江戸は変わった。
町並みも文化も道行く人も。 澄み渡る青空には異郷の船が飛行し、排出された黒い煙りがその美しさを損なわせている。 廃刀令により名誉と威厳を奪われた侍は街から消えていき、今では天から舞い降りた異形の者達が我が物顔で街を往来する。
これが、かつて侍の国と謳われた本邦である。
剣が滅びゆく時代の中、袴を着た少女が白昼堂々腰に二本もの打刀を差して歩いていた。可憐な顔立ちは重たげに下げられた瞼で眠たそうにしており、長い睫毛からのぞく紫の双眸は江戸の景色を映しているのか定かではない。 腰のものに目を見張ってすれ違っていく人々も、それが少女を世間から浮いた存在にしていることも、彼女には興味がないのだ。
「オイ、」
人目を気にせず豪快な欠伸を一つ零す。目尻に溜まった涙を指で弾くと、お腹から空腹を訴える鳴き声があがった。
「ちょ…君!」
少女は宥めるように腹部をさすり、最寄りの小売店へと歩を進める。これからとる睡眠の為にも胃の中は満たしておきたいのだ。 腹が減っては良い睡眠がとれない。かの有名な諺を、彼女はそのように記憶している。
「待てって言ってんでしょォォォ!!?」
突然一方の肩に強い力が掛けられ、少女の身体が反転する。彼女の目に髷を結った中年の男が大層ご立腹な様子で映し出され、肩に置く十手は男が役人である事を証明していた。
『ひと違いです』
「別に君が俺の知り合いに似てたとかで呼び止めた訳じゃねーよ!」
『…じゃ、お巡りさんよんで』
「俺がお巡りさんだけどなんでだよ!可愛い娘に声を掛けることはそんなに罪か!」
『声をかけてきたひとが知らないひとだったらそのひとは犯罪者だって…』
「君の親はなんつー教育してんの!?まさかその腰の、護身で持たされたとか言うんじゃないだろうね」
十手が指す先は、少女の腰に納まる二本の剣だ。
「廃刀令が出てもう何年経つと思ってんの。君のしてることは違法だよ違法」
『…おなかすいた』
「まァ親御さんの気持ちを考えれば解らなくもないけど、君が危なくなった時の俺達なんだから」
『なに食べよ…』
「とりあえず預かるってことで見逃してあげるから、刀寄越しなさい」
『さよなら』
「オイぃぃぃ!会話になってねーんだよォォ!!って、マジでさよならすんなァァ!!」
男が少女の細い腕を掴むと、眠気を孕んだ無表情が煩わしさに崩れる。 刀を渡さなければ放してくれないと悟った少女は腰から一本刀を引き抜いて男の前に差し出す。
「そうそう。そうやって最初から大人しく出せばいいんだよ。 …んー?随分と変わった刀だね。こんなに紐を巻き付けてたら鞘から抜けな――」
『もたない方がいいよ…』
「は?」
刀が男の手の中に落ちる。その重さを理解していた男はそれを支え持てるだけの力を腕に用意していた。 一体何が起こったのか、当人も周囲の人々も分からなかっただろう。 刀を持った刹那、凄まじい衝撃が男の腕をつき抜け、それに耐えられなかった身体は前のめりに倒れた。 無機質に転がった紐だらけの刀を呆然と見つめ、身体を起こそうと地面についた手が一つなのに疑問を抱く。そして男は左腕が全く動かせないことに気付くと遅れてやってきた激痛に、断末魔に似た叫び声をあげたのだった。
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