ーーパリン!!!


穏やかな昼下がりには、およそ似つかわしくない音が、アンティークショップに響いた。


(ど、どうしよう……)


足元で粉々になった陶器。いやいや、きっとこれは夢だ。
そう信じたくて、何度瞬きをしてみても、それは間違い無く現実のものとしてそこに存在しているわけで。
事態を現実として受け入れた途端、サッと血の気が引いて、つうっと冷や汗が首筋を伝うのを感じた。


(これ、きっと高いやつだよね…。というか高いも何も、お店の大事な商品だし…!!)


幸か不幸か、店主のミステルは席を外している。
恐らく二階にいるのだろう。先ほどまで、早く降りてきて欲しいと、恋人の登場を心待ちにしていたはずなのに、今は降りて来ませんようにと本気で願う。

…とはいえ、このままじっとここに居ても、事態が好転するはずもなかった。
まるで死刑の宣告を前にした罪人のような面持ちで、割ってしまった陶器と、二階へと繋がる階段とを交互に見た。


いっそ逃げ出したいとは、思った。
けれども、残念ながら、ミステルをよく知っている私は、彼に対して逃亡するという選択が悪手以外の何物でもないことを、分かりきっている。

彼のことだから、真剣に謝罪の気持ちを伝えれば、きっと許してくれるはずなのだ。
…けど、彼のことだからこそ。その前に、絶対なにか面倒な事があるに違いない。
もちろん悪いのは私なんだけど、あの笑顔で何を言われるのかを想像するだけでも、恐怖だった。


(ああ、時間巻き戻したい…!)


そんなどうしようもない事を考えていた矢先、トン、トンと誰かが階段を降りてくる足音がしたので、いよいよ私は恐怖で肩を竦めた。


「…おや、なまえ。いらしていたのですね」

「……」


優しげに私を見つめたあと、ミステルはすぐにその足元に散らばった物体に気付いて、ゆっくりと視線を移した。


「……ごめんなさい。不注意で、落としちゃって…。」

「……」


顔を上げられず、ぎゅっと口元を結んでいると、ミステルが無言で歩み寄ってきた。
私の目の前で立ち止まったミステルから、異様な圧迫感を感じる。
怖い、怖いよ、沈黙が怖い。


「本当に、ごめんなさい…。」

「……」

「……」

「とても反省しているようなので、今回は目を瞑りましょう。」

「……!」

「……と、言いたい所ですが。」

「えっ?」

「それではボクがつまらないので、少々付き合って頂きますよ。」


ほら、やっぱり面倒な事になる!
…いやいや、元はと言えば私が悪いんだけれども。
でも、"ボクがつまらないから"って…そんな理由で責めるだなんて、これだからミステルは。


「何か、良からぬ事を考えていますね?」

「えっ、いやっその、滅相も無い!」

「ボクには分かりますよ。…まぁ、良いでしょう。貴女へのペナルティが重くなるだけですので。」

「…すみませんでした。」

「最初からそうしていれば良かったんです。…ですが、もう手遅れですね?」


満面の笑顔で、じりじりと、ミステルが近付いてくる。余計な事を考えるんじゃなかった。
後ろは…これまた高い値札の付いた商品が並ぶ棚だ。ここで私が後退しようものなら、第二、第三の被害が出てしまうに違いない。
もう、無駄な抵抗はよそう。ミステルの言う通り、最初からそうするべきだったんだ。


腹を括って、ミステルの方へまっすぐに向き直った瞬間。
ドアに付いた鈴がカラン、と音を立てて、来客を告げた。ナイスタイミング!


「……」


入ってきたのは、クラウスさんだった。
頼れる大人の来訪に、ホッと胸を撫で下ろす。彼ならば、この事態に収拾を付けてくれるかもしれない。
私は縋るような気持ちでクラウスさんを見つめた。ばっちりと視線が合う。よかった。

…と、思ったのも束の間。クラウスさんはあからさまに怪訝そうな目でこちらを見て、私の足元の破片に気付いた。その瞬間に、フイッと逸らされてしまった視線。


「…イリスに用があるんだが、二階かな?」

「ええ。今でしたら執筆も一段落していると思いますよ。」

「良かった。お邪魔させてもらおう。」

「ごゆっくり。」


…包容力とは何だったのか。

みるみる遠ざかっていく背中へ伸ばした私の手は、プルプルと震えた。
ああ、頼みのクラウスさんにまで、見捨てられてしまった。
こうなってしまってはもう、逃げのびる手だてはない。

二階へと消えていってしまったクラウスさんの背中を惜しみつつも、現実に向き合わねばと、ミステルへと恐る恐る視線を戻してみて、絶句した。

なんか、さっきより怖い!笑みが!完全に魔王のそれになってる!!


「…なまえ。」

「なんでしょうか…?」

「…このボクを差し置いてクラウスさんに頼ろうとは、いい度胸ですね?」

「ごっ、ごめんなさい!すみません!本当にごめんなさい!!」

「謝って済む問題じゃない事ぐらい、貴女にはもう分かるでしょう?」

「はい………」

「では、何をしていただきましょうか。フフ…迷ってしまいますね。」


至極楽しそうに考え始めたミステル。
口元に弧を描いて上機嫌な彼の口から、次に何が出てくるのかはすごく怖い。怖いけど。


ふと、思った。
これって一応…嫉妬してくれてるんだ、よね。

方向性に若干の疑問はあるけど、そう思うとなんだか悪い気はしなくて。
むしろちょっと可愛いかも…なんて、不謹慎なことを考えてしまう。


「…何をニヤニヤしているんです?」

「えっ!?あ、ごめんなさい!」

「まぁ、良いでしょう。その様子からすれば、どんなペナルティも喜んで受け入れて下さるみたいですし。」

「ちょっ、違う!違うから!」

「おや、今更照れなくても良いんですよ?」

「……!!!」


ずい、と一歩踏み出した彼に、結局のところ、わたしは始終翻弄されっぱなしで。

さっきから、壊れてしまったアンティークよりも、私にばかり構うものだから、店主として本当にこれでいいのかと、ある種のドキドキハラハラに悩まされつつも。
何だかんだで私自身もそれが、ほんのちょっとだけ嬉しかったりするんだから、きっとこの先もミステルには敵わないんだろうなぁって思いながら。
彼らしく綺麗に並んだアンティークたちの棚の方へ、ふらり、視線を逃したんだ。



[ END ]




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