豪雨が石畳に打ち付けて、乱暴なメロディを奏でていた。
(あと数分持ってくれれば良かったんだがな…)
隣町で用事を済ませたあと、持ち帰った仕事を自宅でする予定を立てていたクラウスは、降り出した突然の雨に、雨宿りを余儀なくされていた。
つい先ほどまで、ぎらぎらと刺すような日差しが降り注いでいたというのに。どこからか現れた灰色の雲が大きく唸って青空を覆うと、あっという間に滝のような雨が降り始めてしまった。
夏場はこうした急な雨が多い、それは知っている。けれども、知識を持っているのと、それを回避できるのとは全く別の話だった。
「ーークラウスさんっ!!」
「なまえ?」
激しい雨音の中、どこからか声がしたかと思えば、なまえがばしゃばしゃばしゃと音を立ててこちらへ走って来ていた。
すみません、入れてくださいと叫んで屋根の下へ滑り込んできた彼女は、頭の天辺からつま先までずぶ濡れだ。
「これはまた…派手にやられたな。」
「だって、急に降ってくるんですもん…お見苦しい姿で、すみません」
「いや…それよりも、風邪をひかないようにな」
息を切らせたなまえが長いスカートの裾をあちこち絞るたびに、じゅわりと水が滴り落ちる音がする。それが終わると彼女は、持っていたタオルで体や服の水分を拭っては、絞って水滴を落として、を繰り返していた。
視界を白く遮るほどの豪雨をぼんやりと眺めながら、そんな動作をしている彼女の方を、なんとなく意識していると、ふとドキドキと鼓動を早めている自分に気付いた。
(いやいや…落ち着くんだ、俺)
どうにもきまりが悪く、彼女がいる方とは反対側に視線を流す。
幾つも歳の離れた少女に脈を乱されている事実を、一応は受け入れるものの、この感情をどう扱ったものかと頭を悩ませる。
…恋、ではないはずだ。
言い方は悪いが、きっと相手がなまえでなくとも、この状況で緊張しない男はいないだろう。
そう結論付けて、ちらりとなまえの方を盗み見るが、やっぱり彼女の姿を直視することはできなかった。
単純に彼女の体調を心配する自分と、水に濡れて色香を放つ彼女を、見ていられない自分。
珍しく、双方の意見が一致したので、俺は自分が着ていた上着を脱ぐと、そっとなまえに差し出した。
「ひととおり拭けたら、これを着ているといい」
「あっ…ありがとうございます。でも、クラウスさんも、ちゃんと着てないと風邪ひいちゃいますよ…?」
「俺は大丈夫だ。さして濡れていないからな。」
「でも…」
「なまえは、牧場でたくさんの動物や植物の世話をしているんだろう。もしなまえが寝込んだりしたら、困る奴がたくさんいる…分かるだろう?」
「……わかりました。じゃあ、もしクラウスさんが風邪をひいたら、看病させてくださいね!」
「っ、ああ、分かった」
男物の服に袖を通すことを躊躇しているのかと思ったのだが、どうやら違ったらしい。
自分のせいで、俺が風邪をひいては嫌なのだと。あまりにも無垢な笑顔でそんな事を言うものだから、否が応でも俺の胸は高鳴った。
(あんまり、気を持たせないでくれ…)
そうは思っても、一度抱いた期待はそう簡単に消せる訳もなく。
じわりと胸に広がった温かい感情に気付いて、自嘲した俺は、軽い押し問答のせいで未だ渡せていなかった上着を、そっと持ち替えた。
俺が肩に掛けてやったら、なまえはどんな反応をするだろうか。
少しでも意識してくれたらいい、なんて下心をちらつかせて、肩に上着を乗せてやろうとした瞬間。
たっ、となまえが屋根の外に駆け出して、俺の両手は空を切った。
「クラウスさんっ、あそこ!虹が出てます!!」
「…あぁ、大きいな。」
「すごい、くっきり見えますね!」
辺りは随分明るくなったものの、まだ雨がちらついているというのに。
両手で雨を受けながら、興奮気味に空を見上げるなまえに、やれやれとため息が零れた。
…これは、一筋縄ではいかなそうだ。
雲の切れ目から顔を覗かせた真夏の太陽が、雨上がりの町を照らした。
やがて青々とした空が広がり、降り注いだ光は、水を纏った世界をキラキラと輝かせる。
中でもひときわ輝いたなまえの笑顔は、虹を背景に、この世のものとは思えないくらいあどけなく、綺麗で。…誰にも、渡したくないと思ってしまった。
恋を認めた瞬間、目に映る全てが鮮やかに色付いたのは…きっと、光のせいではない。
[ END ]
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