“牧を喜ばせるにはどうすればいいと思う?”

 相談所グループに投下したこの言葉に深い意味はなかった。付き合って一ヶ月と半分。私のペースに合わせてくれてる優しさについうっとりして甘えてばかりの毎日。私だって牧のために何かしてあげたいけど、前にスカートの丈を短くしたあの作戦は失敗。失敗というか返り討ちというか、結局のところあれで牧がいつもの私みたく胸を高鳴らせたのかはどうかは分からない。
 私が送ったメッセージには既読の文字がしっかりついてる。それも三人分。なのに数分経っても誰からの返事もないから、もう明日直接聞こうとベッドに身を投げ出したとき持ってたスマホが震えた。神から“明日お昼休みにでもみんなで話しましょうか。人目のつかないところで”と一言。なんで人目のつかないところを選んでいるのは分からなかったけど、とりあえず神に何か考えがあるのだろうと期待に胸を膨らませてその日は安心してぐっすり眠った。


***


「あんなラインをするってことは、もうシちゃったってことですか?」

 十月にしては少し気温の高い昼下がり。青い空の下、爽やかな風に吹かれながら言った神の台詞はちっとも爽やかじゃなくて、飲んでたお茶が気管に入った。咳き込む私の背中を武藤が呆れながらさすってくれる。

「神、直球すぎるぞ」
「でも、これの確認をしないと話が進まないじゃないですか」

 何を? なんて聞かなくてもなんとなく分かる。けど私たちが恋人同士になったのは夏の終わり。それはいくらなんでも話が早いでしょと神を叱ると「あんな書き方するんですもん」としれっと笑顔で返された。……それは確かに私も悪かったかもしれないけど。

「だから昨日誰も返事してくんなかったの?」
「いや……まぁ、いくらなんでもそれはないと思ったけど……こうなるまでが長かったから」
「確かに。積もり積もってだと、いつ爆発するか分かんねーッスよね」

 まさかそんな話になると思ってなかったから、私の喉はさっきからご飯を通らない。なのに目の前の男子たちはそんなことお構いなしに今日ももりもり大量のお米を平らげてる。

「この前も、牧さんの家に行ったって言ってましたし。可能性としてなくはないかなって」
「行ったけど……お母さんがね、すごく喜んでくれて。ずっとリビングでお話されちゃって」
「もう嫁じゃねーか」

 武藤の言葉につい顔が熱くなる。いや、まさに今の私のようなリアクションを一度でいいから牧にさせたいというか、ちょっとはドキンとしたりキュンとしたり、そういう場面を見てみたいというのが今日の本題なんだ。だって私はこうなるたびにものすごい幸福感で胸がいっぱいになるから。
 いつも私ばかりこんな幸せ気分を味わってちゃ申し訳ないと三人に力説すると、神やノブは苦笑いするし、武藤に至っては「バカだな」なんて言ってくる。

「顔に出さないだけだアイツは」
「そ、それってずるくない!?」
「で、ナオさんは顔に出すぎなんですよね」
「でもそこは俺もナオさんに共感します! めっちゃ嬉しいのになんで顔に出ないのか謎ですもん!」

 この相談所内で私の気持ちを本当に理解してくれるのはきっとノブだけだ。二人で手を取り合い日頃の苦労を語り合ってる姿は、武藤や神にしてみれば見慣れた光景なんだろう。
 顔に出さない男がつい胸をときめかせてしまう瞬間が知りたい、と考えだせば私の視線は自然と神の方へ。うちのバスケ部で牧の次に読めない。
 視線に気がついた神はきょとんとしながら「なんですか?」と言ってる。今だって、本当に驚いてるのか面白がってるのかの判断が難しい。

「じ、神はさ。リコちゃんにされてすっっごい胸がキュンってしたことある? あ、“いつもですけど”とかはなしね!」

 日頃からリコちゃんのかわいい言動を嬉しそうに話してる神のことだから絶対言うと思ったけどどうやら当たりだったようで「先手打たれちゃいましたね」と眉をハの字にして笑った。神はいつもにこにこしながら惚気るから、果たしてそれらの何が最高に刺さったのか分かりにくい。
 反対に牧はいつもしれっと「かわいいぞ」とか「好きだぞ」とか当たり前のように言ってくるもんだから、やっぱりいつも私が照れて終わってしまう。なんであんなに挨拶みたいな感じで言えるのか不思議でしょうがない。

「……ユニフォーム着てもらったときは、さすがに言葉を失ってドキドキしましたね」

 少し考えこんでた神が放った一言に言葉を失ったのは私たちの方だった。神みたいに大きい子のサイズをあんな華奢な彼女が着たら、それはそれは大変えっちな仕上がりになってしまうのでは……。現に隣に座ってるノブは過剰反応したあと黙って一点を見つめてるから、頭の中が透けて見えるようだった。これはカナちゃんがしばらくの間大変そうだ。

「神、お前そういう趣味あったのか」
「いや、全然ないですよ。でもなんか、レギュラーになったのすごく喜んでくれたし、俺もテンション上がったといいますか。それに思い入れがあるんで、コスプレっていう感じもしないんですよね。純粋に応援してくれてる彼女が着たらグっときたというか」

 神の説明に武藤は「なるほど」なんてどこか納得した様子だし、ノブにいたっては「よしっ」と、変にやる気満々って感じで笑ってしまった。カナちゃんはまだ何の許可も出してないのに、きっとノブの脳内では成功してるんだろうな。
 とにかく、ここにいる面々の様子を見れば彼シャツならぬ彼ユニは部活に精を出す男子高校生に非常に有効であることが分かった。だけどこればかりはちょっとできそうもない。それは恥ずかしいとかそういう理由じゃなくて。

 ここまで相談に乗ってくれたみんなに結局できないなんて言う気になれず「ありがとう」とだけ伝えてその場を去った。あぁ、また一から作戦を練らないと。




「悪いナオ、プリントの提出忘れてたから少し待っててくれ」
「うん、分かった」

 部活終わり、牧は忘れていたプリントの存在に気づいて慌てた様子で職員室に向かった。大きな背中を見送ったあと部室のベンチに腰をかけ、隣に置いてある牧のスポーツバッグにふと目をやると一番上には日頃使ってるユニフォーム。昼間のことを思い出して頭を抱えた。……鞄開けっ放しにしていかないでよ。

 一年の頃から現在まで懸命にマネージャー業をしてきたつもりだ。だからうちの部の練習量やスタメンのみんなが凄いってことはよく分かってる。だって長いこと近くで見てきたのだから。
 主将として部員を引っ張る牧、クラスメイトから慕われてる優等生の牧、私と二人でいるとき、彼氏の顔をしてる牧。どの牧もかっこよくて胸を締めつけられるけど、試合中の牧への想い入れは特別強い。神奈川のトッププレイヤーとまで言われているのに、常に貪欲に“勝利”の二文字を得ようと戦う姿に惹かれないわけがない。毎回見惚れそうになるたび自分を律してきた。
 要するに、私にとってこのユニフォームは聖域だ。これを勝ち取れるのは限られた選手のみ。キスやハグをする間柄になったとはいえ、牧がこのユニフォームを着ている間だけは私たちの関係性はいつだって選手とマネージャーなんだ。
 そう思うと、とても私が着る気にはなれない。これには牧の三年間が詰まってるんだから。

「……我ながら真面目すぎ」

 誰もいない部室に響いた自分の声は少し寂し気だった。だって、強烈に惹かれてる彼の姿に抱きつける日はきっとこないから。真剣勝負のあの時間だけは、今までの通りの距離感が心地いいしそれでいいと思ってた。
 だけど人間という生き物はどうしても欲が出てしまうらしく、周りに誰もいないことを確認した私の片手は牧のユニフォームをしっかりと握ってる。……ぎゅってするくらい大丈夫だよね?
 一瞬だけでいいからと、キャプテンの証である数字が堂々とプリントされた大きなユニフォームを抱きしめた。ふわりと香るのは普段抱きしめられたときと同じ匂いのはずなのに、全然違うもののように感じる。それはきっと、今私の頭の中で再生されてる映像が過去の試合で戦ってる牧の姿だからだろう。いま私はあの熱に少しでも触れてるのかと思うと嬉しくて仕方ないし、なんだかすごくドキドキしてきた。
 最後にぎゅっと力を込めたあとユニフォームをバッグに戻そうとしたそのとき、勢いよく部室の扉が開いた。

「悪い、待たせた……って、なにしてんだ」
「は、早かったね……」

 あと一歩遅かった。牧のバッグに入れそこなったユニフォームを隠すべく、お腹に手をあて前傾姿勢で牧を出迎えることに。絶対これくしゃってなった。洗ってアイロンかけて返さなきゃいけないけど、それをするとなると理由を説明しなきゃいけない。非常にまずい。忘れ物でもしたのか、牧の隣には武藤の姿もあった。助けて武藤。察して武藤。ちょっと後ろを向かせるだけでいいから。
 牧も武藤も不自然な私の様子を見てきょとんとしてたけど、表情が変わったのは武藤が先だった。私の願いが通じたのか全てを察した武藤は「いいや。明日取りに来るから俺先帰る」と言い残して踵を返す。え、違う違う。助けてって。

「どうしたナオ。どこか痛いのか?」
「ち、ちが……あの、ちょっとだけ後ろを向いててもらっても……」

 部室の扉がバタンと閉まったあと、心配そうに私の顔を覗き込んでくれるから余計に申し訳ない。なんというか、出来心というか下心というか。いろいろ知られるのが恥ずかしい。……というか、結局今日も私がドキドキしてるからもうどうしたらいいのか。

「おい……見えてるぞ」
「えっ」
「それ、俺のだよな」

 牧の視線の先には、隠しきってたはずのユニフォームの裾部分がちょろっと腕からはみ出ていた。紫に黄色のラインの入ったそれは紛れもなく常勝海南バスケ部のユニフォーム。
 私がどこか痛がってるわけじゃないと分かるや否や無理やり両腕を解きにかかる牧に必死に抵抗したけど、勿論そんなの無駄。膝の上にぽてっと落ちた布には見慣れた数字。バレた。

「ほつれてたから直そうとした……って言っても信じないよね」
「そうだな」
「っ、ごめんなさい」
「なんで謝る」
「せ、聖域を……」
「は?」

 何を言ってるんだ? といった表情で真っ直ぐ私を見つめてくる牧と視線が合わせられない。ぐっと両手を握りしめたまま動かないということは、何をしていたのか聞くまで帰してはくれないんだろう。
 沈黙に耐えられず「ちょっとした出来心で牧の大事なユニフォームを抱きしめてしまいました」と業務連絡のように白状すれば、溜息をつかれる。うわ、最悪。呆れられた。

「ナオ」
「はい」
「計算か?」
「……はい?」
「これは着られるより刺さったぞ」

 思考が止まった。刺さったという言葉の嬉しさよりも、その前になぜ着るというワードが牧の口から出てきたのか。まって、さっき隣に武藤いたよね?

「まさか……」
「ここに来る前、少し話は聞いた」
「武藤の、バカ……!」
「いや、詳しくは聞いてないけどな。俺が顔に出なすぎてナオが困ってるからいろいろ画策してるって話と、神からユニフォームの話をされて少し盛り上がったってことくらいだ」
「ほぼ全部じゃん!」
「顔に出にくいのは申し訳ないけど、これは大成功でいいんじゃないか」

 握られていた私の手は、牧に導かれて厚い胸板へと。触れた手の平から伝わってくる心音は大きくて、少しだけ早いような気がした。

「ナオのストレートな表現は、そこそこ威力がある」

 しれっと言ってのける牧の顔は相変わらず余裕そうだったけど、私を安心させるよう撫でてくれた手はいつもより少しだけ熱かったからこの調子で少しずつ頑張っていこうと心に決めた。