それは、繰り返される毎日のうちの、なんでもない一日のことだった。
一つだけ特別なのは、今日が花祭りという点だった。
まるでお祭りを祝うかのように、穏やかに晴れわたった空。
柔らかい日差しが降り注いで、あたたかな春の訪れを、町中が喜んでいるようだった。
とはいえ、この行事は、特にみんなで集まって何かをするわけではない。
私にとっては、いつも町の人にお裾分けしている農産物や畜産物が、この日に限っては花になる、それくらいの変化に過ぎなくて。
確かに、さして日常と変化を感じないイベントではあるけれど…せっかくの行事なんだから、できるだけ楽しみたい。
そんな理由で、自分で育てた花を配ることに決めて。春先に種を蒔いて、綺麗に育ってくれた花をみんなに渡して、喜んでもらって。
結果、花祭りをかなり満喫した私は、足取りも軽く帰り道を歩いていた、そんな午後のひと時だった。
(帰ったら、あまったお花を花瓶に飾ってみようかな)
張り切ってたくさん育てた花は、町のみんなに充分に渡したにも関わらず、籠の中にまだ少し残っていた。
家の中にも飾ったりして、たまには女の子らしいことをしてみようか、春だし。
…なんて浮ついたことを考えていたら、ふいに背後から声が上がった。
「あの……!」
よく知らない、男性の声が私を呼び止めた。辺りに他に人もいないし…私を呼んだんだ、よね?
一握りの不安と戸惑いを感じながら、ゆっくりと振り返ると、紫のキャスケット帽を被った青年が、どこか真剣な面持ちでこちらを見つめていた。
「いきなり、ごめんなさい。その…ボク、カミルっていうんだけど…」
その青年は、カミルと名乗った。
手に持った花がよく似合う、穏やかな雰囲気を纏った人だなぁという印象を抱いた。
どこかで見たことがあるような、ないような。新しく町に来た人かもしれない。
「今日は花祭りなので、これ、よかったらもらって下さい」
「あ、ありがとうございます…」
律儀な人…なのかな。
いくら花祭りだからって、初対面の私にまで、花をくれるなんて。
(私からも、お礼を渡さなくちゃ)
手元の籠に目を落とそうとすると、不意に彼が口を開いた。
「え、えっと、それからこれを…あとで時間のある時に、読んでもらえたら嬉しい…です。」
綺麗にラッピングされた花に、添えるようにして渡された手紙。
えっ、ちょっと待って。
この手紙って、もしかしてラブレター、だったりするのかな。…いやいや、そんなハズは、でも…!!
読んだわけでもないのに、自意識過剰かもしれない。
だけど、頬を赤くしながら、私から目を逸らさないカミルさんを見ていたら、どうしても。
淡い期待が急激に沸き上がって、顔に熱を集中させた。
「あっ…ありがとうございます!」
熱い。頬が赤くなっていたらどうしよう。それを、カミルさんに気付かれていたらどうしよう。
抱いた期待を悟られたくなくて、ぺこりと一つ、小さくおじぎをした。どうにも恥ずかしくて、早くこの場を終わりにしたかった。
「じゃあ、」と言ってはにかんだカミルさんの笑顔に、心臓がどきんと音を立てる。
そうして背中を向けた彼の後ろ姿を、夢の中にいるような気持ちで見つめている自分に気付いて、私は慌てて帰り道を急ぐことにした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ああああどうしよう、どうしよう)
先ほどの出来事を、ぐるぐると頭の中で考えながら家に帰り着いて。
テーブルの上に、もらった花と手紙を並べてみて。
ほんの少しだけ落ち着いて見てみれば、彼がくれた一輪のマーガレットは、おしゃれなリボンと包装紙で、すごく丁寧に包装されていた。
器用な人なのかな、とか。センスのいい人なのかな、とか。そんな想像をしてしまう。
…とにかく、手紙を読んでみよう。
これでラブレターじゃなかったら、私かなり痛い子だなぁ、なんて呑気なことを頭の中で繰り返して、開いた手紙は…やっぱり、ラブレターに間違いなくて。
押し付けがましくなく、穏やかな文体で綴られた彼の気持ちに、気持ちが昂っていく。
読んでいくうちに、どきんどきんと頭が真っ白に染められていくようだった。
文章が頭に入っているのかも分からない、そんな感覚になりながら、なんとかして最後まで読んだ私は、念のためもう一度はじめから読み直してみた。
(ああ、もう………!)
困ったことに、どうやら彼の性格も顔も、すごく私のタイプみたいだ。
この気持ちのやり場が分からず、お手上げ状態でテーブルに突っ伏す。
返事の仕方なんて、分からない。
感謝祭みたいに、女の子から渡す日と男の子から渡す日が、花祭りにもあったらいいのに、って考えていたら。
そういえば彼に花を貰うばかりで、自分から渡すのを忘れていた、そんな重大なミスに気付いた。
(いまからお返しをしに行くべき…?いやいや、でも彼の居場所が分からないし、心の準備が)
あれこれと理由を付けてみる…けれど、花祭りは一年のうち、今日一日だけなのだ。
今日を逃したら、お返しという口実も使えなくなるし、もっと気持ちを伝えにくくなるかもしれない。
そう思ったとき、私は一つの考えに辿り着いた。
(…もし。もし今日、彼に会えたら…私の気持ちと一緒に、花を渡そう)
ぐっと息を呑んで、私は伏せていた顔を上げた。
たまには運に任せてみるのも悪くない、よね。
このあと、花を持って家を出た私は、彼の居そうな場所を想像したりして、また彼に思いを巡らせる羽目になるのだけれど。
数時間後、この年の花祭りの日は、私にとって一生忘れられない特別な一日になることになったんだ。
[ END ]
[back]