思わず耳を塞ぎたくなるような、そんな強い雨が降っていた。
こんな日は家で大人しくしているのが一番だが、何故か傘を片手に外へと足を運んでいた。
ボタボタと傘を叩く雨。強い衝撃に負けないよう、無意識から柄を持つ手に力が篭る。

雨に濡れる江戸を見るのも、風情があっていいだろう。

そう好ましく思考をこじつけたものの、雨と霧で霞む町並みにこれといって印象に残る趣は見つからない。抱く情緒があるとすれば、肌に纏わる湿気と肩先や袖に染み込む雨が不快感と苛立ちを湧かせていた。

――やはり戻ろう。

いつもよりふわふわとした銀髪を掻きむしり、踵を返す。
ふと、偶然視界に入った小さな影。この豪雨の中、傘も差さずに座り込んでいる人がいる。
バカだろ、と男は思った。家無き子なのか、なら屋根がある場所で凌げばいいものを。
他人の身の上より自分の心配。肌寒さに風邪を予感し、帰路を踏み出そうとするが足が動けずにいる。地面にボンドでも塗ってあったか。しかし足は難無く持ち上げることが出来る。そこから一歩踏み出すことが出来ない。
盛大についた溜息は虚しく雨音に掻き消される。あれだけ帰る方向へ動かなかった足が、進行方向を変えるとすんなり歩んだ。


「お前なにしてんの?」


呆れを滲ませて声を掛けると、伏せていた顔がゆっくりあがる。瞬間、男は呼吸を忘れて目を見開いた。
短くなったずぶ濡れの黒髪。自分を見つめ返す紫の瞳。まだあどけなさが残る仏頂面がひどく懐かしい。
















もう二度と会えることはないと思っていた。
















『ぎん…』


ふわりと柔らかく笑う少女。
確かに彼女だった。名を紡ぐ声を、滅多にない笑顔を、見紛う筈がない。


『…ぎん』


手放した傘は逆さになって雨水を溜める。
腕に抱くこれは、実に都合が良い泡沫の夢か――そう疑念が脳裏を過ぎる。だが、遠慮がちに背中へ手を回して着物を掴む少女は正しく存在していて。
刺すように痛い雨の中、その小さく冷たい身体を男は力一杯抱きしめた―――。







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