※ほんのりパラレル話



 最近始めた部屋の掃除では、さまざまな発見があった。前まで愛用していた鞄や、今の私には子供っぽい洋服、中学のときの教科書。
 幼少期に描いたであろう不思議な絵や、当時流行ってたプロフィール帳なんかも発掘され、懐かしい気持ちがいちいち掃除の手を止めた。「なんでこんなものとっておいたんだろ?」なんて、過去の自分の思考を必死に考えたって答えはちっとも出てこない。今の私が思い描く未来予想図とプロフィール帳にある“将来の夢”のズレに笑ってしまったり、まるでアルバムでも見ているかのようだった。
 過去や現在、少し先の未来を意識してしまうような断捨離生活をここ数日続けていたせいか、あるとき不思議な夢を見た。

 ――いや、正確に言えば“見ている”


「……どうしたんだよ、その格好」
「へ……」

 教室や保健室、自分の部屋や彼氏の部屋。明確な正体は分からないけど、その部屋や空間特有の匂いは確かに存在する。
 いま私がいるこの場所は、嗅いだことのない新鮮な匂いがするのに心はやけに穏やかだ。それは、隣で不思議そうにこちらを見下ろしてる人物のおかげなのかは分からないけど、その低い声で話しかけられた瞬間ふかふかベッドから落っこちた感覚になり“あぁ、これは夢なんだと”確信した。なぜなら――。

「……ノブ?」
「なに。今日はそういうプレイがしたいってお誘い?」
「って、え? 何言って」
「うわー、オレ制服どこやったかなー。実家かも」
「っ、待って待って。情報処理する」

 毎日見てるキリッとした顔に明るくて意外と低い声。きょとんと不思議そうに私を見る可愛い表情。全部大好きなノブのはずなのにノブじゃないと感じるのは、大人びた雰囲気や短くなった髪、そして今より高い身長と逞しい体のせいだ。
 まさかの事態にドキドキしっぱなしの心臓をぐっと押さえながら、頭の中の唯一冷静な場所で仮説をたててみる。
 ……私いま、夢の中で未来のノブと会ってる? いや、未来のノブと話をするという、都合のいい夢を見てる?

「っ――!」
「つーか、カナ。お前なんかいつもと……」
「ちょ、まって! その顔で近づかないでっ!」

 私の夢が創り出した未来の姿にしろ、本当の未来の姿にしろ、見たことのない短髪姿のノブはあまりにもかっこよくて一気に顔が熱くなった。嘘、嘘だ、嘘だよこんなの。こんな、息づかいまでリアルな夢は初めてだったし、夢の中で“夢”と認識して振る舞うのも初めてで戸惑うなという方が無茶な話。
 私の様子がおかしいことに気がついた目の前の大人ノブは、改めて私をじっくり見たあと「……まじ?」なんて全てを悟ったかのようなリアクション。

「うっっわ、やばい。ちょ〜〜可愛い」
「わっ、」
「いま何年?」
「……高一」
「付き合ったばっかじゃん……」

 これが本当にノブなら「興奮する」とかくだらないことを言って飛びついてくるに違いないと、密かに心の準備をしていたのにその衝撃はちっともこない。その代わり力強い腕に引き寄せられ、髪の毛をするする撫でられた。

「やべ〜、可愛い。いや、今もすげー可愛いんだけど」

 困ったよう、ため息混じりで笑う大人ノブに胸がキュンキュンする。感情表現豊かなのは同じだけど、やっぱりどこか落ち着きがあって大人っぽくて。本当、ノブなのにノブじゃないみたい。
 私の体を楽々横抱きにしたノブはそのままソファの上に優しく座らせ「なんか飲む?」なんて優しく微笑んできた。現役女子高校生の私を見たら、慌てふためいたりそっちの方がドギマギするんだと思ったのに、その余裕は一体なんなんだ。すっかり私の方がドキドキしっぱなしでなにか飲むどころじゃない。
 首をぶんぶん横に振ることしかできない私を見て何か勘づいたのか、口元を押さえながらキッチンへ移動したノブは自分の分の飲み物を持って隣に座った。絶対にまにましてる。

「ホントに? ノブなの?」
「少なくとも、今のカナを見てオレは懐かしいって感じる」

 抱きつきもせず、長い脚を組んで優雅にマグカップに口をつけてる大人ノブは、ただただ愛おしそうな視線を私に送り続けてる。こんな清田信長を私は知らない。でもめちゃくちゃカッコイイから、さっきから心臓の鼓動は速くなる一方だ。夢を見ながら死んだらどうしてくれる。

「か、髪。なんで切ったのよ……」
「あぁ、これ? うーん、……内緒」
「なにそれ」
「言ったらびっくりしなくなるじゃん。もしここにいるカナが本当に十年前のカナなら、過去のオレにもあの瞬間は味わって欲しい」
「――じゅ、十年前って……いま二十五!? え、まだ付き合ってるってこと!?」
「……なんだよ、不満?」

 むっと唇を尖らせて顔を近づけてきた大人ノブに心臓が飛び出そうになる。
 五月に告白されて、顔がタイプだからって理由でオーケーして。なのに時間が経つにつれ私も大好きになって。不満とかそういうことではなく、とにかく今が幸せで毎日ノブと一緒なのが楽しくて、ただそれだけだった。だから、そんな相手と十年後も一緒にいるだなんて。これが都合のいい夢だとしても、嬉しすぎて大人ノブの顔がマトモに見られない。
 周りを見渡せば、ノブの私物に混ざって私のものがちらほら。なんなら家具やマグカップは今も私が使ってるものだし、見覚えのないものだって私が好きそうなデザインのものばかり。そしてここは見慣れない部屋。付き合ってるどころじゃなく、まさか同棲してるのでは。

「恥ずかしい?」
「……別に」
「ははっ、今のオレにそれは通用しねーって」

 大きな手で両頬をぎゅっとサンドされたかと思えば、触れる程度の小さなキスをされて体が硬直した。やばい、未来のノブにキスされた。
 衝撃のあまり言葉を失った私を見て最初こそ笑ってたけど、あまりにも純情なリアクションだったのかノブの笑みが意地悪なものに変わり「もう少し、しよーぜ」と一言。
 こちらが何か言うよりも早く深い口付けをされて口の中いっぱいに珈琲の苦みが広がった。つい眉間に皴が寄ってしまい、離れようとしても頭を包み込む大きな手がそれを許してくれない。強引なのに、唇をゆっくりなぞったり舌をやんわり絡ませてくる大人ノブとのキスは、正直すごくぞくぞくしてしまった。

「〜〜、も、もういいでしょ! 苦い!」
「ちぇっ、いい感じだったんだけどなぁ〜」
「どこがいい感じなのよ……!」
「んー、気持ちいい顔してたから。もしかしたらワンチャンあったかなって」
「……今初めてあんたが“ノブ”ってことに確信を持てた」
「さすがにそれしたら過去のオレに申し訳ないから我慢しとくけど」

 思考や発想は十年経ってもあまり変わらないようで、ちょっとだけ安心した。見た目のカッコ良さがこんなにパワーアップしてるなら、中身くらいは今のままでいてもらわないと対応に困る。

「確かに、こう見てみると学生のときのカナってすげー細かったんだな」
「……え、それどういう意味?」
「最近、前より太ったって言うからよ。オレとしては全然分かんなかったけど」
「やだ、未来の私太ってんの!?」
「太ってねーよ。抱き心地は相変わらず好き」

 でも、今の私を見て細いと口に出してしまうくらいの差はあるってことになる。太らない体質だからってフードファイターを続けるのはほどほどにしておかないとやばいかもしれない。この夢のなかで一番感謝すべき情報だ。
 ちらっと横を見ると、雑誌片手に再度マグカップに口をつけてる大人ノブ。……珈琲なんか飲むようになったなんて、生意気な。

「珈琲なんて、いつ飲むようになったの?」
「あぁ、カナ駄目だもんな。苦いの」
「……知ってるならキスしないでよ」
「嫌がってる顔、俺すき」
「へんたい」
「牧さんがさぁ、いつもブラック飲んでるの憧れてよ。いつだったかチャレンジしたんだけど、さすがに苦ぇ! ってなって」

 でもミルクいれれば飲めるから今はそうしてるんだ、と誇らしげに言う大人ノブの可愛さにまたキュンとしてしまう。本当に二十五歳? まだそんなに可愛い一面があるなんて、二十五歳の私が毎日心穏やかに暮らせているのか心配になってきた。
 そんなことを思っていたとき、突然急激な眠気に襲われる。何故かは分からないけど“このまま眠ればこの夢から冷める”と瞬時に思った。
 それは大人ノブも同じだったみたいで、最後にもう一度口付けてきたあと「今も昔も、オレはカナしか好きじゃないから心配すんなよ」と最高の殺し文句を言って笑う。

「っ、やめてよ……その顔で」
「褒めてくれんのは嬉しいけど、それは十五のオレにもっと分かりやすく言えよ。俺バカだから、超元気でる」
「バカなのは知ってる」
「おぅ。とにかく、ずっとバカみたいにカナしか見えてねーから」

 ニカっと笑った大人ノブは私の大好きなノブだった。こんなの見て息が苦しくならないわけがない。あまりの破壊力に言葉を失った私は、落ち着く香りと温もりに体を包まれながらゆっくり瞼を下ろし、この不思議な世界から意識を手放した。


 暗闇のなかで私を呼ぶノブの声がする。その声に導かれるよう、微かな光が漏れる方へ意識を集中させると目の前には退屈そうな顔をしてるノブの顔。
 見慣れた教室、聞きなれたチャイムの音。海南の制服を着用してるノブの髪の毛はいつも通り長い。いつも通りのことなのに妙な安堵感。それだけ夢の中で見た未来のノブのカッコ良さが凄まじかったということなのか、まだ頬が熱い。

「すげー寝てたな」
「うん……なんか、変な夢見た……」
「あー、変な時間に寝るとたまに見るよなぁ」

 ぐっと伸びをする私の体に抱きついて甘えてくるノブと、さっきまでの大人ノブをつい比較してしまう。
 隙あらばこうして首に顔を埋めてくるこの男が、私を引き寄せて優しく抱きしめるだけだった。しょっちゅう舐めたり噛み付いてきたりするこの男が、珈琲片手に脚を組んで、ただ私を眺めていた。
 年下の私相手だから大人ぶっていたのかもしれないけど、それにしてもしんどすぎた。あんなかっこよく成長されたらいよいよ本気で好きになってしまう子がいそうで心配になるけど、夢から覚める間際に言われた言葉がまだ胸の中に残っててほんのり温かい。
 こういう時のために安心させてくれたのかなと思うとまたまたキュンとしてしまった。

「……ノブってさ、珈琲飲めるの?」
「は? なんだよ急に」
「いや、別に。なんとなく」
「まだ飲んでないから分かんねぇけど……挑戦はしたい」
「挑戦って……」
「牧さんがさぁ、珈琲のブラック飲んでんだけど。それがなんかかっけぇんだよな〜。だから俺もいつかって思ってはいるんだけど……なんで?」

 初めて聞くはずなのにちっとも新鮮さがない。だってこの話は、あのとき微かに感じた苦味とともに私の脳にしっかり記憶されていたから。
 もし、万が一あの不思議な夢が本当の未来なら――。

「カナ? お前、顔赤くね?」
「……髪切るときは、ちゃんと宣言してよね。ばか」
「はぁ?」

 さっきから飛び飛びの話題や質問に寝ぼけてると勘違いされたのか「なに。まだ眠い?」なんて言われた。それどころか風邪でもひいたんじゃないかと、やたらおでこや頬の熱を冷やそうと画策してるけど、体温の高いノブにそんなことできるわけもなく、終始おろおろしてる。
 夢と現実の境でふわふわしてるのは認めるけど、このドキドキと体が熱いのは未来のあんたのせいだと心の中で悪態をついて、ひんやりした机に頬をくっつけもう一度目を閉じた。