”常勝”と大きく書かれた二文字の横断幕。それを背負う海南バスケ部のマネージャーを務めるのは想像以上に大変だったけど、もともと本格的に頑張りたかった私にとってそのプレッシャーは重荷どころかやる気の源だった。
 それに、同じ志をもった優しい同級生にも恵まれた。たくさんの部員が退部していったなか最後まで残った今のメンバーは、全員心から信頼できる良き仲間だし、向こうもそう思ってくれていることが何より嬉しい。だからどんな大変な雑務でも頑張ろうと日々気合が入る。
 けど、私も部活の外では普通の高校生。親しい男の子の中に、気になる人ができるのは仕方ないことだった。

「ついに卒業しちゃったね、先輩たち」
「そうだな」
「とっくに牧が部長の新体制になってるのに、いよいよ私たちが引っ張っていくんだ! ってなるね」
「月が変わると特に気が引き締まるだろうな。今年もサポート面は期待してるぞ」
「そろそろ新しい子入ってくんないかなぁ。同級生は私の疲弊っぷりを見てるからことごとくダメで……」

 卒業証書を手にしたバスケ部の先輩たちに、みんなで最後の挨拶をしに行った帰り道。満開の桜の木の下でそんな何気ない会話を牧としていた。ちょっとでも沈黙があると、ひらひら舞う桜と牧の横顔につい見惚れてしまいそうで慌てて話のネタを探してしまう。どうして何をしてても絵になっちゃうかな。

 牧とは一年の頃から仲良くしてるし、距離も近い。今更沈黙が気まずい関係でもない。むしろ心地いいはずなのに、やたら心音が高まってしまうのは私の気持ちが友情から恋に変わってしまったから。
 ハッキリ自覚したのはつい最近で、胸がカァっと熱くなったあのときの感情を今でも覚えてる。今すぐ吐き出さないとどうにかなってしまいそうなこの思いを武藤に相談したときは「やっと?」と大きな溜息つきで呆れられた。高砂やミヤにまで苦笑いされて、一人大騒ぎした私がバカみたい。気づいてたならみんな教えてよ。

「……久しぶりに一緒に帰るか」
「えっ、うん。なに、改まって」
「いや。ナオの好きな珈琲ショップが今日オープンだったなと思っただけだ」
「嘘! 今日だったっけ!? 寄りたい!」

 そういうことをちゃんと覚えてくれてる優しいとこも好きだ。あと、いつもありがとなってキチンと言葉にして伝えてくれるところも。別に他の部員からその言葉がないわけじゃないけど、やっぱり牧に言われると特別嬉しい。
 自分に自信はあるけど決して慢心せず、常にトップであろうとする向上心の高さは尊敬に値する。こんな人がいるチームを近くで支えることができるなんて、海南のマネージャーができて幸せだと思ってたのに。いつから私は個人として特別な感情を抱くようになったのか。

 店の前にあった看板に書かれていた”今日のオススメドリンク”をジッと見てると、横から笑いながら「それか?」と言われた。肯定するとすぐさま注文されてしまい、いつも通り奢ってもらってしまう。こうして、たまに二人一緒に帰る日の寄り道ではいつもそうだ。毎回申し訳ないから断ってるのに「俺が好きでしてるんだからいいんだよ」の一点張り。優しすぎでは。

「お、美味しい……!!」
「それは良かったな」
「牧もいる?」
「おう。じゃあ一口もらう」

 こういうとき、好きな人相手だと間接キスに躊躇ったりするし心臓はバクバクものなんだろう。いや、実際すごい緊張はしてるけど、一年の頃からこうしたことは日常茶飯事だったから今更変に意識してしまうとバレそうでひゃひやする。だからあくまでこれまで通り、自然に接していたい。牧も自然なんだし。
 苺の味の甘酸っぱいドリンク片手に、二人肩を並べて歩く。こんなことは私たちにとってよくある日常の一コマだけど、どうやらこういった光景が付き合ってるという誤解を生むらしい。
 私の気持ちが少し変化しただけで、私たちの間で交わされる会話の8割は部活の話だし、残りの2割も学校での些細な出来事の話。人から言われるような甘い関係では決してないけど、それでも私は今のこの関係が心地いい。同じ目標に向かって頑張って、二人で過ごす時間がたまにあるだけで胸がほわんとする。

「少し酸っぱくないか?」
「えっ、これがいいのに!」
「ナオがあまりにもうまそうな顔するから」
「へへ、だって好きだもん」
「……そういうこと他で言うなよ」
「えー、美味しいもの食べたら美味しいって言っちゃうよ」

 「牧ってたまに無茶言うよね」と言うと、頭にポンっと手を置かれ「しょうがねぇな」なんてため息交じりに返された。


 いつも使っている駅の混み具合に二人で驚いた。寄り道したうえ、駅まで向かういつもの道を少しゆっくり歩きながらお喋りしていたせいかなと思ったが、どうやら人身事故で遅れていたらしい。運転再開はしていたから助かったものの、乗り込んだ電車はぎゅうぎゅうで湿度も高い。混み合った電車ほど不快なものはない。

「ナオ、大丈夫か?」
「なんとか平気。牧は?」
「俺の心配より自分の心配しとけ。ほら、こっち来い」

 閉まったドアに背を預けると、人から庇うように牧が目の前で立っていてくれた。それだけで一気に不快ゲージが減少して、むしろ幸せのメーターが振り切ってしまうんだから我ながら簡単な女だ。
 私に負荷がかからないよう、僅かな隙間を作ってくれているこの気遣い。本当に高校生なのかなと思ってしまう。本人に言うと怒られるから決して口には出さないけど。そういう意味で言ってるわけじゃないんだけどな。
 僅かにつくられていた隙間が電車に揺られるたびゼロ距離になり、そのたびドクンと心臓が跳ねる。早く駅についてほしい反面、このままずっとつかなければいいなんて我が儘な願望が顔を出し始めたから、声を潜めながら部活の話をして咄嗟に意識を逸らした。

「今年はどんな子が入るんだろうね。というか、どのくらい残るだろうね」 
「…そういえば。監督が言うには、今度の一年は勢いのあるやつが入るそうだぞ」
「ほんと!? わぁ、楽しみだね。最後の年だし、いい一年にしたいなぁ」

 ぽろっと出てしまった”最後”という一言にハっとして口元を押さえたけど、時既に遅し。目をぱちくりさせてる牧としっかり目が合った。”最後”なんて変に意識させるような言葉は絶対言いたくなかったのに。

「ごめん、変な意味じゃないの。聞かなかったことにして」
「いや、事実だからな。いちいち気にすんなよ。悪い癖だぞ」
「……今年も頑張ってサポートするからね」
「ああ。いつもありがとうな」

 そういうところ!と、心の中で小さくツッコみをいれたタイミングで降りる駅に到着した。人波に流されないようぐっと私の肩を掴む牧の手は一年の頃よりも大きくてごつごつしてる気がした。男の子は二年間でみるみる別人のようになってしまうから狡い。どんどんカッコ良くなるのを間近で見て、好きにならないわけがないじゃないか。

 改札を出たあと「じゃあ、また明日」と手を振るのはこれで何度目か。こんなやり取りもあと一年なのかと思うとやっぱり少し寂しい。これから三年生になるっていうのに。

「ナオ」
「ん?」
「今年は必ず一緒に行くぞ。てっぺん」
「――、うん!」

 それは”連れていく”という約束より数百倍嬉しい台詞だった。プレイヤーじゃない私も”仲間”だと言われている証のような気がして、涙が出るくらい嬉しかった。引退までまだまだこれからなのに、今から泣かせてどうするのよ。

 頼りがいのある大人っぽいところも、優しく微笑む表情も、たまに見せるキョトンとした可愛い一面も大好きだけど。やっぱり私は、常にトップを目指してバスケと向き合ってるギラギラした牧が一番好きだから。もう少しこの距離で同じ方向を見ているのが私の最上級の幸せだ。