「あれ? えっちなチャンネルにならない」

 先輩の目を盗んでそっとテレビのリモコンを操作してみたはいいが、期待してた展開にならず肩を落とした。おかしいなぁと呟きながら番組一覧に目を通せば目的のチャンネルは別途お金がかかるそうで。まぁよく考えれば「そりゃそうか」なのだが、わざわざそんな手間をかけてそういうシーンを流したいわけではない。私は真っ赤な顔でこちらに近づいてくる彼――三井先輩をどうにかしてその気にさせたいだけなのだ。

「んの、バカヤロウッ!」
「いてっ! ちょっと先輩! 女の子には優しくって教わらなかったんですか!?」
「ラ、ラブホ入った瞬間率先してそんなもん流そうとするやつのどこが“女の子”だ!」

 取り上げられたペラペラの説明書とリモコン。そこそこ大きな画面に映し出されてた有名司会者が消えたあとはベッドに腰かける自分の姿が反射で映る。我ながら間抜けな格好である。
 こんなに無防備な女がベッドに腰かけてるというのに、三井先輩はさっきからぷりぷり怒ったまま。小一時間前まで入ってたはずのアルコールはすっかり抜け落ちてしまったようだ。
 
「こういうとこ初めて入りましたけど、漫画とかドラマみたいな感じじゃないんですね。現にテレビは普通のチャンネルがつきましたし」
「あのなぁ、何を期待してたんだよ。んなあからさまなとこ選ぶわけねーだろ」
「えー。ってことは、三井先輩あからさまなとこ入ったことあるんですか?」

 “妬けますね”とつけ足して先輩の腕に自分のを絡めてもすぐにおでこを突かれる。否、突くなんてかわいいもんじゃない。強めのデコピンだ。これが彼女にすることだろうか。納得いかない。

「いいか。雨が止んで電車が動いたら帰るんだからな」
「えぇー!? 聞いてないですよ!?」
「そう言ったろ! 話聞いてなかったのか! お前があまりにも寒そうにしてっから……!」
「“オレが抱いて温めてやる”って意味だと思うでしょー!?」
「〜っ、バカか!!」
「そのバカ女の告白を即オーケーしたのは三井先輩でしょ!?」

 ヒートアップしていく言い合いが止まる。それはいつも三井先輩が口ごもるからだ。なによ、女の子みたいに照れたりしちゃって。と不満に思う反面、その純情なところが好きでたまらない。
 大学に入ってからずっと好きだった三井先輩。周りの協力もあり順調に親しくなって、名前で呼んでもらえるようになって。妹のように思われてるかそうでないかを確かめるために居酒屋でこっそり手を握ったあの日のことは一生忘れない。握りかえされた大きくて汗ばんだ手のぬくもりがどれだけ嬉しかったか目の前の男は分かっているのだろうか。
 なかなかキス以上に発展しないこの状況をもどかしく感じるのはちっともおかしくない、寧ろ健全なことだと思う。もしかしてあのときの返事は雰囲気に流されただけで、私みたいな変な女を彼女にしたことを後悔していたりするのだろうか。ずっと胸の奥にあった不安を口にすると、真剣な表情になった三井先輩が隣に腰を下ろす。腰に回された手は熱く、聞こえてくる心音は私より早いかもしれない。

「バカヤロウ。そんないい加減な男だと思ってんのか」
「だって、ちっともキスしてくれないし」
「し、してんだろ」
「……舌いれるやつは?」
「っ、だからお前は……!」
「お前じゃないです!」

 わざと両頬を膨らませて目で訴える。数秒後困ったように笑った三井先輩は「ぶさいくな面」なんて失礼なことを言いながら私の頬を軽くつねった。
 そのあと指の力が緩んだ瞬間言ってやろうと思った文句は口から出ることなく胸の中へ。代わりに出たのは私の小さな声。「ん」とか「あっ」とか、それこそえっちなチャンネルで流れるような声や吐息で部屋はいっぱいになる。いつもより低い声で「雪菜」と呼ぶ三井先輩の声は度数の高いアルコールのようで頭がぐわんぐわんした。

「ん、み……ついせんぱっ」
「オレにばっか呼ばすなよ」
「……ひ、さし、先輩」

 まぁいいだろう。とでも言いたげな笑みを浮かべ優しく髪を梳かす先輩。体重がぐっとかかり所謂押し倒される形になっても唇が離れることはなく、ついにぬるりとした感触が唇の隙間から侵入してきた。自分から所望したくせにどうするのが正解なのか分からず戸惑ってしまう。「きもちいい」なんて口にしたらさすがに引かれてしまうだろうか。けれど好きな人とこうしてるのは酷く心地よく鼓動の高鳴りすら快感になっていくのだ。
 何度も角度を変え、そのたび新鮮な空気を体に取り込んでまた角度を変えて。舌を絡めるたびにする卑猥な水音はどうにもならないもので、どんどん変な気分になっていく。冷えてた肌もいまじゃすっかり熱い。

「……寿先輩、その……。硬いの…当たってます」
「仕方ねぇだろ……んな顔見て、反応しないとでも思ったのか」
「顔?」
「あの時と同じ顔」

 そう言って私の手をぎゅっと握ってくる寿先輩。これはもしや“あの時”のことで合ってるのだろうか。照れ隠しなのか少しむすっとしてるのがかわいくて突き出した唇にフレンチキスを落とせば後頭部を掴まれ噛みつくようなお返しをされる。

「あの時とって…かわいいって意味と受け取っていいのでしょうか」
「ばーか。エロいって意味だよ」
「なっ、そんな顔してないです!」
「してるから厄介なんだろ。迂闊に手ぇ出して…止まんなくなったらどーすんだ」

 「せっかく優しくしてやろうと思ってたのによ」だのなんだの言ってはいるが、結局それは先輩がえっちなくせに手を出す勇気がなかっただけなのではないだろうか。まぁそれくらい大切にされていたというのは嬉しいし、そんな先輩がかわいくて大好きだから黙っておくのだが。口に出したら本当に何をされるかわかったもんじゃない。
 玄関先とテーブル周りの照明だけを落とした寿先輩と再び口付けを交わす。今度はゆっくりと、しっかり味わうかのような丁寧なキスに全身の力が抜けていく。外から聞こえていた激しい雨音が弱まっていることにはお互い気づいていた。

「……調べます?」
「なにを」
「遅延情報?」
「……再開してたら帰んのか?」

 太腿を這っていたごつごつした手に自分のを重ねる。意味のないこのやりとりがおかしくて、つい間抜けな笑い声をあげてしまった。つられて笑った先輩の顔は酷く悪い男の顔をしていて「バーカ」という甘い囁きに身をゆだねた。