圧縮モーニングイベント





 ニワトリが鳴く頃に二代目は眼を覚ます。
 タイマーの如く頭が覚醒し、むくりと起き上がると軽く伸びをしてベッドから這い出る。枕の下に入れていたアイボリーを取り出してタンスの中のコートに突っ込み、部屋を出て洗面所で顔を洗う。他の奴らはまだ起きない、その間に二代目がやる事が今日は三つあった。
 一つ、ラジオのスイッチを入れる。
 一つ、六人分のコーヒーを作る。
 一つ、朝飯の準備をする。
 世情がどうなっているかを知るのにラジオは重要な情報源だった。本当は新聞紙を買いたいところだが、こんなスラム街に勧誘が来たことは残念ながら一度もない。小型ラジオをダイニングテーブルに置いて電源を入れると、雑音ばっかりの朝のニュースがざらざら流れる。Good morning everyone.今日は朝から速報が入っております。
 キッチンに入ると二代目はコーヒーミルを起動し、マルコのコーヒー豆を投入して粗挽きにする。最初から挽いている物を買ったほうが手間が楽だが、あらかじめ挽いているのは空気を含んでいるので酸化しやすく質が落ちるのが早い。誰だって挽き立てのほうが好きに決まってる。芳ばしい匂いが辺りに漂う。
 粗挽きし終わった粉をこんどはコーヒーメーカーに六人分、水も加えてスイッチをオンにする。俺の出番だぜとばかりにコーヒーメーカーはボコボコと水を沸騰させ始めた。牛乳も温める。
 ――さて、
 今日の朝飯担当・二代目は冷蔵庫から卵と牛乳と生クリーム、流し台の下の戸棚からボウルとフライパンを出す。片手で卵をボウルに割り落とし、牛乳を少々、生クリームを多めに入れて砂糖と塩も加えると泡立て器で台風の如くかき混ぜた。それをバットに流し込むと、八枚切りと書かれたパン袋から二枚取り出してバットの中の液体に漬け込む。
 そこでやっと、二階からネロが降りてきた。
「…ぁ゛ー…」
 起きかけの掠れた声でタンクトップ姿のまま、髪をガシガシ目をこする。まだ眠そうだ。
「Good morning,Nero.」
「…Mornin'…」
「顔は洗ったか」
「まだ…」
「早くしないと混むぞ」
「うん……朝メシなに?」
「フレンチトースト」
「オーケー…」
 ネロはのろのろと洗面所に向かい、二代目はコンロに火を付けてフライパンを温める。バターを入れて表面全体に行き渡らせると、バットの中のパンをフライパンに降下、ジューと焼ける音がキッチンに響く。コーヒーメーカーが仕事を終わらせ、やがてそれに引かれたかのように今度はバージルが姿を現した。ネロとは違ってパッチリ目も覚めているようで、すでに前髪はセットされている。
「Mornin'」
「Mornin'……何か手伝うか」
「そうだな、コーヒーが出来てるからカップに入れてくれ」
「わかった」
 キッチンは二人になった。バージルは置いてあった六人分のカップを確認し、コーヒーメーカーからポットを取り出して実に丁寧に注ぐ。だが全て均等にではなく、量はカップによってバラバラ。もちろんそうでなくてはならない理由もある。
 洗面所からネロが戻ってきた。タオルで顔を拭くのもそこそこにキッチンに向かい、
「俺も手伝う」
「なら、パンをバットに漬けてくれ」
「りょーかい」
 キッチンは三人になった。ネロはパンをバットの中の液体に漬け込み、それをフライパンに投入して二代目が焼く。バージルが皿を出してフライパンの隣りに置き、そこに焼いたパンを二枚ずつ乗せていく。
 最後のパンを焼いてる途中で二代目が、
「ネロ、生クリームを泡立ててくれ」
「おう」
「バージルは冷蔵庫から苺を出してへたを取って欲しい」
「わかった」
 慌ただしくなってきたそのとき、初代が二階から伸びをしながら降りてきた。あくびを噛み殺してキッチンに顔を出し、始めに気付いたネロと目が合う。
「あ、初代おはよう」
「おはようネロ。忙しそうだな」
「そう言うなら手伝えよ」
 焼くのに集中していた二代目が初代を見て、
「あぁ、おはよう。ミルクな」
 まるで主語と述語が足りない。
「…はいはい」
 が、何を言ってるかは分かっているので初代はキッチンに参入した。大の男四人も居ると混み混みだ。初代は片手鍋の中の牛乳をコーヒーの入ったカップに注ぐ。入れるのは二代目とバージル以外の分四つである。さらにそのうちの二つ、あまりコーヒーが入ってないネロと若の分は多めに注いで、さらに砂糖も投入する。初代と髭の分は普通にカフェオレ。注ぎ終わると片手に三つずつ持ちキッチンを出てダイニングテーブルに置いた。
 ふとラジオの声に耳を貸す。
『――の地区では既に死者は三百名を越えているとの予測で、行方不明者を入れるとその数は益々増加するものと思われます。現在軍は災害救助犬とヘリをさらに投入し生存者を探す方向で予定を立てているとのことですが、救援物資の到着の遅れが招じているらしく混乱は広がる一方と思われます。――繰り返しお伝えします、今日の午前四時三十七分頃、××海を震源とするマグニチュード6.5が発生しました。震源の深さは――』
「初代ー、皿持ってくの手伝えよ」
「…あ? あぁ」
 ネロの声に初代は顔を上げキッチンに戻り、バージルから皿を受け取った。フレンチトースト二枚に生クリームとスライスした苺が乗っている。それを手際よくテーブルに並べながら、初代はごく自然な動作でラジオのチャンネルを変えた。ミスターミヤケのザ・ベスト30が始まっている。
 ネロが全員分のフォークとナイフを手に持ってダイニングに来る。ラジオから流れる声に驚いた顔をして、
「もうそんな時間なんだ」
「まだ『うちのマコサマ』のコーナーは先みたいだけどな」
「今週の一位なんだろ、やっぱモルゲラか」
「いやフーリッシュプレイヤーだろ、この前新曲出したし」
 ネロはフォークとナイフをテキパキ置いていく。コーヒーとフレンチトーストの匂いが辺りに漂っている、二代目とバージルがキッチンで後片付けをしている。二階から何やらゴン!と痛い音がかすかにした。若がベッドから落ちた音だ。
 並べながら唐突にネロが、
「――地震はいけないよな」
 初代は思わずネロを見る。
「なんだ、聞いてたのか」
「いつもキッチンまで聞こえるよう音量上げてるだろ」
 二代目とバージルも聞いてただろう。ネロはラジオに視線を移し、もう一度同じことを呟いた。ネロの顔は浮かばれない。まるで目の前でラジオの言っていた惨状を見ているかのような。
「どうした、地震に嫌な思い出でもあるのか?」
「そうじゃなくて、」
 一秒黙り、
「やっぱ人が死ぬのはいい気分じゃないなって。それだけだよ」
 初代はそれを聞いて目を見開き、やがて頭を掻いて視線をさ迷わた挙句天井を見上げた。それから口元を嬉しそうににんまりさせる。
「――若ぇなあ」
「ぁあ?」
 暗にガキと言われた気がしてネロは初代を睨み付ける。だが彼はそれをかわして口笛を吹きながらキッチンに向かい、
「誉めてんだよ、ガキ」
「おい誉めてねぇじゃんか!」
「いいんだよ。お前はそのままでいてくれ、ネロ」
「はあ?」
 ネロは意味が判らないと声を荒げたが、初代は無視してキッチンに入った。見ると二代目はフライパンをキッチンペーパーで拭いていて、バージルはボウルやら泡立て器やらを洗っている。どちらの表情にもうっすら笑みが零れていた。
「若いっていうのはいいな」
 二代目が呟く。バージルが頷く。初代が、
「いやバージルはまだ若いだろ」
「貴様、わざと言ってるのか?」
「もちろん」
 歳の話ではない。心の話だ。
 ネロは未だに首を傾げていたが、二階から二人分の足音が聞こえてきて意識をそっちに向けた。やっと若とおっさんが起きてきたのだ。二人共あくびを隠そうともしないで階段をドシドシ降りてくる。
「ぁ〜〜〜〜〜〜、ねみぃ……」
「おせぇよ若」
「お前らが早いんだろ…」
「普通だっつーの」
 髭ダンテは首をバキボキと凄い音を鳴らしながら席につく。フレンチトーストの上の苺を見て「おっ」と顔を輝かせ、
「旦那、これはデザートはストロベリーサンデーってフラグだよな?」
「どう考えたらそうなるんだ……」
 しかも朝っぱらからそんな甘ったるいものを。ネロは呆れたような溜め息をつくが、キッチンから出てきた二代目は椅子に座りながらとんでもないことを口にした。
「…そのつもりだが」
 あんぐりとネロが口を開け、席についていた若と初代は二代目にラブコールを送る。最後にバージルが洗い物を片付けて席に座ると初代はラジオの音量を緩めた。今はハッピーヤッホーが始まっている。
「――それじゃ、いただきます」
 時刻は九時を回っていた。
 ラジオからロックが流れるのをBGMに、二代目が予定を確認する。
「…今日は仕事に行く奴は?」
 若が手を上げ、それからバージルを指差す。
「どのくらいだ?」
「今日中には帰って来れない。明日の昼頃になるかな」
 ネロがもぐもぐと、
「…あれ、今日の夕飯の担当って俺とバージルじゃん」
 バージルはコーヒーを啜ってから、
「あぁ。だから二代目に変わってもらった。そのかわり、明日の夕飯は俺が作る」
「いいのか?仕事帰りで疲れねぇ?」
「問題ない。愚弟に作らせるよりはマシだ」
 だよなあ、と皆は若に視線を送る。忘れもしないとある夜のこと。大丈夫大丈夫と言う若に半信半疑で夜食を任せたら、爆発音と共にキッチンが素晴らしいくらい丸焦げになったことがあった。若の手にアグニがあったのを見たときの二代目とバージルの怒りっぷりは今でも忘れない。キッチンが使えないせいで数日間デリバリーピザが続き、さらに修理費がかさ張って一ヶ月はパン一枚の生活をしていたのも記憶に新しい。なのでメシ作りは絶対若にやらせず、二代目とバージルとネロがローテーションしつつ、初代と髭が時々手伝うという形で収まったのだった。
「なのに若が成長したら二代目みたいになるんだもんな、もうミステリーだろ」
 自分を棚に上げて初代はフォークで若から二代目へと指差す。
「でも実際俺達は生きる時間軸が違うんだろう。メシ作れないまま成長するって未来も無きにしもあらずってわけだ」
 髭は最後の苺を名残惜しそうに口に含みながらそう言う。バージルは無言でこめかみを抑え、若はけらけらと笑いまるで他人事。
「俺は別にいーぜ?バージルが作ってくれるし」
「ネロ、愚弟のこの根性を叩き直す。手伝え」
「わかった」
 コーヒーを啜りながらネロは背後から青い魔人を出現させる。初代と二代目と髭は一斉に自分の皿とコーヒーを持って椅子ごと退避し、若は最後のフレンチトーストを食べると猛烈な勢いできびすを返して出入口へ走る。だが行く手にはすでに幻影剣が立ちはだかっており、ならばとその横の窓から脱出しようとする。背後から「スナッチ!」と声が聞こえ、悪魔の腕が目にも止まらぬ速さで迫る。若は振り返らずに窓に突っ込み、割れた音と共に外に飛び出した。悪魔の手がコートの裾をかすめる。
「ちっ!逃げられた!」
 ネロは思いっきり舌打ちし、外から若の声、
「あばよバージル!俺このまま集合場所まで行くからなぁーー!!」
 バージルはそれに鬼のような形相で答え、それから部屋の端で避難していた三人を振り返る。
「…行ってくる、片付けは任せた」
「おう。いってら、」
 ジリリリリリン。
 電話が鳴った。
 近くにいたネロがそれを取る。
「Devil May Cry……あぁ、そうだよ、用件は…えっ?………、わかった、伝えておく」
 ネロはメモを取りながら話を聞き、数秒で受話器を置いた。バージルの方を振り返り、
「…若とバージルの仕事の依頼人から電話」
「なんだ」
「集合場所変更だって」
 メモを渡すとバージルはそれを見て、ふむ、と呟く。
「随分変わったな、前の場所と反対の方角だ」
「…ってことは若は…」
「いい気味だ、せいぜい迷子になればいい」
 それを聞いた初代と髭がハッハッハ!と豪快に笑う。ざまぁ、とネロは若が去っていった方に中指を立て、気の毒だと二代目は溜め息をついた。

 彼らに静かな朝は永遠に来ないのかもしれない。



090427

ミスター・ミヤケのザ・ベスト30は、日曜日九時からラジオでやってる「三●雄●のザ・ベスト30」から取りました(笑)









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