(…よし。これで行こう。)
机の上にずらりと並んだサンプルの中から、俺は一つの瓶をつまむと、ラベルに日付と印を書き込んだ。
なまえをイメージして、なまえのために作った香水。
彼女がこれを付けるところを想像して、つい口元がにやけてしまうのは、仕方が無いことだろう。
これが外なら口元を隠すところだが、今は自宅に一人。周囲を気にする必要はなかった。
(…しかし、ギリギリ当日か。間に合って良かった…)
数日前に、偶然イリスとの会話でなまえの誕生日を知った時には、あまりの日数の無さに今回は諦めようかとも考えたのだが、なんとか調香が間に合って良かった。
これを誕生日プレゼントとして渡したら、なまえは喜んでくれるだろうか。
というかそもそも、恋人でもないのに、これほど気持ちの込められたものを受け取ってくれるのだろうか。
…だが、もしもの時には。冗談にしろ、そうでないにしろ、いつか自分に香水を作ってほしいと言っていたなまえの言葉を、真に受けた事にしてしまえばいいと考えていた。
俺は、ガラス細工の装飾が施された、一番綺麗な瓶を棚から選ぶと、蓋を開けて香水を移した。
出来立ての香が、ふわりと鼻をくすぐる。
我ながら、なまえによく合いそうな調香ができたと思う。
香水とはそもそも、付ける人の肌に触れて初めて香りが完成するものである。
人の体臭と混ざり合うため、香水そのものの香りと、実際に使用した時の香りは若干違うのだ。
彼女に触れて、この香水がどのように香るのか…。
自分の頬が緩んでいることに気付いたとき、タイミング良く、コンコンとドアが軽く叩かれる音がした。
「クラウスさーん!いらっしゃいますかー??」
「…っああ、今開けるから少し待っていてくれ!」
思いがけないタイミングでの、当人の来訪に、慌てて机を片付ける。
並んでいたサンプルを棚にしまい、俺は、今しがた完成したばかりの香水を小さな紙袋に入れ、そっとポケットに忍ばせると、ドアを開いて彼女を迎えた。
「お疲れ様。今日は早かったな。」
「はい、仕事が早く終わったんです!…もしかして、まだ仕事中でしたか?」
「いや、俺ももう片付けをしていたところだ。良かったら、上がっていってくれ。」
ありがとうございます、と嬉しそうな笑顔を見せるなまえに胸がときめく。
ああ、なまえが俺の調香した香を纏うかと思うと。
知らず知らずのうちに膨らんだ妄想を振り払うべく、コホンとひとつ咳払いをして、彼女を家に上げた。
「…紅茶で良かったか?」
「はい!ありがとうございます。」
なまえに背を向けてキッチンに立ち、何でもない風を装って紅茶を淹れる。
やがて出来上がった紅茶を並べて、テーブルを挟んでなまえと向かい合う形で座った。
何にせよ、まず誕生日祝いの言葉くらいは伝えないとな。
俺は早速本題を切り出すことにした。
「今日は、なまえの誕生日だったな。おめでとう。」
「知っていてくれたんですか…!ありがとうございます!」
「たまたま知る機会があってな。プレゼントもあるのだが…。良かったら、貰ってくれないだろうか?」
「もちろんです!開けてみてもいいですか?」
こくりと頷き、手渡した紙袋の中身を探るなまえを見守った。
するとすぐに、袋から瓶を取り出したなまえの顔が、ぱっと明るくなった。
「これって…!もしかして、クラウスさんの調香ですか…!?」
「ああ。…少し前に、香水が欲しいと言っていただろう。」
「すごい、嬉しいです!早速付けてみてもいいですか!?」
「あぁ。」
瓶を手に取った彼女が、自分の体に向けてシュッと一吹きすると、甘い香りが辺りに漂った。
霧状になった香水が彼女に降り掛かる様子に、視線が釘付けになる。
まさか、この場で付けてくれるとは思っていなかったが、とにかくなまえがそれほどの反応を示してくれた事実に、年甲斐もなく胸がドキドキと高鳴った。
「優しくて、落ち着いた感じで…。この香り、私とっても好きです。」
「そっ、そうか。それは良かった。」
どうやらプレゼントは気に入ってもらえたようで、ホッとする反面、ドキドキもして。
見れば、なまえは心地良さそうに目を瞑って、香りに酔い痴れているようだった。
はぁ、と甘い吐息を漏らすなまえに、ぎゅるんと全身の血液が押し流されるのを感じた。
俺の……香りが、なまえをそうさせている。
ぎゅっと、頑に口元を結んでいたが、もう堪えられなかった。
慌てて口元を手で覆い隠すも、目元にまでニヤニヤがこみ上げてくる。
まずい、こんな顔をなまえに見られるわけには…!
俺は咄嗟に席を立って、再び台所に向かった。
「…そうだ、先日貰ったクッキーがあるんだが。良かったら、これも食べて行かないか?」
「いいんですか…?ありがとうございます!」
「一人では食べきれないからな。遠慮なく食べてもらえると嬉しい。」
「すごい…!いい匂いですね。美味しそう。」
「そうか?俺はなまえの方が……」
「えっ……」
ぼぼっ、となまえの顔が赤く染まるのを見て。
ようやく俺は、自分が何を口走ったのかを理解した。
「あぁ、いや、その香水が、よく合っていると思ってだな、我ながら調香が上手くいったなと…!」
「そ、そうでしたか…!でも、すごく気に入りました、本当に!大事に使わせてもらいますね!!」
「そうか…!使い切ったら言ってくれ、いつでも作るからな…。」
「ぜひ!よ、よろしくお願いしますっ…!!」
真っ赤になって、あたふたとする彼女が、まんざらでも無さそうに見えるのは、俺だけ…だろうか?
慌てた様子でクッキーを頬張って、紅茶を飲むなまえが、まるで腹を空かせた小動物みたいで可愛くて。自分の失態すらも忘れて、ドキドキと彼女を見つめていた。
俺のティーカップの中身がまだ半分と減らないうちに、紅茶を飲み干してしまったなまえは、ありがとうございました、と一つだけお礼を述べて、慌ただしく玄関へと向かった。
そんな様子を、俺は上の空でずっと見ていたが、ふと我に返って、急いで見送りのために席を立った。
「じゃあ…良い誕生日を過ごすんだぞ。」
「はっ、はい!本当にありがとうございました!!」
ドアを開けてやった瞬間、ふわりと、なまえから甘やかな香りが漂って。
思わず、すんすんとそれを嗅いでしまったのだが…彼女もそれどころでは無かったのか、俺の挙動に気付くことなく、足早に外へ出て行った。
遠ざかる彼女の背中を見送って、ふぅ、とため息が零れる。
今日はなんとか乗り切ったが…。
この調子では、俺の気持ちがバレるのも時間の問題かもしれない。
(やはり…ちゃんと、告わないと、な…。)
少なくとも、俺の周りの数人にはもうバレていそうだが。
…どちらにせよ、年の差なんて気にしていられない位には、なまえに本気になってしまったのだ。
意地を張るのはやめて、そろそろ、彼女に想いを伝えなければならないと思う。
未だ鼻腔に微かに残った香りを、もし自分のものに出来たら、どうしようか。
そんな妄想を頭の中で繰り広げながら、俺はカップに残っていた紅茶を飲み干した。
[ END ]
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ソクラさまからの、OPEN一ヶ月記念のリクエストでした!
ムッツリなクラウスさんの甘い小説を、ということでお受けしていたのですが…実際に書き上げてみたところ、ムッツリというよりも、変態っぽくなってしまった感が否めません…。
リクエストに沿えているか大変不安ではありますが、お気に召していただけると幸いです。
この度は、リクエスト企画へのご参加、本当にありがとうございました!
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