「大丈夫?脱げそう?」

 跪こうとする宮城君に「大丈夫」と制止の声をかければ、彼はベッドサイドにあるフロント直通電話の受話器を手にした。無駄のない冷静な対応に感心しながらパンプスを脱ぎ、宮城君がこちらを向いてない隙にストッキングもとっぱらう。急いで脱いだせいか足首に痛みが走り思わず小さな呻き声がでる。あぁ、一体なんでこんなことになったのか。

 会社の飲み会なんてよくあることだ。それが終電ギリギリになるなんてこともよくあること。が、今日いつもと違ったのは毎日つけてる腕時計を忘れたことと取引先の酒豪の誘いを断り切れず飲みなれないワインを飲んでしまったこと。よって終電を逃しそうになり――。

「あーあ。やっぱ腫れてる」
「うぅ、本当申し訳ない……」
「雪菜ちゃんのせいじゃないでしょ。ったくあのクソ親父」

 宮城君の後ろを一生懸命走っていたはずなのだが、鈍くさい私が元スポーツマンの彼に追いつけるはずもなく。ホームへ続く階段で思い切りおじさんに押し退けられそのまま足首を捻らせ今に至る。
 終電も逃し足も負傷し、しかたがないとはいってもまさか二人でビジネスホテルに入ることになろうとは。今朝の星座占いの結果、そこまで悪くなかったんだけどな。
 部屋にインターホンが響いたあと控えめなノック音。ドアの向こうからは「お待たせいたしました。フロント係の者です」というくぐもった声がした。あぁ、そういえばさっき宮城君が電話してたんだった。

「ほら雪菜ちゃん。足ここにのせて」

 私が腰かけてるのと同じ向かいの椅子に足をのせると冷たい袋を当てられた。係の人が持ってきてくれた大量の氷をコンビニ袋に詰め込んだ即席アイスノンはとても心地よく患部が炎症していたことを思い知る。

「気持ちい。けど冷たくて皮膚がジンジンしてきた」
「あと10分は我慢して。最初のアイシングが大事だから」
「はーい」
 
 タオルで足首と氷入りコンビニ袋をぐるりと巻いて、下にクッションを二個積んで足をより高くあげて。テキパキ処置をするその姿はさすが元スポーツマン。手馴れている。否、頼りになるのは元からでそこにスポーツはあまり関係ないのかもしれない。現に会社の同期メンバーの中で宮城君は一番頼りになるしコミュニティも広い。よく気がついてくれるし他人のミスを未然に防ぐシーンを何度も見た。私も何度も助けられた。だから――いつの間にか目で追うようになってしまっていた。
 ハプニングとはいえそんな人とホテルで一晩過ごすなんて、足が冷えていくのと反比例して顔がどんどん熱くなる。緊張を見透かされないようどうしたらいいか一生懸命脳みそを働かせていると「必要そうなものは全部ここに置いておくから」という声。

「え?」
「風呂はシャワーだけにしときな。で、これフロントの人がくれた湿布ね」
「え、あ、うん」
「何かあったらいつでも連絡くれていいから。じゃあ、オレそろそろ……」
「ちょちょ、ちょっと待って!!」

 上半身と腕だけでどうにか引き止めるポーズをしてみたが、きっと間抜けな格好に違いない。っていうか今なんて言った?

「えっと……もう深夜だけど、宮城君どうするの?」
「んー?漫喫でも探すよ」
「そんなの悪いよ!私のせいなんだしちゃんとしたベッドで寝て!」
「いや部屋ここしかとれなかったから」
「だから、ここで!」

 そう言い切ったあとで自分がどれだけ大胆な発言をしたか気づく。宮城君の目が大きく見開いたあと気まずそうに横にずれたからだ。でも一度口に出してしまったものは引っ込められないしこんなチャンス滅多にない……というのは女子としていかがなものかとも思うがそれでも行かないでほしい気持ちが勝ってしまう。
 ええいどうにでもなれ、と半ばヤケクソになりながらどうにか宮城君の足止めに成功した私の顔は赤いだろうか。バレてないといいな。「わかった。参りました」と降参ポーズをとった宮城君は慣れた手つきでネクタイを外し鞄やジャケットをクローゼットの中へしまっていく。

「雪菜ちゃんの鞄はあっちに置いといたから。上着はクローゼットの中ね。何か取りたいものあるならオレに言って」
「なにからなにまで……なんか困らせちゃってごめんね。放っておいてくれても良かったのに」
「あのね。あそこで女の子放って帰るような非情な男に見える?」
「あははっ、見えない。宮城君はいつも優しいから」
「……誰にでも優しいわけじゃないんだけどね」

 ぼそっと呟いたその言葉に表情筋が固まった。さっきより近い距離に宮城君の顔がある。こんなこと言われてときめかない女子がいるだろうか。

「なにそのかわいー顔」
「え!?か、かわ……」
「前から思ってたけど、雪菜ちゃん天然?」
「わ、わかんない……えーっと、なんで?」
「あんなに毎日見つめられて、オレが何も気づいてないとでも思ってた?」

 「意識するに決まってるでしょ」と付け足され体全体が熱くなっていく。もう足首の炎症なんて気にならない。すっかりパニックになってる私と比べて宮城君は「オレ、先にシャワー浴びちゃってもいいかな」なんて冷静だ。私は首をコクコク振るので精一杯だというのに。

「男は狼なのよ〜って歌、知ってる?」
「へっ!?あ、えーっと、昔の曲だよね?知ってるけど」
「オレ非情でも外道でもないけど、気になってる子と一晩中一緒にいて何もしないほど優しい男ではないから」

 まだキンキンに冷えてるペットボトルが頬に触れ素っ頓狂な声が出る。犯人はもちろん宮城君。「さっきから真っ赤だから、こっちもよく冷やしときなよ」とミネラルウォーターを手渡す彼は実に楽しそうで不敵な笑みを浮かべてる。
 椅子から転げ落ちそうなのを必死で堪え宮城君の背中を見送ったけれど、さっき話題にあがった曲の鼻歌が浴室から微かに聞こえてきて私は天井を仰ぐことしかできなかった。