春の陽気は好きだ。心地よい暖かさにふんわり体を包まれるこの感覚が、大好きな人に触れるときの幸福感とよく似てるから。離れててもリコちゃんを傍に感じられるようで癒される。だから、こうしてつい眠たくなってしまうのも仕方ない。



 彼女と出会ったのは去年の春。同じクラスだから入学したときからになるけど、正直その頃のことは覚えてない。
 バスケ部に入部して、毎日練習についていくのに必死だった。中学までやっていたポジションは無理だとキッパリ告げられ、凄い先輩たちの中に割って入るにはどうしたらいいか、毎日もがいていた。

 初めて会話をしたのは数学の授業中、問題を解くよう当てられたとき。黒板の一番上に書かれた数式に一生懸命手を伸ばしてるリコちゃんに「チェンジしよっか」と声をかけた。俺の書く場所は一番下で書きにくいし、丁度問題の答えも自信がなかった。交換したノートは見やすくて、女の子らしい文字が印象的だったのをよく覚えてる。

「さっきはありがとうね」
「こっちこそ。俺も低いと書きにくかったし、ちょうどよかった」

 数学後の休み時間、すぐにお礼をしに来てくれたリコちゃんの声は見かけ通りほんわかしていた。それからすぐ行われた席替えで偶然隣同士になったときは二人して笑いあったりなんかして。

 そして「あの時のノート凄く見やすかった。字、綺麗だね」という俺の一言をきっかけに、部活で疲れて眠ってしまった日や試合による公欠のとき、たびたびノートを貸してもらうようになった。見やすいと褒めるたびリコちゃんは「そんなことないよ!」と照れて否定してたけど、シンプルながらも小さなイラストがちょこんと添えられたノートはかわいくて見るのが楽しみだったりした。

「フラペチーノ好きなの?」
「え? どうして?」
「借りてたノート。違う子からのお礼の付箋見ちゃった。」
「嘘! ごめん、剥がし忘れてた!」
「こっちこそ、見ちゃってごめんね。俺も貼ってみたから、あとで返事ちょうだい?」

 返したノートの中には俺が貼り付けた青い付箋。「洋菓子と和菓子、どっちが好き?」という質問にリコちゃんから返答があったのはそれから数日後。再び貸してもらったノートに貼られていた付箋。そこには「今は洋菓子がマイブームだよ」と手描きのニコちゃんマーク付きで書かれてた。そのマークが本人にそっくりでふっと笑みが零れる。
 後日、学校近くの小さなケーキ屋さんで買ったマフィンをリコちゃんは恐縮しつつも美味しそうに頬張っていて、その姿はまるで小動物のようだった。

「リコちゃんが使ってる文房具、全部使いやすそうだし可愛いよね」
「えっ……」
「俺あんまりこだわりとかないから、今度おすすめあったら教えてよ」
「い、いいけど……、今なんて」
「え?」
「名前……リコちゃんって」

 特に意識せず出た言葉だった。みんなからそう呼ばれてたし、付箋でのやりとりも何回かしてたせいですっかり俺たちの距離は近いものだと思ってた。けど、冷静になってみれば言葉を交わした数は数える程度だ。

「ごめん、俺うっかり…。嫌だったよね」
「ううん! 全然! っていうか、光栄です!」

 勢いよくそう言ったリコちゃんは慌てて口を両手で隠したけど、それ意味あるのかな?光栄ってどういう意味だろうって思ったけど、なんかもう面白くてあんなに笑ったのは久しぶりだった。
 その辺りから、休み時間よく話をするようになった。美味しいカフェの話だったり、新しくでた文房具がかわいいって話。バスケ部でのことも。

「神くん入学してからまた逞しくなった?」
「そう? でも部活ではひょろい方だよ」
「バスケ部の先輩たちみんな凄いもんね……廊下で見かけたときビックリした。神くんは今度の試合出るんだよね?」
「出たいけど、まだベンチだからね」
「え、そんなに大きいのに?」
「廊下で見かけたっていう先輩たちの方が、もっと凄いから」

 リコちゃんの素直な反応を見てると言葉が勝手にするする出てきてしまい、ついシュート練習の話までしてしまった。わざわざ人に言うようなことでもないのに。
 でもリコちゃんは、目をキラキラさせ前のめりで「凄い! すっごく素敵だと思う!」なんてストレートに感想を言うからドキっとした。

「そんなに頑張ってるならどんな形であれチャンスはくるよ! 見てくれてる人はいると思う!」

 負けず嫌いな性格であることは自覚してるけど、一人黙々とシュート練をしている間、つい焦りの気持ちがでることはたまにあった。
 体力、テクニック、センス。海南という強豪校の名を背負っている凄い先輩たちと毎日練習しているから当たり前のことだけど、それは自身に火をつける一方、不安や焦りにもなる。

 そんなモヤモヤした気持ちを残したまま帰った日の翌日、教室でリコちゃんの顔を見ると癒されていたことに急に気がついたんだ。あ、俺この子のこと好きなんだ。
 恋に落ちる時ってもっと劇的な何かがあったり、心臓が爆発しそうな衝撃があるのかと思ってたけど、俺の場合、胸にトスンと矢が刺さったような感じだった。


 初めてスタメンとして試合に出られると知った日、一番に彼女に報告した。自分のことのように喜んでくれたリコちゃんに渡したノートには、試合の日時と場所を記した付箋を貼った。
 そして授業中、机の上にちょんと置かれたのはいつもの女の子らしい文字で「楽しみにしてる」と書かれたメモ。俺はそれがすごく嬉しかったんだ。

 当日の試合はうちの勝利。最初こそ緊張したものの、集中スイッチがすんなり入ったおかげで練習していた3Pシュートの調子はすこぶる良くて心が躍った。次もある。その次も、チャンスがやってくるかもしれない。

「神くーん! やった、やった!! 見てたよ! シュート全部入ってた!!」
「ありがとう。リコちゃんの言った通りチャンスがきたから。掴まなきゃって思ったよ」
「ホント凄いよ……! 努力はね、ちゃんと返ってくるんだよ!」

 試合後の帰り道、凄いを連呼する彼女の言葉が本当に嬉しくて暖かい気持ちでいっぱいになった。あぁ、好きだ。そうすんなり受け入れられる。

「ねぇ、リコちゃん。俺ね、実はもう一個努力してることがあるんだけど、それも返ってくるかな?」
「何なに? 新しい技? 神くんならきっと大丈夫だよ!」
「そっか……じゃあ、付き合ってくれる?」
「――えっ?」
「リコちゃんのこと、すごい好きになっちゃったんだけど俺」

 そのあと、彼女はどんな顔をしてたっけ。



 あともう少し、というところで体をゆする感覚に気がついて現実世界に意識を戻された。俺の肩をゆすっていたのは小さくて白い手。

「神くん、起きた?」
「ん……また寝ちゃった」
「ノートとってる?」
「んー、後半とってないや。……貸してくれる?」
「そう言うかなと思って、特別綺麗に書いといたんだ! この前一緒に買ったペンも使ってみたよ」

 夢の中で見たリコちゃんより少しだけ伸びた髪に手をかける。さらさらしていて気持ちがいい。その流れで耳たぶをふにっとするのが俺の最近のマイブームだ。くすぐったいと言いながらも嬉しそうに笑うリコちゃんの顔がすごくかわいいから。

 ――そうだ。告白したあの日も今みたいにふにゃりと笑って頷いてくれたっけ。

「ありがとう。好きだよリコちゃん」
「へへ。私も好きですよ」

 照れると敬語になってしまうリコちゃんのあのときの返事は「私も好きだったので、よろしくお願いします」だったなと、思い出し笑いをかみ殺した。