「牧先輩、ずっと好きでした」

 昼休み。指定された場所に律儀に顔を出せば、見知らぬ女子に勢いよくそう言われ言葉に詰まった。こういう経験は何度かあるものの、未だこの空気には慣れない。
 気まずさと気恥ずかしさと申し訳なさが同時に俺を襲う。だって、きっと俺はどんな相手だったとしても首を縦に振ることはないから。
 ――悪いけど。そう告げようと口を開きかけた瞬間、目の前の女子は慌てた様子で「マネージャーの人と付き合ってるってことは知ってます! 気持ちを伝えたかっただけなので!」と早口に言って颯爽と姿を消してしまった。一言も言葉を発することなくぽつんとこの場に残された俺の姿は端から見たら滑稽だろう。

「はぁ……」

 クラスも名前も分からなかったが"先輩"と言ってたし、きっと下級生だ。男として異性に好かれるのは喜ばしいことだが、いつからかナオを一途に想い続けている身としては「いくら他にモテても」という気持ちが大前提にきてしまう。
 というか、何も接点もない下級生が”付き合ってる”と勘違いするくらい、俺たちの距離は近いのだろうか。それとも俺の気持ちがバレバレなのか。ずっと傍にいるとその辺りの感覚が麻痺してくる。どっちみち、ナオ本人に全く気付かれてないのは悲しいやらホっとするやら。あぁ、本当に複雑だ。
 ジャリっと砂を踏む音に反射的に振り返ると、そこには四月から入った新人マネの姿。しまった、という顔でこっちを見てた。

「ごめんなさい。聞いちゃいましたけど、事故です」
「別に大丈夫だ。ただ、その……このことはナオには……」
「もちろん言いませんよ! 部員以外にも付き合ってるって勘違いされてるのは面白いですけど」

 紙パックのジュースにストローを指して俺の隣に腰を下ろしたカナは、一年にしては肝の据わってるやつで今後の部員のサポートをしっかりしてくれそうな頼もしい存在だった。来年以降、清田の苦労が目に浮かぶがうちでマネージャーを務めるならそのくらいでなければ続かないだろう。

「こんなところにいて、清田はいいのか?」
「ずーーっとくっつかれてると、たまの息抜きもしたくなります」
「大変だな」
「まぁ、なんだかんだ私も好きなんで、嫌なわけじゃないんですけどね」

 この風貌のせいなのか、新入部員には何故かビビられることが多かった。だから今年入った女子マネを怖がらせてしまったらどうしようか、なんて少し気にしてはいたが杞憂だったようで、最近じゃこうしてちょこちょこ友好的に話しかけにきてくれるカナに少し安心していた。
 そういえば、清田とカナが付き合い始めたのをナオは随分喜んで話してたな。女子同士気が合ってるみたいだが、ナオは清田ともやたら仲がいい。

「なんだかんだノブは私のこと大好きなんで、あんまり心配しないでくださいね」
「何の話だ?」
「え。ノブとナオ先輩、いつも仲良く話してるし距離近いから、牧さん気にしてるかなって」
「別に、そんなことない」
「えー、でも昨日も牧さんずっと二人のこと見てたじゃないですかー」

 喉の奥から変な声が出て咳込んだ。まさか見られてるとは思わなかったし、やっぱり俺って分かりやすいのか?と、変な汗がでる。

「え、隠してたならすいません。でも牧さんナオ先輩のこと好きですよね?」
「……本人には言うなよ?」
「当たり前じゃないですかー! たまに恋バナしてくれるなら隠しておきます」

 後輩から仲良くしようと思ってもらえてるのは嬉しいけど、俺が思ってたのと少し違う気がするのは気のせいだろうか。心なしかさっきよりも楽しそうだ。
 
「俺の話なんか面白くないぞ」
「神奈川の帝王の恋バナなんてめちゃめちゃ面白いですよ」
「……やめてくれ」

 この感じ、誰かと話をしてるときと似てるなと思っていたが、今の一言で分かった。頭の中で藤真と諸星の顔がチラついて大きな溜息が出る。あいつらならいくらでも無下にできるっていうのに、これは参ったことになった。


***


 俺の気持ちが正式にバレてからは地味に大変だった。部活が始まる前、カナに「今日のナオ先輩の下着の色とか気になります?」なんて唐突すぎる爆弾を落とされたり、他にも親切心なのかいろいろな情報を俺に流してくる。気にしてくれてる気持ちが嬉しい反面、反応に困るし動揺をうまく隠せてるか不安だ。練習中ならいくらでも叱れるのに困ったもんだ。清田、お前の彼女どうなってんだ。

「牧、お前大変だな」
「なにがだ?」
「一年マネにからかわれて」

 部活後の更衣室で、哀れみの表情を浮かべた武藤にそう言われハっとした。
 ……俺はからかわれてたのか。再び脳裏に藤真や諸星がチラつき、その隣に悪魔の尻尾を生やしてペロっと舌を出すカナが追加される。そんな俺の心中を察した武藤や高砂たちに肩を叩かれるがなんの慰めにもならない。

「まーき」
「どうしたナオ」
「一緒に帰らない?」

 開けっ放しになってた更衣室の扉。ちょこんと顔を出して俺を呼ぶナオは照れ臭そうにそう言った。そんなことでさっきまでの疲労が一気に軽くなる。我ながら呆れるな。

 一年の頃からの付き合い。こうやって街灯に照らされた夜道を二人並んで歩いた回数なんて、数えだしたらキリがない。なのにちっとも飽きないのは俺が心底こいつに惚れてるせいなんだろう。部活を終え、ただの高校生としてナオの隣を歩くときの俺はいつも翻弄される。その笑顔に、声に、香りに、言葉に。ほんと重症だ。

「牧、もうあのTシャツ捨てたら?」
「は? なんのことだ」
「今日着てた練習着。私が去年あげたやつ、もうボロボロじゃん」

 「牧に似合うかなと思って買ったけど、さすがに着すぎだよ」と笑うナオに「お前がくれたやつだから着てるんだろ」とツッコみたい。
 好きだと自覚する前はそんなこといくらでも言えたっていうのに、ここ最近はどうもダメだな。もし意識させるようなことを口走ったらナオがどんな反応をするのか知りたい気持ちもあるが、拒絶されたらと思うとつい飲み込んでしまう。
 俺たちの会話の八割は部活の話だったが、ここ最近のナオは楽しそうに後輩の話をしている。とくに清田とカナの。余程気に入ってるらしいその様子につい頬が緩んだ。

「えらく気に入ってるな」
「えー、だって可愛いじゃんあの二人。カップルとしてもなんか理想的」
「憧れるか?」
「そりゃ……彼氏といちゃいちゃしてみたいっていう願望くらいはあるよ?」

 かすかに肌を紅潮させて言う姿に胸がドキっとした。これだけ長い間一緒にいるんだから、いまナオに意中の相手や彼氏がいないことくらい分かってる。
 それでも、もしその願望を叶えてやる相手が俺じゃなかったらと思うと強い嫉妬心と独占欲が胸を支配する。見えない相手に何をしてるんだと自分でも情けなく思うが仕方がない。男っていう生き物は好きな女の前じゃみっともないらしい。

「牧はいつも告白断ってるみたいだけど……どうなの?」
「なんで知ってんだ」
「マネージャーの情報網を侮ってもらっては困りますね」

 いっそのこと今言ってしまおうか。こんな気持ちになるのはもう何度目か。「ナオが好きだからそれ以外は考えられない」と伝えれば、少しはスッキリするに違いない。
 けど俺はいつも嘘をつく。「今はバスケに集中したい」なんていうそれらしい言葉は、もちろん本心でもあるが、本音を言えば「ナオを俺のものにしたい」もそこに追加される。

「お前と同じ理由だよ」
「あははっ、やっぱそうだよね。……もうすぐ夏が始まるもんね」

 ”牧たちと最後まで駆け抜けることが、今の私の幸せで望みなの”

 そうナオが俺に言ったのは去年の話。
 マネージャーという仕事に誇りをもってるナオの信念を曲げるようなことはしたくない。だから、今日も俺は自分の感情を抑えて力強くこう言うんだ。

「ナオ。――いよいよ全国制覇だ」
「うんっ! 絶対、牧たちならできる」

 最高の景色に全員で立ったその時、初めて俺の想いを口にしよう。そう心に決めて拳を合わせた。