(うう……お腹すいたな…)


ようやく牧場内の仕事を終えた頃には、太陽の光が橙色を帯びはじめていた。
朝食を食べたきり、何も口にせずに走り回るこの生活には慣れっこだけど、だからと言って、もちろんお腹が空かないわけではない。

きゅるる、と鳴いたお腹を押さえながら、遅めの昼食をどうしようかと考える。
今までだったら迷いなくレストランへ駆け込んでいたけれど、最近はめっきり足が向かなくなってしまった。
レーガの料理は元気をもらえるし、彼との話は疲れを忘れるほど楽しくて、普段の私なら、きっと行かない理由を見つける方が難しい。じゃあなんで行かないの、と問われれば、答えは明白だ。

そう、私は彼に恋をしてしまったのだった。
今まではなんでもなかった、ありふれたことの一つ一つを意識するようになって、彼の姿を見つけては目で追うようになった。
そして厄介なことに、引き返したいと思っても、引き返し方が分からない。その感情のかたまりは、私の日常を変えてしまった。

彼の前で平常心でいられる自信がなくて、レストランを避けるようになってから一週間。料理はちゃんと手を抜かずに自分で作ってるはずなのに、いまいち元気が出ない。

自分の食問題も懸念事項に違いないけど、とにかく、生活の一部とも言えるくらいには通っていたレストランに、急に顔を見せなくなったことを不自然に思われたら、それもそれで困る。
あれこれと理由をこじつけた私は、よしっ、と気合いを入れ直して、ゆっくりとレストランの扉を開いた。


「いらっしゃい。あ…なまえ。なんか、久しぶりか?」

「そうかも。ごめんね、来れなくって。」

「いや…仕事、忙しいのか?」

「うん、まぁ…」

「そっか。なら仕方ないけど、毎日来てたあんたの顔が見れないと、なかなかサビシイんだぜ?」


口調は軽いけれど、苦笑いしたレーガが本当に寂しそうな顔をするものだから、胸がきゅうっと苦しくなって、たまらず下唇を噛んだ。
…いけない、今わたし、怖い顔してるかも。笑わなくちゃ。でも笑い過ぎも変だよね。
そうして私は軽く視線を落として、ちゃんと装えているかも分からないいつも通りを装いながら、カウンター席の椅子を引いて座った。
彼のいる方向に全神経が集中して、意識の全部を持って行かれるのはどうしようもない。


「…で、今日は何にするんだ?」

「あ、えっと…じゃあ、…和風パスタで」

「了解。」


交わした言葉は、どこかぎこちない。
レーガがそれを感じ取っているのかは分からないけど、注文のやり取りをするのが精一杯で、普段の様子とは明らかに違うであろう私は、彼の目にはどう映っているんだろう。
なにか。なにか話をしようと試みるものの、思考回路が凍り付いてしまったみたいに、適した言葉が浮かばない。そうこうしているうちに、他のお客さんの相手をしに行ってしまった彼の背中を見つめて、ため息が零れた。

ーーどうして、恋なんてしちゃったんだろう。

なんでもない話で盛り上がって、たまにお互いの相談に乗ったりして、笑って過ごしてた今までの方が、ずっと良かった。
万が一、億が一、恋人になれたとしたら、それはそれでもちろん幸せなのかもしれないけど…。それよりも、彼の友達として自然に側に居るほうが、きっと私には合ってるんじゃないか。そう思えて仕方なかった。


…今なら、まだ戻れるのかな。


ふと、ある考えが浮かんだ私は、カウンターに戻ってパスタの材料を揃えていたレーガに向かって、勇気を振り絞って声をかけた。


「…あの…、突然で悪いけど、今日の夜って時間あるかな?」

「えっ、あぁ。空いてる。22時くらいになるけど、大丈夫か?」

「うん、ちょっと伝えたい事があって。」

「…わかった。じゃあ、待ち合わせはどうする?」

「…お店の前にいようかな?」

「それなら、待たせるのも悪いし店の中にいてくれ。」

「うん、わかった。」


今は連絡事項だけで精一杯だけど、きっと、そのうち前みたいに話せるようになってみせる。
別に恋愛対象として見られなくてもいいから…。この想いを、少しずつでいいから消していこう、そしていずれ元通りにしようと、私はそっと決意した。




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約束の時間は、思いのほか早くやって来た。


「…お待たせ。ごめんな、待っててもらって」

「ううん、大丈夫だよ」

「それで…話があるって…」

「うん…」


二人きりになって緊張してしまうのは、今はまだ仕方ない。
こんなのドキドキしない方がおかしいに決まってる、と割り切って、握り拳を左胸に押し当てる。
すぅっと小さく息を吸うと、先ほどまで頭の中で繰り返していた言葉を声に出した。


「わたしと、親友になってほしいの」


言った途端、すっと肩の荷が下りるのを感じた。
ひとたび言葉にしてしまえば、親友という単語は思いのほかすんなりと胸の内に収まる。
ざわめくようなドキドキと、これでもう後戻りできなくなった無念は、簡単には治まりそうにないけど…きっと、これがわたしたちにとって最良の選択だ。


「……あの、さ……。」

「……?」

「いやだ。…って、言ったら…?」

「……え?」


心が、ぐらっと揺れる。
レーガの射るような眼差しはまっすぐに私を捕えて、どういうわけか、離せない。
なんでだろう。どこか切迫したように、彼がわずかに眉を寄せるのを目の当たりにして、振り切ったはずのじわじわとした心苦しさが、また胸を圧迫した。


「なまえから急に伝えたい事があるとか言われて…舞い上がってたの、オレだけだったのか」


レーガの言葉が、うまくのみ込めない。


「…って、悪い。すげーメイワクな事言ってるよな、オレ。」

「…え、と、ちょっと、まって」


彼の口から零れ落ちる言葉の数々は、私の想像していたものとは全く違っていた。
言葉の意味をひとつずつ辿っていって、信じられない気持ちになる。どうしたらいいか分からなくなって、目の前のレーガに答えを求めるように視線を投げたけど、それが受け止められることはなく、彼は気恥ずかしそうに目を背けていた。

ばつが悪そうに口元をきゅっと結んだ彼の頬が、赤く火照っているのを見て、なぜか私は、嘘でしょ、と妙に冷静になった。

期待、してしまってもいいんだろうか。
それとも…私が勝手に、レーガの言葉を都合良く解釈してるだけ?

…ああ、痛い。今日だけで、もう何度となく締め付けられてきた心臓が、またぎゅうっと軋んだ。

この苦しみから解放されるたった一言を、私はもう知っているのに。
私がそれを口に出す前に、彼が言葉にしてくれたらどんなに良いかと、こちらを見ないレーガに向かって、縋るようにぐっと目元に力を込めた。





[ END ]





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