのだろうか。
 自分のレベルアップのピークはサンクトゥスと対峙したときである。あのときは周りの悪魔も強かったし、自分の腕が上がっていくのが手に取るようにわかった。だが最近はめっきりそんな機会に恵まれていない。だから、いつも弱い悪魔を相手にしているうちにそれに慣れてしまっていたらと思うと、あのときの強さを維持できているのか不安になった。
 どこか遠い地で武者修行でもしようか。いや無謀過ぎる。悪魔がたくさんいる土地なんてたかが知れてるし、第一遠くに行ったらキリエを守りきれなくなる。かといって自分より強い奴がいないから力比べも出来ない。
 そんなとき、まさに絶好のタイミングで嵐の男がやってきたのだ。




『まもなく、5番ホームから、××行きの列車が発車いたします』
 自由席を取ったためどこのボックス席も先客がいて、やっと空いている席を見つけたときには十分も経過していた。
 ボックス席は普通の体格なら四人くらいが、大の男二人だと少しキツイくらいの広さだ。ネロは窓際に座って隣りにトランクを置き、窓縁に肘をついて顎を乗せた。ホームは相変わらず混んでいる、ダンテはもう列車に乗って自分のいる席を探している頃だろうか。
 汽笛が鳴った。
 煙突から黒い煙が吹き出す。
 ホームには別れを惜しむ人々が手を振っている。ネロと同じように窓際に寄って手を振り返している人達が横目にちらほら見えた。ここにキリエがいたら、と少し思う。
 列車がゆっくりと動き出した。
 景色が流れ出す。
 ホームの人々が少しずつ遠ざかっていくのをボーッと見ていると、その人々の中から見聞きした声がした。

「おーい、坊やー」

 聞き間違いかと思った。

 ネロは思わずボックス席を振り返る。だがそこにダンテの姿はなく、閉じた引き扉があるだけ。
 ではどこから声がしたのか。
 ネロは猛然と窓を上に押し上げて身を乗り出し、ホームで未だに手を振る群衆の中から深紅のコートを見つけて絶望した。
 駅のホームに、おっさんが立っていた。
「――お、うおええっ!?」
 まさか自分が列車を間違えたのだろうかと一瞬思ったが、切符を見せても駅員は何も言わなかったし確かにここは5番ホームで××行きで、
「な、なに突っ立ってんだよおっさん!!早く来いよ!」
 ネロは大声でそう叫ぶ。列車の速度は走ればまだ間に合う程度にゆっくりだったが、自分のいる席がホームを越えるのは時間の問題だった。何事だと両隣りの窓から人が顔を出してネロを見ている。遠くのダンテは右手を上げて持ってる何かを振って叫ぶ。
「おーい、スニッカーズってこれかー!?」
 ネロも負けじと叫び返す。
「んなのはいいから早く乗りやがれこのクソ野郎!!!」
 物凄く嫌そうな顔をして両隣りの人達が顔を引っ込める。スラング語上等。
 ダンテはやっと大股で走り出した。足のリーチのせいか歩幅二メートルくらいで、まるで風のように凄い速さで列車を追いかけ、列車は負けんとばかりにスピードを上げていく。髪がバサバサと視界をなめる。ネロは左手で耳の辺りを押さえながら右腕を目一杯ダンテに伸ばす。ダンテはすでにネロから五メートルくらいの距離にいた。やはりデビルハンター、列車のスピードくらい屁でもないのかもしれない。だが、
 ふと後ろを見た。
 ホームの端まで二十メートルもなかった。
「ダンテ!!」
 列車がさらに加速する。冷たい風が背中に当たる。
 ネロのいる窓がホームの端を越えた瞬間、ダンテが端ギリギリの縁から地面を蹴った。
 ごつい右手が伸び、ネロはがむしゃらにその手首を掴んだ。ダンテの跳んだ勢いを借りて全力で引っ張り上げ、彼の二の腕までボックス席の中に入れる。
 そこでダンテと目が合い、
「ネロ、もういいぜ」
 一秒悩んでネロは手を離した。ダンテは左手に持っていた紙袋を投げ入れると窓枠を掴んで頭から列車の中に入り、なかばローリングして着地するとスラリと立ち上がる。両手とコートをはたいてネロを振り返り、
「面白かっただろ?」
「…死ねおっさん」
 疲れが一気に出てきてネロは席に深く沈みこんだ。
 ダンテがわざと遅れたのにはもう半分以上気付いていたが、それでも焦ってしまった自分が情けない。
 床に投げ出された紙袋を拾って向かいの席に座り、ダンテは中からヴォルビックを投げて寄越した。焦った分喉も乾いたので有難い、ネロは蓋を開けて一気に煽る。
「あぁそうだ、スニッカーズもな」
 さらに紙袋から棒状の菓子を出してネロに差し出す。
 ネロは受け取らぬままそのパッケージを見つめて、深く深く溜め息をついた。
「……それ違う、類似品」
「? でもSnikkersって書いてあるぞ、色も一緒だ」
「俺が言ってたのはSnickersだよ」
 cとkが違う。紛らわしい。
「ダンテの買ったやつの方がマイナーなのに何で売ってるんだ……」
「いらねぇなら俺が食うぞ」
「いや食べる」
 食べるのか、とダンテが突っ込む前にネロは菓子を引ったくりバナナを剥くみたいに包装を開けて食べ始めた。チョコバーなんてまだガキだなと思いつつダンテも自分の分を取り出す。
「おっさんは何買ったんだ?」
「いちごミルクとプリングルス(ピザ味)」
「……」
 ネロは突っ込まず黙々と食べる作業に戻った。一々反応していたら気力がもたない。だが、苺と牛乳瓶が印刷されたドピンク色のパックにストローを挿す三十代の男の絵面はもはやギャグにしか見えなかった。
 しばらく俯いて食べていると、
「坊や」
「なんだよ」
「アヒル口」
 は?と思って顔を上げる。
 そこには、プリングルス二枚を口に挟んだ喜色満面なダンテが座っていたのだった。

 殴っても罪にはならないよな。



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