やわらかな光が降り注ぎ、芽吹いた草花は心地よさげにそよ風に揺れて、その日はまさに春爛漫と称するに相応しい陽気だった。
昼下がりのぽかぽかとした空気は、気を抜いたら眠気にやられてしまいそうなほど穏やかで、辺りはほわんとした優しい風に包まれている。そんな中。なまえはただひとり必死の面持ちで、優しいはずのその風と戦っていた。
(…やった!2枚目!!)
ぽふ、と閉じた手のひらをゆっくりと開けば、いま自分がキャッチしたばかりの桜の花びらがちらり、煌めいた。
なまえはそれを失くさないように、分厚い組み立て図ファイルにそっと挟みこむと、もう一度桜の木へと向き直った。
山頂に根をおろした大きな桜の木の下で、はらはらと舞い落ちる桜の花びらを捕まえる。
もちろん、なまえは遊びでこんな事をしている訳ではない。
(あと1枚…!!)
どれが捕まえやすそうか、そよ風に揺れてちらちらと散っていく花びらを見定める、なまえの本気の理由は、3日前に遡る。
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「ーーはい、終わりました。あまり無理をしてまた怪我などしないよう、注意してください。」
「うん。いつもありがとう、アンジェラ。」
「いいえ。……あ、そういえば」
「…?」
「なまえさんは、桜の木のジンクスをご存知ですか?」
「…桜の木…?」
「ええ。山頂に、ひときわ大きな桜があると思うのですが…。あの木から散った花びらを、地面に落ちるまでに3枚取れば、好きな人と、両想いになれるとかいう…。」
「知らなかった、けど……なんで急にそんなことを……はっ、もしかして!アンジェラ、好きな人ができたの!!?」
「違います、診療所で大きな声を出さないでください。」
「…なーんだ、違うのか…。」
「私ではなくて…なまえさんの話です。この間、教えてくれたでしょう、その、ナディさんに…思いを寄せていると。」
「あ、えと、うん。そうだけど……」
「それなら、試してみてはいかがでしょうか。私自身、ジンクスというものはあまり信じないのですが、なまえさんの恋が結ばれるなら、と思いまして。」
「〜っ、アンジェラ!」
可愛い!大好き!と抱き付いた瞬間、ドアがバタンと大音量を立てて開いた。
「…ちょっと、聞こえたわよ〜!!アンジェラ、好きな人ができたって本当なの!!?…って、なんでアナタたちが抱き合ってんのよ。仲良いわね。」
「すみません、私に好きな人はいませんので。先生はお気になさらず。」
「…あっ、そう。この状況、すごく気になるけど……まぁ…いいわ。」
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…なんて事があって。
私のためを思って情報をくれた、アンジェラの心意気をしかと受け取った私は、山頂の桜の木と向き合っている次第である。
2枚の花びらをゲットして、残すはあと1枚。
成功したら、持って帰って押し花のしおりにでもして、恋愛成就のお守りにしようかな。
しかし、最後の1枚がなかなかの曲者だった。
さっきの2枚を追いかける間に、少しはコツを掴めたと思ってたんだけどな…。
風にひらひらと舞う花びらは、どれも私の手をすり抜けて地面に落ちていってしまう。
けど、諦めない。恋する乙女の執念を舐めてもらっちゃ困る。
「…なにしてるンダ?」
「ひゃっ!!?」
無我夢中になっていたところに声がして、ビクン!と心臓が跳ねた。
よく知った声に振り向くと…やっぱり。ナディだ。
「…暇つぶし、って訳でもなさそうダガ。」
「あっ、うん。」
いきなりの本人の登場に、ドッドッと心拍数が上がっていく。
えーと、この場合、なんて答えればいいんだろう。
急激に熱が集中して、既にショートしそうな頭の中から、必死にうまい言い方を探した。
「…なんでも、この木の花びらを3枚キャッチすると、願いが叶うらしいんだって。だから、押し花のしおりにでもして、お守りにしようかなーって思ったの…。」
「ふーん…ソウカ。」
「まぁ、あくまでジンクスだから、願掛けくらいの気持ちだけどね!」
「……」
「でもね、意外とこれが難しくって…。2枚目まではなんとか取れたんだけど、最後の1枚で苦戦しててね…!」
「……」
恋愛という言葉を避けて、あれこれ説明するも、こちらを見るナディの目は訝しげだ。
…そうだよね。彼はこの手の迷信は信じなさそうだし、呆れた奴だとか思われちゃったかな。
じっとりとした視線に、だんだん居心地が悪くなる。
ナディもナディだ。
呆れてるなら、それはそれでいつもみたいに何か言ってくれればいいのに……
「……っ!?」
だけど、私の思考はそこで途絶えた。
ナディの顔が近くなって。彼の腕が私の頭上に伸びる。
それはあまりにも現実味がなくて、スローモーションの映像を見ているかのようだった。
ばくばくと叩きつけるような心臓の音が邪魔をして、何も考えられない。
…近い。ナディの指が、わたしの髪を触ってる。なんだこれ、心臓が痛い。頭が。ぐるぐるする。
「…ホラ、これ」
「………へっ?」
「…髪に付いてたゾ。これもカウントできるナラ、3枚揃ったダロ。」
「………!!!」
「なんダ?」
「…っ、ううん、なんでもない!ありがとう!!!」
ようやく我に返った私は、針金が絡まったみたいに硬くなった両手を、なんとかしてナディの手の元へ広げた。
彼の手からはらりと落ちて、手のひらに収まった花びらから、感じるはずのない熱が広がっていく。
「あ、ありがとう…。」
「アリガトウならさっき聞いたゾ。おかしなヤツダナ。」
「そ、そっか!でもホントにありがとう!!」
「…まぁいいケド。どんな願いか知らないガ、叶うといいナ。」
「……!!!」
もの柔らかに目を細めたナディの微笑みが、あまりに優しくて。
もうこれ以上は無いと思っていたのに、真っ逆さまに恋に落ちていくのを感じた私は、大きく頷いて彼の言葉を肯定するばかりだった。
「じゃあナ」と軽く手を挙げたナディに、私はまたひとつ頷いて応える。
やがて離れていく彼の背中に恋慕を寄せたら、胸いっぱいに春風みたいなときめきが広がった。
それは心の中のことなのか、体が感じた気温なのか。もしかしたら、夢でも見てるんじゃないか。
そう思って、頬を抓ってみてもやっぱりこれは現実で。
嬉しくなったわたしは、手の中に収まっていた最後の花びらをそっと摘んで、既に2枚が挟まれた次のページに、ふわりと優しく差しはさんだ。
[ END ]
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